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Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

「2人~」へ(8)

2010年07月09日 | Weblog
明日は、「2人が見ている未来の美術」が行われます。
楽しみです。

「2人~」へ(2)は、草稿状態にしてあって公開されていないのに今気づきました。悪しからず。

風邪は治らぬものの、ビールも飲み、ぐずぐずしていたIもようやくZZZとなり、静かな夜がはじまりました。外の雨音はなにやらバリみたいな響きがします。夏の湿度の高い夜です。

さきほどゲストのお二人にメールを送り、明日よろしくお願いします、と書いて、あとは明日を待つばかり。楽しみだ。

ひそひそ声で言うと、正直、集客のことはあまり気にしていないです(運営のスタッフさんから、宣伝しましょうとある日促され、それもあって、ここで頻繁に書くことにしたのですが)。来てくれるひと、少なくてもいいです。話をしたいひとに会って話を聞かせてもらうという個人的な欲望がほとんどA to Zなのであって、その機会をたまたま公開にし、お金をいただいて行うことにした、というのがぼくの本当のところなんです。どう考えても面白い話が出てくるはずだから、ぼくはその期待に夢中だから、それだけだから、会場が熱気に包まれるか否かは、あまり興味ないです。ぼくの熱気で十分です。

それにしても、野口行範の作品面白かったなー(「知性」展@island)。野口さんの話も伊藤さんからは聞きたいし、そうすると岩永さんの話にもなるのだろうけれど、それも楽しみだ。高橋さんからは、田口行弘さんの話聞きたいなあ。この春、出会った魅力的な作家の1人。田口さんは無人島プロダクションの作家でもあって、なんだか狭い。興味が近いということか、確認したい。

それでは、会場で。

「2人~」へ(7)

2010年07月09日 | Weblog
村松さんをお送りしてきました。いま(17:30)研究室です。

前期の大学での講義は、ともかくたくさんゲストを招こうと思い、村松さん、快快のメンバー、美大生の美術作家たちなどに足を運んでもらいました。ぼくにとっては、最前線の作家たちなので、毎回とても刺激的でした。今日も、とても。後期もこのペースでぼくの敬愛する作家、制作の方などに来ていただき、話をしてもらうつもりです。何人かの方にはすでにお声をかけています。

実は、明日のイベントも、ぼくのなかでは、このゲストを大学にお招きするのの延長線上にあるものなのです。大学でばかりやっていてはもったいないと思って、今回の高橋さんと伊藤さんは、snacに出張するかたちで、お客さんも大学生に限定せずに行おうと企画したのでした。もちろん、だからといって特別なことはないのですが、ひょっとしたら、女子大学生率が高いかもしれません。

写真は、ぼくがワークショップに参加したときのものです。たまたま新聞社が取材に来ていて、遠藤くんのうしろにぼくが映ってしまっています。ちょっと演技してます。でも、結構体中が痛く、この姿勢が苦しかったのも事実です。

ここにある遠藤君の言葉は、

「時間の流れが早くなりつつある世の中。ほふく前進を通して『遅さ』を感じ直し、いつもと違う視線の高さから普段見えないものを感じ取ってもらえたら」

などです。

ちなみに今風邪引き中で、こんこん咳して声がらがら。大学で「ルル」を処方してもらったのだけれど、そのせいか、美学の講義は、なんだかへろへろな喋りになってしまった。この講義は、学生が350人くらいいるのに、かなりの学生が集中して聞いてくれた。楽しい時間が、一旦終わる(また、期末テストのときに会いましょう)。

「2人~」へ(6)

2010年07月09日 | Weblog
いよいよ明日になりました。
「2人が見ている未来の美術」
14:00-16:00 snacにて。
予約していただけたら幸いですが、当日ふらっといらしても大丈夫です。

学生のみなさんは、「木村の知り合いです」「○○大学で授業とってます」などと言ってもらえたら、割引しますので、よろしく。

(10)くらいまでは、更新しようと思っていますが、昨日の夕方からしばらくはなにも書けませんでした。
風邪を引いてしまったようです(泣)。
けれども、なんだか楽しくなりそうでひとりでわくわくしています。

