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何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

春日大社-(3) (奈良)

2020年12月12日 | 寺社巡り-奈良

【奈良・奈良市】旧官幣大社の春日大社は昭和二十一年(1946)、旧称の春日神社から春日大社に改称された。 春日大社で3月13日に催される例祭・春日祭は、賀茂神社の葵祭、石清水八幡宮の石清水祭とともに三勅祭(天皇の使者で束帯を着た勅使が派遣される祭)の一つとされる。

二ノ鳥居から若宮十五社の間に鎮座する境内社をめぐる。 二ノ鳥居をくぐると、直ぐ左手に祓戸神社が鎮座していて、右傍に大きな鹿像が伏せている伏鹿手水所があり、鹿が咥えた巻物が水口になっていて清水が手水鉢に流れ落ちている。 案内板には、ここで手と口を清め、まず祓戸神社でお祓いし、その後本殿に....と記されている。 確かに、伏鹿手水所から本殿まではかなり離れているし、廻廊で囲まれた本殿の入口や境内に手水鉢がなかったと思う。
南廻廊の西端に猿田彦大神を祀る榎本神社が鎮座するが、猿田彦神は春日大社への道案内をしているのかも。 榎本神社の社殿は朱塗りの立派な覆屋の中に鎮座するが、覆屋正面の柱間に春日鳥居が配され、建物と鳥居とが一体化している。
南回廊に建つ南門を前を通り、両側に古い石燈籠がびっしりと立ち並ぶ”御間道”と呼ばれる参道を進んで若宮十五社の境内に向かう。 途中、樹林の中に神々しい雰囲気の空間があり、太古の昔より霊山と崇められてきた聖地「御蓋山」の山頂に鎮座する本宮神社に祈りを捧げる遥拝所になっている。
若宮神社の手前に、第2番~第4番納札社の三輪神社、兵主神社、南宮神社がそれぞれ鎮座し、その先に第1番納札社である若宮神社の拝舎(拝殿)、神楽殿、細殿、御廊そして本殿が建つ。 檜皮葺の拝舎は、神楽殿と一体化した構造で南北に長い建物。 拝舎と本殿を繋ぐように細殿・御廊がある。 その先の壇上積みの基壇上に、菱格子入り扉を設けた春日鳥居と苔むした檜皮葺が味わい深い本殿が鎮座している。 若宮神社に着いた時は春日鳥居の扉は閉まっていたが、社殿拝観中に偶然、日常の神事のために扉が開けられたので、本殿の正面を拝観できた。 第1番納札社の若宮神社は平安時代創建の古社で、本殿や拝舎などはいずれも平安後期の創建。
若宮神社の南側に、夫婦の大國天を祀る日本唯一の夫婦大國社(第15番納札社)が鎮座。 良縁と夫婦円満を叶えてくれる神様という墨書きをみて....思わず首を垂れた。
若宮十五社全てをめぐる時間がなくなってきたので、夫婦大國社を拝観した後、近くに鎮座する三十八所神社(第7番納札社)、佐良気神社(第8番納札社)そして金龍神社(第14番納札社)を急ぎ足で拝観して帰路についた。

△表参道の二ノ鳥居近くに鎮座する祓戸神社....祭神は瀬織津姫神
 
△春日鳥居を構えた祓戸神社は苔生した流造檜皮葺/伏鹿手水所....巨大鹿が咥えた巻物が水口の手水鉢で、ここで手と口を清め、祓戸神社でお祓いしてから本殿へとある

△南回廊の西端近くに鎮座する榎本神社....祭神はこの地の地主神である猿田彦大神
 
△覆屋の正面に格子門扉を付けた春日鳥居と左右の鳥居柱と身舎柱の間に菱格子の透塀を設けて仕切っている/覆屋内に鎮座する春日造檜皮葺の榎本神社の社殿

△両側に古い石燈籠が建ち並ぶ「御間道」と呼ばれる参道から眺めた本社社殿の南門
 
△本宮神社遥拝所....遙か先の聖地「御蓋山」の山頂に祀られている本宮神社に祈りを捧げる空間/三輪神社(第2番納札社)....祭神・少彦名命を祀る

△若宮神社の手前に鎮座する社は、左が兵主神社(第3番納札社)で右は南宮神社(第4番納札社)、祭神は前者が大己貴命で後者は金山彦神

△若宮神社(第1番納札社)の本殿と檜皮葺の拝舎(拝殿)、そして両者をつなぐ檜皮葺の細殿・御廊・神楽殿....平安後期の公卿で関白の藤原忠通による創建

△若宮神社本殿(重文)は平安時代保延元年(1135)の創建....祭神・天押雲根命を祀る
 
△若宮神社本殿は本社本殿と同じ春日造りで、社頭に菱格子入り扉を設けた春日鳥居を構えている/若宮神社本殿....偶然神事にでくわし鳥居の扉が開いている

△若宮神社拝舎(拝殿)は平安時代治承二年(1179)の創建....軒廻りは二軒疎垂木で組物は舟肘木

△拝舎と神楽殿は一体構造の建物で,神楽殿・細殿・舞殿は平安時代康治二年(1144)の建立
 
△南側から眺めた若宮神社境内/若宮大楠....樹高は約24メートル....江戸時代享保四年(1720)の大雪で幹上部が折損

△南側から眺めた流造檜皮葺の若宮神社拝舎(拝殿)....瓦製大棟端に獅子口、拝に梅鉢懸魚、妻飾は豕扠首
 
△切妻造檜皮葺のの夫婦大國社(第15番納札社)....祭神は大国主命と須勢理姫命の2柱....夫婦の大國神を祀る日本唯一の社で良縁と夫婦円満を叶えてくれる神様/軒廻りは一軒疎垂木で組物は舟肘木....屋根上に煙出しのような切妻造檜皮葺の楼閣が乗る

△流造檜皮葺の三十八所神社(第7番納札社)....祭神は伊弉諾命、伊弉冉尊、神日本磐余彦命の3柱

△基壇の上に建つ春日鳥居と三十八所神社の社殿

△佐良気神社(第8番納札社)....祭神は蛭子神
 
△春日鳥居を構えた一間社春日造の佐良気神社/春日造の大棟に変形の外削ぎの千木が乗るが堅差魚木がない

△金龍神社(第14番納札社)....祭神は金龍大神
 
△一間社春日造の金龍神社の社殿....屋根に外削ぎの千木と2本の堅魚木が乗る
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春日大社-(2) (奈良)

2020年12月07日 | 寺社巡り-奈良

【奈良・奈良市】春日大社は、藤原氏の氏神・氏寺の関係から興福寺との関係が深く、平安時代の弘仁四年(813)、公卿・藤原冬嗣が興福寺に南円堂を建てた際、安置した本尊・不空絹索観音は春日大社の祭神・武甕槌命の本地仏とされた。 春日大社は、20年毎に斎行される式年造替制度により、社殿の修繕や調度の新調などが連綿と受け継がれ、神域が守られてきた。

二ノ鳥居をくぐり、苔生した多くの石燈籠が立ち並ぶ参道を進み、南廻廊の南門に....。 廻廊に挟まれるように建つ南門は、檜皮葺きで鮮やかな朱塗りの楼門で趣があり、朱と白壁のツートンカラーが美しい。
南門をくぐって本殿境内に入ると、正面に横長の檜皮葺きの幣殿・舞殿が建ち、吹き放しの造りで中一面に玉砂利が敷かれている。 幣殿・舞殿の前に賽銭箱が置かれ、多くの方が参拝している。 幣殿・舞殿の左手には、春日祭に勅使以下が直会の儀式を行う直会殿が隣接している。
幣殿・舞殿の右手に進み、そこから中門と御廊を眺めると、御廊の屋根の上に突き出ている本殿の外削ぎの千木が見える。 特別参拝料を払った(約11年前の訪問だが、払った記憶がない....)後、幣殿・舞殿から林檎の庭の脇に設けられた緩やかな石造りの階を上がって本殿前に建つ荘厳な中門に....。
正面に唐破風を設けた檜皮葺の中門は、威厳に満ちた楼門形式で、聖地らしい雰囲気を醸し出している。 中門の両側に連なる檜皮葺の御廊は、柱間の全壁面に緑色の盲連子窓を配し、軒下に組高欄付きの切目縁を設けていてたくさんの釣燈籠が下がっている。 中門の前に擬宝珠高欄付きの小さな神橋があり、それを渡って中門で参拝した。
その後、東廻廊に進み、吊り下げられた釣燈籠を拝観してから御廊の左手に。 西御廊から檜皮葺の捻廊でつながる内侍殿、宝殿そして鎮座する幾つかの境内社を参拝した。 本殿後方に鎮座する後殿(内院末社)は神門と塀で仕切られているが、塀越しに、外削ぎの千木と五角形の堅魚木を乗せた檜皮葺の四棟の本殿の一部が拝観できる。 ここはまさにパワースポットなのかも....。

△表参道に立つ江戸時代建立の二ノ鳥居の春日鳥居

△若宮神社方向への参道から眺めた楼門造りの南門....本殿境内を取り囲む廻廊の南側に建つ正門....楼門建立前は鳥居があった

△入母屋造檜皮葺の南門(重文)....平安時代治承三年(1179)の創建で、南北朝時代に再建....高さは約12メートル、軒廻りは二軒繁垂木、組物は二手先で中備は間斗束、軒支輪がある

