昨晩は、Aの家で晩ご飯を頂き、飲んでしまったので泊めてもらった。今朝帰宅。行き帰りは車で三十分。ユーミンの『ひこうき雲』を聴きながら。彼女の故郷だからじゃないと思うけれど、景色と音楽が絶妙に響き合う。
はじめてAと出が夜をどう過ごしているのか知った(Aは退院からずっと実家に暮らしている)。まるで巣ごもりする小動物の親子のようだった。三時間おきに、つまり夜九時、十二時、三時、六時とミルクを与えるのだけれど、その度に話しかけながら、やさしくあやしている。まだ出はミルクがあまり好きじゃない。抵抗する腕の力が次第に強くなっている。ほ乳瓶をくわえながら、「いやだなー」って顔して腕で軽く払おうとする。それを、微笑してみているA。その2人を薄闇越しにみていた。こちらもうとうとしていた。静かな夜に子守歌を聴く。
はじめてAと出が夜をどう過ごしているのか知った(Aは退院からずっと実家に暮らしている)。まるで巣ごもりする小動物の親子のようだった。三時間おきに、つまり夜九時、十二時、三時、六時とミルクを与えるのだけれど、その度に話しかけながら、やさしくあやしている。まだ出はミルクがあまり好きじゃない。抵抗する腕の力が次第に強くなっている。ほ乳瓶をくわえながら、「いやだなー」って顔して腕で軽く払おうとする。それを、微笑してみているA。その2人を薄闇越しにみていた。こちらもうとうとしていた。静かな夜に子守歌を聴く。
「気取ってる方が良い。出来る限り気取り腐っていたい。戦争を待つ間なのかも知れない日々くらい、気取り腐っていないでどうする。これが僕の現在の偽らざる気分だ」(菊地成孔『スペインの宇宙食』2003/2009 「エイズは恐らく関係ない」2001)
いま1/21 7:50。8時から付き添い可能になるので、行ってきます。
ああ、そわそわです。ブログでつぶやかせてください!
今後は、twitterでつぶくかもしれません。
kmrsatoでよろしくです。
いま私の母に現状報告したところ、「昼かな、、、」なんてぽつり。
昨日は、午後に『戦艦ポチョムキン』を見て、夕ご飯食べて『恋の秋』(ロメール)を見て、そうこうしている内に陣痛が始まりました。
あわわ
ああ、そわそわです。ブログでつぶやかせてください!
今後は、twitterでつぶくかもしれません。
kmrsatoでよろしくです。
いま私の母に現状報告したところ、「昼かな、、、」なんてぽつり。
昨日は、午後に『戦艦ポチョムキン』を見て、夕ご飯食べて『恋の秋』(ロメール)を見て、そうこうしている内に陣痛が始まりました。
あわわ
男は役立たずですね、家に帰って待機ということで、帰ってきました(1/21 0:40)。
生まれたら電話があり、かかってこなかったら8時に病院へ、ということで別れてきました。助産婦さんに「お任せしました!」というくらいしか出来ず、、、そわそわな一夜になりそう。
生まれたら電話があり、かかってこなかったら8時に病院へ、ということで別れてきました。助産婦さんに「お任せしました!」というくらいしか出来ず、、、そわそわな一夜になりそう。
1/13『A』(森達也)
1/13『クレールの膝』(ロメール)
1/15『ポンヌフの恋人』(カラックス)
1/15『北北西に進路を取れ』(ヒッチコック)
1/16『マリーアントワネット』(ソフィア・コッポラ)
1/18『冬物語』(ロメール)
「私は常々、ヒッチコック的シネアストであると自認している。そこでヒッチコックをひとことで言えば、フォルムの創造者という他ないだろう。私自身は彼のようにフォルムを創造しているというつもりはない。しかし幾何学的なモチーフは私の作品にいつも厳然と存在している。同じモチーフがオノレ・デュルフェの作品にも認めることができる。今回、私が映画に残すべく努めたのは、円形、螺旋形、三角形のフォルムの偏在だった。」(『アストレとセラドン』DVDパンフレット)
1/13『クレールの膝』(ロメール)
1/15『ポンヌフの恋人』(カラックス)
1/15『北北西に進路を取れ』(ヒッチコック)
1/16『マリーアントワネット』(ソフィア・コッポラ)
1/18『冬物語』(ロメール)
