「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」11月24日(月曜日)
エルドアン以後、トルコのイスラム回帰が本格化している
全土80以上の大学にモスクを新設、イスラム教育を制度化へ
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トルコの「脱西欧、入イスラム」が進んでいる。全土80以上の大学構内にモスクを建設し、イスラム教育を制度化すると発表したのだ。
「ゆえに」と書けば、たいそう短絡的と捉えられるかもしれないが、エルドアン大統領は欧米のメディアからぼろくそに批判されてきた。独裁者だとか、時代錯誤だとか。この文脈からはプーチンと同列である。トルコのイスラム回帰が本格化すれば「近代トルコ建国の父」といわれたケマル・アタチェルク以来のイスラム世俗化路線を大幅に軌道修正することを意味する。これまでトルコはNATO,OECDの一員でもあり、自らを「ヨーロッパの国」と認識してきた。それがイスラムの国に戻るのだ。
欧米のエルドアン批判によって、従来のトルコの西側へのアプローチを逆回転させたことになり、欧米のロシア制裁がプーチンをして中国に向かわせてしまったことと同じ危険性を孕んでいる。
トルコは英国、露西亜との戦争に敗れ、オスマントルコ帝国は音立てて瓦解し、版図は縮小されて、いまのアナトリア半島に縮こまり、冷戦中は西側に与してNATOの一員として多大な貢献ぶりを発揮した。トルコ軍は中東諸国の中では精鋭の兵隊を誇り、イラク軍やシリア正規軍や民兵やクルド民兵より強い。地中海に面したトルコ第三の都市イズミールにはNATO海軍基地も置かれている。欧州企業は、このエキゾティックな港町に多数が進出している。
冷戦崩壊以後のトルコは、積極的にEU参加を表明し、またユーロ加盟を申請していた。たがEU加盟はまだ未決定の上、ユーロは結局の所、昔の「神聖ローマ帝国」の版図をそのまま引き継ぐかのように、キリスト教圏だけをメンバーとして、イスラム圏を加えようとはしなかった。トルコははじかれたのだ。
心理戦としてはフランスなどが「トルコのアルメニア虐殺」を言いつのったため、欧州の主要国家との政治宣伝上の対立が先鋭化した。トルコ側によれば、「戦争の最中、移動中の事故」があったことは認めるが意図的なアルメニア人虐殺はない、とする立場を貫き、この西側との歴史解釈を巡る齟齬は感情的対立として尾を引くかたちとなった。見えない心理戦である。
トルコはその替わりユーロ危機とは無縁で、むしろ「ユーロに入れなかった恩恵で」という口実が生まれた。というのも欧米企業は通貨安のトルコへ工場進出を加速化させたため、経済成長著しく、経済的な発展を遂げた。トルコからの出稼ぎがおおいドイツはトルコと経済的絆がもっとも強い。
他方、トルコはイスラエル軍と深い関係を結び、イスラエル空軍から訓練をうけるほどの関係だったが、これも米国の後ろ盾があった。米国がトルコと距離を置きだしたのはエジプトの政変である。トルコは「ムスリム同胞団」を支援していたが、軍はクーデターでイスラム原理主義政権を転覆させ、米国も渋々シシ政権と関係改善を図った。
▼トルコが抱える二つのアポリア(難題)
トルコと欧米との関係は表面的にうまく行っているはずだった。しかし最近とみに雲行きが怪しくなった原因は第一にシリア情勢である。昨今はISILの暴虐な浸透ぶり、産油国の警戒と米国への猜疑心が拡大してゆき、国内に難題を抱え込んだ。シリアからトルコへの難民は数十万に膨れあがった。この難民の群れにイラクを追われた人々が加わる。トルコ政府は人道的見地に立って百万近い難民の救援に当たっている。