△本殿境内から眺めた南門....本殿境内を取り囲む廻廊の南側に建つ....入母屋造り屋根の大棟端に獅子口、拝に猪ノ目懸魚、妻飾は豕扠首

△本殿境内から眺めた南門(右は幣殿・舞殿)....上重の組高欄付き切目縁を支える腰組は三手先で中備は間斗束

△切妻造檜皮葺きの幣殿・舞電(重文)....平安時代貞観元年(859)の創建

△幣殿・舞殿は正面五間側面三間で、一軒疎垂木で組物は舟肘木....左(西)側に隣接するのは直会殿

△幣殿・舞殿の東側二間(奥)が幣殿、西側三間(手前)が舞殿

△幣殿・舞殿の正面一間は吹き放しで、春日大社本殿に向けての参拝所
 
△南端入母屋造&北端流造檜皮葺の直会殿(重文)....平安時代貞観三年(859)の創建、現建物は江戸時代の慶安五年(1652)の建立....東西(梁間)四間、南北(桁行)八間の白木造りの建物/大きな御幣が供えられている直会殿(移殿)....春日祭に勅使以下が直会の儀式を行う、中世には法華八講がここで行われた

△一軒疎垂木で組物が舟肘木の直会殿の西面は全て格子戸、軒下に吊られた釣燈籠群....左の建物は西回廊

△幣殿東側から眺めた本殿の前に建つ楼門形式の中門と御廊....中門正面の唐破風は明治時代の増設

△入母屋造檜皮葺で中門(重文)そして御廊(重文)....中門は平安時代寛治七年(1093)以前の創建、現在の中門は江戸時代慶長十八年(1613)の再建で、高さは約10メートル

△軒廻りは二軒繁垂木、組物二手先で中備は間斗束、軒支輪がある....両側の御廊の長さは約13メートルで各間全てに連子窓

△大棟端に獅子口、拝に猪ノ目懸魚、妻飾は豕扠首、上重に組勾欄付切目縁....御廊前にも組高欄付切目縁を設けている

△林檎の庭の脇に聳える注連縄が張られた御神木の大杉の老木越しに眺めた中門と御廊....中門の奥に奈良時代神護景雲二年(768)創建の本殿4棟が鎮座
 
△社頭の大杉は樹高約25メートルで推定樹齢千年.....鎌倉時代後期作の絵巻物「春日権現験記」に描写されている/大杉の膝元に鎮座する岩本神社....表筒男命他2柱を祀る

△春日大社の本殿を囲む檜皮葺の廻廊(重文)....治承三年(1179)の創建で、東西約40メートル、南北約60メートル、片側に連子窓を設けた壁で仕切っている

△林檎の庭の東側の廻廊

△東側の廻廊に下がる釣灯籠群

△四方の廻廊などの約1,000基の釣燈籠が吊りされている

△本殿を囲む西御廊と内侍殿とを結ぶ檜皮葺の捻廊(重文)....平安時代治承三年(1179)の創建、現捻廊は江戸時代宝永年間(1704~1711)の建立....春日祭に奉仕する斎女や内侍が昇殿するための登廊

△流造檜皮葺の内侍殿(移殿)(重文)....平安時代貞観元年(859)の創建、現建物は江戸時代慶安三年(1650)の建立(伝)....御神前で奉仕する内侍(女官)らの控え及び式年造替時に一時的に神霊を祀る....大棟に獅子口,拝に梅鉢懸魚,妻飾は豕扠首

△内侍門から眺めた切妻造檜皮葺の宝庫(重文)....平安時代大同二年(807)の創建(伝)

△板倉の宝庫は本殿に次ぐ重要な建物で、春日祭に使用する御神宝が納められている

△本殿境内に鎮座する多賀神社.....祭神は伊弉諾命

△境内に鎮座する風宮神社と右奥に椿本神社

△風宮神社....御祭神は級長津彦命と級長津姫命

△椿本神社....奥の下に鎮座するのは多賀神社

△椿元神社....祭神は角振大神

△本殿後方の後殿(内院末社)への切妻造檜皮葺の神門....4社は八雷神社、栗柄神社、海本神社、杉本神社、佐軍神社

△塀越しに眺めた春日大社の一間社春日造檜皮葺の本殿(4棟)....現本殿は文久三年(1863)の造替だが平安時代の優美な意匠を伝える....大棟に外削ぎ千木と2本の堅魚木が乗る

△藤波之屋(重文)に再現された萬燈籠....藤波之屋は江戸時代まで神職の詰所だった



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春日大社-(1) (奈良)

2020年12月01日 | 寺社巡り-奈良

【奈良・奈良市】奈良・平城京に遷都された頃、藤原氏繁栄の基礎をつくった公卿・藤原不比等が、氏神として鹿島神社から武甕槌命を春日の御蓋山に遷して祀り春日神と称したのに始まる。 社伝では、奈良時代の神護景雲二年(768)、公卿・藤原永手が称徳天皇(第48代)の勅命で御蓋山の中腹に四殿の社殿を造営し、武甕槌命に加え、香取神宮から経津主命および枚岡神社から天児屋根命・比売神を勧請して祀ったのを創祀としている。
春日大社は藤原氏の隆盛とともにも栄え、平安時代初期には官祭が行われた。 平安時代の延長五年(927)に成立した『延喜式』の九巻・十巻の「神名式」(延喜式神名帳)には、「大和国添上郡 春日祭神四座」と記載され、名神大社に列せられた。 祭神は武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神の四柱。

若草山から春日大社に向かうと、境内の入り口近くに参詣者を出迎えるかのように2頭のシカが....。 聖流水谷川に架かる朱塗りの水谷橋を渡り、鬱蒼とした樹林に覆われた春日大社の境内に入る。
直ぐ左手に水谷神社が鎮座し、境内に聳え立つ太い巨樹が瑞垣から参道に迫り出している。 この巨樹は幹が空洞になっていて、その中にスギが立っていることから「水谷神社の寄生木」と呼ばれているそうだ。 水谷神社から緩やかな参道を上って行くと、両側に苔生した石燈籠が整然と立ち並んでいる。 暫らく進むと平安時代創建の一言主神社と総宮神社が鎮座....一つの願い事を真心こめて祈願すると叶えてくれるという一言主神社には6~7人の参拝者が....。 
更に進むと参道の奥に、西廻廊に設けられた檜皮葺の内侍門が見えてくる。 内侍門前の参道左手に第5代将軍徳川綱吉の母「桂昌院」が寄進した桂昌殿、右手には春日祭に神前にお供えする神酒を醸造する酒殿がそれぞれ建つ。 平安時代の創建とされる重厚な佇まいの酒殿は、檜皮葺屋根に楼閣風の煙出しを乗せていて趣がある。 酒殿と並んで檜皮葺の竈殿が建つ。 酒殿と同時期の創建の竈殿は、春日祭に神饌を調理する処で、酒殿とともに重要な役割を果たしている。 それにしても、竈殿の檜皮葺が一面に苔生していて印象的だった。

△春日大社の境内入り口で、2頭のシカが餌をくれる参詣者を待っている?

△聖流水谷川に架かる朱塗りの擬宝珠欄干を設けた水谷橋.....春日大社の廻廊内侍門に続く参道の入り口

△参道を入って直ぐ左手に鎮座する水谷神社....瑞垣から大きく迫り出すイブキの巨樹は「水谷神社の寄生木」と呼ばれ、樹高12.5m、幹周6.55mで、幹が空洞になっていて中からスギが立っている

△春日鳥居を構え瑞垣に囲まれた水谷神社は、春日大社の摂社の一つ

△流造檜皮葺の水谷神社....祀る祭神は素盞鳴命・大巳貴命・奇稲田姫の三柱

△瓦製の大棟、拝に猪ノ目懸魚、妻飾は豕扠首
 
△内侍門に続く両側に石燈籠が建ち並ぶ参道....春日大社は燈籠の数が日本一多い神社で、参道脇等に立ち並ぶら石燈籠は約2000基とされる/石燈籠は平安時代末期から今日まで様々な願いを込めて寄進されたもの

△流造檜皮葺の一言主神社(境内末社)....平安時代初期に興福寺境内に創建され、明治時代にこの地に移転(廃仏毀釈の影響)....祭神・一言主大神を祀る

△流造杮葺の総宮神社(境内末社)....平安時代初期に興福寺境内に創建され、明治時代にこの地に移転(廃仏毀釈の影響か)....天照大神・八幡大神・春日大神など九柱を祀る

△流造銅板葺で妻入の御祈祷所....大棟端に獅子口、拝に梅鉢懸魚、妻飾は豕扠首

△内侍門前の参道....正面は廻廊に設けられた内侍門、左は桂昌殿、石燈籠群の右は酒殿
 
△桂昌殿の左手(西側)に建つ築地塀を構えた門....瓦製の大棟端に獅子口、拝に梅鉢懸魚、妻飾は豕扠首/入母屋造檜皮葺の四脚門....17世紀前半頃の建立(興福寺境内?)とされる....何かの入口ではなく単独で建つ

