kintyre's Diary 新館

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映画『七つまでは神のうち』を観て

2011-09-13 22:37:00 | 映画・邦画

11-59.七つまでは神のうち
■配給:S・D・P
■製作年・国:2011年、日本
■上映時間:82分
■鑑賞日:9月3日、シアターN渋谷(渋谷)
■入場料:1,800円

□監督・脚本・原作:三宅隆太
□撮影監督:長野泰隆
□編集:村上雅樹
□音響効果:小山秀雄
□音楽:遠藤浩二
◆日南響子(和泉繭)
◆霧島れいか(遠藤真奈)
◆松澤一之(和泉浩三)
◆飛鳥凛(西川麗奈)
◆藤本七海(岸本薫)
◆竹井亮介(遠藤誠)
◆宝積有香(カウンセラー)
◆駒木根隆介(ロケバス運転手)
【この映画について】
ミステリアスな複数の失踪事件を軸に、人間の奥底でうごめく深い哀しみを強烈なビジョンと巧みなプロットで描きだす、傑作サスペンス・スリラーが誕生した!
監督は三宅隆太。脚本家・スクリプトドクターとしても幅広い作品を手掛ける俊英。近年は数多くのメディアに登場し、その鋭い分析力から「心理ホラーの理論家」として高い評価と人気を得ている。そんな“ポスト黒沢清”の呼び声も高い注目の次世代クリエイターが、神秘的な映像美とストーリーテリングの魅惑にあふれた究極の一本を全力で放った。
ヒロインの繭役には、日南響子。これが映画デビューにして初主演となる彼女は、“テン年代の大型新人”として期待を集める逸材。真奈役には、『ノルウェイの森』のレイコ役も記憶に新しい、実力派女優の霧島れいか。さらに『ひぐらしのなく頃に』などで知られる飛鳥凛。『カンフーくん』のヒロインを務めた藤本七海。『SR サイタマノラッパー』の主演で話題を呼んだ駒木根隆介など、フレッシュなキャスト陣を、世界が注目するゴアアクション映画のコアスタッフ陣(特殊造形:西村映造/VFX:鹿角剛司)が支える。
(この項、gooより転載しました)
【ストーリー&感想】(ネタバレあり)
荒涼とした丘。赤ん坊を連れた1人の母親の姿が見える。彼女の口からは童謡『とうりゃんせ』のメロディが聞こえていた……。とある教会。虚ろな表情の繭は、学校にも行けず、すがるような思いで神に祈る日々を過ごしていた。10年前のとある事件をきっかけに、心を深く閉ざしてしまったのだ。
そんなある日、彼女は教会の帰り道に不審なワゴン車を目撃。車内には、憔悴しきった1人の少女が拘束されていた。驚いた繭は、父とともに走り去るワゴン車を追跡する。やがて山道から森の奥深く進むうち、父は何者かに殺害され、繭も忽然と姿を消してしまう……。閑静な住宅街のとある家庭。信心深い主婦の真奈は、繰り返し見る悪夢に苛まれていた。それは、7歳の一人娘さくらを神隠しで失うという不吉なもの。やがて悪夢は的中。ある晴れた午後、さくらは出かけたきり、二度と戻ってこなかった。ショックのあまり、精神の均衡を失ってゆく真奈。そして、ついには真奈自身も姿を消してしまう。

これらの失踪事件の一方、運命の糸が互いに共振するように不穏な動きが少女たちの身辺に起きていた。ホラー映画の撮影中、新人女優の麗奈はスタッフの誘いを逃れ、帰り道にロケ現場である廃校近くの森に足を踏み入れる。さらに、親戚の家で不気味な日本人形に恐怖を感じた薫も、いつしか同じ森に導かれていた。すべてのカギを握るのは、10年前に発生した少女失踪事件。いったい、あの森で何が起きているのか?やがて、彼女たちを繋ぐ因果関係が明らかになった時、そこにはあまりに不条理で沈痛な運命の皮肉と、激しすぎる情念に彩られた人間模様が浮かび上がってくる……。

単館公開系作品やホラー系作品等マニアックな作品を上映することで有名なシアターN渋谷(かつて「ユーロスペース」があった場所)で観ました。上映初日では無かったものの、三宅監督が来場していたようで、上映前の予告編の時間を割いて5分程来場者に向かってあいさつを監督自身が行った。
そんなこと予想していなかったので私も含めて来場者は驚いたと思います。5分間程の間に、この映画の撮影秘話?みたいな話等をしていただいてから上映開始。終了後、三宅監督(脚本も担当)がロビーにまだ残っていたので、購入したプログラムにサインしてもらいました。監督、やはり観客の反応とか表情が気になるのでしょうかね?初日でも無いのに来場するなんて珍しいことですからね。

順番が逆になりましたが、まあ、予告編を観た時はホラー・サスペンス映画系かな?ってことで、大きな期待は寄せずに観にいき、結果的に、ホラー・サスペンスの「ホラー」の部分は薄く、サスペンス+復讐劇と言ったところかな?
10年前の娘の失踪事件の真相が後半に明かされるのですが「ナ~ンダ、そういう事か?」って思っちゃいますが、苛められていた娘の「無念」さを娘の両親が最後は晴らした形ですが、実は、それは娘の死の真相を知って絶望して自殺した両親の霊が、当事者の3人へ復讐したのであった。
この3人、さくらの両親に狙われ無残な最期を遂げるのであるから被害者なのですが、両親からすれば、さくらを苛めていた当事者であり行方不明になったとき一緒にいたことで「加害者」とみなされたことで殺されます。その追い詰められ方からホラー的な部分もあり、繭を追いかけるのは誰?ってな部分からはミステリー的でもあり、また、このジャンルにおける日本映画独特の精神的にも追い詰める(または追い詰められる)ことで恐怖心を煽ってもいる。

予算の問題なのか、それとも脚本兼監督の三宅氏の才能なのか分からないが、冒頭で失踪者のデータを示したり「とうりゃんせ」が不気味な雰囲気を醸した出したりと、全体的に暗いトーンの映像は良かったのだが、肝心のストーリー展開に更にインパクトの強さや奥深さが感じられなかった。
「とおりゃんせ」を出したのなら、神隠し的な要素を前面に出せば面白くなっただろうけど、「さくらの死の真相」が開示されるとちょっとガッカリした。「とおりゃんせ」で始まり、例えば、周辺でも神隠し的な事件があったとか、それを想起させる出来事とかを挿入すれば、もっとドキドキした。そういう点を当日三宅監督にいえば良かったかな?


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