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大雪の空

46歳から始めて嵌ってしまった山歩きの記録と野球などの雑記帳。時々帰郷中の島暮らしの日常。

八甲田と酸ヶ湯、蔦温泉

2010年12月13日 | 東北
北八甲田と酸ヶ湯、南八甲田と蔦温泉というのが普通の組み合わせだが、
まず南八甲田をやってから北八甲田の避難小屋で寝て、下山後に酸ヶ湯から
蔦温泉に移動するという変な行程だった。
まあしかし温泉をやってから登るというのはちと辛いから普通の選択だったかも。

南八甲田は長い旧車道の歩きが退屈な上に道が分りにくくなっているみたいだし、
おまけにテントを使うしかないのでちとやり辛いだろう。
その点では北八甲田の方は避難小屋がしっかりしているからやり易い。
その上清潔なトイレ付きときたら俺みたいな貧乏山屋には最高だ。
東北の避難小屋は何でか良く分らないが立派なのが多いんだよなあ。
八幡平の陵雲荘や裏岩手の小屋などは丹沢辺りの営業小屋真っ青の素晴らしさだぜ。

「酸ヶ湯」は商売っ気たっぷりのマンモス浴場で、あまりの風情の無さにがっくりだった。
千人風呂というとおりのデカサが売りの風呂なんだから仕方ないんだが。
「蔦温泉」はうって変わって風情タップリの温泉宿だった。
明治の文人「大町桂月」が定宿にしていたらしいが、その頃は本当に鄙びていたろうなあ。
前にも書いたが古い「久安の湯」とこれをモデルにした新しい湯の二つがあったが
この「久安の湯」が今までで最高の風呂だった。

巨大な青森ヒバの梁と天井、足元から湧き上がる無色透明の源泉ともういうこと無しの
風呂だったんだ。
あまりの気持ち良さに蔦沼巡りをした後でまた入ってしまった。
ここは断然紅葉時に訪れるのがベストで、10月中旬から末あたりがジャストだろう。
リタイアした金満中高年のご夫婦なら一度は行ってみてください。
連泊して蔦沼に映る色とりどりの紅葉の中の散策など贅沢な時間を思う存分楽しめる。

この「蔦温泉」途中の「猿倉温泉」もなかなか良さそうだったんだが、残念ながら入る
機会が無かった。
南八甲田の入下山口だったので使えなかったが、日程を工夫してここでテントで寝て
のんびり湯に浸かれば良かったなあ。

山は再度やろうという気は起きないが、温泉は「蔦温泉」「猿倉温泉」両方に入りに
行ってみたいなあ。
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後生掛温泉から裏岩手縦走

2010年12月11日 | 東北
7月の海の日の3連休に休暇を付けて歩いた。
本当は秋田駒から縦走の予定だったんだが、雨の為に途中下山して逆走にしたんだった。

後生掛温泉は八幡平の近くにある温泉宿だが、温泉オンドルの大部屋で湯治できるのが嬉しい。
常連客から初夏の根曲がり竹の竹の子と秋のキノコの時は超満員になると聞いて、その時に泊れば
両方分けてもらえるなあと思ったが機会がない。
湯治料金はオンドル部屋2,100円、夕食1,890円、朝食735円だから4,725円で
1日過ごせるわけだ。

食事を自炊にすればもっと安く上がるから年金生活をここで過ごすという手もありだ。
水道代や電気代も要らず、食べたい食材は前もって頼めば持って来てくれるから存外便利だし、
いつでも好きな時に温泉を使えるというのがいいじゃないか。
竹の子とキノコの季節にそれぞれ1ヶ月程度泊るのも楽しいよなあ。

風呂は泥湯、蒸し湯もあって色々楽しめるが、露天風呂は小さくてあまり入る気が起きなかった。
最初泊った時は部屋が暑くて一晩中風呂で過ごした。
囲碁友達でもいれば退屈はしないんだが、滅多に読めない大長編小説とか読むのもいいなあ。
完全リタイアしたら最低1ヶ月は逗留してみよう。
退屈したら焼山から玉川温泉に抜けたり、八幡平に上がって陵雲荘で寝て散策したりすればいい。

ここから歩いて八幡平に上がり、裏岩手を縦走して乳頭温泉の鶴の湯で汗を流したんだ。
裏岩手はほとんど人が歩いておらず静かで良かったが熊のテリトリーなので鈴は必携。
霧の中の池塘とニッコウキスゲは文字通り別天地だった。
今度やるとしたら秋田駒から三ツ石山、八幡平と歩くか、犬倉山、岩手山と歩くかなど選択肢は多い。
やっぱり7月のチングルマの季節に歩くよなあ。

鶴の湯は映像や写真どおりの白濁の湯で、露天風呂は人が多くて内湯を使った。
バス停までのんびり歩いていたら宿の車が乗せてくれて大助かりだった。

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飯豊・杁差岳のハクサンイチゲを見たい

2010年10月04日 | 東北
完全休養日の昨日、いろんなブログを見ていたら杁差岳のハクサンイチゲと残雪の写真があった。
随分昔に朝日連峰に行った時の残雪が素晴らしかったのを思い出して、来年の6月に行ってみることにした。

胎内ヒュッテから足の松尾根のルートはタクシー代が高くて却下。
オーソドックスに越後下関から大石ダムまでタクシーで入ることにする。
前夜に池袋から夜行バスで新潟まで行き、JRで越後下関まで入る。
帰りも新潟に戻り夜行バスで池袋へ。

23:30池袋発-5:05新潟駅6:08-6:46新発田6:49-7:12坂町7:17
-7:29越後下関 タクシーで大石ダムへ

8時くらいから歩き出せそうで、大熊小屋泊まりなら楽勝なんだが一泊二日なら杁差避難小屋まで
頑張らなくてはならない。
60過ぎのオジンにはちと厳しいんだが、帰りも夜行バスを使うつもりなので歩くしかない。

大熊小屋までは落ちたら即死のトラバース道だが、気を付けて歩けば大丈夫だろう。
杁差への登りが大問題で、多分ほとんど寝ていない状態だろうから、小屋に辿り着けないかも。
しかしその時は得意のビバーグという手があるから何とかなるだろう。