△入母屋造杮葺の桂昌殿....江戸時代元禄十二年(1699)の創建....将軍徳川綱吉の母「桂昌院」による寄進....本来は祈祷殿で天下泰平を祈願する処

△軒廻りは二軒疎垂木、組物は舟肘木、長押の上は全て小壁....瓦製の大棟端に獅子口、拝に三ツ花懸魚、妻飾は狐格子

△正面五間で中央間に板扉、脇間は全て舞良戸....周囲に組高欄付切目縁を巡らす

△切妻造檜皮葺の酒殿(重文)....平安時代貞観元年(859)の創建(伝)....ご祭神として酒弥豆彦神と酒弥豆売神が祀られている

△春日祭にお供えする神酒を醸造する酒造場で、内部に大甕があり現在も酒造業者に委託して日本酒を醸造している
 
△棟端に獅子口、一軒疎垂木で組物は舟肘木、拝に梅鉢懸魚、妻飾は豕扠首/瓦製の大棟の屋根に楼閣のような本瓦葺の煙出しがある

△重厚な佇まいの酒殿

△西廻廊にある内侍門....中の正面の建物は御神宝を納める板倉の宝殿

△切妻造檜皮葺の竈殿(重文)....平安時代貞観元年(859)の創建....竈を守る祭神として「食」に関わる神様・興津彦神と興津姫神を祀っている
 
△苔生した屋根に瓦製の大棟、棟端に獅子口、一軒疎垂木で組物は舟肘木、拝に梅鉢懸魚、妻飾は豕扠首/正面五間側面二間で、三方に板扉、側面と後方に小さな連子窓がある白壁

△竈殿の中に竈が設けられていて春日祭の神饌を調理する

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伊弉諾神社 (生駒)

2018年12月26日 | 寺社巡り-奈良

【奈良・生駒市】天平十八年(746)の聖武天皇(第45代)の勅願による長弓寺創建にあたって、長弓寺の鎮守社として牛頭天王宮が建立され、牛頭天王を大宮に、八王子を若宮に祀ったされる。
平安時代に編纂された「延喜式」の神名帳にある「伊射奈岐神社(大和国・添下郡)」に比定される式内社で、長弓寺境内にあって、江戸時代まで寺僧の第一臈が神職を務め、神仏混交の信仰が行われていた。 明治初期の神仏分離による廃仏毀釈運動の折に神号を「伊弉諾神社」に改称した。 主祭神は伊弉諾尊、素盞嗚尊そして大国主命の3柱。

長弓寺本堂前の参道脇に少し湾曲した7枚の石板を横に並べた小さな反橋があり、傍に大きな石燈籠そして植栽脇に小さな社号標石が立つ。
境内に新しく建てられたとみられる神楽殿があり、その奥の一段高いところに、樹林に埋もれるように社殿が鎮座している。 社殿は割拝殿(と思う)と本殿からなり、割拝殿は左右翼廊と中門の構造で、割拝殿の中ほどまで設けられた石段の上で参拝する造りになっている。
古びた石造りの明神鳥居と玉垣の結界の奥に鎮座する本殿は春日造一間社....装飾のない簡素な造りだが、それがかえって悠久の時の流れを感じさせる。

長弓寺境内の参道の東側に鎮座....入り口に小さな社号標石、竿に「牛頭天王宮」の刻がある石燈篭は文化八年(1811)の造立
 
社殿前に切妻造桟瓦葺で一間四方の新しい神楽殿(舞殿)が建つ

舞殿越しに眺めた社殿....割拝殿の奥に千木と堅魚木を乗せた本殿が鎮座

右翼廊と中門の造りの割拝殿(と思う)で、中門中央まで階段を設けている

明神鳥居を構えた奥に建つ本殿....擬宝珠高欄を巡らし、正面一間は格子戸

鳥居と玉垣の結界があり、玉垣の前に本殿を守護する獅子の狛犬
 
玉垣の前に鎮座する阿形吽形の獅子の狛犬

本殿は銅板葺の春日造一間社....向拝柱は面取りした角柱、柱上に連三斗、虹梁上に脚間に彫刻を入れた蟇股が乗る....向拝下に浜床

左奥の本殿の大棟に外削ぎの千木と2本の堅魚木が乗り、拝には猪の目縣魚、妻飾は板の小壁、割拝殿の拝には蕪懸魚で妻飾は狐格子

境内社...右が外削ぎ千木を乗せた平入の熊野神社・素盞鳴神社(相殿)、左が外削ぎ千木を乗せた妻入の巌嶋神社

境内の南側に建つ切妻造桟瓦葺の御饌殿(と思う)

横長の自然石で造立された手水鉢と竹竿の水口....簡素な覆屋に奉納された紅白の手拭きが掛けられている

境内の北側に建つ入母屋造桟瓦葺の社務所
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長弓寺-(2) (生駒)

2018年12月20日 | 寺社巡り-奈良

【奈良・生駒市】近世の初期、織田信長により寺領が没収されるなど、幾多の荒波に遭遇した。 明治初期の神仏分離令による廃仏稀釈の嵐で衰退したが、昭和十年(1935)、本堂の解体修理を経て現在の姿に至っている。
長弓寺はかつては10を超す塔頭があったが、今は法華院・円生院・薬師院・宝光院の4ヵ寺が残るのみ。 宝光院は以前、長弓寺本堂の近くにあったが、近年、宝光院地蔵堂を大門近くに移築された(「長弓寺-(1)」に記載)。 本寺の長弓寺には住持がおらず、現在は法華院・円生院・薬師院の3塔頭が輪番制で本堂を護持している。
■法華院■

本尊・愛染明王坐像を祀る。 植栽を配した趣のある石段の参道の先に、大棟に鯱そして鬼瓦、留蓋瓦を乗せた重厚な山門があり、両側に築地塀が延びる。 山門をくぐり、本堂前庭の入り口に立つ案内板「←愛染明王」に従い、前庭内を進んで本堂へ....開いた扉の奥にライトアップされた愛染明王像が鎮座....拝礼してからカメラに収めた。
愛染明王像は3面6臂で、紅焔に燃える赤い日輪を背負い、獅子冠をいただき、全身が真紅に彩られている。 迫力のある憤怒の形相で愛欲を表現した真紅の愛染明王像が、ライトアップで浮かび上がっている光景は幻想的だ。

切妻造本瓦葺の山門(薬医門)....大棟両端に鬼瓦と鯱が乗り、平降棟下端にヘラのような鳥衾を乗せた鬼瓦、軒先に花の留蓋瓦(牡丹と菊か?)

入母屋造桟瓦葺の本堂....身舎に桟瓦葺の裳腰を設けている
  
本堂前庭に佇む十三重石塔と火焔光背不動明王立像....石塔の初層軸部に四方仏が浮き彫り/本堂内陣に鎮座する愛染明王坐像....獅子冠をいただき、3面6臂で、持物は不明、全身が真紅に彩られている

前庭に鎮座する守護社越しに眺めた本堂
 
流造銅板葺の稲荷社....大棟に外削ぎの千木と2本の堅魚木を乗せている/前庭に佇む石燈籠
■円生院■

本尊・不動明王像を祀る。 蓮池の脇の参道を進むと鯱、鬼瓦、留蓋瓦を乗せた重厚な山門があり、前垂れをした地蔵石仏が門前の雛壇に整然と並んでいる。 山門をくぐると、正面に、庫裡と客殿を兼ねた(と思う)横長の建物が建つ。 屋根の左側に煙出しがあり、正面に客殿の玄関そして小さな通用門を設けた仕切り塀の奥に庭園と妻入の本堂がある。
「不動堂」と呼ばれる本堂の屋根に珍しいものを見つけた。 大棟端に鬼瓦や獅子口ではなく、法輪のある台座上に立つ五鈷杵で、初めて見る。 また、向拝に弘法大師空海が持つ大きな「なで五鈷杵」が置かれ、「お大師さまの身体と見て、手で五鈷杵をなでて、その手をご自身の身体の祈願のところにあててください」…とあるのでそうさせていただいた。 されど、ご利益はいまだ…。

切妻造本瓦葺の山門....大棟両端に鬼瓦と鯱が乗り、平降棟下端に異形の鳥衾が付いた鬼瓦、軒先に留蓋瓦(菊か?)

