何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

善慧院(明暗寺) (京都)

2011年09月30日 | 寺社巡り-京都

【京都・東山区】院号を善慧院という東福寺の塔頭であるが、明暗寺は日本の普化宗の開祖・虚竹(寄竹)了円禅師により創建されたとあり、善慧院としての由緒や縁起が分からない。 かつて、京都に、善慧院から出た覚心上人の弟子・明普が開いた普化宗の明暗寺が存在し、普化宗は経を詠む代わりに尺八を吹いて悟りの境地に入るという禅宗の一派とされる宗派。
普化宗は江戸時代に全盛期を迎え、虚無僧という集団を抱えて江戸幕府に接近し、隠密として全国に散って幕府を陰から支えたと言われるが、明治政府によって廃宗に....。
その後、明暗寺教会が設立され戦後に宗教法人として認められたが、宗派と呼べるほどの規模はなく、善慧院に間借りして普化宗本山で尺八根本道場としている。

東福寺塔頭である善慧院だが、山門には「善慧院」と「明暗寺 尺八根本道場」の表札が掛けられ、しかも「明暗寺」の方が大きくて目立つのだ。 また、門前の石碑にも「明暗寺」と刻まれており、まるで善慧院が明暗寺に乗っ取られつつあるような感じに思えた。
この寺院は一体どうなっているのだと混乱しながらも、とにかく、山門をくぐって境内に入ると、直ぐ左手に「吹禅」と刻まれた大きな石碑が....流石に尺八根本道場であることを感じさせる。
調べると、「吹禅」とは座禅の姿勢で尺八を吹きながら悟りの境地に入ることらしい。
境内参道の奥に本堂が建ち、右手には石灯籠2基と石碑が立つ白緑色に苔生した小さな庭が....なんだか、いまにも庭の奥から深編笠を被った虚無僧が尺八を吹きながら現れるような錯覚に....。

閑静な門前

山門....善慧院と明暗寺の表札が掛る

山門から眺めた境内

「吹禅」と刻まれた大きな石碑
 
境内参道....参道奥は本堂か?

本堂?
 
庫裡
 
何の碑だったか失念          境内の参道脇に立つ石灯籠

境内の苔むした庭
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岩窟不動尊 (鎌倉)

2011年09月28日 | 史跡探訪-日本編

【神奈川県・鎌倉市】鎌倉時代に編纂された歴史書「吾妻鏡」の「文治4年(1188)正月大一日丁酉の条」に「窟堂」と書かれていることから、平安末期に岩窟(やぐら)の中のお堂に不動明王が祀られたようだ。 そのために岩窟不動尊の名で呼ばれているが、数年前、やぐらが崩落の危険があるため、不動明王像はやぐらから御堂に移され、元々岩窟の中にあった五輪塔や宝篋印塔、庚申塔も外に出され参道に並べられた。
雪ノ下の道脇に立つ「岩窟不動尊」の標札が掛る柱に気が付づいて覗くと、「和風らーめん」の幟と「おいしい珈琲をどうぞ」の看板があり、そこは小さな茶屋の敷地内の裏庭だ。
裏庭の奥に岩窟不動尊が祀られているお堂が建つが、私有地ということで少し躊躇したが、勝手に参道を進んで参拝した。
参道の左手の壁側には、小さな五輪塔、宝篋印塔そして庚申塔群が整然と鎮座しているが、庚申塔には寛政、宝暦などの銘が刻まれており江戸時代中期のものだ。
  
小さな茶屋の敷地内の奥に鎮座する岩窟不動尊....切り立った崖の下に御堂がある
 
岩窟不動尊....小さな御堂内に鎮座する石造不動明王像
 
御堂脇にも不動明王像が立つ....岩窟の中から出された小さな五輪塔と宝篋印塔群

文化12年・寛政5年・宝暦9年の銘がある庚申塔群....神様・猿田彦大神も鎮座
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荏柄天神社 (鎌倉)

