高校のクラス会や同期会に声がかかるとなるべく出席します。
どこの高校にいた時のクラス会や同期会でも、いつも、彼らが高校生であった時から、いきなり何十年もタイムスリップしてこの場にいるような錯覚を覚えます。
彼らが高校生であったころこの男子・女子は、50歳、60歳になったらと想像して、授業したり担任であったりしていました。数十年前は、想像しようとしても、全くイメージ出来ませんでした。
その数十年が経って、会ってみると、そうかこうなっていたんだ、と感銘を受けます。自分のことだって想像出来なかったのですから、当然と言えば当然です。
高校生がいきなりタイムスリップして、数十年先に時間を飛ばして、今ここにいることを感じます。相対性理論を少しばかりかじった物理教師であったから、そうも感じるのかなと思います。
先日、函館で開催された十勝時代の同期会に招かれて、そんなタイムスリップを感じました。
今年は、春から大地震・大津波・原子力発電所多重複合事故があって、人間の叡智に見合う科学・技術を活用しきれない政治と企業トップがあからさまになっています。多くの国民は一生懸命になっています。また働かないで勉強しないで物欲・金慾リッチを膨らませたい国民もいます。
私が出会うクラス会や同期会での、かつて生徒であった人達は、健気にここまで生きてきた、それはいい顔をしています。「先生、俺、けっこう頑張ったよ」「私、高校生のときから大変だったけど、ここまで来れました」、こんな人達が大勢いるのです。
私は、1年間の授業の終わり近くにほとんど毎年「科学と技術と望ましい人間の将来について」を趣旨のレポートの提出を求めました。タイムカプセルとして書庫に保管していました。
タイムカプセルを開きました。彼らが60歳になってから、順次、住所が分っている人達に郵送で届けることにしました。
今の自分に届けることにしました。きっと、かつての高校生の自分に出会うでしょう。
そう、数十年前の自分にタイムスリップした気持ちになるでしょう。そのレポートを読んで、今の社会にどう向き合うかのヒントになるでしょう。先生、やるなという人いるかな。
HP URL http://www4.ocn.ne.jp/~b-juku/ もどうぞ