入母屋造桟瓦葺の建物は、左端に煙出しがあるので左側は庫裏と納経所で、右側は客殿で正面は客殿の玄関(と思う)
 
羽目板壁で瓦葺屋根の煙出し/煙出しと母屋の大棟に鳥衾付き鬼瓦....母屋の鬼瓦はユニークな顔の鬼
 
小さな棟門を設けた築地塀で仕切られた庭園

庭園側からみた棟門
 
庭園内に佇む風化破損が激しい三重の塔燈籠(とみられる)/袋部が壊れかけている古そうな石燈籠

庭園が眺められる客殿の縁

妻造桟瓦葺で妻入の不動堂(ここが本堂か?)....千鳥破風を乗せた簡素な向拝
  
大棟端に設けられた五鈷杵/向拝脇にある手水鉢....注がれる金剛水は長弓寺本尊の十一面観音像の足下に湧く自然水とか/向拝に置かれた「五鈷杵」
■薬師院■

本尊・阿弥陀如来像を祀る。 6段ほどの石造りの階を上り、山門をくぐると、参道に背を向けた東面の本堂が建つ。 簡素な造りの向拝に「桐紋」と「下り藤紋」が入った幕が下がっている。 本堂前庭はかなり狭いが、十三重石塔や石燈籠がひっそりと佇んでいる。

切妻造本瓦葺の山門....大棟両端と平降棟下端に鳥衾付鬼瓦、軒先に変わった姿の留蓋瓦

山門傍に建つ入母屋造本瓦葺の本堂

簡素な向拝に「桐紋」と「下り藤紋」が入った幕が下がる....正面に切目縁、扉は腰高格子戸、小壁と小脇羽目は白壁

本堂直ぐ右手の庫裏と狭い前庭
  
前庭に佇む初層軸部の月輪に種子が刻まれた十三重石塔/3基の石燈籠....雪見燈籠と笠の形に特徴がある石燈籠

薬師院本堂の屋根....大棟端に鳥衾付鬼瓦、拝に蕪懸魚、妻飾は狐格子

薬師院の近くに建つ薬師院会館
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長弓寺-(1) (生駒)

2018年12月17日 | 寺社巡り-奈良

【奈良・生駒市】奈良時代の神亀五年(728)、聖武天皇(第45代)が行基に命じて御堂を建立させ、十一面観音を祀ったのが始まりとされる。 寺伝では、この地を治めていた豪族・小野真弓長弓と養子・長麿が聖武天皇に従って狩猟をしていた時、長麿が森から現れた農作物を荒らしていた怪鳥を射るさい、誤って父を射ってしまい、それに心を痛めた天皇が建立を命じたもの。
延暦年間(782~806)に藤原良継が伽藍を中興、堀河天皇(第73代)は大般若経六百万巻を施入するなど信仰を集めたが、平安末期の火災で堂宇を焼失した。 本堂は鎌倉時代の再建だが、蒙古襲来の時期で寄進が集まらず、約60年間は素屋根でしのいだとされる。
本堂が再建された中世には寺運も栄えたが、室町時代文明五年(1473)、応仁の乱(応仁元年~文明九年)で敗れた山名宗全の落人に寄って寺宝などが破壊された。 宗旨は真言律宗で、本尊は平安時代作とされる木造十一面観音立像。 大和十三仏霊場第九番勢至菩薩札所。

富雄川沿いのバス停から長弓寺に向かう。 参道の入り口に寺号標石があり、少し先に社号標石と参道を跨ぐ大きな石造りの明神鳥居がたち、参道奥に山門が小さく見える。
鳥居をくぐり、真っ直ぐに延びる参道を進むと、白壁の脇塀を設けた開放的な大小2つの山門が繋がって建つ。 山門の手前に、鮮やかな朱塗りの擬宝珠欄干があり、欄干がないと気づかないような小さな石造り反橋「真弓山橋」が架かっている。 反橋の袂に真っ赤な前垂をした10体ほどの石仏が鎮座し、参詣者を迎えている。 大きい方の山門は「大門」と呼ばれるが、2つの山門が繋がった造りは珍しい。
山門をくぐって参道を少し進むと、左手に「長弓寺 宝光院」と刻まれた寺号標石が立ち、狭い境内に地蔵堂が一宇ポツンと建っている。
先に進むと、朱色の擬宝珠欄干で囲まれた大きな蓮池があり、その先に長弓寺と塔頭等の堂宇が建ち並んでいる。 塔頭や鎮守社の伊弉諾神社がある参道を真っすぐ進んで本堂に向かう。
鮮やかな朱色の擬宝珠欄干で囲まれた亀池の傍の石の階を上り詰めると、静寂な境内に、約740年前の鎌倉時代に建てられた檜皮葺の本堂が力強く構えている。 優美な屋根の曲線と大きく延ばした深い軒、そして軒下の和様を基本とした簡素な意匠は、これぞ国宝と思わせる風格が漂う。
境内左手に腰高障子のような扉を全開させた古民家風の大師堂が立っているが、縁に大きな2つの薬缶とバケツが置かれ、堂内で二人のおばあちゃんが何やら楽しそうに話し込んでいたが、どうも掃除をしていたようだ。
 
参道入り口に立つ長弓寺の寺号標石、伊弉諾神社の社号標石と明神鳥居....鳥居は寺の鎮守社だった伊弉諾神社のもの

朱塗り擬宝珠欄干を設けた反橋「真弓山橋」の袂に赤い前垂れをして鎮座する石仏群

2つの山門が連なっているのは珍しい....いずれも白壁の袖塀を設けている

大きい門は江戸末期建立の切妻造本瓦葺の四脚門で「大門」と呼ばれている

「長弓寺 宝光院」の寺号標石が立つ地蔵堂....境内奥にあった塔頭・宝光院の地蔵堂をここに移築して宝光院に

露盤宝珠を乗せた宝形造本瓦葺の地蔵堂
 
地蔵堂の向拝....鰐口、釣灯籠が下がる        擬宝珠高欄を設けた切目縁

地蔵堂には本尊逆修延命地蔵菩薩像の他、阿弥陀如来、不動明王、弘法大師の各尊像を安置

堂宇境内入口にある大きな蓮池....4つの塔頭名が表示されているが、宝光院は大門近くに移築

左側に燈籠が並ぶ参道から眺めた本堂前境内..石段上の正面に国宝の本堂が建つ

境内の中央にある「亀池」には朱塗りの擬宝珠欄干が巡らされている....上奥に本堂と鐘楼が見える
 
亀池の傍から眺めた本堂/参道右手に長弓寺守護社の伊弉諾神社(牛頭天王宮)が鎮座している
 
本堂前の石段下にある石の手水鉢....鎌倉時代に僧侶が使った風呂とされる/薬師院近くの石畳の参道にある手水鉢....形からこれも鎌倉時代の僧侶の風呂だろうと思う

入母屋造檜皮葺の本堂(国宝)....鎌倉時代弘安二年(1279)建立の密教仏堂

正面五間、側面六面と奥行きが深い造りの本堂....和様を基本とし正面三間は連子入り桟唐戸、脇間に連子窓
  
簡素な向拝だが軒が深くて趣がある/簡素な形の擬宝珠親柱を設けた湾曲した登り高欄/本堂裏手にある閼伽井(閼伽水を汲む古井戸)の跡

連子入り桟唐戸の内側は格子扉で、上に菱格子欄間がある....内部は手前の三間分を外陣、その奥三間を内陣とし、内外陣の境は透格子で結界

軒周りは二軒繁垂木、組物は出三斗で中備は正面は脚間に彫刻のある蟇股、側面は間斗束

向拝柱は角柱で、柱上に連三ツ斗、虹梁上に蟇股が乗る....周囲に擬宝珠高欄付き切目縁を廻らす

切妻造本瓦葺で白壁の宝蔵....入り口は大きな入母屋破風屋根....白壁の築地塀に囲まれている

宝蔵脇の参道から眺めた本堂

入母屋造本瓦葺の簡素な大師堂....御堂の柱に「大和十三仏第九番霊場」の聯....大和十三仏の本尊の勢至菩薩が祀られている
 
軒周りは一軒繁垂木で、組物は長い束の舟肘木....頭貫の上は小壁、正面三間は中央が腰高障子戸、脇間に格子窓/大師堂右脇の切妻造銅板葺の覆屋に鎮座する賓頭盧尊者像
 
切妻造桟瓦葺の簡素な鐘楼/梵鐘の池の間に「諸行無常」の銘文がある

本堂脇に佇む石造物群....西国三十三所霊場巡礼塔、五輪塔、宝篋印塔など
大師堂南側に鎮座する役行者石像と前掛けをした舟光背型石仏群(千体仏は殆ど観音菩薩像)   
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久米寺-(2) (橿原)

2018年07月22日 | 寺社巡り-奈良

【奈良・橿原市】創建についてはさらに、大和朝廷で軍事部門を担っていた久米部が氏寺として建立したという説もある。 また、空海が久米寺の塔で真言宗の根本経典の1つ大日経を感得したのち真言宗を開いたとされ、真言宗の発祥地ともいわれる根本道場。
江戸時代万治二年(1659)に京都仁和寺から移築された多宝塔は、桃山様式を残している。

南面する本堂に向かって右側に、いずれも三間四方で正面が蔀戸の4つの仏堂が西面で建ち並んでいる。 一番奥は阿弥陀堂で、傍に不動明王や大日如来など5躰の石仏と、西日を燦々と浴びてひかり輝く金ピカの大日如来像が智拳印を結んで鎮座している。 阿弥陀堂の南側に、西日を受けた観音堂、地蔵堂そして大師堂が横並びで建つ。 大師堂前に、四隅に高欄を設けた立派な基壇があり、壇上に立つかなり古そうな多層石塔に興味がわいた。 十三重層塔と思うが、上部が不完全なため正確な重数が分からない。
本堂に向かって左側に多宝塔、金刀比羅宮そして右奥に大きな唐破風玄関がある庫裡が建つが、桃山様式を残す多宝塔の姿が美しい。 境内参道脇に不動三尊像、役行者像そして弘法大師修行像が鎮座しているが、寺号の由来となった肝心の久米仙人石像を失念した