2011年09月27日 | 寺社巡り-神奈川

【神奈川・鎌倉市】平安時代の長治元年(1104)の創建と伝わる鎌倉でも古い神社で、その昔は荏柄山天満宮とも称された。 学業の神様・菅原道真を祀る日本三大天神の一つ(他の2つは福岡県の大宰府天満宮、京都府の北野天満宮)に数えられている古来の名社。
治承四年(1180)、鎌倉幕府を開いた源頼朝は、荏柄天神社を幕府の鬼門の守護神として仰ぎ、以後、幕府の尊社として篤く崇敬された。 本殿は、室町時代初期建立の鶴岡八幡宮の旧若宮社殿を江戸時代に移築した歴史あるもので、鎌倉期の建築様式の木材を残している鎌倉最古の木造建築。
また、拝殿は、関東大震災後の復旧工事の折、鶴岡八幡宮の仮殿を移築したもの。

参道を覆うかのように立つ古木の下を進んで朱色の明神鳥居に....両側に提灯が並ぶ石段を見上げると荏柄天神社の神紋の入った提灯が下がった門が見える。
正面に入母屋造りの拝殿が建ち、拝殿の正面両側に沢山の絵馬が....多分、学業成就を願ったものが多いと思うが、流石に学問の神様・菅原道真を祀る神社だ。 本殿は室町時代初期建立の建物を移築した歴史ある建物だが、拝殿を含めていずれも明るい朱塗りに古さを感じさせない。
境内社として熊野権現社があり、やぐらの中に祠がひっそりと鎮座、また、筆形の絵筆塚がある。
 
古木に覆われた参道の先に明神鳥居がある  石段の上に提灯が下がる門が....
 
社紋の入った提灯が下がる門       門から眺めた拝殿

入母屋造りの拝殿....鶴岡八幡八幡宮の仮殿を移築したもの
  
たくさんの絵馬が掛る拝殿     拝殿の右手奥に神輿庫がある    拝殿前に御神籤が....

拝殿(右)と本殿(左)....本殿は鎌倉期の建築様式と木材を残している

本殿は室町時代初期建立の歴史ある建物
 
神輿庫                                 立派な神輿
 
手水舎                  手水舎越しに眺めた拝殿
 
境内社の熊野権現社....やぐらの中に祠がひっそりと鎮座
  
筆形の絵筆塚            古い石灯籠               拝殿の脇に鎮座するお社
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大泉寺 (三浦)

2011年09月26日 | 寺社巡り-神奈川

【神奈川・三浦市】室町時代の応仁元年(1467)、日泉上人を開山として創建された、日蓮宗の寺院。
門の右側に、江戸時代の寛政五年(1793)に建立の「南無妙法蓮華経」と刻まれた供養塔(題目塔)が....当時の住職・日静上人の代に開かれた寺小屋の弟子たちが亡き日静上人を顕彰して建てた。

門前から境内を眺めると、正面奥に濃い緑の木々を背景にした宝形造銅板葺の小さな本堂が見える。 法事でも行われているのか、境内には数台の車が駐車していて、なんとなく落ち着かない雰囲気だ。
両側に植えられている蘇鉄を眺めながら参道を進み、本堂前に....向拝の両側の回廊がガラス張りになっていて光が反射し、あまり荘厳さが感じられない。 門近くに約200年前に建立された題目塔があるが、拝観を失念した。

門柱前から眺めた境内....参道の左右に蘇鉄の木がある
 
宝形造銅板葺葺の本堂....向拝の左右は回廊と思うが、ガラス張りで光が反射している
 
本堂近景....「天王山」の扁額が掛る向拝

墓石の脇に鎮座する石碑や石仏
 
風化が激しいが江戸期のものと思う/右の塔らしきものは何かな?
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真福寺 (三浦)