第二はクルド族の独立問題である。世界に散らばったクルド族は1500万人以上で、アナトリア半島に東側、イラク、シリア、アルメニア、グルジア、イランにまたがる宏大な山岳地帯にクルド族が暮らしているが、ISILのイラク北部占拠以後、クルドへの援助を欧米が再開し、公然とクルドの独立を容認する発言が続く。トルコはクルド族自治区の住民投票を容認する姿勢に転換している(大統領選挙中、エルドアンは公約した)。
トルコはチュルク民族の最初の国家「突厥」の成立(552年)をもって国の成り立ちとしており、また近代化の父ケマル・アタチェルクを顕彰する日は祝日である。それほどイスラムの世俗主義に徹して、経済発展に邁進してきたので一人あたりのGDPは10000ドルを超えている。
また政治的には5%ルールのドイツより厳しく「10%ルール」を適用させているため、選挙で10%に達しない少数政党(とくにイスラム原理主義、イスラム諸派)は議席を獲得できない。まして政治の背後に巨大な軍の存在がある。エジプトでも、イラクでもそうだったように軍は近代化路線を志向し、極端な宗教色を嫌う。
▼トルコが「勇志連合」への参加に消極的なわけ
複雑な状況を踏まえて見れば、なぜトルコが米英欧主導の「勇志連合」に対して最初の段階では参加を見送ったか。
米国は9月7日に空爆を決め、直後にヘーゲル国防長官はトルコに参加を呼びかけた。またISILの新規加入者がシリアへ潜入するルートはトルコであり、このルート壊滅も要請した。空爆は10月中旬から開始された。
10月のトルコ議会は渋々「勇志連合」への参加を決めたが、クルド軍兵士の領内通過を容認しただけで、空軍基地の提供はためらったまま、また地上軍の派遣を実行していない。欧米のやり方に懐疑的なトルコは、いざ参加しても途中で梯子を外される危険性を十二分に感知しているからだ。それゆえにトルコ全土80以上の大学構内に2015年度中にモスクを新設するというトルコの方針転換は、イスラム回帰の嚆矢となるのか、大いに注目されてしかるべきだろう。
エルドアン以後、トルコのイスラム回帰が本格化している
全土80以上の大学にモスクを新設、イスラム教育を制度化へ
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トルコの「脱西欧、入イスラム」が進んでいる。全土80以上の大学構内にモスクを建設し、イスラム教育を制度化すると発表したのだ。
「ゆえに」と書けば、たいそう短絡的と捉えられるかもしれないが、エルドアン大統領は欧米のメディアからぼろくそに批判されてきた。独裁者だとか、時代錯誤だとか。この文脈からはプーチンと同列である。トルコのイスラム回帰が本格化すれば「近代トルコ建国の父」といわれたケマル・アタチェルク以来のイスラム世俗化路線を大幅に軌道修正することを意味する。これまでトルコはNATO,OECDの一員でもあり、自らを「ヨーロッパの国」と認識してきた。それがイスラムの国に戻るのだ。
欧米のエルドアン批判によって、従来のトルコの西側へのアプローチを逆回転させたことになり、欧米のロシア制裁がプーチンをして中国に向かわせてしまったことと同じ危険性を孕んでいる。
トルコは英国、露西亜との戦争に敗れ、オスマントルコ帝国は音立てて瓦解し、版図は縮小されて、いまのアナトリア半島に縮こまり、冷戦中は西側に与してNATOの一員として多大な貢献ぶりを発揮した。トルコ軍は中東諸国の中では精鋭の兵隊を誇り、イラク軍やシリア正規軍や民兵やクルド民兵より強い。地中海に面したトルコ第三の都市イズミールにはNATO海軍基地も置かれている。欧州企業は、このエキゾティックな港町に多数が進出している。
冷戦崩壊以後のトルコは、積極的にEU参加を表明し、またユーロ加盟を申請していた。たがEU加盟はまだ未決定の上、ユーロは結局の所、昔の「神聖ローマ帝国」の版図をそのまま引き継ぐかのように、キリスト教圏だけをメンバーとして、イスラム圏を加えようとはしなかった。トルコははじかれたのだ。