「私は常々、ヒッチコック的シネアストであると自認している。そこでヒッチコックをひとことで言えば、フォルムの創造者という他ないだろう。私自身は彼のようにフォルムを創造しているというつもりはない。しかし幾何学的なモチーフは私の作品にいつも厳然と存在している。同じモチーフがオノレ・デュルフェの作品にも認めることができる。今回、私が映画に残すべく努めたのは、円形、螺旋形、三角形のフォルムの偏在だった。」(『アストレとセラドン』DVDパンフレット)
ロメールが逝去されたと昨日、大学に行く途中のラジオで知った。
ロメールのことは大好きで、でもちょっと封印していた。
昨年『我が至上の愛 アストレとセラドン』を見て復活。素晴らしかった。
今年は、ヒッチコックを見まくった後にロメールを、と思っていた。その矢先だった。
ロメールのことは大好きで、でもちょっと封印していた。
昨年『我が至上の愛 アストレとセラドン』を見て復活。素晴らしかった。
今年は、ヒッチコックを見まくった後にロメールを、と思っていた。その矢先だった。
2010年になってはや十日。新年初めて書きます。
昨年末から続いている映画鑑賞は、今年も続いておりまして、
1/1『めまい』(ヒッチコック)6
1/2『引き裂かれたカーテン』(ヒッチコック)7
1/3『汚名』(ヒッチコック)8
1/4『断崖Suspicion』(ヒッチコック)9
1/9『白い恐怖』(ヒッチコック 1945)10
1/9『キッスで殺せ』(アルドリッチ 1955)
1/10『レベッカ』(ヒッチコック 1940)11
1/11『仁義(赤い輪)』(メルヴィル 1970)
なんて感じで見てます。いやー、もうね、こんな風にヒッチばかり見ていると、そしてその「サスペンス」の仕掛けにうっとりしていると、ぼくが「ダンス」などと呼ばれているもののなかに期待しているのは、実は、他ならぬサスペンスなのだ!とあらためて思わされます。見ながら思い浮かぶのは、黒澤美香のソロ作品のあの場面この場面。「捩子ぴじんがさ『汚名』とか『断崖』とかむっちゃ研究してさ、ダンス作品作ったら、すごいものになりそうなのに!」なんて、Aとおしゃべりしてます。サスペンスに重要なのは「サイン」(サインは反復されることでサインとなる)で、このサインがいかに曖昧にしかし見事なまでに正確に曖昧に設えられているか、これが宙づり状態を作るのです。曖昧に、正確に曖昧に。もうね、これだけ見続けてるとね、時間芸術としてのダンスに必要なのはこれだけといってもいいんじゃないか、とさえ思ってしまう。
あとは、ひとつの方程式のようなものとして見えてきたのは、愛の次元と仕事の次元が絡まって「事件」が起こっているということ。愛はともかく真実なのだよね、言いかえれば「疑惑」や「嘘」が充満するなかで唯一の真実は愛の周辺にある、という設定になっている(そうすることで映画は自らを推進させる力をえる)。ときに愛と仕事は相反し(『汚名』では、男と女は恋愛状態にありながら、スパイという仕事を共有しており、女はその任務で調査対象との結婚を余儀なくさせられている、ここに緊張が生まれ、あまり感動的なワイン倉庫脇のキスシーンへと到達する)、ときに愛と仕事は協力関係にあり(『白い恐怖』では、精神科医の女は愛する男をの疑惑を精神分析によって晴らそうとする)、ときに愛は仕事を捨てさせ、恐怖の渦中へとひとを導く(『レベッカ』)。ともかくも、愛は揺るぎなく真実の近くに置かれている。キスと殺人は、故にヒッチ作品の中で等価に興味深く、示唆的である。
昨日は、ゾルゲルしおり『discharge』(@STスポット)を見た。音楽と美術のゾルゲルプロは、「液体」というか「ゾル」「ゲル」なものが生む、独特の音とか形態変化とかを見せる。それは、まあワンアイディアだから、「それで何?」なんて気にもなるのだけれど、それなりに1時間見てしまう力もある。さて、そうしたものとダンサーはどう拮抗すればいいのか、って話なんですが、んー、モダンとバレエの習作みたいな動作とか、前半のたっぷりとして身体を隠す白いシャツとか、全体としてちぐはぐ感が否めない。多分、ダンサーの好きなものを集めてみました的なことなんだと思うんだけど、その次元の思考から生まれるものは作品にはならないし、表現にも高まらないだろう。見ながら、なぜ自分の体もまた「ゾルゲル」である、なんて発見からはじめないんだろう、と思ってしまった。ダンサー多田の大きな目を覆う液体、涙腺、激しく動けば汗が噴き出るのだし、足の裏さえ、ぬらぬらしてくるだろう。そうして、自分の身体をマテリアルにして、垂れてくるゾルゲルと拮抗させて、はじめて何かが生まれたはずだ。
