東アジア歴史文化研究会

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森公章著『地方豪族の世界 (古代日本をつくった30人)』(筑摩撰書) 歴史に埋もれていた地方豪族はいかなる活躍をしたのか 出雲、吉備、尾張の豪族たちはヤマト王権を凌ぐ勢いがあった

2023-11-23 | 日本の歴史

大和朝廷史観では地方の有力豪族たちは主人公ではないから記述がないか、あるいはホンの数行。大和朝廷を影でささえた地方豪族はその存在さえあまり知られていない。近畿いがいにも巨大な古墳は全国各地に散在しており、それが地方豪族のそこしれぬパワーを証明している。

日本の歴史開闢以来、日本各地に有力な豪族がいた。出雲しかり、高志しかり。ヤマト王権を脅かすか、もしくは対等な力をもったのが尾張氏、筑紫、吉備、上野毛氏、また帰化人集団がいた。神武天皇の軍事部門をおさえた佐伯、大伴、物部氏らが、この豪族たちと闘うか、威武作戦に従事した。

日本書紀は八世紀に成立した大和朝廷史観を基本としているから、出雲は国を譲り、ヤマトタケルは熊襲を討ち、高志は応神天皇が禊ぎをして地元の神と名前を交換し、連携したことにされた。 吉備は星川王子の乱を雄略天皇が抑え、筑紫君磐井は継体天皇が滅ぼした。

つまりは雄略天皇が強敵吉備の上道氏と下道氏をしたがえて、はじめて「大王」となったのである。『天皇』の称号は史書でみるかぎり、推古天皇が最初である。

つまり神統譜から豪族譜、そして皇統譜となる。

神武からハツクニシラスミマキ(崇神天皇)までは明らかに近畿に盤踞した豪族である。崇神天皇が、中央集権を目指して四将軍を各地に派遣したが、征服したわけではなく、ヤマトタケルも各地でたたかったものの中央集権国家が確立されたわけではない。

関東と九州の遺跡から「ワカタケル」に従うとする刀剣が発見され、はじめてワカタケルこと雄略天皇が、ヤマト王権から大和朝廷への雄渾な政略をすすめたことが分かるのである。

吉備は瀬戸内海の交通の要衝であり、塩を産し、鉄をつくった。強国である。神武東征では備前高島宮に三年を過ごしたとあり、もしそうであれば、神武との連携が成立した筈である。吉備の上道氏も下道氏も強豪を鳴らし、倭の前方後円墳に匹敵する古墳を残した。その政治力がわかる。

尾張氏は壬申の乱で結果的に天武天皇側についたので飛躍する。その勢力の面影が段夫山古墳である。この古墳は熱田神宮に近い。

尾張宿彌大隅の名は日本書紀に僅か、続日本紀にも記述があるが、この大隅が一万の兵隊を率いて拠点の美濃から大海人皇子に加勢し、不破関で合流した。壬申の乱で大海人皇子の勝利を決定づけた最大の功労者のひとり、この功績が特記されている。

旧倭では大伴不負が獅子奮迅の活躍をした。近江朝は王友王子の母が采女であり、皇統の純血を重視した西国の豪族は味方しなかった。

天武天皇は実権をを握ると、中央集権国家の建設をはっきりと意識し、和同開珎の造幣を決め、古事記・日本書紀の編纂を発企し、その在位中はシナとの交流を絶った。

さて本書に選ばれた豪族三十人のうち越前から二人の名があるが、加賀、能登、越中、越後の豪族に関しての記述がないのが残念。 北陸の各地に遺跡が残り。


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