2011年09月25日 | 寺社巡り-神奈川
              
【三浦・白石町】調べたが創建や縁起など分からず....宗派は浄土真宗本願寺派。

石段を上って少し古そうな棟門に着く....正面奥に入母屋造銅板葺(と思われる)の本堂が建つが、まだ建立間もない鉄筋コンクリート製のようだ。
向拝部分は大きく極めて質素な造りだが、虹梁の上の龍の彫り物が古そうで歴史あるお寺では....と感じた。
境内には特に目を引くものはなく、隅に4体の石仏が鎮座していた。
 
山門への石段....ちょうど庭師の方が境内に入っていった

境内から眺めた棟門

山門から眺めた本堂....鉄筋コンクリート製か

入母屋造り銅板葺きとみられる本堂
 
境内隅に鎮座する石仏        本堂近景

向拝の虹梁の上の彫り物

本堂の裏手から見た本堂全景
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廣化寺-(2) (中国)

2011年09月24日 | 史跡探訪-中国編

【中国・福建省・莆田市】宋代の廣化寺は興隆を極め、10の寺院と120の仏堂があって約1000人の僧が修行していた。 廣化寺のシンボルともいえる釈迦文佛石塔は、宋乾道元年(1165)の建立で、五層八角の楼閣式で高さは約36メートル。 また、天王殿前の両側に立つ陀羅尼石憧は釈迦文佛塔より古く、今から約950年前の宋治平二年(1065)に立てられたもの、更には、日光菩薩塔と月光菩薩塔の2つの宝篋印塔など歴史を感じる遺構がある。

荘厳さが漂う大雄宝殿

大雄宝殿
  
大雄宝殿前の線香炉/釈迦如来(中央),薬師如来(左),阿弥陀如来(右)が鎮座/大雄宝殿に下がるケン稚

大雄宝殿の横に下がっている魚鼓

伽藍殿

祖師殿....浄土宗祖慧遠祖師が祀られている
 
仕切り門をくぐって手前左の石段の上の観音閣へ....
 
緑に包まれている観音閣       観音閣石段下の放生池に立つ観音像

観音閣
  
石段下の線香炉越しに眺める観音閣  高さ約7m,重さ8トンの観音像..一本の堅い花梨木で造られている

観音閣の境内に横に聳える確か榕樹の老木
 
奥に護心亭が立つ
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廣化寺-(1) (中国)

2011年09月23日 | 史跡探訪-中国編

【中国・福建省・莆田市】南朝陳永定二年(558)創建で、莆田の南約3キロメートルにある鳳凰山(通称「南山」)の山麓に位置する。 約1450年の長い歴史を有す著名な閩の千年古刹で、福建四大仏教寺院(福州の鼓山寺、厦門の南普陀寺、泉州の開化寺)の一つ。
南山の傾斜地を利用して建立されたお寺で、海抜25メートルから63メートルに至る全長385メートルに堂宇が建っている。 元々儒学者の鄭露三兄弟が草庵を結び、その後、金仙禅師の仏陀の教えに帰依した三兄弟はここを金仙庵(金仙院)としたのが前身で、隋開皇九年(598)に金仙寺に改名された。 その後、宋太平興国元年(976)に宋太宗皇帝が「廣化寺」の額を贈って廣化寺と改名した。

大きな三解脱門

三十七道品....意味が分からないが「修道的重要資糧」とある
 
〇(口辺に亭)哈殿(入三摩地)
 
月光菩薩塔              日光菩薩塔、奥は〇(口辺に亭)哈殿
 
山門から眺めた釈迦文佛塔....宋乾道元年(1165)の建立

放生池に架かる石橋の奥にある天王殿
  
放生池の両側に建つ鐘楼(左)と鼓楼(右)....両方とも高さ13m

天王殿
 
天王殿前の線香炉           天王殿に鎮座する弥勒菩薩像....両側に守護神四大天王が

陀羅尼石憧越しに眺めた天王殿
  
天王殿前の線香炉と陀羅尼石憧  天王殿前の両側に立つ陀羅尼石憧....宋治平二年(1065)建立
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證菩提寺 (横浜)