その後、駆け足で神奈川県民ホール・ギャラリーでの「日常/場違い」展を見に行った。泉太郎。いいよなあ。泉の魅力は、極めて高度に知的な解釈が可能であるばかりか、極めてリラックスした状態に観客を導いて作品へひきつける高いコミュニケーション能力にあると思った。ぼくは昨年の『ステッチ・バイ・ステッチ』展カタログにて「レディメイド」をめぐる論考を書いたのだけれど、まさに泉の作品は、レディメイドの力を上手く引き出すところがある。レディメイド(既製品)というものはなじみのある気取らないフォルムをもっているが故に、見る者をリラックスさせ、コミュニケーションしやすくさせる。ねえ、こういうこと、もっと考えてみようよ(誰にいってんだ?まあ、人類全般に、ね)。ありふれたものは、それを差し出す者にとってのみならずそれを差し出された観客にとってもつき合いやすいものなんだということを。蛇足を言えば、ぼくがいまヒッチで研究しているのは、そうした記号的なもののもつコミュニケーションの効用なのです。
昨年末から続いている映画鑑賞は、今年も続いておりまして、
1/1『めまい』(ヒッチコック)6
1/2『引き裂かれたカーテン』(ヒッチコック)7
1/3『汚名』(ヒッチコック)8
1/4『断崖Suspicion』(ヒッチコック)9
1/9『白い恐怖』(ヒッチコック 1945)10
1/9『キッスで殺せ』(アルドリッチ 1955)
1/10『レベッカ』(ヒッチコック 1940)11
1/11『仁義(赤い輪)』(メルヴィル 1970)
なんて感じで見てます。いやー、もうね、こんな風にヒッチばかり見ていると、そしてその「サスペンス」の仕掛けにうっとりしていると、ぼくが「ダンス」などと呼ばれているもののなかに期待しているのは、実は、他ならぬサスペンスなのだ!とあらためて思わされます。見ながら思い浮かぶのは、黒澤美香のソロ作品のあの場面この場面。「捩子ぴじんがさ『汚名』とか『断崖』とかむっちゃ研究してさ、ダンス作品作ったら、すごいものになりそうなのに!」なんて、Aとおしゃべりしてます。サスペンスに重要なのは「サイン」(サインは反復されることでサインとなる)で、このサインがいかに曖昧にしかし見事なまでに正確に曖昧に設えられているか、これが宙づり状態を作るのです。曖昧に、正確に曖昧に。もうね、これだけ見続けてるとね、時間芸術としてのダンスに必要なのはこれだけといってもいいんじゃないか、とさえ思ってしまう。
あとは、ひとつの方程式のようなものとして見えてきたのは、愛の次元と仕事の次元が絡まって「事件」が起こっているということ。愛はともかく真実なのだよね、言いかえれば「疑惑」や「嘘」が充満するなかで唯一の真実は愛の周辺にある、という設定になっている(そうすることで映画は自らを推進させる力をえる)。ときに愛と仕事は相反し(『汚名』では、男と女は恋愛状態にありながら、スパイという仕事を共有しており、女はその任務で調査対象との結婚を余儀なくさせられている、ここに緊張が生まれ、あまり感動的なワイン倉庫脇のキスシーンへと到達する)、ときに愛と仕事は協力関係にあり(『白い恐怖』では、精神科医の女は愛する男をの疑惑を精神分析によって晴らそうとする)、ときに愛は仕事を捨てさせ、恐怖の渦中へとひとを導く(『レベッカ』)。ともかくも、愛は揺るぎなく真実の近くに置かれている。キスと殺人は、故にヒッチ作品の中で等価に興味深く、示唆的である。