まあ小屋まで歩きとおせれば最高だが、手前2時間までならビバーグしてもOK。
梅花皮荘発16:06のバスに乗らなくてはならないが、丸森尾根経由で飯豊山荘まで
約8時間のコースタイム。
いくらなんでも10時間もあれば着くだろうから、車道歩きの1時間40分を加えて12時間で
OKだろう。
もしヒッチハイクできればラッキーこの上ないがなあ。
安全策だと這ってでも小屋まで辿り着かなくてはならないが。

普通の勤め人なら池袋から会社直行で充分間に合うんだが、なにせ朝が早い仕事なんで日曜に
帰宅せねばならないのが辛い。
金曜に休暇を取ってやるわけだが、いざという時は2泊にして新潟から新幹線で帰る手もある。
直前の体調で決めればいいだろうが、極力荷物を減らせば小屋まで着けそう。
往復夜行バスならタクシー代3,000超を加算しても17,000円位で遊べそうなので
何とか頑張ってみよう。

一泊二日とは随分と勿体無いのだが、体力のあるうちに行かねばならぬから致し方ない。
来年は南アルプスの聖もやっつけたいから、恒例の大雪詣ではお休みだなあ。
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白神岳と不老不死温泉 2000年6月

2010年06月02日 | 東北

山と温泉を楽しもうと計画した。
予想と違って両方ともイマイチだった。
夜行バスと飛行機を使った。

2000年6月3日-4日(1泊2日、避難小屋)(単独)

1.初日:小屋まで 
9:20-11:00二股分岐-15:50

2.下山日:十二湖の挑戦館まで
6:40-9:30大峰岳-14:00

I氏との同行だったのだが、途中でリタイアしたため単独行となった。
当時は携帯も普及してなかったのでどっかの駅で落ち合ったのだが憶えていない。
前の晩に新宿の小田急ハルク前から乗り秋田まで、それから五能線に乗り継いで今の白神岳登山口駅(当時は陸奥黒崎駅)で降りて歩き出した。
昔の駅名の方がいいと思うがなあ。即物的な名前にするのが何かいじましい。
二股分岐まで一緒に歩いたが、ここでI氏がリタイア。何か良く分からんが体調不良らしい。
明日の夜は不老不死温泉に泊るのは決まっているのでその下車駅の艫駅で待ち合わせしたのだろう。
さて一人で歩くことになったが慣れているから何でもない。道は特別変わりがあるわけは無く、標高も低いし花も少ない。
ブナも道の両サイド程度しか見えず、稜線から眺めないとそのボリュームは分からない。
結局ブナを楽しむなら滝巡りなどのツアーが一番良いのではないか。
マタギと一緒に歩くか、沢の遡行で稜線を目指すとかするのが最高だが。
小屋には女性4人組と男2人組みだけだった。新築のトイレの方が立派なのには笑った。
山頂からの眺めではあの岩木山が格好良かった。標高は低いがなかなか姿が良い。

下山は十二湖を目指したが長くてまいった。途中の沢でラーメンを食べたが降りてきた女性達にコシアブラをもらって中に入れた。
青池は本当にちょっと変わったブルーで、神秘的な色だった。
挑戦館とかいう変な名称の観光施設で一休みしてからバスに乗った。

不老不死温泉はあの有名な露天風呂に囲いが出来ており、ワイルドさが無くなっていた。
結局この風呂には入らずに内風呂で済ませた。
食事は部屋食だったのに?。普通に食堂やら大広間でよかろうに。
料理は品数は多かったがそんなに旨い物ではなかった。

五能線の車両から見たハマナスがきれかったし、海岸線もよかった。
内陸に入ったらリンゴ畑が印象的で、その上に岩木山が聳えているのがなかなかだ。
この五能線が一番良かったかもしれないなあ。

花の記録

マイヅルソウ ミツバオーレン ツバメオモト ハクサンチドリ チゴユリ ユキザサ ミヤマカタバミ
ミヤマキンバイ オオバキスミレ シラネアオイ エンレイソウ ツクバネソウ サンカヨウ
ミネザクラ アマドコロ オオカメノキ ホウチャクソウ ミツバツツジ ズダヤクシュ ミヤマカラマツ 
タニウツギ オドリコソウ






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八甲田縦走 2000年 10月

2010年05月30日 | 東北
吉田拓郎の「旅の宿」の歌詞を作った蔦温泉旅館に
からめて縦走した。
まず南八甲田をやり、酢ケ湯温泉と北八甲田をやった後で
蔦温泉へ。
殆ど人に会わない静かな山だった。

2000年 9月30日-10月2日(2泊3日、テント、避難小屋)(単独)

1.初日
猿倉温泉口から旧道幕営地
12:30-15:45

前夜東京駅発の夜行バスで青森に入り、またJRバスにゆられてやっと猿倉温泉口に着いた。
なんで歩き出しが12:30にもなったのかよくわからん。もっと早い筈なのだが。
猿倉温泉は鄙びたよさそうな旅館で、コテージを4棟ほど新築中だった。
旧車道跡の広くて単調な平坦な道を延々と歩かされた。もちろんダートの道だ。
それにしても歩いても歩いても高度が上がらないというのは精神衛生上良くない。
山歩きでフラストレーションが溜まるなんて最低だ。
途中でV字型に折れた橋を渡る。
乗鞍岳への道を左に分けてから右手に展望が開ける。山側にはシラタマノキの白い実が
目立つ。紅葉はまだ早かったみたいでイマイチだ。
3時間近くかけてやっと幕営地に着いた。当然一人だろうと思っていたら単独のオジサンが
横にテントを張った。地元の山岳会員のN氏といってここらを刈り払ってくれていたらしいが、
環境庁から自然破壊につき止めろとクレームを受けたらしい。そのうちに藪に戻ってしまうだろう。

2.2日目
仙人岱避難小屋まで
5:10-櫛ケ峰ピストン-8:10テント場10:10-12:30猿倉温泉
14:10酢ケ湯-15:50仙人岱避難小屋

翌朝、櫛ケ峰をピストンして猿倉温泉へ戻った。朝露がひどくてズボンがビショビショ。
雨具を着て歩くべきだった。
この途中でメガネを落としたらしくガックリ。この夜の宿の小屋で気づき愕然。
幸いに読書用のだったので歩きに支障なくて良かった。
バスで酢ケ湯へ移動して仙人岱避難小屋を目指した。
途中草木の無い地獄っぽい所のトラバースがあって八甲田清水の水場に着いた。
四角い浅い井戸風の綺麗な水場だった。小屋はわずかに入った所に建っていたが、さすがに
月曜で独占した。星の観察に夜中に出ても気兼ねしないで済んだ。
トイレも綺麗に使われていて感心した。東北の避難小屋は全体に綺麗だし、トイレもあって
すこぶる良い。
地元の人達が定期的に清掃してくれているからで頭が下がる。