本堂右奥に建つ宝形造本瓦葺で三間四方の阿弥陀堂....「阿弥陀」の扁額が掲げられている
 
正面中央間は格子戸,脇間に花頭窓....「弘法大師御誕生千二百年記念」の碑が立つ/結跏趺坐で智拳印を結んだ金色の大日如来坐像

阿弥陀堂傍に鎮座する5体の石仏..左から不動明王坐像、薬師如来坐像、観音菩薩坐像、大日如来坐像そして地蔵菩薩立像
 
右手に利剣(宝剣)、左手に羂索を持つ不動明王坐像....舟形光背に火焔が刻/右手に錫杖、左手に宝珠を持つ地蔵菩薩立像....光背の上部に地蔵菩薩の種子が刻

入母屋造本瓦葺で妻入の観音堂....大棟や隅降棟に鬼瓦、拝みに蕪懸魚、妻飾りは素式
 
観音堂の正面三間は釣金具がないが蔀戸....右手に宝篋印塔が立つ

観音堂(左)と地蔵堂(右)の間に宝篋印塔と2基の石碑が立つ

寄棟造本瓦葺で妻入の地蔵堂(納骨堂)....各棟先に鬼瓦が乗る
 
地蔵堂の右手に鎮座する石像は、像前に立つ幟に「大和寿老神」の幟が立つが、弥陀定印を結ぶ阿弥陀如来のようだ

露盤宝珠を乗せた宝形造本瓦葺の大師堂....隅降棟と稚児棟の先に鬼瓦、周囲に切目縁を巡らす
 
大師堂の正面三間は蔀戸(釣金具が下がる)/大師堂前の石壇上立つ多層石塔....上部は破損したようで不完全な状態

多宝塔(重文)....桃山時代の建立で、万治二年(1659)に京都・仁和寺より移築された
 
多宝塔には法界定印を結ぶ大日如来坐像を安置/組物は上層が四手先、下層は出三斗で、中備に間斗束....下層四方に板唐戸と連子窓

不動三尊像と役行者像
 
三鈷剣と羂索を持ち、両側に眷属(童子)を従えた不動明王像/高下駄を履いた修験道開祖・役行者像

多宝塔の左手に建つ入母屋造銅板葺で一間四方の金刀比羅宮
  
金刀比羅宮/弘法大師修行像/弘法大師石....刻まれているのは梵字と思うが

入母屋造桟瓦葺で裳腰を設けた庫裡....獅子口を乗せた大きな唐破風の玄関

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久米寺-(1) (橿原)

2018年07月13日 | 寺社巡り-奈良

【奈良・橿原市】創建年は不詳だが、境内に残る古い塔の礎石や出土した瓦から奈良時代前期には存在していたとされる。 寺伝では、聖徳太子の弟・来目皇子の開基とされ、眼病を患った皇子がこの地に祈願したところ、薬師如来が降臨して完治したため、伽藍を整備したという。
また、久米仙人の創建説話がある。 吉野の龍門寺で修行して飛行術を体得した久米仙人が、飛行中に川で洗濯している娘のふくらはぎに見惚れて法力を失って墜落。 その後、仙術を復活させて宮殿の建材を飛ばして運んだ功により、天皇から土地を賜って寺を建立した。 久米仙人ゆかりの寺。 宗旨は真言宗(御室派)で、本尊は眼病に霊験があるとされる丈六の木造薬師如来坐像。

近鉄の橿原神宮前駅から線路沿いに西へ向かうと、大和三山の一つである畝傍山の東南麓の樹林の中に本堂の側面が見えてくる。
南側に建つ仁王門へ回り、阿形吽形の金剛力士像に迎えられ、門をくぐる。 直ぐ先の石燈籠の奥に白鳳時代の大塔(多宝塔)の巨大な礎石が残っているが、そのあまりの大さに驚いた。 参道脇に佇む幾つかの石塔や石仏を見ながら進むと、砂利を敷きつめた境内が広がり、正面の本堂の手前の左右に仏堂が建ち並ぶ。 真ん中に設けられた幅の狭い切石敷の参道を進んで本堂へ。
本堂で興味深いものを2つ見つけた。 一つは「二つ引き桜」の寺紋を配した天水桶で、底の四方の隅に小さな力士像がいて、胡坐をかき腕組みしながら肩で桶を支える姿が何ともユーモラスだ。 もう一つは、若草文様が刻まれた正面の頭貫で、貫上に鬼像がずらりと並んで軒を支えているが、その踏ん張る姿がいろいろで面白い。

切妻造本瓦葺の仁王門....屋根に鬼瓦と花の文様の留蓋瓦が乗る

仁王門に「霊禅山」の扁額....奥に多宝塔跡と多宝塔の屋根と相輪が見える
 
憤怒の形相で仏敵から寺院を護る阿形吽形の金剛力士像....比較的近年の造立のようだ

大塔礎石....養老二~四年(718~720)建立の八丈(約10.9m)四方の我国最高最大の多宝塔があった
 
大塔礎石前に立つ石燈籠(造立元号を失念)

大塔(多宝塔)跡の巨大な礎石群....多宝塔には3粒の仏舎利と大日経典が納められていた

大塔礎石の傍の覆屋に鎮座する2基の庚申塔
  
左は自然石型文字庚申塔(日月)、右は悪疫を調伏する舟型光背青面金剛庚申塔(磨滅が激しく彫像不鮮明)/参道脇に立つ石塔..阿閦如来の種子のように見える/駒形に彫り窪めた中に6つか7つの種子が縦に並んでいるように見える....一番上は阿弥陀如来の種子か

仁王門近くから眺めた境内....左から本堂、阿弥陀堂、観音堂、地蔵堂が建ち並ぶ

「皇紀二千六百年記念塔」と刻まれた石塔越しに眺めた本堂

入母屋造本瓦葺の本堂....江戸初期の寛文三年(1663)の再建....寺紋の「二つ引き桜」が入った天水桶を担ぐ4人の力士像(?)

屋根に鬼瓦と唐獅子の留蓋瓦....朱塗りの擬宝珠高欄を設けた吹き放ち廻縁....本堂前に露盤宝珠を乗せた宝形造銅板葺の燭台(常香炉ではないようだ)

本堂には丈六の木造薬師如来座像を祀る....身舎の若草文様が入った頭貫の上に龍の彫刻を配した蟇股と鬼像が並んで軒を支えている
 
軒廻りは二軒平行垂木、柱上に出三斗と実肘木....扉は三枚折両開の桟唐戸、内側に格子戸があるのは内部に内陣がなく外陣だけか....向拝に鰐口、廻縁に釣燈籠が下がる
  
右縁の隅に鎮座する十六羅漢の第1尊者・賓頭盧尊坐像/入口上の長押に掲げられているナマズの彫り物(由来不詳)/本堂前の薬師如来の梵字が刻まれた巨岩
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朝護孫子寺-(3) (生駒)

2017年12月01日 | 寺社巡り-奈良

【奈良・生駒郡】戦国時代の武将・松永久秀が築いた信貴山城が、安土桃山時代天正五年(1577)に織田信長軍の攻撃を受けて炎上、寺も焼亡した。 のちに豊臣秀頼や徳川家の寄進を受けて復興し、寺観を整えた。 豊臣秀頼により再建された本堂は昭和二十六年(1951)に火災で焼失したが、昭和三十三年(1958)に鉄筋コンクルートで舞台造りの堂が完成した。

経蔵堂から毘沙門天王が祀られている本堂に向かう。 中央と両端に朱塗りの擬宝珠高欄を設けた石の階の上に大きな唐破風の入口があり、唐破風の棟の鬼板に隠れるように毘沙門天王らしき像が乗っている。 階段を上り広縁を進んで本堂向拝に....よく見えないが本堂は懸造りの建物で、向拝前は朱塗りの擬宝珠高欄を設けた広縁はまさに舞台だ。 本堂からは大和平野が一望でき、毘沙門天王が最初に現れた霊地にふさわしい素晴らしい眺めで、ご来光を拝めるらしい。
本堂から赤門に向かう。 不動明王を祀る三宝荒神堂、樹齢1500年の榧の木を祀る「かやの木稲荷社」、笛を吹く騎馬の聖徳太子像、ピンク色の石燈籠がある厄除観音堂、大きな軒反り屋根が素晴らしい塔頭・千手院などを拝観しながら赤門に着く。
赤門は丹塗りの薬医門で、簡素だが風格を漂わせる門だ。 赤門前には2頭の寅が戯れていて、拝観の労をねぎらってくれる。 最初に逢った巨大な「世界一福寅」に見送られながら参道を戻り、バス停「信貴山」に向かった。