昨日は、ゾルゲルしおり『discharge』(@STスポット)を見た。音楽と美術のゾルゲルプロは、「液体」というか「ゾル」「ゲル」なものが生む、独特の音とか形態変化とかを見せる。それは、まあワンアイディアだから、「それで何?」なんて気にもなるのだけれど、それなりに1時間見てしまう力もある。さて、そうしたものとダンサーはどう拮抗すればいいのか、って話なんですが、んー、モダンとバレエの習作みたいな動作とか、前半のたっぷりとして身体を隠す白いシャツとか、全体としてちぐはぐ感が否めない。多分、ダンサーの好きなものを集めてみました的なことなんだと思うんだけど、その次元の思考から生まれるものは作品にはならないし、表現にも高まらないだろう。見ながら、なぜ自分の体もまた「ゾルゲル」である、なんて発見からはじめないんだろう、と思ってしまった。ダンサー多田の大きな目を覆う液体、涙腺、激しく動けば汗が噴き出るのだし、足の裏さえ、ぬらぬらしてくるだろう。そうして、自分の身体をマテリアルにして、垂れてくるゾルゲルと拮抗させて、はじめて何かが生まれたはずだ。
その後、駆け足で神奈川県民ホール・ギャラリーでの「日常/場違い」展を見に行った。泉太郎。いいよなあ。泉の魅力は、極めて高度に知的な解釈が可能であるばかりか、極めてリラックスした状態に観客を導いて作品へひきつける高いコミュニケーション能力にあると思った。ぼくは昨年の『ステッチ・バイ・ステッチ』展カタログにて「レディメイド」をめぐる論考を書いたのだけれど、まさに泉の作品は、レディメイドの力を上手く引き出すところがある。レディメイド(既製品)というものはなじみのある気取らないフォルムをもっているが故に、見る者をリラックスさせ、コミュニケーションしやすくさせる。ねえ、こういうこと、もっと考えてみようよ(誰にいってんだ?まあ、人類全般に、ね)。ありふれたものは、それを差し出す者にとってのみならずそれを差し出された観客にとってもつき合いやすいものなんだということを。蛇足を言えば、ぼくがいまヒッチで研究しているのは、そうした記号的なもののもつコミュニケーションの効用なのです。
「アメリカでは、彼[ヒッチコック]はラブシーンをまるで殺人のシーンのように撮ってみせるということで評価されていますが、わたしたち[フランス人]は、彼が殺人のシーンをまるでラブシーンのように撮ってみせることに尊敬の念を抱いてきたのです。」(トリュフォー 『定本 映画術』p. 346)
12/29『ダイヤルMを廻せ!』(ヒッチコック 1954)
12/29『マクロス虚空歌姫』(2009)
12/30『舞台恐怖症』(ヒッチコック 1950)
ヒッチコックを見るというのは、美術史で言えばギリシア彫刻とかルネサンスの画家たちを見るようなもので、好きとか嫌いとかいいとかわるいとかそういった次元ではなく、映画を見るとはどういうことなのかを確認させてくれる経験。
マクロスは、すべてを見る者の欲望に忠実に造ったらどうなるかというきわめて「オタク」的な感性に基づく作品と思った。アイドル歌手が歌うとその途端にバトルが始まった。戦闘とアイドルという一挙両得がおかしく切ない。
12/29『ダイヤルMを廻せ!』(ヒッチコック 1954)
12/29『マクロス虚空歌姫』(2009)
12/30『舞台恐怖症』(ヒッチコック 1950)
ヒッチコックを見るというのは、美術史で言えばギリシア彫刻とかルネサンスの画家たちを見るようなもので、好きとか嫌いとかいいとかわるいとかそういった次元ではなく、映画を見るとはどういうことなのかを確認させてくれる経験。
マクロスは、すべてを見る者の欲望に忠実に造ったらどうなるかというきわめて「オタク」的な感性に基づく作品と思った。アイドル歌手が歌うとその途端にバトルが始まった。戦闘とアイドルという一挙両得がおかしく切ない。
講義の日々が続くと二ヶ月くらいでインプットへの猛烈な欲求が出てくる。12月入ったくらいには、アウトプットばかりでからからになってしまう、もともとはインプットの人間なので、どうしても。で、いまのところインプットの対象が映画になってて、シネフィルには全くかないませんが、一日二本のペースで見てる。簡単なメモ取りながら見ているので、それ専用のブログつくろうかな。などと、思ってます。こんな感じです。いまは、ともかくもトリュフォーがヒッチコックにインタビューした『映画術』を片手にヒッチを見るのが楽しくて楽しくて。お勧めですよ!