3.3日目
仙人岱避難小屋から酢ケ湯
6:10-7:00大岳-7:20大岳避難小屋8:00-10:00

仙人岱から大岳の登りはそれほどキツクなかった。途中の小さな池にクロサンショウウオ、
メススジゲンゴロウがいた。道の両サイドはナナカマドが続いており、赤い実だらけだ。
大岳避難小屋は新築されたばかりのログハウス調の素晴らしい小屋だった。
よく整備するなあ、よっぽど山好きな役人でもいるんだろうか。
これからは降るだけだ。植生を守る為の木道が長い。途中で下毛無岱を見下ろす長い階段が出た。
見下ろすと茶の絨毯に黄色や緑の塊があちこちにのっかているが、あまり感動する風景ではないな。
下毛無岱から下部のブナは黄色に色づいていてまあまあ。
しかしブナの黄葉にドンピシャで遭遇するのは至難の技だ。今までまだ透き通るようなブナの
黄葉に出会ったことがない。今後も無理かもなあ。
酢ケ湯の千人風呂は広いばかり、かつ混浴といっても婆さん、オバサンばかりでさっさと退散。
次に行った蔦温泉は素晴らしかった。
古い「久安の湯」が高い天井、どでかいヒバの梁と抜群の雰囲気。おまけに無色透明のお湯が
足元から湧き出しており、蔦沼巡りをした後にまた入ってしまった。
従業員もなかなかで、もし愛人でもいれば絶対に来たい温泉宿だぜ。
「浴衣の君はススキのかんざし、熱燗トックリの首つまんで......」という歌詞もすんなり出てきたんでないか。
最後に今までで雰囲気最高の温泉に入り、幸せな気持ちでバスに乗り込んだ。
コメント (1)
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栗駒山の紅葉 2005年10月

2010年05月26日 | 東北
あの大地震で酷いことになった栗駒山の紅葉の記録。
下手をすると地震とドンピシャだった可能性もあったわけだ。
4,5年に一度の紅葉とかでラッキーな山だった。

2005年10月8日-10日(2泊3日、避難小屋)(M氏同行)

山中2泊したのだが、初日と最終日は雨で中日だけが晴れた。
わざわざ遠征するのだからできれば1泊よりも2泊の方が良いに決まっている。
可能な限り複数泊にしてリスクを減らすべし。

2日目(散策)
7:30-8:40栗駒山-10:05虚空蔵山-15:00

朝一番はガスだったが幸いに晴れてきて7:30から歩き出した。
一旦昨日歩いた道を須川方面へ戻り、東栗駒へ向かうつもりが行き過ぎてしまい産沼まで
歩いてしまった。
着いた頂上はといえばマジで”人だらけ”だった。それこそ新宿とまでは行かなくても
ちょっとした地方都市の繁華街など真っ青の人の波で、紅葉どころではない。
2人してさっさと湯浜コースを虚空蔵方面へ逃げた。やっと静かになり、ゆっくりと
周りを見れば素晴らしい紅葉だぜ。涸沢と違って緑の海に紅、黄の島々が混在する東北の
紅葉その物なのだがボリュームがすごいのだ。うーん、東北一というのも本当かも。
その夜の小屋で同宿した仙台からの沢屋が4,5年に一度の良さと言っていた。
虚空蔵の十字路からの登りは草が被りあまり歩いていない。誰もいない頂上でノンビリとランチ。
ヘッドランプ忘れ、ガスの燃料切れと恥ずかしい失敗、おまけに霧で出発がおそくなったりで散策になってしまった。
帰りは御室経由で帰ったが結構辛かった。地獄の頂上と続々と登りが上がってくるいわかがみ平からの
東栗駒コースから避難小屋方面への道に入った途端に人がいなくなるんだから素晴らしい。
何だか手品でも見てるような劇的な変化が面白い。
一年に一度、紅葉の時期に大観光地に変身するというか、この時期だけしか登山の対象にならない
不遇の山なんだろうか。
朝の道に合流した時に確認したら沢から登るのだった。地図を見たら一目瞭然だったのに見落としていた。
宿の笊森避難小屋は新築の綺麗な小屋だ。2日目の夜は産女川を遡行してきた仙台の沢屋達や
東京の女性中心の山岳会の連中とかがいて賑やかだった。
翌日は隣りに陣取っていた水戸からの単独中年に一関まで乗せてもらった。
ただではあんまりなので2人でガソリン代2千円渡した。
一関から平泉まで足を延ばして、金色堂やら義経の遺跡などを見物してから帰った。
行きは夜行バス、帰りは新幹線だった。


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焼石岳 2002年 6月

2010年05月22日 | 東北
会社の同僚2人と2泊3日で遊んだ。
銀名水避難小屋に連泊して花を楽しんだ。
ハクサンイチゲはちょっと遅くて瑞々しさが無かった。
花のタイミングは難しい。

2002年6月28日-30日(2泊3日、避難小屋)(Ka氏、M氏同行)

中沼登山口までタクシーで乗りつけた。こんな時は仲間に感謝。一人だととんでもない。
尿前沢まで歩き、食事して戻った。ここから金名水避難小屋への道があるらしい。
ヒオウギアヤメが結構咲いていた。中沼は余り花が目立たないぱっとしない沼だ。
沼を廻り込んでなんだか水っぽい道を緩やかに登る。
ツブ沼コースの合流点で右に直角に曲がるが、黄色のリュウキンカがやたら目立つ。
大柄で結構綺麗な色をした花で、案外と好きだ。
銀名水避難小屋は新築で快適な小屋だった。Ka氏が有名人が来てるぜと言うので誰かと思ったら
あの石井光造氏だったが、この人はとんでもないチェーンスモーカーだった。
この当時はタバコのみだったが、さすがに呆れてしまったのを思い出す。

