◼☕🍞そろそろ日本食が恋しくなりました。
◼🚃移動:Hameln(08:20)➡hannover(09:41)
➡Celle(10:16)
◼「ツェレ駅」
町の中心地から徒歩15分ほど離れています。⬛ツェレ
ツェレの町は童話の世界!木組みの建物や、建物を彩る花々が素朴で温かな雰囲気を醸し出し、どこかメルヘンチックな空気が漂っています。木組みの家が建ち並ぶ町が数あるドイツの中で、「北ドイツの真珠」と言われ、まさに童話の中にいるような気にさせてくれる町です。
⚫駅を出て公園沿いの通りを10分ほど進んでいくと、左前方に見えてくるのが、緑に囲まれたツェレ城で、手前に馬と少年の像が立っています。◼ツェレ城
⚫煉瓦の屋根と白壁、緑の丸屋根が美しいです。⚫城の大部分は1530年にルネサンス様式で建設されたのですが、17世紀に、バロック様式が付け加えられ、リューネブルクの領主であったツェレ大公のための城となったそうです。後になってルネッサンスの原型に戻そうと改修工事が始まったのですが、途中で終わってしまったため、城の両側にある塔は、正面に向かって右がルネッサンス、左がバロックと異なった様式になっています。(左側は修理工事中)
◼お堀に住み付くビィバーの親子連れ
◼壮大な木組みの家並みが大迫力⚫城の敷地を突き抜けると、旧市街の町並みが広がります。
⚫ツェレは第二次世界大戦での被害がなかったため、15世紀以降に建てられた木組みの家が約500軒ほど残っています。
⚫旧市街の中心地には市教会や市庁舎が建ち、歩行者天国となっているメインストリートのツェルナー通りは観光客で賑わっていました。
◼ツェレ市庁舎のそばのマルクト広場付近は、このように朝市が開かれていました。
美しい花屋、根菜類を中心とした野菜、ソーセージやチーズの屋台などなど活気溢れる生活感が楽しめました。
◼どの建物も木枠のデザインが美しく、横木や柱に色鮮やかな装飾が施され、ドイツ語やラテン語で刻まれた文字に紋章、年代、屋号が組み合わされています。
⚫その家が一堂にずらりと建ち並ぶ様子には圧倒されてしまいます。木組みの数々に加えて、凝ったデザインの看板も次から次とぶら下がり、散策も十分楽しめてしまう町並みです。
⚫ツェレの木組みは、特に色使いの美しさ、色の数の豊富さがピカイチ!
その中でも特に色彩が美しいと評判の家が、ポスト通りとルンデ通りの角に建つホッペナーハウスです。◼ツェレで最古の木組みは、ハイリゲンクロイツ通り26番地にあります。緑色の家は、ツェレ旧市街で最古の木組みの家です。
⬛ハノーファー(乗り換え、途中下車)
🔹ハノーファー駅🔹中央駅前から延びるバーンホーフ通り
🔹宮殿のように美しいルネッサンス様式の市庁舎
🔹マルクト教会
🔹🔸🔹🔸🔹🔸🔹🔸🔹🔸🔹🔸🔹
⬛ミュージカル観賞
ハーメルンでは「笛吹き男」は、「ネズミ捕り男」と呼ばれています。
物語の舞台となった13世紀末は、下水道もなく不衛生であったためネズミ捕りという職業があり、また道化師でもあったそうです。マルクト広場近くに17世紀に建てられた「結婚式の家」の前の野外ステージで、16:30からミュージカルが約40分間上演され、観賞しました。市民劇と同じく無料で観ることができ、ねずみ捕り男の物語のミュージカルです。テンポが素晴らしくて、飽きる暇は全くなくあっという間に感じます。
愉快なねずみ達の姿に豪快に笑えたり、劇団女優さんの澄んだ歌声が心に響いて、こども達が連れて行かれてしまったことに想いを馳せると涙がこみあげてきたりします。
◼夕食🌃🍴「ネズミ捕り男の家」。この美しい建物は、今ではハーメルンで最も有名なレストランになっています。
看板が目を引きます。
店の名物の「ネズミのしっぽ料理」は、前日に予約が必要とのこと。あきらめて別メニューを注文する。ローストポークポテト、インゲン添え・オニオンスープ、ビール
店内にもネズミ男に関連する置物などが置かれている・・
