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ブログ「安心院の里」

退職後は、国内・海外旅行、スポーツクラブ、家庭菜園、登山など自由気ままに我が人生謳歌中です!(健康で元気なうちに・・・)

うかい竹亭でランチ(2012,9,23)

2012年09月23日 14時27分20秒 | その他









高尾山麓の「春光寺」墓地で眠る義父のお墓参りの都度に立ち寄る「うかい竹亭」、天気は朝から雨模様。

先導のお姉さんの案内で、高尾の山並みを借景した広い日本庭園の中を流れる小川に敷かれた飛び石を踏みながら、離れ個室にたどり着く。

その途中には、茶室や越後から移築した永平寺宿坊宿坊などがある。
丹念に手入れが行き届き、打ち水もまた清々しく、どの季節に訪れても、隔世の感がする。

部屋のガラス張り窓からは、灯籠、その奥に小川が流れ、雨降りも風流です。

運ばれてくる料理の一品ごとに説明を受けてから食する。

今回の献立は、秋メニュー「花コース」です。
「前菜」鮭親子和え 子芋田楽 鯖すし 毬栗 柿ゆば和え
「椀」萩豆腐 松茸「造里」タイとシマアジの刺身
「煮物」小蕪 穴子 菊花あん
「強肴」特選和牛 朴葉焼
「進肴」蕎麦盛一口
「飯」 栗御飯 汁 香ノ物
「水菓子」桃のシャーベット

メインは「朴葉焼」で、九州特選牛を秘伝の味噌と共に朴の葉の上で焼くと、味噌が焦げる香ばしい香りが包み、赤身であるのに、口の中でとろけるほど柔らかい。

静寂な流れの中で、ゆっくりとした時間を過ごすことができ、心が洗われた気持ちになった。

江ノ島名物「しらす丼」(2012,9,1 6)

2012年09月16日 17時58分04秒 | その他





「鎌倉」の散策を終え、江ノ電で「鎌倉駅」から「江ノ島駅」へ、久し振りに江ノ島「しらす丼」に挑戦です。

今回は、しらす問屋「 とびっちょ 」にお邪魔して「かんぱち生しらす丼」を注文しました。
歩道に並べた長椅子に約30名が座り、行列をなしており、なんと待つこと約1時間、やっと番号325番を呼ばれました。

まず、ビールで喉を潤します。
値段は味噌汁が付いて、1,470円です。早速、しょう油を入れ、生姜を混ぜながら、まずは生しらすです。
お腹が空いていたせいもあって美味しいです。
かんぱちは、生ビールのツマミです。

しょう油が効いて食が進みます。生のしらす丼は、生姜に醤油を付けて味をしめると最高です。
ご飯もあたたかく醤油と生姜が絶妙です。

妻の誕生祝ランチ(2012,8,19)

2012年08月19日 15時50分25秒 | その他







妻の誕生祝いランチに「横浜うかい亭」に行った。自宅から車で20分、建物は、緑の庭園に囲まれた明治時代のオランダ貿易商の迎賓館を移築したもので歴史と風格を感じさせます。

館内は重厚な日本建築美に壮麗でクラシカルな調度品・美術品が奏でる西洋の趣きを造り出しています 。

待合室で休憩後、二階の部屋に案内され、カウンターに座って料理を待ちます。料理は一品ごと運ばれ舌鼓を打つ。目の前の鉄板で専属セェフが牛肉を焼いてくれる。

ちなみに料理は、ボタン海老のマリネ、スズキのグリエ、スープ、牛ヒレステーキ、バゲットで我々庶民には、贅沢な料理です。

最後は、席を変わってデザート、コーヒーでした。デザートは「小夏のジュレorアーモンド」を注文、アーモンドの香りが濃厚です。

昨年、葉山の日影茶屋で誕生祝をやってから早1年経つ、時の経つのが誠に早い。今回、残念ながら車の運転担当、アルコールなくグレープフルーツジュースで我慢です。

妻誕生祝・葉山日影茶屋(2011.8.15 )

