東アジア歴史文化研究会

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日本人はいつ日本が好きになったのか(竹田恒泰氏)

2015-12-20 | 日本の素晴らしい文化

「左寄り」が日本社会の基準点

選挙の前後に、安倍氏待望の空気について「右傾化」という言葉がよく用いられた。これに対抗して、民主党は、自らを「中道」「中庸」などと表現し、自民党と差別化を図ろうとした。だが、安倍氏の立ち位置は果たして「右寄り」で、それを支持する空気は「右傾化」したものなのだろうか。

本来、安倍氏の立ち位置こそ「中道」「中庸」と呼ぶべきだと私は思う。領土を防衛し、若者が日本人としての誇りを持てるような教育を施し、金融緩和によって経済を梃入れして「日本を取り戻す」ことは、全て普通の国なら当たり前のことばかりであり、「右寄り」の政策ではないはずだ。

ではなぜ、そのような立ち位置が「右寄り」といわれるのだろうか。それは、世の中全体が「左傾化」しているため、ど真ん中のことを言うと「右寄り」に聞こえることが原因であろう。保守政策の数々は、決して「右寄り」などではない。もし安倍路線が「右寄り」なら、世界の国々は皆、「極右」になってしまう。

ところで、今時の若者は、自分は右でも左でもない「ノンポリ」もしくは「無党派」と思っている人が多いようだ。だが、実際はそのように思っている人は「左寄り」であることが多い。テレビやラジオの世界では「『やや左寄り』の立場をとっていれば間違いがない」とよくいわれる。「左寄り」の教科書で勉強し、「左寄り」の放送に慣れ親しんでいれば自覚せずとも「左寄り」の思想になるはずだ。「左寄り」こそが日本社会の基準点となっているのである。

しかし、平成21年ごろまでは、しきりに「日本社会は左傾化している」と指摘されていたのを覚えているだろうか。それは民主党が政権を取ったことと関係がある。民主党は旧社会党の左派が党内で力を持っていたため、自ずと「左寄り」の政治が行なわれていた。外国人参政権、夫婦別姓、そして人権擁護などの法案が議論され、防衛面でも中国を刺激しないことを重視した運用がされ、北欧化がもてはやされる風潮とも重なった。

左傾化は日本だけではなく米国でも進行していた。オバマ政権が成立すると、オバマ大統領は国民皆保険の導入を目指すなど、これまでの市場重視の自由主義型経済(右派)から、政府介入重視の北欧型もしくは社会主義型経済(左派)に移行させる政策が取られてきた。2012年の大統領選挙では、まさに経済的価値観を自由主義と社会主義のどちらに置くかが争われ、僅差でオバマ氏が再選を果たした。どちらかが圧勝すれば米国の行く末も決まったであろうが、僅差であったため、結局どちらの道を歩むか、決着に至らなかったと見てよいだろう。

ここで、右と左の思想について整理をしておきたい。「右寄り」「左寄り」などと表現すると、街宣やデモの活動に身を投じる右翼と左翼をイメージする人が多いかもしれない。しかし、ここでいう「右寄り」とは保守主義、「左寄り」とは革新主義のことで、政治的価値観の軸足を置く場所がいずれに寄っているかを問題にしている。保守主義は伝統・文化・権威を重んじる考え方で「右翼思想」に近い。また革新主義はそれらを重視せず、合理性を追求して物事を革新させていく考え方で「左翼思想」に近い。

一方で、経済的価値観も右と左に分類される。つまり、経済右派は市場重視の自由主義型経済を是とし、経済左派は政府介入重視の社会主義型経済を肯定する。そこで、政治的価値観を縦軸、経済的価値観を横軸にして、大きく4分類する考え方がよく用いられている。これをポリティカル・コンパスと言う。日本では保守と経済右派、また革新と経済左派の相性がよく、4分類上では「保守右派」「革新左派」と呼ばれている。また、「保守左派」や「革新右派」も十分に存在し得る。ちなみに私は完全な保守主義かつ、やや経済左派の位置に立っている。

このように、政治的価値観と経済的価値観は2つの独立した価値観であるが、それぞれについて論じると混乱するので、本書で「右寄り」「左寄り」というのは、政治的価値観についてのことだと理解していただきたい。