心理戦としてはフランスなどが「トルコのアルメニア虐殺」を言いつのったため、欧州の主要国家との政治宣伝上の対立が先鋭化した。トルコ側によれば、「戦争の最中、移動中の事故」があったことは認めるが意図的なアルメニア人虐殺はない、とする立場を貫き、この西側との歴史解釈を巡る齟齬は感情的対立として尾を引くかたちとなった。見えない心理戦である。
トルコはその替わりユーロ危機とは無縁で、むしろ「ユーロに入れなかった恩恵で」という口実が生まれた。というのも欧米企業は通貨安のトルコへ工場進出を加速化させたため、経済成長著しく、経済的な発展を遂げた。トルコからの出稼ぎがおおいドイツはトルコと経済的絆がもっとも強い。
他方、トルコはイスラエル軍と深い関係を結び、イスラエル空軍から訓練をうけるほどの関係だったが、これも米国の後ろ盾があった。米国がトルコと距離を置きだしたのはエジプトの政変である。トルコは「ムスリム同胞団」を支援していたが、軍はクーデターでイスラム原理主義政権を転覆させ、米国も渋々シシ政権と関係改善を図った。
▼トルコが抱える二つのアポリア(難題)
トルコと欧米との関係は表面的にうまく行っているはずだった。しかし最近とみに雲行きが怪しくなった原因は第一にシリア情勢である。昨今はISILの暴虐な浸透ぶり、産油国の警戒と米国への猜疑心が拡大してゆき、国内に難題を抱え込んだ。シリアからトルコへの難民は数十万に膨れあがった。この難民の群れにイラクを追われた人々が加わる。トルコ政府は人道的見地に立って百万近い難民の救援に当たっている。
第二はクルド族の独立問題である。世界に散らばったクルド族は1500万人以上で、アナトリア半島に東側、イラク、シリア、アルメニア、グルジア、イランにまたがる宏大な山岳地帯にクルド族が暮らしているが、ISILのイラク北部占拠以後、クルドへの援助を欧米が再開し、公然とクルドの独立を容認する発言が続く。トルコはクルド族自治区の住民投票を容認する姿勢に転換している(大統領選挙中、エルドアンは公約した)。
トルコはチュルク民族の最初の国家「突厥」の成立(552年)をもって国の成り立ちとしており、また近代化の父ケマル・アタチェルクを顕彰する日は祝日である。それほどイスラムの世俗主義に徹して、経済発展に邁進してきたので一人あたりのGDPは10000ドルを超えている。
また政治的には5%ルールのドイツより厳しく「10%ルール」を適用させているため、選挙で10%に達しない少数政党(とくにイスラム原理主義、イスラム諸派)は議席を獲得できない。まして政治の背後に巨大な軍の存在がある。エジプトでも、イラクでもそうだったように軍は近代化路線を志向し、極端な宗教色を嫌う。
▼トルコが「勇志連合」への参加に消極的なわけ
複雑な状況を踏まえて見れば、なぜトルコが米英欧主導の「勇志連合」に対して最初の段階では参加を見送ったか。
米国は9月7日に空爆を決め、直後にヘーゲル国防長官はトルコに参加を呼びかけた。またISILの新規加入者がシリアへ潜入するルートはトルコであり、このルート壊滅も要請した。空爆は10月中旬から開始された。
10月のトルコ議会は渋々「勇志連合」への参加を決めたが、クルド軍兵士の領内通過を容認しただけで、空軍基地の提供はためらったまま、また地上軍の派遣を実行していない。欧米のやり方に懐疑的なトルコは、いざ参加しても途中で梯子を外される危険性を十二分に感知しているからだ。それゆえにトルコ全土80以上の大学構内に2015年度中にモスクを新設するというトルコの方針転換は、イスラム回帰の嚆矢となるのか、大いに注目されてしかるべきだろう。
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