両側に石燈籠等の石造物が並ぶ本堂への階と唐破風の入口..前左の石燈籠は大正六年(1917)造立
 
石段の中央と両端に朱塗りの擬宝珠高欄..唐破風の棟の鬼板の後ろに沙門天王らしき像が乗っている/柱に「本尊毘沙門天王」の札が掛かる

唐破風の入口から眺めた境内..奥に見えるのは玉蔵院の地蔵尊像と三重塔
 
鉄筋コンクリート舞台造りの本堂は昭和三十三年(1958)完成..本尊の毘沙門天王を祀る/本堂向拝..桟唐戸の上に装飾彫刻が施された欄間..鰐口や大きな釣灯籠が下がり、「毘沙門天」の扁額が掲げられている
 
上の蟇股に双斗が乗っている/本堂は慶長七年(1602)、豊臣秀頼の再建といわれ、後に修復を加えて延享三年(1746)に完成..昭和二十六年(1951)に火事で焼失

朱塗りの擬宝珠高欄の舞台から大和平野が一望できる素晴らしい眺め

開山堂付近から眺めた入母屋造銅板葺で妻入の本堂..懸造(舞台造)の建物
 
本堂への参道脇に建つ飛倉館..狭い参道で建物が形が分からない/獅子口を乗せた唐破風入り口の飛倉館は信貴山の宝庫

多宝塔の下に建つ三宝荒神堂..中尊は不動明王、右に西方極楽浄土の仏様の阿弥陀如来、左に仏教の守護神かまどの神様「三宝荒神」を祀る

入母屋造本瓦葺の三宝荒神堂

宝形造本瓦葺で裳腰を付けた朱塗りの成福院..如意融通尊、鎮宅霊符神、寅大師、三福神堂等が祀られている

本坊から成福院へ行く手前にある擬宝珠高欄を設けた石造宝寿橋..奥の建物が本坊

騎馬の聖徳太子像とかやの木稲荷大明神を祀る稲荷社
 
屋根に立派な千鳥破風を設けた稲荷社殿..後方の榧木は樹齢1500年..明神鳥居に「稲荷大明神」の額/笛を吹く騎馬の聖徳太子像
 
中央の庭園に立つ十三重石塔と石燈籠..初層軸部に「紀念塔」の刻/雪見燈籠

入母屋造銅板葺で身舎に裳腰を付けた厄除観音堂(と思う)
  
獅子口を乗せた唐破風の向拝..珍しいピンク色の石燈籠..向拝柱に「子授安産厄除観音」の札が掛かる/向拝虹梁上に珍しい姿の龍の彫刻..鹿のような長い四つ足動物のようだ/観音堂境内に鎮座する切妻造桟瓦葺の稲荷社..「初辰稲荷大明神」の赤い提灯が下がる
 
切妻造銅板葺の塔頭(宿坊)千手院の山門..左右に3本線の筋塀が続く..山門から眺めた本堂

入母屋造銅板葺の千手院..軒が大きく反り返り、身舎に裳腰を設けている..向拝の屋根は獅子口を乗せた唐破風

寛政五年(1793)再建の切妻造本瓦葺の赤門..美しい姿をした薬医門

赤門前で戯れる2頭の張り子の寅..何故か1頭は千両箱を踏んでいる

巨大な張り子の寅..信貴山のランドマークとされる「世界一福寅」
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朝護孫子寺-(2) (生駒)

2017年11月28日 | 寺社巡り-奈良

【奈良・生駒郡】延喜十年(910)、命蓮上人が醍醐天皇(第60代)の病気平癒のため毘沙門天王に加持祈祷を行い、その功により「朝廟安穏・守護国土・子孫長久」の勅文を得、その祈願所として「朝護孫子寺」の寺号を賜った。 その後、坊舎66を数える大寺に発展し、山岳密教の聖地として多くの修行僧が訪れ、楠木正成や武田信玄ら中世の武将が毘沙門天への信仰を寄せた。

玉蔵院から毘沙門天王を祀る本堂に向かう。 南無神変大菩薩の幟が立つ行者堂に安置されている役行者像に参拝し、朱塗りの多宝塔、組高欄の回縁を設けた袴腰付き鐘楼堂、周囲に円形状の笠や中台の石燈籠や十三重層塔などの石造物がある虚空蔵堂などを拝観した後、大きな銅板張りの明神鳥居をくぐって本堂に向かう。
鳥居をくぐると直ぐ右手に檻に入れられた「福寅」と呼ばれる虎の親子象があり、少し悲しげな顔で迎えてくれる。 何故檻の中なのか....まさか深夜に虎が暴れ出すのを防ぐためではないだろうと後で調べたら、一時期、福寅の像を削って持ち帰る不届き者が続出したためとのことだ。
「福寅」の向かい側、毘沙門天王を祀る本堂への石の階の近くに経蔵堂が建つが、獏と獅子の木鼻や虹梁上の龍そして唐破風軒下の牡丹など精緻な装飾彫刻が実に見事だ。
 
切妻造銅板葺の行者堂..「南無神変大菩薩」の幟がある/行者堂に鎮座する修験道の開祖役行者の像

元禄二年(1689)建立の本瓦葺の多宝塔..明治十五年(1882)修復
 
恵心僧都作とされる本尊大日如来像を安置..二軒で扇垂木,組物は三手先,中備は蟇股,桟唐戸に連子窓

貞享四年(1687)再建の入母屋造本瓦葺の袴腰付鐘楼
 
組高欄を設けた縁を巡らす..柱上に大きな大斗と平三斗を乗せ、中備は蓑束

鐘楼が環から見た本堂方向の境内..手前の建物は地蔵堂と虚空蔵堂の屋根、その先に搭燈籠
 
切妻造屋根の石燈籠に囲まれて立つ5層の塔燈籠/脚部は花頭風輪郭の中に扉や菊紋等の彫り物

切妻造本瓦葺の地蔵堂と石造物群
  
歌碑(?)/安永三年(1774)造立の石燈籠/造立年不明の十三重石塔..初層軸部の月輪内に種子を薬研彫り

露盤宝珠を乗せた宝形造本瓦葺の虚空蔵堂

虚空蔵堂には無量無尽の知恵や功徳を蔵する虚空蔵菩薩を安置
 
向拝虹梁に蟇股の形の龍の彫り物/向拝柱に「智恵之祖 虚空蔵菩薩」の札が下がる

本堂境内への入口に立つ銅板で覆われた明神鳥居

明神鳥居から眺めた本堂境内..石燈籠や石幢などの石造物が並ぶ..正面石段上は本堂の唐破風玄関
  
端正な顔の阿形吽形の獅子の狛犬/奥の塔の正面に「大般若妙典宝塔」の刻..基礎に唐破
 
檻の中の親子の福寅..一時期続出した福寅の像を削って持ち帰る不届き者対策として檻が設置された/切妻造銅板葺の手水舎..横二軒で半分は四阿

露盤宝珠を乗せた宝形造本瓦葺の経蔵堂..本瓦葺の裳腰を巡らし、向拝の唐破風は銅板葺

正面は桟唐戸に脇間に花頭窓..堂前の石燈籠は天保七年(1836)造立

仏教のあらゆる法門の経典を集めた「一切経」を納めた経厨子が中央にあり回転できる
 
向拝の獏と獅子の木鼻、虹梁上の龍や唐破風軒下の精緻な装飾彫刻群 
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朝護孫子寺-(1) (生駒)

2017年11月25日 | 寺社巡り-奈良

【奈良・生駒郡】創建や経緯については判然としない。 一説では、用明天皇二年(587)、聖徳太子が物部守屋討伐のために河内稲村城に向かう途中この山に至り、戦勝祈願をしていると天空から出現した毘沙門天から必勝法を授かり、そのご加護で守屋軍を撃破した。 その後聖徳太子は、四天王像を刻み伽藍を建てて祀り、毘沙門天を勧請して信貴山寺を建立したといわれる。
毘沙門天が初めて出現したのが寅年、寅の日そして寅の刻だったことから寅が信仰されシンボルになったと伝える。 信貴山寺は武人の信仰を集めたが衰退し、中興の命蓮上人が入山した時には毘沙門天を祀る円堂だけと荒廃していた。 信貴山真言宗の総本山、本尊は毘沙門天(多聞天とも称す)。

参道脇に整然と並ぶ前垂をつけた千体地蔵の前を進むと、参道を跨ぐ仁王門に鎮座する迫力ある金剛力士像に出迎えられる。 仁王門をくぐって振り返ると、仁王像の後方に天を仰いで鎮座する獅子像が....天空に出現した毘沙門天王を見ているのかな? 更に参道を進み、「多聞天」の額が掲げられた2つの明神鳥居をくぐると巨大な張り子の寅が現れ、そのデカさに目を奪われる。 正面の山上に朱塗りの高欄を巡らせた本堂が見える。
本来は最初に本堂を参拝するのだが、広大な境内なので順路を考えて後半にした。 まずは、右手の多くの石燈籠と鳥居が立ち並ぶ狭い参道の奥に鎮座する剱鎧護法堂に参拝し、その後、左手にある長い石段を上って開山堂に向かった。
開山堂の受付のおばあさんから教えてもらった順路の通りに次の玉蔵院に向かった。 石段上に塔頭の玉蔵院が建ち、日本一とされる半跏倚坐で露座する地蔵尊像と鮮やかな朱塗りの三重塔が鎮座しているが、特に巨大な地蔵尊像は、狭い境内ということもあって凄い迫力を感じさせる。

仁王門手前の参道脇に鎮座している前掛けをつけた千体地蔵

入母屋造本瓦葺の仁王門..宝暦十年(1760)再建、大正十一年(1922)に現在地に移転..「信貴山」の額

仁王門は楼門形式で上層に組高欄の回縁..門前に立つ石燈籠は享保二年(1717)造立
 
仏敵の侵入を防ぐ阿形吽形の忿怒相の仁王像が睨みを利かせている
 
仁王像の後方で天を仰いで鎮座する獅子の狛犬..天を仰ぐ意味はなんだろう?

