先週の 夫の命日に姉が来てくれて
その後我が家の娘たちと一緒に久しぶりに
居酒屋に行って来ました。
夫の命日に 居酒屋に‥どうかと思いますが
夫の写真を入れた ロケットをつけ
行きました。
きっと 夫も 彼が元気だった頃にはなかった店なので
「なかなかいいじゃ~」と、思ったはず。
食べながら話していると つい 姉と昔話になった。
子供の頃の話に。
娘たちは ちょっと興味ありげに聞いていた。
それは 宿題の話。
夏休みの宿題のことだけど
(前に この話は載せたことがある)
「日本地図に、山の高さに応じて色分けしたのを
お父ちゃんが作ったよね。
私のときは三番目なので、お姉ちゃんのを
持っていけといったよ。」
「そんなのいやじゃ~、というと しぶしぶ3作目を作ったよ」
と私が言うと、姉が
「あれは 自分がやりたかったんよ」といい、
私が知らなかった話を聞かせてくれた。
「○○(兄の名)が2年くらいの時、作文を
お父ちゃんが書いて なんかの賞を
もらったことがあったんよ」と。
兄が2年ということは 姉は3年 私は保育所
知らなかったな~。
東京であった事件の容疑者の家庭で
親が宿題や感想文を手伝っていたと
テレビの番組で言っていた。
我が家も似ている。
しかし、時代が違うからか、我が家の
きょうだいは 今
「お父ちゃんも ようやったね~」と笑って話せる。
地図の時は“父親作”でしたが
卵の殻でモザイク調に絵を描く宿題のとき
作りかけたのを置いていたら
母が仕上げていたと 姉が言っていました(笑)。