ひとつ、告白してしまうと、ぼくはこの企画でアポイントメントを取らせてもらうまで、高橋さんとも伊藤さんとも面識がありませんでした!高橋さんは、多分、ぼくが「ほふく前進」のワークショップに参加しているときにはその場にいらっしゃったに違いありませんが、お話しするタイミングがなく、というか、ぼくはあの日、ただの参加者の1人でしたから、そんなお話しをするという関係ではありませんでした。islandに関しては、結城さんとはよく話をさせてもらっていたのだけれど、伊藤さんとは、先週の土曜日islandではじめてご挨拶したのでした。ほとんど「会いたい!!」という熱意だけで踏み込んでしまったのです。そういうところがぼくにはあって、予感だけで動いてしまうというか、でも、予感を信じてみようと思うんです。少なくとも、お二人のお話しは、間違いなく面白いはずで、その点ではまったく心配していないです。

今日は、午後の最初の講義(美学)で「キャラ化と萌え」というタイトルの話をし(属性:アトリビュートというのは、バロック期のイコノロジーにも存在しているものだよねとかも話すつもりですが、基本的に『動物化するポストモダン』をかみ砕いて説明する予定)、その次の講義は、村松卓矢さんを迎えたダンスのワークショップの2日目で、火曜日に何人かの学生と『白鳥湖』見に行ったばかりだから、それはそれで盛り上がるだろうと、そして村松さんを車でお見送りしたら、あとは明日の準備にとりかかる、ということで、忙しい楽しい1日が、はじまります。

ところで、
「I日記」がしばらく止まっているので、ここでちょっとだけ書いてもいいでしょうか。
最近のIは、ひたすらしゃぶります。主に自分の右手の人差し指をちゅぱちゅぱし続けています。ときどきぼくの指を「がばっ!」っと掴んで瞬時に口に入れてしまったりします。「口唇期」ということなのでしょうか。この口に入れたい欲求というのは、幼児期なりの性的な表現なのでしょうか。あと、2人で夕飯食べていると、だいたいぐずって、「ぼくも!」という雰囲気で、おっぱいをせがみます。食べ物、というか食器に興味をもって、それを扱うさまをじっと見ています。真似の動作がまだみられないです。キラッキラしたものが大好きで、角度によって強く輝く赤い林檎のカードがお気に入りで、まぶしさに一瞬くらっとして、その後しばらく眺め続けています。ずっと思っているのは、この言葉をしゃべらない時期というのが、彼と過ごす人生のなかでとても貴重なものに感じられるということです。言語を話す動物が人間だとしたら、Iはまだ人間ではない。この人間であることから距離のあるいまの時期のIとは、あと数ヶ月でお別れしなきゃならない。それがいまからもう淋しい。

「2人~」へ(5)

2010年07月08日 | Weblog
いまは、会議と会議の合間(16:30)。ちょっとの時間ですが、できたので更新してみます。

秋葉原で会ってから約半年後、2008年の9月、港の方では横浜トリエンナーレが華々しく展開されているなか、別の横浜(寿町)では、遠藤一郎が淡々と、おじさんたちとおしゃべりする「未来カフェ」を運営していた。それを見学し、インタビューした模様は、『クイック・ジャパン』に掲載された。抜粋してみます。

