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犬猫と日向ぼっこ

ミックス犬と二匹の猫と一緒に送る毎日の記録と庭の草花の栽培日記。また、旅行先での記録などを綴る。

アメリカの学生

2006-06-29 16:18:12 | 思い出
梅雨の中休みらしい。晴れるのはありがたいがあつーい

午前中は美容院に行って、寒いくらい冷房が効いたところにいたので

うちに帰って暑さ倍増という感じ。


この間、30年以上愛用している「今日の料理」の昔のもの

を見ていて、「鶏から上げのねぎソースかけ」というページが目に

入った。最近はものぐさになりご無沙汰している献立。

うえの娘が高校の時、2か月くらい友達とモルモン教の教会てある

英会話教室にいっていた。モルモン教はユタ州に本部があり、昔流行った

オズモンドブラザーズやケント・デりカットも信者というくらい

しか知らなかった。

英会話は布教に派遣されている、娘とほぼ同年代の若者が

教えてくれていた。

何回か我が家にやってきたので、夕ご飯をご馳走した。

その時 この鶏のから揚げねぎソースかけ を出した。

どのような生活をしているのか、何を食べているのかなどと

興味があったのであれこれ聞いた。

いつも自転車で行動し、暑くてもきちんとネクタイをして

日本の若者にはない礼儀正しさだった。驚いたのは

日本に来て数ヶ月なのに、かなり日本語が話せた事。

布教という事で日本に来ているので(信者さんからの浄財で)