◼建物の右横の通りは、子どもたちが連れ去られた「舞楽禁制通り」と名付けられた小径です。今でもこの道を通るときは、音楽を奏でたり踊ったりすることは禁止され、たとえお祭りの日でも結婚式の日でも、人々はこの通りを通るときは静かに歩きます。
13日目(6/6)火曜日☀⛅
◼朝食☕🍞◼みやげ人気の乾パン製のネズミ
◼ヴェーザー川クルーズ(1時間)
◼昼🍴
◼結婚式の家の仕掛け時計(10分間)
ネズミ捕り男と子供たちの人形が現れ、最後に現れる松葉杖の少年と盲目の女の子の二人は、他の子供たちから遅れをとってしまったので街に留まったとされています。◼マルクト教会
旧市街にある教会で、結婚式の家の隣にあります。1200年以前に建設され、その後一時無くなっていましたが再建されてロマネスク様式とゴシック様式が組み合わされた教会となり、内部にネズミ捕り男のステンドグラスが飾られています。展望台からの眺めは素晴らしい。
◼ハーメルンは1284年に子供たちが忽然と失踪した事件にもとずいた『 ハーメルンの笛吹き男』の伝説で知られる町で、町中ネズミグッズのお土産品であふれています。
◼ネズミ捕り男の人形が立つ博物館の入口
15日目(6/8)小雨
今日は肌寒く、霧雨の不順な天気になりました。
◼朝食☕🍞◼移動:🚃ハーメルン(08:20発)➡ハノーファー(09:20)➡ハンブルク(10:35着)
■ハンブルク中央駅
⬛『ハンブルク』
古くから貿易の重要拠点として栄えてきた自由ハンザ都市ハンブルク。
エルベ川支流に広がる河川港の風景は、日本の港町とは少し違っていて独特です。
Sバーンにて◼魚市場フィッシュマルクト(休み)
◼Uボート◼「市庁舎 」
⚫19世紀末に建てられたネオ・ルネッサンス式の建物です。⚫高さ112mの尖塔を中央に構えた宮殿のような造りで、部屋数が647室もあるそうでイギリスのバッキンガム宮殿より多いのが地元の人達の誇りだそうです。
◼「聖ミヒャエル教会」
⚫132mもの高さを誇る尖塔が素晴らしく、17世紀に作られたバロック様式の建物です。長旅を終えた船乗り達の目印だったそうです。⚫展望台から市街を望む
◼「倉庫街」
⚫100年以上の歴史を誇る世界最大規模の倉庫街です。⚫「アルスター湖の夜景」
アルスター湖からは夜になるとロマンチックな夜景を見ることができます
◼🏨宿泊ホテル「セントロ ホテル ハンブルク」2連泊しました。
ハンブルク中央駅の向かいに位置するホテルで、公共交通機関との接続が良好なロケーションにあります。外観、客室・・・
16日目(6/9)金曜日☀⛅
◼早朝の「アルスター湖」散歩◼朝食☕🍞
◼Hamburg(0904)↔Lubeck(09:48) ハンブルク中央駅からリューベック中央駅までは直通電車で45分かかります。
◼「リーベック中央駅」
⬛ハンブルクから北東に約50km。バルト海に面した港町がリューベックです。13~17世紀の頃には、海産物の取引やリューネブルク産の塩の積み出し港として繁栄し、14世紀の半ばには、北ドイツの自由都市が手を組み合ったハンザ同盟の盟主となり、「ハンザ同盟の女王」「バルト海の女王」と呼ばれたそうです。◼「ホルステン門」リューベック中央駅から中心地までは徒歩10分ほど。リューベックの旅のスタートがホルステン門です。
⚫15世紀の造られたこの門はユーロ導入以前の旧50ドイツマルク紙幣の図柄にも採用されています。
⚫門を中心につくられた要塞が旧市街を取り囲んでおり、中世独自の町設計を今でも見ることができます。
◼塩倉庫
門を通り抜けると運河街を見渡すことができます。古い建物は16世紀以降に当時の貴重な貿易商品であった塩を保管する倉庫であったと言われています。◼リューベックの裏路地(人形劇博物館通り)
■聖ペトリ教会
ホルステイン門を入ってすぐ右手に目に入ってくる尖塔が、聖ペトリ教会です。14世紀に建てられた教会で、エレベーターで上がることができます。教会の塔へはエレベーターで昇ることができ、塔の上からはリューベックの美しい街並みを展望しました。