戦後日本においては、価値観が左右に振れることはなく、「左寄り」の革新思想が深く根を張っていた。この構造が変化し始めたのが平成12年ごろで、その後、震災と外患と民主党政権を経験して、一気に価値観が保守思想に転換したものと思われる。さりとて、いまだに日本の社会は全体的に左に傾いている。しかし、ようやく「日本が好き」と言える空気が作られてきたと感じるのは私だけではないはずだ。

祖国を誇りに思うのは自然なこと

戦後、「国」は悪いものの代名詞として使われてきたが、国を愛する気持ちは高まる一方である。また、大震災の影響か、国のために生きることが「かっこ悪い」から「かっこいい」に変化しているように思える。震災後に自衛隊の志願者が急増したことからもうなずける。

学校の授業で将来の夢を発表する生徒が「お国のために生きます」とでも言おうものなら、教員は国民主権などを持ち出して「お前はお前のために生きろ」などと指導したことだろう。「IT会社社長になって金持ちになります」という生徒にはエールを送ってきたはずだ。本来、学校は「私」よりも「公」の大切さを教え、世のため人のために生きることの尊さを伝える使命を持つはずである。もしかすると学校は、自由・平等の教育を通して、子どもに個人主義を植え付ける機関になっていなかったか。この流れが震災後、確実に変わってきていると思うのだ。

そのことを肌で感じたのは、平成23年12月23日に皇居で行なわれた天皇誕生日の一般参賀に参加したときのことだった。震災後最初の一般参賀で、しかも天皇陛下が長期間のご入院から退院あそばした直後だっただけに、大勢の参加を予想していたものの、私は参加者のなかの若者の比率がかなり高かったことに驚いた。私自身、数年ぶりの一般参賀だったが、以前は高齢者中心だった。ところがそのときは、明らかに若者中心だったのである。若い人が戦後初めて皇室に興味を持った結果だと思った。

震災後間もなく天皇陛下が国民に発せられた御言葉や、被災地を頻繁にご訪問になる両陛下の御姿は、天皇と国民の絆そのものを見る貴重な機会になったのではなかろうか。テレビ越しであっても両陛下の真撃なお姿は、多くの若者たちの気持ちを動かしたに違いない。教科書では「象徴」とだけ説明される天皇について、理屈を超えたものを感じた若者は多かったはずである。

変化はそれだけではない。書店の品揃えはその時代の世相を敏感に反映しているといわれるが、震災前と後では、明らかに並ぶ本の種類が変わった。それまでは日本を罵倒する本ばかり売られていたが、震災後はそれとは正反対に、日本の可能性や底力、そして魅力などを伝える本が山積みになり、いまだにその傾向は続いている。

震災と外患と民主党政権を経験することによって、日本人は戦後初めて日本に興味を持ち始めたようだ。いまや日本人として生まれてきたことに誇りを感じ、日本という国が存在することに感謝の気持ちを抱く人が増えているように思える。

これまで私たちは、国を愛したり好きになったりしてはいけないという教育を受けてきた。たしかに社会にはそのような空気が蔓延し、少しでも国を肯定しようものなら、軍国主義と罵られ、袋叩きにされる暗黒の時代を過ごしてきたのである。祝日に国旗が掲揚されないのもその表れであろう。日本国内にある国旗で、いちばん数が多いのはイタリアの国旗で、2番目がフランス、そしでようやく3番目に日本の国旗だというのだから、驚くほかない。

自分の生まれ育った国を誇りに思って大切にすることは、人としての自然な反応であり、むしろそうするのが自然なことではないか。日本人にとって日本は祖国であるから、特別な国であってよいはずだ。そう、私たちは日本を好きになってもよいのである。これからは誰もが胸を張って「日本が好き」と言える時代になると信じている。

《PHP新書『日本人はいつ日本が好きになったのか』より》

竹田恒泰(たけだ・つねやす)昭和50年(1975)旧皇族・竹田家に生まれる。明治天皇の玄孫にあたる。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。専門は憲法学・史学。作家。平成18年(2006)に著書『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)で第15回山本七平賞を受賞。平成20年(2008)に論文「天皇は本当に主権者から象徴に転落したのか?」で第2回「真の近現代史観」懸賞論文・最優秀藤誠志賞を受賞。
他の著書に『旧皇族が語る天皇の日本史』『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』『日本人はなぜ日本のことを知らないのか』(以上、PHP新書)、『現代語古事記』(学研パブリッシング)など多数。

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