ふと考える。
関西棋院の存在意義ってなんだろう?
別に関西棋院を攻撃したいわけでなく、日本棋院と言い換えても構わない。
世間的には日本棋院や日本将棋連盟の存在意義ですら、危ぶまれるわけで。
本因坊昭宇を先頭に、関西棋院が日本棋院から独立した当時はそれなりに理由があったのだろう。
その辺りの経緯は「昭和囲碁風雲録」(岩波書店:中山典之)という本で読んだが、はっきりいってまるで覚えていない。
東京の本院ばかりに資金を投資して、関西がまるで蔑ろにされていたとか、そういう事情だったかと思う。
しかしそれから随分たった(昭和初期の話だ)、今でもそういったシコリが残っているのだろうか?
少なくとも囲碁の情報といえば日本棋院経由で、関西棋院にとんと無知な私には、そういうことが全然見えない。
思うのだ。
韓国、中国に遅れを取っている現状で、こういう分裂構造を残している余裕があるのかと?
ただ「今までそうだったから」と漫然と組織を継続させていないか?
あるいは日本棋院にもしものことがあったときの保険の意味などがあるのだろうか?
関西棋院の方がお偉方のシンパが多く、経営が安定している話も聞いたことがあるような。
ちょっと前に世間を騒がせたマニュフェストではないが、関西棋院の声というものを聞いてみたい。
関西棋院の存在意義ってなんだろう?
別に関西棋院を攻撃したいわけでなく、日本棋院と言い換えても構わない。
世間的には日本棋院や日本将棋連盟の存在意義ですら、危ぶまれるわけで。
本因坊昭宇を先頭に、関西棋院が日本棋院から独立した当時はそれなりに理由があったのだろう。
その辺りの経緯は「昭和囲碁風雲録」(岩波書店:中山典之)という本で読んだが、はっきりいってまるで覚えていない。
東京の本院ばかりに資金を投資して、関西がまるで蔑ろにされていたとか、そういう事情だったかと思う。
しかしそれから随分たった(昭和初期の話だ)、今でもそういったシコリが残っているのだろうか?
少なくとも囲碁の情報といえば日本棋院経由で、関西棋院にとんと無知な私には、そういうことが全然見えない。
思うのだ。
韓国、中国に遅れを取っている現状で、こういう分裂構造を残している余裕があるのかと?
ただ「今までそうだったから」と漫然と組織を継続させていないか?
あるいは日本棋院にもしものことがあったときの保険の意味などがあるのだろうか?
関西棋院の方がお偉方のシンパが多く、経営が安定している話も聞いたことがあるような。
ちょっと前に世間を騒がせたマニュフェストではないが、関西棋院の声というものを聞いてみたい。