二日目はノンビリと散策だ。連泊の最大のメリットだが不思議とあまりやらないのはやっぱり時間を
惜しむ気持ちが強いからだろう。
60過ぎたらこんなノンビリした優雅な山をやった方がいいなあ。
ハクサンイチゲの瑞々しさは無いがいろんな花があって楽しめる。
東焼石岳にはムシトリスミレの肉厚の黄色い花が多かった。
秋田側へ降りた焼石沼にはミヤマキンポウゲの群落があった。
横岳ではミヤマシオガマが目立った。
豪雪の山だけあって残雪が多い。小屋まで雪慣れた地元の人は直接降りているが、我々は
もと来た道を引き返した。
小屋手前はちょっとした雪原状態になっていて、慎重に降りた。
時間がたっぷりあって二人は携帯用の囲碁セットで遊んでいる。
小屋の前には派手なベニバナイチゴがある。くすんだ赤紫の花で背が高い。タカネバラ風だが
ちょっとあだっぽいかな。

つぶ沼コースで下山して水沢江刺へ戻った。あの蝦夷の英雄「アテルイ」の像が鎮座していた。
横暴な大和朝廷に反抗して殺されてしまったが、平和に暮らしているところによそ者が攻めてきたら
反発するのは当然だよな。
噂どおりの花の山だったが、単一種の大群落というのが無かったのが物足りなかった。
ハクサンイチゲやチングルマがそうだったんだろうが残念ながら時期を逸していた。

花の記録

ミズバショウ リュウキンカ ヒオウギアヤメ カラマツソウ シラネアオイ マイヅルソウ 
ミツガシワ ハクサンチドリ コバイケソウ サンカヨウ ショウジョウバカマ ミヤマキンポウゲ
ズダヤクシュ ベニバナイチゴ イワイチョウ ヒナザクラ キスミレ ハクサンイチゲ チングルマ
ミヤマダイコンソウ イワカガミ ホソバイワベンケイ ヨツバシオガマ シナノキンバイ
サラサドウダン ヤマツツジ オオカメノキ タムシバ ミツバツツジ ウラジロヨウラク
ミネザクラ
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月山から肘折温泉 2005年7月

2010年05月19日 | 東北

夜行バスで鶴岡まで、それからバスで八合目に入った。
頂上まではとんでもない人の群れだったが、肘折への道になった途端誰もいなくなった。
池塘とその廻りのニッコウキスゲなどの花々が連続する最高の道のあとは小屋まで一人の嬉しいコースだった。
肘折温泉は鄙びたいい温泉だったが、屋久島の尾之間温泉には完敗。

2005年7月23日-24日(1泊2日、避難小屋)(単独)

1.一日目
八合目から念仏ガ原避難小屋まで
9:00-11:30山頂-1時間食事-16:00

2.二日目
念仏ガ原避難小屋から肘折温泉まで
7:00-8:05小岳-9:10赤沢川9:30-10:40ネコマタ沢-11:50登山口-13:00

八合目からの道は石畳の、変に整備された歩きやすい道だったが、人の多さにウンザリ。
白装束の新興宗教の連中やら職場の集まりやら家族連れやら、めったやたらな人の数だ。
さすがに信仰登山のメッカかつ百名山だけはある。あの芭蕉も登ってるらしい。
弥陀ヶ原で写真でもと、デジカメを取り出して愕然。なんとSDカードが入っていない!!
なんてこったい。あーあとため息が出たがどうにもならない。瞼に焼き付けよう。
オジンのやりそうな失敗ではあるな。反省。
さて頂上も当然だが人の波にてさっさと肘折への道に逃げる。とたんに誰もいなくなる。
こんなに激変する道も珍しい。本当に人っ子一人いないぞ。
結局小屋まで誰とも行き交わなかったのだから超静かな百名山。
賽の河原下で昼食のいつものラーメン。水は雪解け水の沢。
月山がズドーンと目の前に広がっている。頂上や稜線の喧騒とは別世界の一人だけの空間だ。
なんでこんないいルートを歩かないのかなあ。終点には渋い温泉が待ってるんだぜ。
うーん、まったく理解不能ですわ。
歩く道にやたら竹や草の切られたのが落ちているというか、なんか刈り払ったばかりみたいだ。
下手に足を置くと滑ってしまうから要注意だ。
降り着いた沢には真新しい橋が架かっていた。あの折れた橋の換りらしい。
この沢でイワナ釣りの連中が遊ぶらしいが、今夜運が良ければご相伴にあずかれるかも。
ちょっとシンドイ登りをこなして念仏ガ原に飛び出した。
木道を辿ると水場が出てきて一人が汲んでいる。今日と明日の分を汲んで小屋へ急ぐ。
写真どおりの立派な小屋で6人程の団体さんがいる。聞くと地元の人達で刈り払いに来ているらしい。
ラッキーかつ感謝だが、大変だよなあ。
飯豊の梶川尾根でも行き会ったが、こんな人達のお陰で楽に歩けているわけだ。
2階に陣取ったが残念ながら釣り師は現れなかった。

翌朝はまた夜行で帰ることだしノンビリと動き出した。
7時に出発となったが、朝の儀式で使った外トイレは大いに問題だった。
行ってみて自分で確かめてみてくだされ。
小岳まで登り、2度の渡渉で長いトラバ-スになって、登山口だった。
この道はいかにも熊さんのテリトリ-っぽくて、鈴は必携でしょう。鈴嫌悪症だがこんな環境では無条件で許す。
今朝は昨日と違って登りの2人とすれ違った。
降り着いたダートの道が右にわずかに下っていて思わずそちらへ5分ほど歩いてしまった。
しかし何か変でよく確かめると左に歩くんだった。
降り着いた肘折温泉はこじんまりした渋い温泉だった。
共同風呂は200円で、湯船の上になんか仏像みたいな物があったようだった。
お湯はまあ良かったが、あの屋久島の尾之間温泉の素晴らしさには遠く及ばない。
名物の「板蕎麦」を食べてみたが、普通の蕎麦が餅つきの時に使う木箱状の物に入っているだけ。
新庄から夜行バスで帰り、休みもせずに出社するというハードスケジュールだった。
賑やかな山でもちょっとルートを外れると、超静かな歩きが満喫できるという好例の山だった。