2011年09月22日 | 寺社巡り-神奈川

【横浜・栄区】平安時代末期の文治五年(1189)、平泉の藤原氏を滅ぼした源頼朝が、石橋山の戦いで頼朝の身代わりになって25歳で討ち死にした佐奈田(真田)与一義忠の菩提を弔うために創建。
その後、鎌倉幕府3代執権北条泰時の娘・小菅ヶ谷殿が嘉禎二年(1236)に阿弥陀堂を建立し、北条政子の十三回忌供養を行った。 宗派は高野山真言宗で、創建時に祀られた阿弥陀如来像と小菅ヶ谷殿が建立した阿弥陀堂に祀った阿弥陀如来像の2躯が安置。

「五峰山一心院 證菩提寺」と刻まれた石柱が立つ参道入り口から境内に....正面奥に新しい四脚門が立ち、更にその正面奥に堂々たる入母屋造瓦葺の本堂が建つ。 本堂の向拝は大きいがいたってシンプルな造りで、また、小さな梵鐘が下がる回廊には疑宝殊高欄があり、なかなか趣のある建物だ。
本堂裏の高台には鐘楼と両側に石灯籠が立つ石段の上に境内社の琴平神社が建つ....調べると琴平神社は大日堂というらしいが、建物に関する情報が乏しくよく分からない。
 
山門前の参道....参道入口の石柱に「五峰山一心院 證菩提寺」と刻まれている、奥に山門が見える

入母屋造瓦葺の本堂

本堂遠景
 
本堂の周りは全て回廊になっていて、回廊の隅には疑宝殊高欄が....
 
高台に建つ鐘楼

鐘楼近景
 
本堂裏の高台に鎮座する境内社・琴平神社

岡崎義実が建てた「大日堂」と言うらしい、また、岡崎堂とも呼ばれるらしい
 
「琴平神社」の扁額が掛る....意外に凝っている虹梁と木鼻だ

境内の片隅に鎮座する石仏群....寛文,延宝など江戸時代の年号が刻まれている
 
こちらの石仏群には元禄の年号が確認できる

境内にある「四国八十八か所霊場」の入口
 
コの字状の石碑に88寺が刻まれ、中心に地蔵菩薩立像が鎮座している
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光明寺 (横浜)

2011年09月21日 | 寺社巡り-神奈川

【横浜・栄区】上郷の里(六浦街道沿い)に古くからあるお寺で、7世紀創建と伝わる。
京都西本願寺派の末寺で浄土真宗本願寺派、本尊として阿弥陀如来を安置....鎌倉時代にこの地を訪れた親鸞上人の学徳にうたれて天台宗から浄土真宗に改宗。
鎌倉幕府執権・北条時頼の母・松下禅尼が隠居したお寺とも伝えられ、鎌倉幕府滅亡時に火災にあって現在の地に....。

JR大船駅から神奈中バスに乗車し、光明寺停留所で下車すると目と鼻の先にある。
少し奥まった所に質素な構えの山門が建ち、その奥に緑に包まれた本堂の入母屋瓦葺の屋根が少しだけ見える。
境内は濃い緑の木々に覆われ、静寂が漂っていて、狭い参道の脇に親鸞上人像がひっそりと佇む。

山門前バス亭から直ぐの所にある

落ち着いた感じの質素な山門....両側に1軒分の板塀がある
  
緑に包まれた境内への入口の山門....                    参道から眺めた本堂

本堂前の緑に覆われた静かな境内

境内の奥に建つ入母屋造瓦葺の本堂
 
本堂近景....質素な向拝だ....少し大きめの蟇股が見える    参道脇に立つ親鸞聖人像
  
落ち着いた雰囲気の本堂                      新しいお堂で「専念」とある
 
鐘楼と梵鐘

庭に立つ苔むした五輪塔と石灯籠
  
境内で鎮座する石像と石灯籠
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楞伽寶塔 (中国)