「九月某日。コンクリに寝そべるおじさんたちの脇で恐る恐る電話をかけると、待ち合わせの場所に遠藤はあらわれた。
 「未来に進む気持ちとか、次につなげる気持ちとか、精一杯やるって気持ちとか、生命の誕生から変わらないもので、なければ現在の人類は存在しないと思わせる、当然あるはずのフラットなもの、莫大な広さの肯定する自然の力」――遠藤によれば、そうした「力」をストレートに見る者と共有することこそ、アートと呼ぶにふさわしい活動なのだという。職安の壁に目をやると、そこには斜めに上昇する人型の切り抜きが無数に貼ってあった。九州在住・浦田琴恵が数日前に残していった作品は、遠藤のいう未来への「気持ち」を可視化しているように見えた。「…これはつまり「上る」ってことなんだな?」とあるおじさんに話しかけられて「その通り!」と答えた、なんて嬉しそうにエピソードを話す遠藤にとってみれば、作家の仕事とは、みずからの技量の誇示などでは毛頭なく、ただただ自然の力を目に見えるものへと変換することに他ならないのである。
 そんな遠藤の目には街もそうした変換の運動のひとつに映る。「街は重要。ひとがつくった人工的なものではあるけれど、街の移り変わりとかすごい自然な気がする。雨が降ってコンクリに染みができるみたいに。ひとは自分たちが街を作っていると思い込んでいるけど、もっと大きな力が作動しているはず。そこにねじれがあると気持ち悪い街だなって感じる」。」

真ん中を少しはしょって、後半。

「話を聞いて分かってきた。こうしたひとやものをつなぐ装置を作ることこそ彼のアート(技)なのだ。システムが稼働し続けるなら、後々「未来カフェ」や「遠藤」の名が消えしまって構わない、むしろ匿名化していく方が望ましい、遠藤はそう話してもくれた。「可能性は自分の内側じゃなく外側に広がっている。自分のなかに可能性とかセンスがあるって思うからどんどん閉じて、で小さくなる。そうじゃない。外にあるものを吸収して自分は大きくなるし、外の可能性を拾って、自分をもっと高めることが出来る。そういうこと、偉そうに聞こえるかもしれないけど、みんな知らない気がする。」
 国際的展覧会からはぐれた世界で、もうひとつのアートが作動しようとしていた。別れ際、豪快な笑顔でぎゅっと握手され、手を振り横断歩道を渡って数歩、不意に振り返ると、上昇する浦田の人型みたいに、駆け戻る遠藤の脚は驚くほど高々とホッピンしていた。」


「2人~」へ(4)

2010年07月08日 | Weblog
いま、一限の講義前、四十分早く大学に着いた(8:30)。

家にいると、Iとの時間が忙しい。

(と、書き始めたら、J-Waveに多田淳之介さんがでている!聞くべきか書くべきか、、、バリ島に新婚旅行に行ったというお話ししている!)

家にいてはIとの時間が忙しい。昨日は、あんまり元気すぎるものだから、ストレス発散のために、おもちゃを買おうとアカチャンホンポへ行った。ジャンパルーなんて名前のぴょんぴょん跳び上がる自走式トランポリン(?)を買った。写真を見てもらうと分かると思うんですが、いろいろと四方八方に幼児をわくわく興奮させるアイテムが付いていて、ジャンプするって意味だけじゃなく必要以上に「あげあげ」になってしまう。今朝も、あげあげになりすぎて泣き始めてしまったI。また夕方遊ぼうね、と車に乗る。

で、いま大学の研究室なのですが、これでした。はじめて遠藤君のこと書いたのは、『クイック・ジャパン Vol. 77』(2008年4月出版)。タイトルは「アキバのエロルギーを愛に変換する」。引用してみます。

「メイドコスに白トレーナーを被ったモデルが折り畳みイスを舞台に登場すると、愛☆まどんな(加藤愛)は、胸の辺りにイラストを描き始めた。アキバの路上。日曜の昼間。萌えな少女絵が姿をあらわす。
 観衆はほぼ全員カメラを所持した中年男子たち。さっきまでいた制服コスの女の子に向けたのと同じ視線が取り囲む。「ライヴペインティング」と見ればアートになるけど、そんなアート云々を意識している輩は皆無。描きながらの口上は、饒舌さはないけどお客さんを引き留める。どことなく、もう一つの秋葉原名物、実演販売を彷彿とさせる。
 スーツの背中に「未来へ」と縫い込んだ「未来美術家」遠藤一郎がプロデュースするこのイベントは、オタク的意匠をアートに変貌させるというより、男たちに好都合なエロ妄想ひしめくアキバに潜り込んで、その「エロルギー」(Chim↑Pom)を「愛」ある「未来」へ変換しようとする。正直、混沌としていて、成功しているか否かは目下のところ不明という他ない。だけど、今の日本で例外的に活気ある街へ果敢に介入する彼らの姿は、なんだかとても生き生きしているのだ。
 西東京のChim↑Pomに東東京の愛☆まどんな?べつに図式化しなくてもいいけど彼ら「本当の東京のアーチスト」(会田誠)による介入アートから、未来を輪郭づけるなにかが生まれている気がしてしようがないのだ。
 きっと来週も彼女らはアキバのホコ天にいる。」