2011年08月15日 16時03分16秒 | その他


妻の誕生祝(?歳)ということで、今回は、夏目漱石などの文豪も訪れた、約350年の歴史を誇る葉山の老舗日本料理・日陰茶屋に出掛けた。新鮮な魚と地元の野菜を使用した懐石料理「茶屋膳」を天井の高い部屋のテーブル席で食した。中庭の松、竹、蓮などの美しさも見どころです。目と舌の両方を楽しませる趣向を凝らした料理の連続です。海から心地よい風が吹き、店内は落ち着いた雰囲気で静かな空気の流れる居心地の良い空間でした。料理はどれも実においしかったし接客もよく、よい記念になった。

東日本巨大地震発生(2011.3/11)

2011年03月12日 08時36分06秒 | その他

午後2時46分、宮城県北部で発生した大地震【M8.8・大きさ世界で5番目】の影響で立川・ビル9Fの職場は長い大揺れ、余震が続く、社員その都度、机下に避難。階段の壁が一部崩落、交通機関全線不通で帰宅難民となる。非常食支給ブルボン缶入りカンパン・栗五目ご飯など支給され職場待機で夜を明かす。未曾有の被害、亡くなった方のご冥福を祈る。

家族新年食事会2011-1-2

2011年01月02日 19時46分28秒 | その他

正月の恒例行事となった新宿南口・ホテルセンチュリーサザンタワー19階の和食「ほり川」での家族新年会。元気な84歳の義母、二男、私達夫婦の4人(長男夫婦、孫は岩手県へ)。今年の「健康・よい年」を祈念、ビールで乾杯。高層ホテル窓から見る新宿の夜景が宝石のように光り輝いている。その中に浮かび上がっている我が社の代々木タワーを間近に見ながら舌鼓を打つお正月料理の味は、また格別である。

〓変貌する我が街・相模大野

2010年10月14日 08時22分23秒 | その他
S54.4月に港区・麻布十番から相模大野(旧上鶴間)に移り住んで約31年になる。当時の相模大野駅は、古い木造2階建ての駅舎、1階はスーパー・小田急OX、バスターミナルは北口のみで雨降りは、泥んこ状態。駅周辺は、のどかな街の風景が見られた。米軍医療センターが返還されてから駅周辺の整備が進み、数多くのマンションが建ち並ぶようになって街の様子が一変した。今や当時の面影は、ほとんど見られない。平成に入り、伊勢丹、岡田屋、洒落た店が並ぶショッピングストーリー、グリーンホール、コリドール街、ロビーシティなど次々と誕生。更に現在、2年後の竣工をめざし、駅北口の西側地区で再開発事業が急ピッチで進められている。ここに駅前デッキと直結する大型商業施設が造られる。既存の伊勢丹、相模大野ステーションスクエアに次ぐ3つ目の核になる。この施設には幅広い世代の集客出来る食品スーパー、食物販ゾーン、レストラン、スポーツ・カルチャーセンターなどが入店すると言う。移り住んだ当時に比べ飛躍的に発展している。我
が街・相模大野は益々魅力的な街へと変貌するだろう。自宅前も、社宅が取り壊され、新たに9棟の新築住宅が建て、間もなく完成、入居が始まる。その昔、この地域の田園に鶴が舞い降り「上鶴間」の地名が付けられたという。転入当時、盆踊り、子供の遊び場であった近くの「鶴の原」という公園も今や住宅が建ち、面影もない。当時が懐かしく感じる昨今である。(H22.10/14撮影・西側地区再開発事業風景)

我が家のハロウィン(10/13)

2010年10月13日 10時28分16秒 | その他



                                   
10月に入ると、我が家は「ハロウィン祭」の準備を始める。玄関先にいろんなパンプキングッズを飾り付けて、祭りを迎える。毎年、続けられている恒例行事の一つである。今年もシンボルの大小10個のかぼちゃディスプレイを飾り付けた。夜になると一晩中、ハロウィン・イルミネーションに変化する。月末には、近くの商店街で「ハロウィン・フェスティバル」や公園で「かぼちゃ祭り」のイベントが開かれる。間もなく街はハロウィンで賑やかになるだろう。