2011年09月21日 | 史跡探訪-中国編
              
【中国・福建省・寧徳・福鼎市】約1100年前の唐乾符年間の建立で、七層八角、高さ8.5mの石塔。
国興寺への参道の途中、山麓全体が見渡せる位置ではあるが、太姥山を登る人達には見逃されそうな所にひっそりと立つ。
太姥山を望みながら風雪に耐え、約1100年間この地に立っている石塔、かなり風化が進んだその姿に....ただただ感嘆した。
 
太姥山の山麓にひっそりと立つ楞伽寶塔....約1100年前の唐乾符年間に建造

太姥山を仰ぎ見るように立つ楞伽寶塔

下層部分に「楞伽寶塔」と刻まれている
  
石塔の高さは約8.5mで、山麓全体が見渡せる場所に立つ
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国興寺 (中国)

2011年09月20日 | 史跡探訪-中国編

【中国・福建省・寧徳市・福鼎市】唐乾符四年(877)、唐僖宗欶による創建の太姥山山麓に建つ古刹。
唐玄宗皇帝に認められた寺院でだったが、宋淳佑甲辰年間(1244)の兵火で焼失し廃寺に....。 再興される際、境内から宋代の多くの遺構や遺跡が発見されたが、当時は宋代最大規模の寺院だったようだ。
現在、殆どの伽藍が改築工事中だったが、お寺の人に聞けば、資金不足で工事が止まっているとか....。
大きな大雄宝殿は、屋根の大棟の両端に鴟尾がある立派な3層構造....そして、大雄宝殿前に太い柱が7~8本立っているが、多分ここに天王殿があったと思われる。

太姥山の山麓に佇む国興寺
 
国興寺の全景....堂々たる構えの伽藍               大きな線香炉越しに眺めた大雄宝殿 
 
狛犬越しに眺めた大雄宝殿     手前に数本の柱が立つが多分ここに天王殿があったと思う
 
大棟両端に鴟尾がある立派な三層屋根の壮大な大雄宝殿 かなり年季が入った線香炉 

大雄宝殿の内陣に定印を組んで鎮座する如来像
 
大雄宝殿の内の大きな空間....両側に羅漢像が鎮座している

改築中だが庫裏か?
 
大雄宝殿前の左右に参拝者を睨みつけるように見つめる数体の天像が立つ

太姥山を背景に鎮座する天像

多分唐代の古井戸と思われる....井戸は境内入り口近くに2つある
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霊源院 (京都)

2011年09月19日 | 寺社巡り-京都

【京都・東山区】鎌倉幕府滅亡後の南北朝時代の観応年間(1350頃)、後醍醐天皇の皇子・龍泉和尚により天護庵と号し創建された。
龍泉和尚入寂後の室町時代応永年間(1400頃)、希譲和尚により霊源院と改称された。 由来は不明なれど、戦国の武将・伊達政宗が隻眼で描かれた数少ない肖像画が保存されている。

東福寺塔頭寺院の一つで、山門に通行止めの柵が置かれているので非公開のようだ。
柵から身を乗り出して境内を眺めるが、手入れが行き届いている前庭と大きな屋根の庫裡らしき建物の一部が見えるだけで....残念。 それでも、緩やかな石段の脇や上に数体の小さなお地蔵さんが鎮座していて、何だか、やさしく迎えてくれているような気がした....気のせいか。

山門前

山門から眺めた境内....右手に小さな手水鉢が....
 
手入れが行き届いた庭....そして迎えてくれた小さなお地蔵さんたち

庫裡か?