食事も自炊で、質素に生活していると言っていた。

親子丼 カレーなどは作っていると話してくれた。

からあげ‥をあまり食べないので、どうしてかと聞くと

日本に来て、胃が小さくなったといっていた。

モルモン教のことをあれこれ言う人もいるが、我が家にきた

彼らは礼儀正しい若者だった。

どうしてるかなー。



中学生の頃読んだ本から

2006-06-20 14:53:45 | 思い出
お店にあるぶんどう豆のサヤも最近売っているのは

かさかさしている。乾いたように。

豆ご飯の季節もそろそろ終わりになった。

まだ出始めのみずみずしいサヤの時、それも豆だけとって

捨てるのがもったいないくらい立派な莢の時、私はいつも

思い出すことがある。

中学生の夏休みに読んだ「アンネの日記」を。

その文中に、グリンピースの皮をむいて豆を出すだけでなく

さやの薄皮をむいて食べると言う話を。

40年前のことなので、本当にこの本だったか自信がなかった

ので、図書館で本を借りて探してみた。

1944年7月8日の日記にグリンピースの莢の内側の薄皮を

きれいにむくとビタミンもあるし、美味しく食べられる。

そして、量が三倍になる、と確かにあった。

日記は、1944年8月1日で終わっている。

久しぶりに手にした本、中学生の時とは違って大人になった

自分にはよりいっそう、つらいものでした。

ブログを見てくれる友人が、昔の事をよく覚えているねと

いってくれる。

時々、パッとランプがつくように昔の記憶がよみがえる事がある。

食べ物に関することが多いのですが‥。


ハエ取り瓶

2006-06-16 15:57:56 | 思い出
今日は晴れたのは嬉しいが暑い。

我が家のごみ処理機「コンポスト」に、この暑さで小ばえが増えてきたので

買い物のついでに薬局で、○○○と言うハンコが要る薬を買う。

去年 これをコンポストの中にぶら下げておいたら、かなり発生を

抑えられた。コンポストの中のごみ処理も、こまめにしなければ

ふたを開けたとたん 「ひらけーごま」と言うようにハエが飛び出て

恐い事になる。

最近はごみのことを考えて 貝 牡蠣(殻つき) カニ スイカ

等は控えている。スイカは核家族が多くなったせいもあるだろうが

丸ごとはあまり売っていない。代わりに昔のぜいたく品 メロンが

並んでいる。

コンポストのお邪魔もんのハエは、衛生状態がよくなったからか

昔ほど家の中にはいない。子供の頃は、結構 種類豊富だった。

昔、勤め先の休憩時間に、「ハエ取りビン」の話で盛り上がった事がある。

魚屋に行ったら置いてあった、あの水が入ったビン。

今は、その魚屋もなくなったが。

私の年代のものは、自慢げに若い人に教えていた。「知らんじゃろー」と。

そして、話は“ロバパン”、リヤカーで売りに来る“わらびもち”等に

広がっていき、休憩時間はあっという間に過ぎた。

面白しろいメンバーだった。


カレーライス その2

2006-06-14 13:40:25 | 思い出
パソコン教室が午後あるので、昼前にカレーを作ることにする。

折角だからと我が家のジャガイモをまた少し掘って使った。

最近は、鳥の手羽先肉を使ったカレーを作っている。

歌手の香田晋が修行時代に下宿先の先生の家で作っていたのを

テレビで放送していたので、まねして。

カレーには“牛の角切り”というパターンで作ってきたが、最近は

あれこれ変えてみる。

そして、時々一人で食べるときは、チンしてできるカレーも試してみる。

カップラーメンもこのインスタントカレーも少し前までほとんど

食べたことがなかったのだけど。

娘がアメリカに半年間留学したとき、半分ご飯半分カレーの

インスタント製品を何回か お菓子と一緒に送ってやった。

帰ってから感想を聞くと、「送ってもらったものは貴重な食品だったので

大切に食べたよ」と言っていた。

留学していたところはサンバーナーディノという町で、ロスアンゼルスの

近くだった。

ホストファミリーに時々、中華のお店につれてってもらっていたらしいが

家で食べていたカレーなんかは、時々食べたくなったという。

私も食べてみて昔のインスタント製品と比べおいしくなっているんだなあ

と思った。

夫が入院中、食事が取れない夫の前で私が食事をする訳にはいかないので

時々、病院の食堂で このレンジで チンするだけのカレーを食べていた。

ちょっと、食べてくるねといって部屋を出ていたが帰ってきたとき

服についた匂いでカレーを食べたことは分かっていただろう。

最後の三ヶ月は ほとんど食べ物も取れず点滴だけで‥‥。

つらい毎日だった。



豆ご飯のおにぎり

2006-06-11 10:43:02 | 思い出
このところ、思い出話ばかりだけど今日も一つ‥‥。

幼い頃、家の前におばあちゃんと息子夫婦の三人暮らしの家があった。

息子といってもうちの父よりかなり年上で、子供がいなかったので

私たちをとても可愛がってくれた。しかし、私はきょうだいの中で

一番下なのでかすかな記憶しかない。

おじさんに続いておばさんが、おばあちゃんを残してなくなった。

おばあちゃんには、他にも息子さん一人と娘さんが三人いた。

しかし、もう一人の息子さんは満州で家族と一緒に亡くなったという

話だった。優秀な人で将来を期待されていたらしいが。

おばあちゃんはそれから亡くなるまで、近所に嫁いだ娘さんの世話に

なりながら一人で過ごした。日中は一人で過ごし、夕方になっておばさんが

泊まりに来るという毎日だった。

私と兄はそのおばさんが来るまで、うちで夕ご飯と風呂を済ませた後

おばあちゃんの話し相手に毎日行った。

私たちが退屈しないよう、おばあちゃんのうちでは近所の中でも比較的早く

テレビを買ってくれた(我が家にはまだない頃)。

プロレスの放送があったりした日は近所の人が沢山見に来て、

おばあちゃんは嬉しそうだった。

私が、日中遊びに行った時おなかがすいたと言うと、

まだ、元気だった頃のおばあちゃんは炊いてあった豆ご飯で

おにぎりを作ってくれたりした。

毎日、夕方からおばあちゃんの話し相手をする生活は

5年くらい続いた。殆ど毎日行った。

私が小学校5年の今頃、おばあちゃんはなくなった。

あれから40年以上たった。おばあちゃんのお世話をしていた

おばさんも亡くなり、今は墓守をする人もいなくなった。

時々 お参りに行くが、墓誌を見るとおばあちゃんは80才前で

亡くなっていた。子供だったからすごく長生きと思っていたが

今その墓誌を見ると、そんなに年じゃなかったんだと思う。

豆ご飯を食べる時は、おばあちゃんにつくってもらった

少し塩がきいたおむすびを思い出す。