◼マルクト広場前のリューベックの市庁舎が建っています。
⚫リューベック特有の黒レンガ造りの建物です。牛の血と塩を溶かした液体につけてから焼くという作業を何度も繰り返し光沢を出したのです。13世紀に建てられた部分も残されています。
⚫白いファサードを持つ建物の壁が2箇所、くりぬかれている。これはバルト海からの強風を通すための風穴です。
◼バッハゆかりのマリエン教会
⚫2本の尖塔がとても印象的な、北ドイツで最も美しくかつ巨大なレンガ造りのゴシック式教会です。⚫第二次世界大戦中には空襲で破壊され、その後教会は復元されたが、割れた鐘は地面に落ちたそのままの状態で保存され、戦争の悲惨さを現代へ伝えています。
⚫マリエン教会には、8512本のパイプを持つ世界最大級のパイプオルガンがあります。オルガンの音色に バッハも酔いしびれたというマリエン教会で、幸運にも世界最大級のパイプオルガンの演奏を聴くことができました。
◼昼☀🍴レストラン「船員組合の家」由緒ある館の中で、北ドイツの美味しい料理を味わいたいなら、ここ。もともと船乗りの同業者組合の家を利用したレストランで、中の感じは当時の趣いが残っている。天井や壁には紋章や帆船の模型がある。
注文した料理は、バルト海の魚料理(カレイ唐揚げ)・サラダ
17日目(6/10)土曜日☀
■朝食☕🍞■午前中、ホテルに荷物の保管を依頼して、ハンブルク市内見納め散策してきました。
⚫アルスター湖遊覧船乗り場⚫白鳥の寝姿
⚫水鳥の親鳥は卵を温めたり巣を補強したりと、 これから生まれる雛達の為に準備に余念がない
◼天を突くハンブルク市庁舎
◼ペトリ教会(123m)ハンブルクで一番古い教会です。
■ハンブルク中央駅からU番でハンブルク空港へ
空港内にて昼食事🍴
■ハンブルク空港✈40分遅れです。
(発16:45)➡デュッセルドルフ空港(着17:20)1時間足らずのフライトでも軽食が提供されました。
■全日空ANAにて
デュッセルドルフ✈(発20:05)➡「成田行き」に搭乗。ツアー客は見当たりません。
⚫飲物サービスの缶ビール⚫🍴✈機内食は、ビーフと野菜カレー(私)
白身魚と海老の唐揚げ &野菜の飴揚げ(妻)
カチカチのアイス
就寝😵💤⤵😵💤⤵
18日目(6/11)日曜日
▽「🍴✈機内食」
到着約2時間前に提供された機内食は「鮭のポン酢粥」
成田着13:51(所要11時間30分)成田の気温は22℃、☁
リムジンバス(14:50)にて自宅へ。
▽相模大野ステスクの寿司店へ直行
😋🍴💕日本食が食べたかった!美味い!(🍞パンとハム、チーズ…もう飽きた…)
」ドイツ旅行を終えて
移民の背景を持つ住民が全人口の19%を占め、現在も難民政策で大揺れのドイツ国内。出発前にはイギリスのコンサート会場で発生した自爆テロで多くの犠牲者が出るなどテロの危険性がある中での旅でした。
しかし、旅行中は特にトラブルに巻き込まれることなく、ツアーではなかなか行くことが出来ない小さな田舎の街まで鉄道で足を伸ばし・・中世の面影が残る街並みや古城、歴史・文化・芸術に触れるたびに心踊り、感動し、地域ごとに異なるドイツの魅力に出会えました。
ミュンヘンのビアーホールでの接客態度に不愉快な思いをしたが、そのこと以外は人々が優しく、親切に地理案内をしてくれた。料理、特にビールは、おいしく毎日いただいた。
移民の影響か?駅周辺にたむろする一部の路上生活者の姿が目についた。路上や駅でのタバコの吸い殻の投げ捨ては常態化しており、ポイ捨ては当たり前の光景のようだ。また、超肥満体の多くの人を見かけた、食事も日本人の二倍の量をペロリと食べている。肥るのも当然と思うが・・
南ドイツ・ミュンヘンをスタートして北ドイツ・ハンブルクまで長い鉄道旅でしたが、幸いにもトラブルなく、毎日よく歩き、楽しく過ごすことができました。\(^^)/
















2017.2.17(金)天気::曇り
🔷✈0:15発の夜便にて出発!!