これがぼくと遠藤一郎(と彼の仲間)とのはじめての接触だった。

このあと、寿町に会いに行ったときに極めて明確になったとはいえ、このときにも漠然とではあるけれど感じていたのは、遠藤の土地に執着する姿勢だった。秋葉原通り魔事件が起きたとき、かなり早い段階で遠藤君と話したとき、あれは起こるべくして起こった事件だった、と淡々と話していたのを覚えている。べつに予言者みたいに捉えるわけではないのだけれど、街の空気みたいなものを感じる彼の感度、その受信能力がきっとすごいんだろうなと、そのとき思った。「未来へ号」で走り続けるということは、街の表情を自然の景観を堪能するように日々堪能することになるのだろう。その経験知を感じたのだ。そして、未来へ号に乗り続ける彼の生活を自分なりにイメージして、その広がりに思いを馳せた。

「2人~」へ(3)

2010年07月08日 | Weblog
いま「スペインVSドイツ」は前半38:42、0-0。

なんかこう思い返してみると、当時の自分の気分みたいなものが、かすかだけれども甦ってきます。

ぼくはこの年、大谷能生さんとDirect Contactをはじめたり、その前年に佐々木敦さんの事務所でBRAINZのレクチャーを行ったり、コンテンポラリーダンスを中心とした批評というマイナーな場所でこつこつやっていたスタンスから、少しずつズレはじめていた。大きな変化のうねりのようなものを感じていた。Chim↑Pom、小指値(現快快)、遠藤一郎の登場。これが意味するものはなんなのか。

やばいやばい、これは、なにかとてつもないことがはじまろうとしているぞ!

と、当時、そんな明確には「とてつもない」なんて思っていなかった。けれども、あまりにわくわくさせられるので、ちょっと困る、くらいには「とてつもないこと」ははじまっていた。2007年の4月に、ぼくは無人島プロダクションに1人で行って、Chim↑Pomのメンバー6人にインタビューした。2人が花粉症用の大型マスクを着用していて、そのさまから類推するに、ぼくは彼らにとって「警戒するべき大人」とみなされているようだった。けれども、とても丁寧に話してくれた。水野くんにまつわるギャグもたくさん盛り込んで。「スーパー☆ラット」で感じたわくわく感が、一層増幅された時間だった。そして、その夏に無人島プロダクションで行われた「オーマイゴッド」展はいま思い返しても素晴らしい展示で、ぼくは「Review House 01」に「愚かであることの可能性」という論考を寄稿したのだった。この4月のインタビューの時点で、カンボジアに行く話は出ていた。そして、この秋に「サンキュー・セレブ・プロジェクト」があり、その翌年には広島「ピカッ」騒動が起こる。

いまから振り返ると、ちょっとした爆弾みたいだ。すごいスピードで爆発してさまざまな作品を爆風とともにまき散らした。

2007年にぼくのなかでひとつの大きなChim↑Pomブームが起こり、
2008年には遠藤一郎ブームが起こった、といってみてもいいのかもしれない。

『Review House 02』に寄稿した「彼らは「日本・現代・美術」ではない」は、当時出版された「美術手帖」の表紙に対する批判からはじまる。

会田誠を中心に、Chim↑Pom、遠藤一郎、加藤愛が囲む。この感じがいやでたまらなかった。

いまの「カオス*ラウンジ」ブームにも感じるあれだ。

本人や本人の作品以上に、「あのひとが認めた」「あのひとがいいといっている」という権力構造から本人や本人の作品を評価するやり方。村上隆も会田誠も関係ないといいたい。結局作品じゃなくキャプションを見ているんじゃない?