境内に鎮座するお地蔵さんたち
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同聚院 (京都)

2011年09月18日 | 寺社巡り-京都

【京都・東山区】室町時代の文安元年(1444)、僧・文渓元作が師の東福寺第129世・琴江令薫を開山として招いて創建した、臨済宗の寺院。
この地は、平安時代の延長二年(924)頃に藤原忠平が建立した法性寺の境内で、寛弘三年(1006)に菅原道長が40歳の誕生祝いで造営した五大堂の遺跡。 五大堂に安置されていた平安時代作の5大明王像(中尊の不動明王・東に降三世明王・南に軍荼利明王・西に大威徳明王・北に金剛夜叉明王)の内の不動明王像のみが幾多の災害を越えて残り、いま本堂に静かに鎮座。
近畿三十六不動尊霊場・第21番札所。

東福寺塔頭寺院で公開している寺院の一つ。
山門前に「十万不動明王 五大堂」と刻まれた石碑が建つが、“十万”は一文字で書かれ何か理由があるようだが....。 山門に立つと、正面奥に不動明王と書かれた赤い提灯が軒下に下がっている木宝形造瓦葺の本堂が建つ。
堂内には約1000年前に藤原道長が建てた五大堂の中尊と伝える不動明王坐像が鎮座しているが、何故が撮るのを失念....多分、不動明王様の迫力ある忿怒の形相に竦んでしまったのだろう。

山門前に「十万不動明王 五大堂」と刻まれた石碑が立つ

山門から眺めた境内
 
宝形造瓦葺の本堂、約1000年前造営の五大堂の跡地に建つ

五大堂造営当時の中尊不動明王坐像(平安時代作)が鎮座

本堂近景....不動明王と書かれた赤い提灯が下がっている
 
境内社と鎮座する石造りの不動明王像

庫裡

境内....山門と手水舎

手水舎
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退耕庵 (京都)

2011年09月17日 | 寺社巡り-京都

【京都・東山区】南北朝時代の貞和二年(1346)、東福寺第43世・性海霊見和尚により創建。
室町時代の応仁の乱により一時荒廃したが、安土桃山時代慶長四年(1599)に安国寺恵瓊が再建....宗派は臨済宗東福派で、本尊は千手観音像。
豊臣秀吉の死後、安国寺恵瓊と石田三成、宇喜多秀家らが関ヶ原合戦(徳川家康討伐)の謀議を行った茶室・作夢軒があり、「忍び天井」や「伏侍の間」など普通茶室にはないものが備え付けられている。
地蔵堂には、胎内に小野小町に寄せられた多数の恋文を納めた地蔵菩薩坐像・玉章地蔵を安置。

東福寺の周りに置かれている25の塔頭寺院の中の一つで、非公開寺院らしいが、門前に柵が置かれていないため、山門付近だけだが境内を拝観させていただいた。
山門をくぐると手入れが行き届いた狭い境内....左手には高札に桃山時代と書かれた客殿が、右手には小町寺の扁額が掲げられた白壁に花頭窓のある地蔵堂が建つ。
地蔵堂内に鎮座する玉章地蔵を拝観するを失念したが、地蔵堂前に「小野小町百歳井戸」があり、その直ぐ傍の紅葉が鮮やかで印象的だった。

歴史と趣を感じる山門前と切妻造瓦葺の四脚門
 
「茶室作夢軒 小野小町遺跡」と刻まれた石碑     意外に重厚感のある山門

山門から眺めた境内
 
境内....小野小町百歳の古井戸がある

山門をくぐって直ぐ右手に建つ地蔵堂
 
「小野寺」の額を掲げた地蔵堂....白壁の花頭窓が印象的だ
 
客殿....高札に「桃山時代」とある
 
左側が客殿                 庫裡か?

紅葉が鮮やかな境内

唐破風の屋根....玄関か?
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おお~怖ッ....!

2011年09月17日 | 街角スナップ-海外編
               
【中国・福建省・福州】散策中、ビルの傍で2本のロープがゆらゆら揺れていたので見上げると、ガラスにへばり付くように何やら作業をしていた。
よ~く見ると、二人とも1本のロープに取り付けられた小さな板に腰掛けただけの姿勢で作業している。
落下防止の安全策は施されているのだろうか....見ていてつい心配してしまった。
     
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