【京都・左京区】亀山天皇が鎌倉時代の文永元年(1264)、生母大宮院の御所として離宮・禅林寺殿を造営したのが起源。 亀山天皇は正応二年に出家して法皇となり、正応四年(1291)、深く帰依していた東福寺の無関普門禅師(大明国師)を迎え龍安山禅林禅寺としたのが南禅寺の起こり。
開山に迎えられた80歳の無関禅師はその年の12月に遷化されたため、翌年の正応五年に第2世として規庵祖圓禅師(南院国師)が選任され、南院国師は伽藍の整備を進め、瑞龍山太平興国南禅禅寺の勅額を賜って南禅寺と改名。
約380年前に建立された豪壮な三門が静かに迎えてくれたが、とにかく迫力があり、上層を支える太い列中が力強く感じた。 山門をくぐって緩やかな坂道を真っすぐ進むと法堂に....幾度かの火災に遭っているため古い建物は少ないが、700年余の歴史をひしひしと感じ圧倒される。
法堂拝観後、方丈ではなく古刹の風景に溶け込んでいるレンガ造りの水路閣に向かった。
総門
勅使門....寛永18年(1641)明正天皇より拝領した御所「日の御門」
勅使門
荘厳な構えの三門....五間三戸の重門で高さ22m
現在の三門は寛永5年(1628)、大坂夏の陣に倒れた戦没者を弔うため藤堂高虎が再建
京都三大門の一つ(他は知恩院三門、東本願寺御影堂門)で別名「天下竜門」と言われる
上層には釈迦如来、十六羅漢像、藤堂家歴代の位牌などが安置されている
山門の天井画の天人と鳳凰の図は狩野探幽筆による
法堂....応仁の乱後の建立で、慶長11年(1606)に豊臣秀頼により改築
法堂
法堂は明治28年(1895)にこたつの火の不始末で焼失、明治42年(1909)再建
法堂内部の中央に鎮座する釈迦三尊(釈迦如来像・文殊菩薩・普賢菩薩)
法堂の南側面..紅葉の時期が美しいらしい