会田の活動を通じて美術の世界に参入したのは事実だとしても、遠藤の作品は会田の作品と関係ないんじゃないか。少なくとも会田の作品を評価する基準から遠藤を評定するなんてことは、明らかに間違いだろう。しかも、ひょっとしたら、遠藤の方が会田よりもスケールが大きいのではないか、そうした思いが両者を比較しているうちに、ますます増幅され、あの論考が生まれた。

「会田と同様「みんな」という言葉を遠藤も用いている。とはいえ、「みんな」と自分を遠藤は区別しない。

俺達もアートも政治も日本も世界もニートもみんな集まれ俺達おんなじだ。(遠藤一郎)

自分も含めた「みんな」は、遠藤にとって全く「おんなじ」存在なのである。
 しかし「おんなじ」だからといって、その同等性は端的に「同じイデオロギー」のもとに生きているから、とは言い切れない。「みんな」に遠藤が「集まれ」と呼びかけるのは、簡単に同一の(「日本人」などという)「自己」を形成出来ずに、「みんな」が事実として分裂しているからに他あるまい。分裂を根拠に「ぼくら」がアイデンティファイ出来た「スキゾフレニックな日本の私」とは違って、遠藤が気取りなくあらわにするのは、そうした「日本の私」がひとつの共同体の理念として力をもてず完全に空洞化している事実なのである。……だから「おんなじ」なのはいまここにともに生きている事実だけなのである。……富士山という日本の象徴の上に、遠藤は「アートをこえろ」と描いた。この「富士山」がかたどる「日本の私」というもはや機能不全となった統合装置こそ、遠藤が「こえろ」と叫ぶ「アート」の意味内実なのではないか。」(『Review House 02』p. 64)

会田がアイロニーを武器に「日本」というものの周辺で作品を生産しているとすれば、そうした「みんな」を覆うものがすでに確固としたものとしては存在していないという事実から出発しているのが遠藤一郎なのではないか。その後、ぼくはこうした思いつきを補強するような遠藤の思想を耳にすることになる。寿町で。

いま、後半37:58。スペインが一点先取してます。そして、夜が明けました。

「2人~」へ(2)

2010年07月08日 | Weblog
いま、「スペイン対ドイツ」がはじまろうとしています。起きたばかりです。

ぼくが遠藤一郎について書いた最初の文章は、「Review House 02」の「彼らは「日本・現代・美術」ではない」だ。「RH 02」は、2008年の10月に出版された(しかし、原稿は8月には脱稿していた)。出版を待つころ、『クイック・ジャパン』に掲載してもらう原稿のために取材をしていた。横浜トリエンナーレが華々しく開催されているそのわきで、寿町のど真ん中で、次第に夕闇に包まれてゆく野外で、遠藤一郎の話を聞いていた。以下の投稿から、そのときの雰囲気が分かる。

『新人類の主張』(野々村文宏)

9/13-9/29

遠藤一郎に最初に会ったのはいつだったろう。2008年の2月、秋葉原で、だった。

伊藤存 西尾康之 愛☆まどんな

この日はたしか、小指値と昼間に代々木で会っていて、そのミーティングで彼らは快快と改名することになるんだけれど、そんな大切な日に、ぼくは遠藤くんに会ったのだ。彼はひょろっと背が高く、背中にピンクの刺繍で「未来へ」と書いてあるジャケットを身に纏っていて、挨拶するとすぐに、これからはじまる愛☆まどんなのパフォーマンスの準備にとりかかった。秋葉原の裏道に派手な「未来へ号」が停めてあって、そこに数人の作家たちがうろうろと着替えなどをしていた。はじめて会った遠藤は、にやにやしていて、ひょろっとしていて、やけにまっすぐ歩く(車に向かうまで彼の早足をひたすら追いかけていた記憶がある)不思議な存在だった。その日の出来事は、どこかに書いた気がするが、思い出せない。秋葉原通り魔事件が起こる数ヶ月前のこと、秋葉原の熱気が異常なことになっていて、歩行者天国はストリップというか覗き小屋というかそんなものに近くなっていたようだったし、警察が頻繁に往来していた(ぼくが見た日は、歩行者天国ではなく駅前のスペースで愛☆まどんなのパフォーマンスは行われた、終了の合図はパトカーの登場だった)。