12/16『倫敦から来た男』(べーラ 2007)
12/○『アタメ』(アルモドバル 1990)
12/○『ラルジャン』(ブレッソン 1983)
12/17『女は女である』(ゴダール 1961)
12/18『バットマン・リターンズ』(バートン 1992)
12/19『バットマン・ビギンズ』(ノーラン 2005)
12/19『ヴァージン・スーサイズ』(コッポラ 1999)
12/23『見知らぬ乗客』(ヒッチコック 1951)
12/24『アバター』(キャメロン 2009)
12/25『ロスト・イン・トランスレーション』(コッポラ 2003)
12/25『バットマン』(バートン 1989)
12/27『私は告白する』(ヒッチコック 1953)
12/27『ドニー・ダーコ』(リチャード・ケリー 2001)
12/28『間違えられた男』(ヒッチコック 1956)
12/28『バチ当たり修道院の最期』(アルモドバル 1983)
12/16『倫敦から来た男』(べーラ 2007)
12/○『アタメ』(アルモドバル 1990)
12/○『ラルジャン』(ブレッソン 1983)
12/17『女は女である』(ゴダール 1961)
12/18『バットマン・リターンズ』(バートン 1992)
12/19『バットマン・ビギンズ』(ノーラン 2005)
12/19『ヴァージン・スーサイズ』(コッポラ 1999)
12/23『見知らぬ乗客』(ヒッチコック 1951)
12/24『アバター』(キャメロン 2009)
12/25『ロスト・イン・トランスレーション』(コッポラ 2003)
12/25『バットマン』(バートン 1989)
12/27『私は告白する』(ヒッチコック 1953)
12/27『ドニー・ダーコ』(リチャード・ケリー 2001)
12/28『間違えられた男』(ヒッチコック 1956)
12/28『バチ当たり修道院の最期』(アルモドバル 1983)
12/16
『倫敦から来た男』をみた後で、渋谷から歩いて四谷まで。近畿大学の「批評の現在」に呼ばれたので、「他者のパフォーマンスを(パフォーマンスとして)理解すること」なるタイトルで、「performance」「performative」などのことばについてとくに「約束と行為遂行」の関係性から論じてみた。まだまだ全然不十分な発表ではあったけれど、これはぼくなりには、レディメイドなどのコンセプトをパフォーマンスの問題として考える下準備のワンステップ。
12/19
壺中天『2001年壺中の旅』を見た。このあたりの日、カポーティの『ティファニーで朝食を』を読んだ。カポーティの孤独な主人公にいまのぼくは共感しない。けど、20才くらいのときにびんびん感じていたある部分の所在を確認することは出来た。
12/20
ロマンチカの横町慶子(名前間違えてました!すいません!)ソロアクト『かわうそ』。手を振る繊細なリズムや振り加減とかは、いわゆるダンスの大袈裟さとは対照的でひかれた。なんとなく、いろんなところで既視感がそうした特徴よりも勝ってしまった印象はあったとしても。行き帰りで『バットマン・ビギンズ』をPSPで見た。
12/21
卒論の提出日。その後、提出してさっぱりした顔の四年生とゼミの三年生とで打ち上げ。下北沢。カフェみたいなところを貸し切り。女子25名対男子1名で、あらかじめ勝とうなんて思わなければ全然大丈夫ということが最近分かってきたので、のんびり過ごす。お嬢様系の方がお酒もひとのコントロールも得意ということを再確認。
12/22
一限で演習。今年の講義はこれでおしまい。土井隆義『キャラ化する/される子供たち』を読む。学生の方が敏感にいろいろなポイントを察知してくる。勉強になるのはこちらの方だったりする。昼休みに二年生(KAT)とパスタ、ハンバーグ、ケーキなどで小さなパーティ。その後、銀座に向かいvia artの授賞式へ。高田冬彦に審査委員賞を渡したが、現状の作品には満足していないよ。もっとよくできると思っている。
12/23
HP+。8組出たのでしょうか。とにもかくにもOpen Reel Ensemble最高。contact Gonzoも毎回新趣向があっていいね。柴幸男くんの作品も素晴らしかった。あとのはそんなじゃなかった。とくにダンスがぼくのなかで本当に苦手科目になってきてしまった。身体が生き生きしているときってのは、身体が何かに縛られている時なのじゃないか。身体を自由にさせるととたんに身体は生き生きしなくなる。一番生き生きしていたのが、OREの和田くんで、彼の笑顔もMCも何となく出てくる踊りもなんだかとても魅力的だった。あと、背中向いているひとがいいってなんだ?オープンリールの操作で背を向けているとか、contact Gonzoの場合だと華奢な女の子のドラマーを呼んできたんだけど、むちゃくちゃに激しく叩くその姿が背中を向けているからよかったんじゃないかなと思った。そう言う距離が観客との間に設定されているというのは、本質的な表現の何かと連関してはいないか。