参道脇に鎮座する猪上神社..明神鳥居に「猪上神社」の額が掲げられている
 
流造銅板葺の猪上神社..明治維新の神仏分離令により大正十一年(1922)に現地に遷座/天足彦命・国押人命(説に天照大神)を祀る信貴山の総鎮守

参道途中に立つ「多聞天」の額が掲げられた明神鳥居

2つ目の明神鳥居から眺めた崖に張り出した本堂

巨大な張り子の寅越しに眺めた本堂
 
剱鎧護法堂への参道入口付近..石燈籠が並び「剱鎧護法」の額が掲げられた明神鳥居他幾つかの鳥居が立ち並ぶ/剱鎧護法堂への参道途中に立つ明神鳥居と奥にトンネルのように朱塗りの明神鳥居が居並ぶ

入母屋造桟瓦葺の剱鎧護法堂の拝殿、本殿は春日造銅板葺..約千百年前の推古天皇病気平癒祈願に由来..拝殿前に「百度道」と刻まれた道標がある

開山堂参道入口に立つ石造り明神鳥居..「開山堂」の額

基壇の上に建つ大きな露盤宝珠を乗せた宝形造銅板葺の開山堂..享保十七年(1722)建立で、脇間に連子窓と花頭窓
 
桟唐戸の入口の上に「聖徳太子」の扁額があるが、信貴山開祖聖徳太子、宗祖弘法大師、中興開山命蓮上人&歓算上人、四国八十八ヶ所本尊を祀る/開山堂後方にある中興の高僧命蓮上人の墓と伝える塚..塚の周囲に室町末頃造立の一石一尊十三仏板碑が立つ
 
開山堂を下った石段から眺めた玉蔵院の三重塔..玉蔵院は塔頭で、信貴山の宿坊

塔頭・玉蔵院の地蔵尊像、三重塔そして融通堂
 
日本一とされる大地蔵尊像/「霊明殿」の扁額が掲げられた三重塔..阿閦如来像を安置

融通堂
  
「結縁 融通観音」の額が掲げられた明神鳥居/結縁観世音の提灯が下がる御堂に鎮座する観世音菩薩像/舟形光背に半肉彫りされた不動明王像
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安部文殊院-(2) (桜井)

2017年10月16日 | 寺社巡り-奈良

【奈良・桜井市】室町時代後期の永禄八年(1565)、戦国大名・松平久秀の兵火で全山焼失するが、巨大な獅子に騎乗した文殊菩薩像とその脇侍は火災を逃れ、現在に法灯をつないでいる。 安部文殊院の文殊菩薩像は日本最大で、日本三文殊の一つに数えられる。
境内には飛鳥時代に造られた2つの東西古墳があり、西古墳は倉梯麻呂の墳墓とされ、切石積の玄室には不動明王像が祀られている。 東古墳は「閼伽井古墳」(「閼伽井の窟」)といわれ、巨石を組んだ石室には泉が湧き出ていて、 霊水「閼伽水」(別名智恵の水)と呼ばれる。
平安時代に陰陽師安倍晴明がこの地で陰陽道の修行をしたとされ、展望台には「安倍晴明公 天文観測の地」の石碑と安倍晴明堂がある。

西古墳から境内の東に進って進む....南側に大きな文殊池が広がり、水面に浮かぶように相輪を乗せた金色仕上げの六角堂が建つ。 安倍仲麻呂像や安倍晴明像などを祀る金閣浮御堂(仲麻呂堂)で、水面に逆対照で映る姿が美しい。
境内の東側には、不動明王を祀る不動堂、縁結びの神として知られる白山菊理姫を祀る室町後期建立の白山堂、霊水とされる「閼伽水」が湧き出ている「閼伽井の窟」といわれる東古墳などがある。
門の意味が分からない冠木門式の朱塗りの「合格門」をくぐって展望台に.....展望台は陰陽師安倍晴明が天文観測をしたとされる地で、安倍晴明堂が建つ。 展望台からは境内が一望でき、文殊池に浮かぶ安部文殊院のランドマークである金閣浮御堂の姿が美しい。

昭和六十年(1985)建立の金閣浮御堂(仲麻呂堂 )
 
文殊池に浮かぶ金閣浮御堂    安倍仲麻呂公や安倍晴明公など安倍一族を祀る

頂部に相輪を乗せた宝形造本瓦葺の六角堂

文殊池の東の畔に建つ不動堂..左奥は御供処

昭和六十二年(1987)建立の露盤宝珠を乗せた宝形造桟瓦葺の不動堂..堂前に錫杖と石燈籠が佇む
 
昭和五十七年(1982)造立の十一面観音菩薩像/円光を背負い、左手に蓮花を差した水瓶を持つ

白山堂..鎮守社で白山菊理姫を主神として祀る..縁結びの神として知られる

白山堂は室町時代後期の建立(重要文化財)

美しい曲線を持つ流造柿葺屋根で、大きな唐破風向拝がある社殿
 
向拝前の明神鳥居には「白山大権現」の額がある/山裾の傾斜地の乱積石垣の上に鎮座する白山堂..丹色の瑞垣で囲まれている

飛鳥時代造成の閼伽井古墳(東古墳)..「閼伽井の窟」といわれ、湧き出る泉は「閼伽水」(別名智恵の水)と呼ばれる

切石積みの閼伽井古墳の中に白い前垂をした十一面観音と地蔵菩薩(と思う)の石仏が鎮座
  
古墳には何故か石仏の脇に狸像が置かれている/閼伽井古墳の脇にある石碑..左は墓碑のようだが右は判読できず不明

四国八十八ヶ所・西国三十三ヶ所の各霊場御本尊仏の石仏が一同に安置されている石仏エリア

展望台への参道入口に立つ合格門(冠木門か)..松で造られたこの門をくぐって合格を待つ(まつ)そうな!

昭和三十四年(1959)造立のウオーナー博士報恩供養塔..博士はハーバード大学出身の東洋芸術史家で、第二次世界大戦での米国日本本土空爆から京都や奈良を救った

平成十六年(2004)建立の安倍晴明堂..日本の占いの開祖安倍晴明の天文観測の地
 
朱塗りの覆屋に鎮座する切妻造で妻入りの安倍晴明堂/「安倍晴明公天文観測の地」の石碑..陰陽道の祖安倍晴明公がこの地で天文観測した

展望台から眺めた境内と花の広場(2017、酉の形、星形、合格の花畑)..文殊池に金閣浮御堂が浮かぶ

文殊池に流れ込む川に架かる清浄橋
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安部文殊院-(1) (桜井)

2017年10月13日 | 寺社巡り-奈良

【奈良・桜井市】飛鳥時代の大化元年(645)、大化の改新で左大臣として活躍した安倍倉梯麻呂が、安倍一族の氏寺として創建した安倍寺が前身。 当時の境内は今より300メートルほど南西に位置し、法隆寺式配置の大伽藍を誇ったが、妙楽寺(現在の談山神社)の襲撃などで失われた。
現在の境内は平安時代末に本山の別所として築かれ、鎌倉時代初期に本山と統合された。 平安時代に陰陽師として活躍した安部晴明が修行した本家寺ということで、諸願祈祷の寺として信仰を集めた。 正式名は文殊院。 宗派は華厳宗で、本尊の文殊菩薩像は鎌倉時代の快慶作とされる。

門前に大きな「下馬石」があり、門柱に「日本三文殊第1霊場」の札が下がる朱塗りの表山門に着く。
門をくぐると、右側にずらっと石燈籠が並ぶ切石敷の参道が延び、前方の土手に駒型の「文殊池」と刻まれた石碑が立つ。 「文殊池」石碑から左に折れて更に切石敷の参道が続き、右側に石燈籠が並び、両側に数メートルおきに鎮座する石仏に迎えられて堂宇境内に着く。
正面には三方を多くの絵馬に囲まれ「安倍山」の扁額が掲げられた舞台付きの礼堂がある。 礼堂後方に連なって本堂が建っているが、まるで本堂を隠すかのような造りだ。
礼堂前境内の右手に、1350年ほど前の飛鳥時代に造営された安倍倉梯麻呂の墳墓とされる「文殊院西古墳」がある。 見事に石を積み上げた古墳の中に入ると、切石積みの玄室の奥に、風化が進んだ半肉彫り石仏の「願掛け不動明王像」がひっそりと鎮座している。