ぼくが彼らを知ったのは、多くの人がそうであったのと同じく会田誠「東京のアート」(昭和40年会の東京案内 第58回)を読んでのことだった。会田の文章を読んで、これは見に行かなきゃと思ったのだった。

「2人が見ている未来の美術」へ(1)

2010年07月05日 | Weblog
何度かここで告知しているように、今度の土曜日には、snacにて「2人が見ている未来の美術」というタイトルのトークイベントを行います。

これを企画したいと思った一番大きな動機は、昨年末から今年にかけて水戸芸術館で行われた「ほふく前進 愛と平和と未来のために」というパフォーマンスをちゃんと振り返っておきたいというところにあります。

あれは、いったいなんだったのか-

ぼくはあのパフォーマンスをごくごく断片的にしかつきあえなかった。けれども、水戸芸術館にいた最中もその後今日に至る日々においても、あのパフォーマンスから受けとった興奮が消えることがなかった。パフォーマンスというのは、消費というかむしろ無視といったほうがいいのかもしれないけれど、すぐに忘れられてしまう。その打ち上げ花火のような潔さも嫌いではないのだけれども(ダンスというパフォーマンスが好きなのもそうしたところだったりするけれど)、あの作品のことは、軽々しく消費/無視してはいけないような気がしている。

この日のことを書いたブログの記事が最近ここで書いているなかで一番反響があった、というのも、ぼくとしては興味深かった。

あれは、いったいなんだったのか-

そう、ぼくたちはすぐに忘れてしまう。いろんなこと、あらゆることを。あるいは、「いま」という時間のながさがとても短くなってしまっているということも感じる。日本において「ワールドカップ」は、もう「いま」ではないかもしれない。対デンマーク戦の朝の熱狂を、今日どれだけのひとが「いま」のことと感じるだろう、もうあれは過去のこと。そうやって、日々が絶え間なく過去となり、消え去り、どんどんあの日のことと「いま」とのつながりが奪われてゆく。

当たり前のこと書いてるだけかもしれない。けれども、「いま」のぼくは遠藤一郎の行ったことを過去には出来ない。だって、ぼくには知らないことが多すぎるから、知りたいことが多すぎる、ぼくが感じたあの亀になったような不思議で独特な時間を、恐らく何千倍も生きたであろう遠藤くん、あのパフォーマンスの日々、そこにはなにがあったのか、これはほとんど特殊な個人的欲望なのかもしれない。けれども、ぼくは知りたいんですよ。ぼくの知りたいことをきっといろいろと知っているのが高橋さんであり、伊藤さんなんだと思う。

ぼくは遠藤くんの生きた時間が未来を示唆しているような気がしてしようがなくて、実際きっとそうで、そのことを本人というよりは、彼を学芸員やギャラリストの立場で支えている2人から聞きたいと思ったのです。遠藤くんから聞きたいとも思うけれど、遠藤くんの言葉はすべて芸術なので、ここはぼくの立場に比較的近いけれども批評家ではない2人の言葉を通して考えてみたい、そう思っているのです。

えっと、最近は、Iの成長が著しくて、仕事もあるけど忙しく、ブログがなかなか更新できていませんが、自分でもこのイベントに向けて気持ちを充実させたいので、一日に暇があるだけ何度も更新してみたいと思います。一日一回といわず何度かアクセスしてくれたら幸いです。

雑感

2010年07月03日 | Weblog
という記事を書いたのですが、投稿する前にトラブルを起こして、全部消えてしまいました、、、とほほ。
今日はこれからislandに行って「知性」展を拝見し、伊藤さんと打ち合わせしてきます。その後、アートスクエアで小林耕平さんのイベントに行く予定です。

昨日、村松卓矢さんに来てもらったこととか、結構な分量で文章にしたのですが、、、後日、あらためて。

「2人が見ている未来の美術」来週の土曜日に迫りました。よろしくお願いします!