花の記録

キンコウカ イワイチョウ ハクサンイチゲ ヨツバシオガマ ウサギギク チングルマ 
オタカラコウ ミヤマコウゾリナ ニッコウキスゲ ツマトリソウ ミツバオーレン
ハクサンチドリ ハクサンシャクナゲ トウゴクミツバツツジ ウラジロヨウラク コメツツジ
ミヤマホツツジ トキソウ サワラン ショウキラン コバギボウシ ワタスゲ ミヤマリンドウ
ミヤマキンポウゲ ミズバショウ リュウキンカ ハクサンフウロ ショウジョウバカマ
ゴゼンタチバナ マイヅルソウ ミヤマカラマツ ミヤマシオガマ ハクサンシャジン
ギンリョウソウ ウラジロナナカマド

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思いでの山 東北編 ③ 飯豊連峰

2010年04月18日 | 東北

遠征友達のM氏との山。
この時は運悪く台風の後で花は雨と風で相当落ちてしまった由で、飯豊らしい規模のはまったく見ることができなかった。
しかし手帳を見てみると花の種類だけはさすがにと思わせる。
できれば再訪して飯豊らしい大群落を見てみたいものだ。
梶川尾根から登ったがあまりの暑さに2人ともゲンナリしてしまった。
ここに限らず東北や会津の中級の標高の夏山は工夫せねば脱水症状になってしまう。
野宿、早朝や夕方歩き、はては夜歩き、未明歩きなどで移動して、昼間は小屋で昼寝がベスト。

しかし花が見れないか。
とにかく梶川の登りで水を搾り取られて、辿り着いた五郎清水の美味しかったこと!
登り着いて出てきたイイデリンドウは予想よりも小さかった。
他には門内小屋でのゲロ騒動、雷、下山の長かった事などが印象に残っている。
記録はコースタイムと花の名前しか残していない。記録するのが面倒になったのだろう。
しかし飯豊の記録を残さぬなんて考えられないんだがなあ。
そういうわけで全て記憶を辿らねばならない。

2004年7月24日-26日 山中2泊3日 (M氏同行)

1.初日
梶川登山口から門内小屋まで

9:10-12:20滝見場-13:40五郎清水-17:10扇の地神-18:00

前夜発の夜行バスで米沢、それからJRで小国まで。
橋の傍の登り口からとりついたが、のっけから両手両足を使う急登でないか!
すぐに汗みどろになってしまった。

ひたすら難行苦行の登りに喘ぎながら、最初は急登、次は暑さが半端でない中を黙々と歩く。

左に廻り込んでやっと風の抜ける湯沢峰に到着した。しばし風に打たれ眺望を楽しむが霞んでおり、ダイグラ尾根もかすかにしか見えない。
滝見場に着くと下草の刈り払いに来た人が2人お昼を摂っていた。ご苦労様です。

梅花皮大滝は水量が少ないし、あまりに遠くて迫力が無い。
中休止の後また暑さの中を歩き出したがペースが上がらない。
やっと辿り着いた五郎清水に降りて頭から水をかぶる。

何という快感。

生き返るとはこのことか(ちとオーバー)。しかし本当にメチャクチャに暑かったのだ。
いつもの通りに「サッポロ一番みそラーメン」で腹ごしらえして先を急ぐがすぐにスローダウン。
ここは水分の補給をこまめにやらねばペースは上がらないだろう。
水はタップリと持って上がろう。五郎清水で確実に補給できるのでその点は楽だ。

中アの空木から木曽駒へ縦走した時の水切れを思い出す。木曽殿乗越で1.5Lしか補給せず、島田娘手前でわずか200CCを残して切れてしまったのだ。最後の水を宝剣手前で飲み干したが、木曽駒へは10歩毎に休む体たらくだった。

梶川峰を越えてから待望のイイデリンドウのお出ましだが、案外と小ぶりで色が濃い。
まあまあだがそれほどの花でもない。
尋常でないタフネスを誇るM氏もさすがにペースが上がらぬらしい。いつもと違って姿が見える距離にいる。
何とか門内小屋に辿りついて2人ともほっとするが、小屋はさすがに混んでそう。
すぐに管理人の若い衆が集金に来た。小屋前の小さな別棟に寝泊りしているらしい。
役場の若いのが交替でやっている由。1階が満杯だったので2階に陣取る。

さて晩飯を済ませてノンビリしていると突然「ウギャー」「何これ」と叫び声が下から聞こえた。
何事かと下を覗くと5-6人が立って騒いでいる。「キャー。ゲロじゃないの」
俺達の左サイドで飲んでいた連中の一人が下めがけてゲロったらしい。
そういえば直前にバタバタとした後にオエッと聞こえたような気もする。
てんやわんやの大騒ぎの中、犯人は外に出て行きちょっとした遭難騒ぎのおまけがついた。
まああの状況じゃ居られませんわなー。
即座に「門内ゲロ騒動」と命名した。吐くまで飲むんじゃねーよ。馬鹿丸出し。
そんな大騒ぎも暫くすると静かになった。暑さで皆疲れきっていたのだろう。
あのゲロも暑さで痛めつけられたのが一因かもしれない。

2.二日目
門内小屋から飯豊本山を越えて本山小屋

4:20-5:50北股岳-6:15梅花皮小屋6:50-8:00烏帽子岳9:00-
9:45御手洗池10:00-10:45天狗の庭-雷襲来-12:30御西小屋13:50
-15:10飯豊本山-15:25本山小屋

4:20出発。この後あの日本全国で猛威を振るって、あちこちの山で犠牲者を出した雷界に襲われるのも知らず。
いやーさすがに記憶が殆ど無いのにはまいった。
途中の北股岳でザックに入れた容器からチューブで水を飲んでる若者を見て面白い道具だなあと感心したのは覚えている。
それと北股が案外と急だったこと。梅花皮小屋は綺麗でその前から覗いた石転びの雪渓はメチャ急でとてもつかう気にならない。
大体がいつ石が飛んでくるか分からない滑りやすい道を歩くのは真っ平ゴメン。
少々暑かろうが距離も時間もかかろうが安全な道を歩く。
事故る確率が格段に低い道をとり、まだまだ元気で遊びたいから。
そういう意味では大キレット、西穂から奥穂、剣のかにの横ばい、縦ばいなどは多分やらないだろう。