羽田⏩(カタール航空813便)ドーハ経由⏩モロッコ(カサブランカ)へ。(Dohaまで所要約12時間10分)飛行機旅での楽しみの一つが「機内食」、機内でしか食べられない特別感がありますが、深夜2時の夕食は、眠気を堪えながら食べました。
カタール航空ではエコノミークラスでも金属製のカトラリーが提供されていました。
夕食の種類は、昆布巻きとニシン入り春雨サラダ、メバルとエビの焼き物、柚子ソース掛け、野菜の煮物、青海苔入り御飯、ざる蕎麦、小豆のムースケーキでした。いずれも美味しく食べました。飲み物はビール(ハイネケン)をいただきました。※すべての食事はイスラームの戒律に則って調理されているとのこと。
腹ごしらえして睡眠体勢・・・・ウトウト睡眠。座席のスペースが狭くて窮屈です。フライト中に小腹がすいたらギャレーに行くと、ポテトチップスやチョコ、ドリンクなどが用意されており、各自がセルフで取っていきます。ドーハ到着2時間前の朝食です。(☕🍞🌄)。フルーツ、チェダーチーズ入りオムレツ、イチゴと桃のクレープ(バニラソース)、フルーツヨーグルト・・・・
最後のコーヒーで締めくくりです。
🔷ドーハ・ハマド空港(乗り継ぎ)到着は現地時間午前07:15、1時間30分遅れの到着です。
乗り継ぎ予定のモロッコ・カサブランカ行きは既にフライト済み・・・・ああ無情!再びドーハの悲劇です。まる1日スケジュールが潰れてしまった。空港内を散策、キャラクターの大きな黄色の熊を発見、名前は「テッド」と言うらしい。(空港職員説明)
次発のフライトまでドーハ空港近くのホテルで約16時間待機となる。
そのため、ビザの発効手続き終了まで空港内で足止めとなる。
午前10時に空港からホテル迎えのマイクロバスに乗り、約30分走ると待機ホテルに到着となる。
大通りに面した12階建の中流ホテルです。
部屋でシャワーを浴び、仮眠をとったり、ホテルレストランで昼食&夕食を食べる。勿論カタール航空会社負担です。
ホテルの窓から見えるドーハの高層ビル群の展望(スコール後で曇ってます。)
🔲カタール航空御用達の「Horizon Manor hotel」は、ドーハ市内中心部の象徴的なイスラム美術館の通り向かいに位置し、ペルシア湾の崖道沿いの素晴らしい景色とウェスト・ベイの活気に満ちた街並みを望めます。
🔲プールがあるホテル屋上から見たドーハ市内の風景です。🔲午後6時30分ホテルレストランにて、夕食タイムです。昼食を食べ過ぎたので控えめに。
🔲ナツメ茶を試飲する。チョッとクセのある味です。
🔲午後10時にホテルからマイクロバスで空港へ。空港にて搭乗手続き、夜間につきスムーズに進みます。
- 2017年2月18日(土)天気:曇り
🔲23:45搭乗開始、ゲートからバスで飛行機駐機場所まで移動、royal air maroc(AT217便)に搭乗しました。
0:55予定通りモロッコ・カサブランカへ向けてフライトしました。離陸後の午前2時過ぎに機内食が運ばれてきました。再び深夜の食事が・・・豚になってしまいそうです。
お酒を禁じるイスラームの国の飛行機でも、アルコールの提供がありました。缶ビール2本(スペシャル)を飲んでみたが、マズイ!マズイ!
今は機内でスマホの充電が出来るので助かります。カサブランカ到着の1時間前にも軽食が運ばれてきました。立て続けに食べると胃腸を壊してしまう。
所要8時間のフライトで2月18日午前6時00分(現地時間)カサブランカのムハンマド5世空に到着です。
サアー旅の始まりと思った矢先、今度は荷物が届いていない。何ということか!また出鼻を挫かれる。11人の荷物類がドーハから送られてきていない。泣きっ面にハチと言おうかドーハの悲劇続きで旅行が半減してしまった。
🚌迎えのバスに乗り替え、モロッコ王国最大の都市「カサブランカ」へ。
モロッコの商業・金融の中心地で、アフリカ有数の世界都市。カサブランカとはスペイン語で「白い家」の意。映画「カサブランカ」などの影響で、ロマンチックな港町というイメージが強いが、現在のカサブランカは近代的なビジネス都市です。高さ200mのミナレットが建つモロッコ最大のモスク[ハッサン2世モスク]へ。建物全体がシンメトリーになっていてとても美しいです。
🔲🚌“青い宝石箱”シャウエンを訪問!