オシム

2010年06月21日 | Weblog
「チャンスがあればものにするという、殺し屋の本能が足りなかった」(オシム 0対1で終わった対オランダ戦について)

「もっとスピーディーなプレーが必要。ピッチの上にソファを出し、葉巻をくゆらせるような選手になって欲しくない」(オシム 中村、遠藤に対して)


オシム!

リッツア『消費社会の魔術的体系 ディズニーワールドからサイバーモールまで』

2010年05月10日 | Weblog
最近新しい読書をはじめている、そのなかでこの本はきわめて示唆的で面白い。たとえば、第5章 再魔術化Iの「シミュレーション化された人々」という節の一部。 

「同様に、新しい消費手段のなかで生じる訪問客と従業員間の交流もシミュレーション化された特徴をもっている。たとえば、ファーストフードレストランの給仕人、ショッピングモールやスーパーストアの店員、テレマーケターなどとの交流は「本当の」人間的交流ではなく、シミュレーション化された交流と見なすことができる。従業員は台本にしたがっており、客はレシピのような答え(つまり、従業員の台本どおりの振る舞いに対処するために、客がひとりでに身につけた、お決まりの答え)を返すので、本当の交流はまれにしか生じない。実際、これらの環境の内側(および外側)でのわれわれの交流の多くがシミュレーション化されているので、われわれは「本当の」交流の意味が分からなくなるほど、それに慣れきっている。結局、われわれが結ぶ交流のすべてがシミュレーション化されてている可能性がある。シミュレーション化されたものと本物を完全に区別できなくなっている。すなわち、シミュレーション化された交流こそが現実であるかもしれないのだ。」(ジョージ・リッツア『消費社会の魔術的体系 ディズニーワールドからサイバーモールまで』明石書店、2009年、p. 192)

A シミュレーション化されたもの/本物
A’ 現実としてのシミュレーション化された交流/「本当の」交流
B うまくシミュレーション化されているもの/うまくシミュレーション化されていないもの

読んでいる内、自分の思考がA→A’→Bと進んでゆく。

太宰治的人間としてのブロガー

2010年03月01日 | Weblog
きれいな言葉で
自分を飾ることが
太宰に残された
最後の自分を
愛する方法で
あったのではないか

だから太宰は
現代に受け入れられる

ぶろぐなんてものを
かく人間は
最終的には
理解を求めている

ただの独り言なら
誰かに知らせたり
する必要はない

太宰は作品を
仕上げることで
自分のことを
もしかしたら
理解してくれる人が
いるんじゃないかと
思ったのでしょう

だけど書くことは
伝えることは
多くの代償がある

他人の視線は
必ずしも容認に
向けられて
いないのです

つまり彼は
書くことにより
容認されるどころか
否定された

もしくは
容認されることが
彼の理想と
異なっていたことに
きづかされるのだ

彼は絶望しただろう

たくさんの好奇の目に
さらされることで
得たものと
失ったものの間に葛藤し
自己を見失う

他者評価への依存

自分の強さは
弱さを隠すための
虚言であると
気付くのだ

そしてそれに
深い共感をする

私は私を卑下しながら
私が見下されることを
望んではいないの

それと同じ

道化を演じた太宰治

烏滸がましい
あたしなんて
ただの無能な
女子大生にすぎない

というポーズをとる
これって太宰治的だと
わくわくするんだ

傷つく事の
代償として
得られたものは
考えることと
理解することだ
自分を見直すことだ

もし太宰治の中に
以上のような
要素があるならば
それはあまりにも
悲しすぎる

作者太宰治を選んだ
太宰治は一生
太宰治を演じたのか
もしくは真実の
太宰治を晒したのか

答えのないパズルは
一生完成できない
当たり前のことです

私の意識の中で
評価した太宰治は
私の中の基準の
太宰治でしか
ないのだから
それは太宰治では
ないのでしょう

むしろ太宰治を
評価する中で
自己を見つけることを
あたしは
目指しているのかも
しれないと考える

(written by N from KAT)