ちゃっちい御手洗池を過ぎて天狗の庭の先まで歩いた時に雷が鳴り出し、大荒れとなった。
道の途中でツェルトを被った中年の女性が入れと手招く。さすがにこれはヤバイと飛び込んだ。
気仙沼から来たとかで旦那は亡くなったとか言っていた。仕事の関係でそんなには山はやれないらしいが、なかなか大したもんでないか。

感謝!感謝!
すぐに雷は遠ざかり礼をいって別れたが、未練たらしく振り返った俺と違い、彼女は振り返りもせず颯爽と梅花皮方面へ歩き去った。

御西の小屋でM氏が待っていた。あの雷では歩く馬鹿はいない。
時間もあるし大休止することにする。水場は少し降ったところにあった。
小屋は古くて小さかったがこの後すぐに建て替えられ綺麗になったらしい。
三国小屋も建て替え中だったし、門内や頼母木の小屋も建て替えられたと思う。
もうちょっと涼しい6月中旬位に再訪してみたいもんだ。チングルマやハクサンイチゲの大群落と残雪を楽しんでみたい。

小雨とガスの中を黙々と歩き、山頂らしくない飯豊山のピ-クを踏んで本山小屋へ急いだ。
本山小屋もトイレを改築中だったが、何か特別な予算でも付いたのかもしれない。
髭のオヤジが管理人で平気でタバコを吸っているのに怒!アホである。
何か消化不良の歩きだったが、ちょっと楽しい雷騒動もあったし、まあいいか。
何か水場は案外と遠いらしいが、御西でタップリ汲んできたので用はない。
明日に備えてさっさと寝る。長い下りが待っている。

3.最終日
本山小屋から川入まで

4:10-5:40切合小屋6:35-7:00七森-7:50三国小屋-8:20剣ヶ峰8:30-9:45笹平
-10:25中十五里-11:00下十五里-11:30御沢

さあ、ながーい下りの始まりだ。小屋を出てすぐに岩っぽい下りになった。やった!
大好きな岩だが、M氏は大の苦手なのだ。久し振りに彼を置いてさっさと先行するが、姿の見える距離を保つことはきっちりと守ってだ。
見上げるとノンビリと降りてきているのが見える。別に死ぬような所でないのでそのまま先行。御秘所というなんだか艶かしい場所に着いたが、何ということもない小さな岩場だ。
ちょっと先でM氏の御秘所の通過を見守る。変なコース取りだが無事に越えたのを見届けて先を急ぐ。

沢沿いの花の多い道を下り、雪田を抜けると切合小屋到着。小屋前に水がタップリ出ている。
M氏を待って昼食・大休止だ。この小屋は米を持参してカレーを食べさせてもらうらしい。
なんか懐かしいようなシステムだが、本当に今現在もそうなんだろうか?
持参のレトルトカレーとアルファ米の2食目。朝が軽かったので朝飯みたいなもんだ。
ゆっくり休んで三国小屋を目指す。稜線上に小さな小屋が建築中だった。眺望が良く水場が近いなら機会があれば泊ってみたい。
御西に泊って大日岳をピストンしてからこの小屋で寝るのがよさそう。

案外と高度感のある剣ヶ峰を越えて行く。水場は確認しなかった。
まだ半分も来ていないのだからノンビリできない。陽射しを避けるため左右が切れ落ちていない安全な道では折りたたみ傘をさして歩いた。山歩きで傘を使うのはここが初めてだったかもしれない。
雨でも日除けでも使えて重宝しますよ。一度お試しあれ。
大雪の天人峡への下り途中では、道の真ん中で傘で陽射しをさえぎって食事を摂った。
中十五里の水場で小休止。ここで話した人が御沢から車に乗せてくれて温泉へ直行。
蕎麦とビールで乾杯して長い山旅を終えた。

花の記録

ミツバオーレン シロバナニガナ ミヤマコゴメグサ コバイケソウ ミヤマリンドウ 
アザミ タカネツメクサ ニッコウキスゲ タカネナデシコ シロウマアサツキ(?)
コキンレイカ クルマユリ ミヤマウスユキソウ イブキトラノオ クガイソウ タテヤマウツボグサ
ミヤマシャジン オンタデ ミヤマキンポウゲ シナノキンバイ ウサギギク ショウジョウバカマ 
ヒメサユリ シラネアオイ イワイチョウ ゴゼンタチバナ オオカサモチ ミヤマセンキュウ 
チシマギキョウ ヨツバシオガマ ハクサンコザクラ イブキジャコウソウ ミヤマコウゾリナ 
イイデリンドウ タカネマツムシソウ ハクサンシャジン ハクサンフウロ オタカラコウ
ミヤマクルマバナ コイワカガミ ハクサンイチゲ チングルマ キンコウカ イワオウギ
オトギリソウ タカネニガナ ミヤマホツツジ 

記録を写してみてびっくりした。なんという種類の多さだろう。
うーん、もう一度行ってみたくなった。
初日に大熊小屋で寝て、朳差岳から南下して大日岳をピストン。川入へ下山でやってみるか。

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思いでの山 東北編 ② 朝日連峰

2010年04月16日 | 東北

前年の浅草岳で花に目覚め、同じく6月中旬に東北の朝日連峰をM氏と歩いた。
花なら飯豊の方だと思うが、何故か朝日だった。
この時は今は無いムーンライト越後を利用して鶴岡まで行き、タクシーで泡滝ダムまで。

1999年6月11日(金)-13日(日) 山中2泊3日

1.初日
泡滝ダムから大鳥小屋まで

のっけからタニウツギだらけで期待が高まる。すぐに昼食としたが、そこらじゅうにあるミズ(ウワバミソウ)をラーメンに入れて食べた。
途中で七つ滝コースが分かれたが、見送って安全な一般ルートを歩いた。
急登も無く、歩きやすい。浅草岳と同じく深山の趣たっぷりの静かな道。
辿り着いた大鳥池の小屋は案外と立派だった。伝説のタキタロウはまあいないだろう。
釣り客も結構多いらしく、2人が釣り糸を垂れていた。
夜行だったので夕食の後さっさと寝た。