12/24
午前中に上柚木公園陸上競技場にて1時間ほど走る。高校の陸上部が二組。なんだか短距離の冬練ののんびりした感じって好きだな。ぼくは中学時代短距離走者だったので、スピードに乗って走っているのを見ると、追体験している気になる(もう一回あんな風に走ってみたいものだ!来年の抱負?)。午後に『アバター』を見た。結構酔ってしまった。本当に3Dの時代になってしまうのでしょうか。こんなに酔ってしまうのならば、ぼくは映画館にいかなくなるかも。
『倫敦から来た男』をみた後で、渋谷から歩いて四谷まで。近畿大学の「批評の現在」に呼ばれたので、「他者のパフォーマンスを(パフォーマンスとして)理解すること」なるタイトルで、「performance」「performative」などのことばについてとくに「約束と行為遂行」の関係性から論じてみた。まだまだ全然不十分な発表ではあったけれど、これはぼくなりには、レディメイドなどのコンセプトをパフォーマンスの問題として考える下準備のワンステップ。
12/19
壺中天『2001年壺中の旅』を見た。このあたりの日、カポーティの『ティファニーで朝食を』を読んだ。カポーティの孤独な主人公にいまのぼくは共感しない。けど、20才くらいのときにびんびん感じていたある部分の所在を確認することは出来た。
12/20
ロマンチカの横町慶子(名前間違えてました!すいません!)ソロアクト『かわうそ』。手を振る繊細なリズムや振り加減とかは、いわゆるダンスの大袈裟さとは対照的でひかれた。なんとなく、いろんなところで既視感がそうした特徴よりも勝ってしまった印象はあったとしても。行き帰りで『バットマン・ビギンズ』をPSPで見た。
12/21
卒論の提出日。その後、提出してさっぱりした顔の四年生とゼミの三年生とで打ち上げ。下北沢。カフェみたいなところを貸し切り。女子25名対男子1名で、あらかじめ勝とうなんて思わなければ全然大丈夫ということが最近分かってきたので、のんびり過ごす。お嬢様系の方がお酒もひとのコントロールも得意ということを再確認。
12/22
一限で演習。今年の講義はこれでおしまい。土井隆義『キャラ化する/される子供たち』を読む。学生の方が敏感にいろいろなポイントを察知してくる。勉強になるのはこちらの方だったりする。昼休みに二年生(KAT)とパスタ、ハンバーグ、ケーキなどで小さなパーティ。その後、銀座に向かいvia artの授賞式へ。高田冬彦に審査委員賞を渡したが、現状の作品には満足していないよ。もっとよくできると思っている。
12/23
HP+。8組出たのでしょうか。とにもかくにもOpen Reel Ensemble最高。contact Gonzoも毎回新趣向があっていいね。柴幸男くんの作品も素晴らしかった。あとのはそんなじゃなかった。とくにダンスがぼくのなかで本当に苦手科目になってきてしまった。身体が生き生きしているときってのは、身体が何かに縛られている時なのじゃないか。身体を自由にさせるととたんに身体は生き生きしなくなる。一番生き生きしていたのが、OREの和田くんで、彼の笑顔もMCも何となく出てくる踊りもなんだかとても魅力的だった。あと、背中向いているひとがいいってなんだ?オープンリールの操作で背を向けているとか、contact Gonzoの場合だと華奢な女の子のドラマーを呼んできたんだけど、むちゃくちゃに激しく叩くその姿が背中を向けているからよかったんじゃないかなと思った。そう言う距離が観客との間に設定されているというのは、本質的な表現の何かと連関してはいないか。
12/24
午前中に上柚木公園陸上競技場にて1時間ほど走る。高校の陸上部が二組。なんだか短距離の冬練ののんびりした感じって好きだな。ぼくは中学時代短距離走者だったので、スピードに乗って走っているのを見ると、追体験している気になる(もう一回あんな風に走ってみたいものだ!来年の抱負?)。午後に『アバター』を見た。結構酔ってしまった。本当に3Dの時代になってしまうのでしょうか。こんなに酔ってしまうのならば、ぼくは映画館にいかなくなるかも。
きょうは、これから「AVATAR」見に行ったりと忙しいのですが、ともかく昨日のHP+の
Open Reel Ensembleはすばらしくよかった!
と書き残したくて、とりあえず、久しぶりにアップします。ぼくはこんな若者が好きです!
Open Reel Ensembleはすばらしくよかった!
と書き残したくて、とりあえず、久しぶりにアップします。ぼくはこんな若者が好きです!