Kポップ(ガール)追記

2010年02月26日 | Weblog
Kポップ(ガール)の追記。
興味深いのは、日本の男子以上に女子の動向。「なぜ???」ってくらいこれまでガールズのKポッブは日本に流入していなかった。この状況が今年以降変化するようだ。思うにその状況に敏感に反応するのは男子よりも女子なんじゃないか。女の子が女の子を愛好する時代ということもあり。そうだとすると『小悪魔ageha』がKポップにどう応答するのかが気になる。何か起きそうな予感。ところでKポップ=ファスト・ファッションって思うんだな。軽快な「ファスト」テイストは、決して質の低さをあらわすものではなくて、むしろ低価格高品質でなければという価値観に応えているからこそ人気があるのだろう。例えば東京事変がなんとなく重厚な高クオリティ(「高価格高品質」)に価値を見出そうとしているように見え、また例えばレミオロメンやヒルクライムが低品質であること(「低価格低品質」)で若者に取り入ろうとしているように見える、そんななかで「ファスト・ファッション」ライクなKポップのあり方は、まっとうで今日的だと思う。

Kポップ(ガール)

2010年02月25日 | Weblog
「Music Magazine」今月号は、とうとう「特集 燃え広がるKポップ」と、とくにKのガールグループを大々的にフォローする特集を組んできた。ぼくのKガールグループ情報は半分以上MMからのものなので、詳しくはMMの今月号とバックナンバーをお読み下さいとしか言えないのだけれど、ぼくは好きだなあ。なんとなく、東方神起にはまる大学生(周りにとても多い)の気持ちが分かってくる。日本のなかで欠けた部分を補うような気持ちなんじゃないだろうか。別に日本が嫌いで韓国が好きって話じゃなく、こんなのあったらいいなと思っていたものがここにあるという気持ち。日本のアイドル歌手は、ほとんどAKBの一人勝ちで、AKB以外に求めようとすると途端に路頭に迷うことになる(現状は、アニソンとかいろいろな展開が起こっているだろうけれど)。韓国にいました。

KARA
KARA/ Honey
KARA/ Rock U
KARA/ Mr.

Girls' Generation(少女時代:ソニョシデ)
Girls' Generation/ Oh!

Wonder Girls
Wondr Girls/ Nobody

2NE1
2NE1/ Lollipop

まああれなんですな、Kのガールポップは「セクシー」が基本なんです。キュートなソニョシデやKARAも出てきたけど。キム・ヨナのセクシーはこんな環境を背景にしているのでしょうか?キム・ヨナのセクシーと浅田真央のかわいいの対決は迫っていますが。
と、Kポップを聞き続けるとじゃあ日本のアイドルソングってどんなだったっけと箸休めしたくなる。例えば。
渡り廊下走り隊/「完璧ぐ~のね」

今月号のMMにこんな記事が。「ちなみに「Genie」を楽曲提供しているDサイン・ミュージックは安室奈美恵の新曲「FAST CAR」も手掛けている」。安室はひとり突っ走っているなーと思っていたら、Kポップの方向だったりする。
安室奈美恵「FAST CAR」

Girls' Generation/ Genie

「パクリ」問題も賑やからしいKポップ。でも、ファスト・ファッションが今期のセンスを安く軽快に取り入れるように、そして新しいセンスがあらわれたら節操なく乗り換えるように、Kポップの最新の音楽を摂取する際の軽快さは、なんだか元気があって良いのではないかと。Lady GaGaも何かのパクリかもしれないけど、そんな彼女の匂いがKポップのそこかしこに薫る。その香り方がいいなと。

Brown Eyed Girls (BEG)/ Abracadabra