9:30-14:00

2.二日目
大鳥小屋から狐穴小屋まで

爽やかな朝の空気の中をオツボ峰目指して歩き出したがすぐに急登が待っていた。
本当に目の前に登山道がある感じの急さだが、ブナ林が救いと言えば救いだ。
途中からミツバオーレン、カタクリ、稜線に出て、イワイチョウ、イワカガミ、チングルマアオノツガザクラ、ハクサンイチゲなどが出てきた。
以東岳山頂ではミヤマダイコンソウが主役だ。
眼下に熊の毛皮みたいな大鳥池が見える。
はるか南には三角錐の大朝日岳が見えている。どの山も残雪が良いコントラストになっている。
その残雪に黒いワッカ状の模様があるのが面白い。
頂上からの下りではミヤマキンバイのオンパレード。これでもか、これでもかといった感じで出現する。こんなのは今までで初めてだ。
残雪と花畑は関東周辺ではなかなか見ることが出来ないので感激もひとしおだ。
それにしても風が強く、首にかけていたタオルを一瞬で持って行かれてしまった。
道脇の峰桜が東側へ90度ひん曲がっており、強風と豪雪を物語っている。
辿り着いた狐穴小屋は新築で水洗式だったがまだ使用不可で、通常のを使うようになっていた。
2階に陣取って夕食にしたが、バーナーのコックを目一杯開けているオヤジがいて、ゴーゴーとうるさい。まったくの無駄なガス浪費なのに。

5:30-9:40オツボ峰10:30-11:50以東岳13:00-15:30

3.三日目
狐穴小屋から大朝日岳を越えて古寺鉱泉

今までで一番長い行動時間となった一日は小屋前の雪壁(3Mも無かった筈だが)のキックステップから始まった。
雪に慣れていないので案外と恐怖感がある。無事登り終えてホットした。
昨日すれ違った2人組から聞いていたキヌガサソウは北寒江山への登り始め、東側雪田の縁に群落をつくっていた。初めての対面で即写真を撮るがピントがずれていた。
まあしかし葉も花も大きすぎて何か可憐さがない。
あちこちに残雪があるが、あのヒメサユリは全く咲いていない。ここでは7月上旬かららしい。
一方シラネアオイは盛りを過ぎており、ちょっと損した気分だ。
金玉水のテント場は遠目には少し斜めになっているように見えた。
大朝日岳をピストンした後大朝日小屋で昼食。頂上からは歩いてきたコースが以東岳まで見えていた。本当によく歩いたものだが、この後まだまだ歩き、ちと危ない目にも遭うとは夢にも思いもしなかった。
銀玉水の水場は出ていたがその下からは雪田上を50M程歩いた。小朝日岳手前にはハクサンチドリが群生していた。
疲れる直登をゼーゼー喘ぎながらこなして、やっと小朝日の山頂だ。
でかい大朝日を眺めながら暫し休憩。もう出発から10時間もかかっているが、まだまだ下りがコースタイムだと2時間ある。
しかし実際はプチ遭難もあって何と3時間40分もかかってしまったのだ。
古寺山から先の雪田からの降り口をロストしてしまったのだが、先行するM氏の足跡とおもわれる
のをたどると急な雪の斜面に出てしまった。しかし何となく降りて行ったような跡も見える。
こんなところ降りるはずがないがと思いながらももうちょっとと降りかけた途端に滑落。
あっという間に下にあった根曲がり竹のブッシュに飛び込んだ。まあこのブッシュがあるから降りてもいいと判断したのだが、ものの見事な滑落ではあった。
竹薮を廻り込んで下を見てもM氏の姿はない。どうもこれは違うなと引き返す気になった瞬間に急に恐怖心が湧いた。即座に6本爪の軽アイゼンを装着して気を落ち着かせた。
雪の斜面を慎重に戻り、右手のほうを見ると降り口があるではないか!アイゼンを脱ぎ先を急ぐがなかなかペースが上がらず、古寺鉱泉朝陽館に着いたのは何と17:40分!!。
M氏は風呂に入り、ノンビリとビール。あげくに「遅かったねー」とトドメの一発。
竹の子尽くめの夕食とこじんまりした、家庭の風呂をちょっと大きくした程度の鉱泉風呂でながーい一日の疲れを癒した。

4:00-7:45竜門山-8:55西朝日岳9:10-11:00大朝日小屋 
山頂ピストン 昼食12:20-14:50古寺山-17:40
現在でも最長記録の13時間40分の行動時間だった。

花の記録

シラネアオイ ヒメサユリ(朝陽館) ミヤマキンバイ ハクサンチドリ ハクサンイチゲ
キヌガサソウ ミヤマキンポウゲ ミヤマダイコンソウ イワイチョウ ミツバオーレン
カタクリ イワウチワ イワカガミ アオノツガザクラ チングルマ シロバナエンレイソウ 
サンカヨウ ユキザサ ニリンソウ ショウジョウバカマ ノウゴウイチゴ 
タチスボスミレ キスミレ リュウキンカ ヒナザクラ アカヤシオ ムシカリ タムシバ
ヤマツツジ ミネザクラ ウラジロヨウラク 
 

翌朝、宿の廻りのヒメサユリ(!)に見送られ、タクシーで左沢へ出た。
山形から新幹線に乗り継いで帰ったが、いろんな意味で充実した山ではあった。
次は同じくM氏との飯豊。


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思いでの山 東北編 ①裏岩手縦走

2010年04月10日 | 東北
裏岩手縦走といっても後生掛温泉から八幡平に登り、それから鶴の湯までの縦走という
コース。
本当は秋田駒から八幡平までの縦走の予定だったが、秋田駒を終えたあと雨が降り出し、
翌朝も本降りだったため一旦乳頭温泉へ下山することにした。すぐに後生掛温泉へ向かい、
その夜は温泉三昧。いつ来てもいいお湯で満足。当然湯治部のオンドル部屋に寝た。
翌日からの縦走は途中の原始性あふれる静かな道が素晴らしく、後半部の嫌な気分にされた
歩きはマイナスだったが今までの山で三本の指に入るコースだった。
残る二つは既に書いたトムラウシと知床縦走。
貯まったJASのポイントで秋田に飛び、それからバスで田沢湖駅まで行き、秋田駒八合目へ。
秋田駒は以前もこの八合目小屋に寝て乳頭温泉へ抜けた事がある。
花一杯の素晴らしい山で百名山ほどではないが登山客が多い。
いろんな花が咲く花の時期はことさらだ。日帰り客が殆どで泊りは滅多にいない。

