東アジア歴史文化研究会

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ミャンマーでスーチー人気が急落?!

2014-11-26 | アジア情勢
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」11月26日

あのスーチー贔屓だったTIMEが同女史批判に転じた
少数民族への顧慮が薄いうえ、最近は人権問題も強く言及せず
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アウンサン・スーチーはミャンマーで一番有名な女性政治家。なにしろ建国の父としていまも尊敬されるアウンサン将軍の娘。しかもノーベル平和賞受賞。欧米マスコミが軍事政権時代に『民主化の旗手』として派手も持ち上げた。

意外や意外。あのスーチー贔屓だった全米一の週刊誌『TIME』(2014年12月1日号)が「スーチーはミャンマー国民から浮き上がっており人気急落中」という実相を報じた。

スーチーの選挙地盤はイワラジ河のデルタ地帯。だが選挙区には殆ど帰らずヤンゴンの瀟洒な邸宅暮らし、国会でも殆ど発言をしなくなった。国会のあるネピドーは下院議長であるチューラ・シャウィ・マン(退役大将)の地盤である。

この新首都は森の中、はてしなく宏大な台地に建設され、付近には国防省、文化省などすべての省庁が森と森に囲まれた、森群の中に作られている。ミャンマー国会は世界一宏大な面積だという。つまり官庁街は隣のビルへ行くにもクルマで十分ほどかかる。ネピドーには20もの幹線道路が敷かれているが、交通量は滅法すくなく、ホテルも殆どがリゾート形式である。

先々週のアセアン首脳会議は、このネピドーで開催され、オバマ大統領の安倍首相も、インドのモディ首相も豪のアボット首相、そして中国は李克強首相、韓国は朴大統領が勢揃いした。

スーチーはミャンマー憲法によって大統領への立候補が禁止されている。外国人の配偶者をもつ者は大統領にはなれないという厳格な規定があり、国会での改正議論は為されない。国会議員の四分の一はエリート軍人である。

スーチーの死んだ夫は英国人(それも情報員だった)。ふたりの息子は英国籍である。したがってティンセイン大統領の後継は、ネピドーが地盤のチュラ・シャウィ・マン下院議長が有力視されている。ティンセイン政権は民主化をすすめ、外国からの投資を誘致し、経済成長が急速に上昇し始めて、報道出版の自由が認められた。とはいえ人口五千万に対して異常に多い35万人の軍隊をかかえ、山岳地帯と雲南省との国境周辺ではゲリラ戦争がつづき、少数民族の武装派は休戦に応じない。とくにカチン、シャン、モン各部族は強桿である。

▼山岳ゲリラの猖獗とビルマ人嫌いは千年以上つづく民族対立が原因

西部のロヒンギャ周辺は英国植民地時代に英国がミャンマーを分割統治するためにバングラデシュのイスラム教徒を大量に入植させた地域で、ミャンマーの仏教原理主義過激派は、このイスラムの村々を敵視している。ときおり暴動が発生し、夥しいムスリムが犠牲になった。現在も14万人が難民キャンプで暮らしている。

カチン、カレンなどの少数山岳民族も英国の分割統治の影響でキリスト教であり、バプチスト教会が多いが、かれらは共通してビルマ人を憎んでいる。(イギリス統治時代の政策)

スーチーは外国メディアとのインタビューを断り続け、また欧米の人権監視団体との面接も避けている。それというのもカチン族、シャン族の間にはスーチーへの不信感が拡大しており「ミャンマーはビルマ人だけのものではない。少数民族は合計で四割の人口があるというのに、彼女はビルマ人にした目を向けていない」という。

山岳ゲリラの猖獗とビルマ人嫌いは千年以上つづく民族対立が原因で、早期に解決する方法がない。しかも少数民族は武装しており、国境一帯はクンサン時代から、あるいは国共内戦の影響で共産党にやられた国民党残党らが入り込み、以後、麻薬の栽培地、密輸ルートでもある。

くわえて彼女の選挙地盤イラワジ河デルタでは、土地の投機がおこり不動産が三倍に跳ね上がって、スーチーは無力と批判がビルマ族の間にも広がってしまった。ミャンマーの意外な側面が明らかにされた。

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