カサブランカを午前10時に出発して高速を走り、シャウエンに向かいます。
車窓は緑一色の風景。牧歌的風景に癒されます。モロッコ北部のリーフ山脈の懐深く、ティシュカ山とメッグ山に挟まれるように佇む人口約4万人の小さな町がシャウエンです。
この2つの山の頂上がヤギの2本の角のように見える為、ベルベル語で「角(つの)」を表す言葉がシャウエンの名の由来だそうです。
街全体の壁やドアが青色に塗られています。ユダヤ教を象徴する神聖な色として家の外壁が青く塗られたのだそう。
街中が青で染め上げられたとても芸術的な街です。青く塗られているのには、虫よけや強い陽射しの照り返しで目を痛めないようにするためとか、青がユダヤ教にとって神聖な色だったという理由など諸説語られています。
門を潜ると両側に土産物屋などが並ぶメインストリートが伸びているが道幅はそれほど広くない。
青色と言ってもすべて同じ青色でなく、深い青色から淡い水色など様々な種類の青色が目に飛び込んできます。
メディナ呼ばれる旧市街では壁だけでなく、階段やドア、道、全てが青く塗られており、見ているだけで心が静まっていきます。
“青い宝石箱”とも呼ばれる通り、家の壁や路地が美しい青色で彩られたシャウエンの旧市街は、まるでおとぎ話の世界に迷い込んだような幻想的な空間です。
色彩いっぱいの雑貨屋
広場に並ぶ店の中でもとりわけカラフルなのは、スパイスやキャンディー、石鹸や雑貨などを取りそろえた土産物屋だ。🐱来てみてわかった。メルヘンな街並には猫も沢山!モロッコはイスラム文化圏だからなのか、猫は自由に町を歩き、住民からとてもかわいがられています。この青の街にはかくれんぼをするかのように猫たちがひょっこりと目の前に現れます。
🚌観光後、フェズへ(所要約4時間) 🏨今宵の宿泊ホテルはタガット(TGHAT FES)です。2 軒のレストランがある 3 つ星のホテルです。共用エリアには無料WiFiがありました。
🍴🏠夕食はホテルのレストランで、チョッと味が合わない。
017年2月20日(日)天気:曇り&小雨
ホテルにて朝食(☕🍞)新市街にある[王宮]
王宮に到着です。王宮は周囲を城壁に囲まれています。一般公開されていないので、内部には入れません。その正門の豪華でカラフルで精巧なタイルのモザイクは、幾何学模様が見事で、さながら万華鏡やモダンアートのようです。🔲フェズの南砦
城壁の中を一望でき、外敵をいち早く撃退できる位置にある砦の跡で、ベルベルのおじさんが柵外で帽子を売っていました。🔲陶器の工房
🔲陶器店にてショッピング
フェズはモロッコいちの陶器の産地、美しい青はフェズブルーと知られている。🔲ミントティー体験
民家を訪問してアラブで盛んに飲まれているミントティーを体験。特に、グラスは、色鮮やかなガラスにイスラームならではの美しいもので、客が訪問するとご主人がミントティーを目の前でいれてくれます。
沸騰したてのお湯を用意
高い位置から泡が立つくらいミントティーグラスに注ぐ。
🔲世界最大級の迷宮都市と言われる「フェズ」のメディナ(旧市街)です。幾何学模様に彫刻されたブー・ジュルード門を入ると約9,400もの通りが縦横無尽に広がり、住人でも時々迷子になるというほど。
「バラック、バラック(どいて、どいて!)」と声をかけながらロバや子馬の背に荷物積んで通る人々の光景は、何だか古き時代にタイムスリップしたように感じる場所です。
食料、衣料、雑貨などあらゆる種類の商店、が延々と続いています。
その古びてはいても活気のある通りでは、昔ながらの人々の生活を垣間見ることが出来ます。
🔲「タンネリ」
なめし職人地区「タンネリ」です。
動物の皮を製品としての革にする作業が行われている場所です。14世紀から続く、昔ながらの手作業の染色方法で皮を染め上げていきます。山羊、羊、牛などの皮が製品化されます。
円形の水槽がいくつも並び、剥がされた羊や牛の革を洗っています。
兎に角〝強烈な臭い〟頭が痛くなりそう・・独特のにおいがとても強いのです。入り口でにおい消しのためミントを渡してくれますが、あんまり意味はないかもしれません。