2003年7月18日、19日、21日-22日 山中3泊4日(単独)

1.初日
八合目から阿弥陀池の小屋まで

道はゆるやかで初心者でも楽に歩けるから花時は人だらけになる。丁度ニッコウキスゲの
時期であちこちで明るい黄色が揺れていた。ミヤマハンショウヅルが記憶に残っている。
小屋までの池横の木道周りはチングルマなどが咲き乱れている。
小屋に荷物を置いて散歩にでかけた。池の先からチングルマだらけの窪地へ降り、大焼砂を
横岳に登り返し、稜線を歩いて元の降り口へ戻って小屋へ。
チングルマはちょっと時期が遅かったみたいで、稜線上のハクサンシャジンのほうが印象に
残っている。いろんな種類の花が咲き乱れており、南アルプスの小赤石稜線の花を思い出した。
大焼砂ではキスミレばかりでコマクサは無かったような気がする。
小屋は予想通りに独占かと思いきや地元らしきオヤジがやってきた。
俺が片付けた灰皿を引っ張り出して吸いだした。山の中くらい吸うなよな。
トイレが水洗なのはいいが、水は一体どうしてるんだ?天水か?
水場はこの時期でもチョロチョロで8月には涸れてしまうだろう。

花の記録 (この日で殆どの花が出てきたので)

ミヤマシシウド ミヤマセンキュウ シラネニンジン ミズバショウ ミヤマハンショウヅル
ニッコウキスゲ ミヤマダイコンソウ タカネニガナ ハクサンチドリ ヨツバシオガマ
ハクサンシャジン チングルマ トオゲブキ ウサギギク ヒナザクラ イワイチョウ
ミツガシワ ベニバナイチゴ オオバキスミレ キスミレ ミヤマキンポウゲ ヤマハハコ
ゴゼンタチバナ イワカガミ コマクサイワブクロ ミヤマアキノキリンソウ ウツボグサ
ミヤマカラマツ ミヤマリンドウ オトギリソウ エゾツツジ ミヤマホツツジ コメツツジ
ウラジロヨウラク イソツツジ イワショウブ クルマユリ タチギボウシ キンコウカ
マイヅルソウ ギンリョウソウ

2.二日目
阿弥陀池の小屋から乳頭山経由田代岱山荘まで

8:50に歩き出して14:30に田代岱山荘着。
笊森山から千沼ガ原へ降りて湿原の雰囲気を楽しんで、途中の木道でお昼。
ここも湿生の花だらけで素晴らしい。雨がぱらつきちょっと心配。
稜線へ戻ってからの歩きは潅木帯なので見晴らしがよく気持ちいい。
乳頭山へは崖の縁を登るので滑落に注意が必要だが、まあそんなドジはしないだろう。
危険なところは注意するので事故は滅多に起きず、その後の何でもないところで起こる。
小屋には他には八幡平まで縦走の30前後の夫婦とあと二組程度だったと思う。
水場は裏から涸れ沢へ降り10分程度かかりちと面倒。千沼ガ原で汲んだほうが楽。
夕食後に本降りになってしまい、翌日も降り続く予報との事なので翌朝一旦下山し、
後生掛温泉へ移動して逆走する事にした。

3.三日目 乳頭温泉へ下山して後生掛温泉へ(記録割愛)

4.4日目 
後生掛温泉から八幡平を抜け八瀬森山荘まで

八幡平への登山口までは車道を歩いた。
尾根の上を歩いてるはずだが何となく涸れ沢っぽい。頂上では休みもせずに先を急ぐ。
まあ山頂らしくないし、観光客だらけでうるさいだけだ。
歩きながら左手に常に岩手山が大きく気持ちよい歩きだ。石沼あたりからは雨のせいか
道が湿っぽい。途中で田代岱山荘で同宿だった夫婦とすれ違ったが、あの雨の中を歩くとは信じられん。
何の楽しみも無いので俺は絶対にやらないが日程もあるしなあ。ご苦労様。
大深山荘は建て替え中だったし、この先の大白森山荘も建て替えたばかりだった。
東北の避難小屋はトイレが必ず付いているのが助かるが、糞尿の処理はどうしてるんだろう。
環境の為には担ぎ下ろすしかないが、大変な労力と時間がかかってしまうのに本当に実施
しているんだろうか。
三ツ石分岐からは右手の道をとって八瀬森山荘を目指す。
池塘が次々と現れニッコウキスゲが咲き乱れている。アオモリトドマツや池とあいまって
幽玄な雰囲気を醸し出しているが、その中に一本の踏み跡がクッキリとついているのが
なんとも痛ましい。道を広げないように長靴か地下足袋で歩くべきかも知れない。
小屋に着いたら先客がいた。中央大学付属高校のワンゲルで生徒6人と顧問の教師。
途中で熊と遭遇したらしいが、30メートルくらいしか離れてなかった由。
小屋には布団と毛布もあったが湿っぽい。水場はすぐ傍の流水。

5.5日目 
八瀬森山荘から乳頭温泉の鶴の湯へ

4:40に出発してすぐに曲崎山への登りでシンドイ。山頂で小休止と行動食でガスの
補給。ブナが多く雰囲気はいいが、大木が無く2次林みたいだ。
大白森山荘は建て替えられたばかりでまだ未使用状態だった。暫し休憩して、小屋前の
水場を確認するがしっかり出ていた。
この先から根曲がり竹が出てきて、ゴミが散乱しており頭にきた。
竹の子採りの連中が捨てていったものだが、缶詰のカン、軍手、弁当のプラ容器など。
熊に食われてしまえばいいと本気で思った。
せっかく気分の良い歩きを楽しんだのにぶち壊されてしまった。
期待していた湿原も乾燥化が進んでただの草原で黙々と鶴の湯を目指した。
辿り着いた鶴の湯は写真どおりで、客であふれていた。
白濁した内湯を使い、2日間の汗を流して帰途についたのだった。
11:00に鶴の湯着だったので約6時間の行動。
田沢湖駅からは秋田新幹線を使い、秋田空港から羽田。
あの三ツ石分岐からの至福のトレイルの歩きは何とも素晴らしかった。
北の山が続いたので、次はこの年の秋に訪れた遥か南の屋久島縦走の記録としよう。






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