切妻造本瓦葺の朱塗りの表山門は四脚門
 
寛保元年(1741)建立の石燈籠と「下馬」と刻まれた標石..門柱に「日本三文殊第1霊場」の札が下がる
 
表山門から眺めた右側に石燈籠が並ぶ切石敷の参道..奥の土手に立つ「文殊池」と刻まれた駒型石碑

「文殊池」石柱傍から眺めた切石敷の参道..右側に石燈籠、両側に2体づつ石仏が鎮座
  
参道両側には前垂をしたの舟形光背型石仏が鎮座..諸仏が参詣者を迎えている

参道の正面奥に建つ堂宇..正面は前に礼堂、後方に本堂が繋がって建っている
 
本堂前に付設された入母屋造本瓦葺の礼堂..「安倍山」の扁額が掲げられ、周りに多くの絵馬が掛けられている/切妻造本瓦葺の手水舎

礼堂後方の本堂は寛文五年(1665)再建で入母屋造本瓦葺

入母屋造本瓦葺屋根が十字に繋がった本堂と礼堂(手前)..礼堂の妻飾りは虹梁大瓶束で、拝みには趣のある懸魚は「三花懸魚」
 
本堂前に「国宝本尊文殊菩薩」の木札が掲げられている/本堂前で赤い前垂れをして鎮座する十六羅漢の第一尊者・賓頭盧尊像

前と横に擬宝珠高欄を巡らした正面柱間三間、側面柱間一間の舞台造りの礼堂

入母屋造桟瓦葺で煙出しを乗せた本坊..入口屋根は本瓦で、入母屋破風には獅子口が乗り、妻飾は木連格子

入母屋造桟瓦葺で妻入りの客殿・五台閣..左右の入母屋破風の拝の懸魚は「蕪懸魚」

西古墳前から眺めた堂宇..本堂、奥に本坊、左に手水舎

飛鳥時代造営の「文殊院西古墳」(国指定特別史跡)..安倍寺創建の大化改新の左大臣・安倍倉梯麻呂の墳墓とされる
 
西古墳は切石積みの玄室で、弘法大師作と伝わる風化が進んだ半肉彫り石像の「願掛け不動明王像」を安置している

切妻造本瓦葺の鐘楼..梵鐘に寛永二十年(1643)の銘

稲荷社への参道..多くの石燈籠と丹色の明神鳥居が並ぶ
 
稲荷社の前に切妻造屋根で丹色の向拝を設けてある/大棟に千木と堅魚木を乗せた稲荷社の社殿
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聖林寺 (桜井)

2017年10月03日 | 寺社巡り-奈良

【奈良・桜井市】寺の歴史については不明な部分が多いが、伝承では奈良時代の和銅五年(712)に藤原鎌足の長男定慧を開基に迎え、多武峰妙楽寺(現在の談山神社)の別院として安部嶋山の中腹に建立された。 鎌倉時代には慶円上人が、江戸時代には玄心上人が三輪山平等寺の遍照院を移して再興し、遍照院と称した。
江戸時代中期の享保年間(1716~1735)頃、寺号が遍照院から聖林寺に改称されたようで、この頃、文春諦玄により現在の本尊・子安延命地蔵が祀られた。
明治初頭の神仏分離で談山・妙楽寺の伽藍がことごとく神社に改装され、支院が全て民家に還俗した中、聖林寺は唯一仏教寺院として残った。
観音堂に天平仏の最高傑作の一つとされる十一面観音立像(国宝)を安置。 十一面観音立像は奈良時代の天平宝字六年(762)~天平神護元年(769)の間の造立とされる。 十一面観音立像はもともと大神神社の神宮寺・大御輪寺に本尊として祀られていたが、慶応四年(1868)すなわち明治元年、神仏分離による廃仏毀釈の嵐が吹き荒れる気配が察せられ、避難のためこの寺に移された。 真言宗室生寺派で、本尊は丈六の大石仏・子安延命地蔵菩薩坐像。 大和北部八十八ヶ所霊場の第76番札所。

バスを降りて古びた石仏が点在する参道を進むと、やがて右手に城壁のような石垣の上に建つ聖林寺が見えてくる。 石段を上って山門に....門前からの眺望が素晴らしく、前方には三輪山が聳え、その左には邪馬台国の女王・卑弥呼の墓ともいわれる箸墓古墳が見える。
山門をくぐると直ぐ本堂の前庭で、本堂の前に十三重石塔や石燈籠などがあり、静かな佇まいを醸し出している。 本堂に入って本尊の子安延命地蔵石仏と対面....白くて大きな尊顔、唇に僅かに紅を差した表情がユーモラスにみえ、ふっくらとした容姿に親しみを感じた。
本堂脇から階段を上って高所にある観音堂に....装飾が殆ど施されていない堂内に、左手に水瓶を持った十一面観音立像が鎮座、その流麗で均衡のとれた美しい像容に感動した。

城壁のような石垣の上に建つ聖林寺

落ち着いた雰囲気の門前..左手の白壁塀の中は鐘楼

切妻造本瓦葺の山門..左右に連なる白壁の築地塀と調和がとれた風情だ
 
山門前に佇む石燈籠(造立年不明)と舟形光背石仏/「大界外相」の石碑..江戸時代中期の真言宗の高僧・慈雲尊者の遺筆

山門前からの眺望..桜井市街と正面にそびえる三輪山、その左に見える前方後古円墳は邪馬台国の女王・卑弥呼の墓といわれる箸墓古墳

入母屋造本瓦葺で棟両端に鯱が乗る本堂

本堂内陣に江戸中期造立で丈六の大石仏の本尊子安延命地蔵坐像を祀る
 
向拝に下がる鰐口と釣灯籠..虹梁上に龍の彫り物の蟇股/脇間の梁上に置かれた天女のレリーフ

堂正面に「霊園山」の扁額が掲げられ、鰐口と五色幕が下がる

狭い本堂前庭に佇む十三重石塔と石燈籠
 
十三重石塔の初層軸部に四方仏の種子が刻まれている
 
傾きかけた夕日を浴びる前庭/前庭の塀際にひっそりと佇む丸彫りの十一面観音菩薩立像

本堂左手の倉の様な白い建物は経蔵かな
 
観音堂への階段から眺めた堂宇の甍の波/「大悲殿」の扁額が掲げられ国宝の十一面観音立像を安置した観音堂の正面..本堂脇から階段を上がった高所に建つ
 
切妻造本瓦葺の鐘楼                             鐘楼に下がる梵鐘
 
屋根に煙出しを設けた入母屋造桟瓦葺の庫裡            自然石型の石碑

石垣の上に建つ堂宇..煙出しのある入母屋造桟瓦葺は庫裏

門前参道石段の反対側に建つ切妻造り桟瓦葺の御堂..十一面観音像と地蔵菩薩像を安置しているよう

駐車場からの参道脇に佇む7体の石仏
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宝山寺-(3) (生駒)

2017年09月28日 | 寺社巡り-奈良

【奈良・生駒市】湛海律師の祈祷は霊験あらたかで、元禄十二年(1699)、東山天皇(第113代)から皇子誕生祈願の勅命を受けて法験を発揮し、以来、明治維新まで勅願寺となっていた。
皇室や徳川将軍家などからの祈願があり聖天信仰の霊場として名高く、また、商売繁盛の神として住友家などの豪商や庶民にいたるまで広く信仰を集めた。

多くの石仏に見守られながら山中に広がる宝山寺奥之院に着く。 奥之院には不動明王を祀る本堂と湛海律師坐像を安置する開山堂の他、開山廟、大黒堂、白龍弁才天社などがある。 本堂右奥の崖傍に懸造りの大黒堂が建つ。 大黒堂の向拝から奈良盆地が遠望できるが、神々の山から望む奈良盆地はまさに下界の感がある。
開山堂の後ろにある開山廟には、五輪塔が蓮華座に鎮座し、手前左隅には湛海大和尚の石像が遠慮がちに坐している。 五輪塔は全体のバランスがよく、火輪の厚い軒口が内傾していて四隅が大きく跳ね上がっている。
開山堂の左手の石段を上っていくと歴代住持の墓所があり、多くの墓碑の五輪塔が整然と立ち並んでいる。 更に、山の斜面に白い石造明神鳥居が立つ福徳大神遥拝所があるが、鎮座する自然石型の碑には「福徳大神」ではなく「福徳大神遥拝所」と刻まれている。 下の遥拝所境内に「福徳大神」の石碑が立っていたが....この遥拝所の奥の山中にも「福徳大神」が鎮座されているのかな?

石仏に見守らてた宝山寺奥之院..入口の石柱は「百度石」

奥之院境内には本堂、開山堂、開山廟、大黒堂、白龍弁才天社などが鎮座

寄棟造本瓦葺で妻入りの奥之院本堂..宝永二年(1705)建立..獅子口が乗る大きな切妻破風の向拝
 
奥之院本堂は護摩堂を譲渡して建立された..右手に白龍弁財天社、右奥に大黒堂がある/切妻造銅板葺の手水舎..龍の水口が水鉢がある
  
切妻造桟瓦葺の白龍弁財天社..社殿前に立つ石造明神鳥居/「白龍弁財天」の扁額が掛かる/本堂右奥の崖傍に建つ大黒堂

寄棟造本瓦葺で妻入りの大黒堂

狭い向拝に「大黒天」の扁額..本尊の大黒天像は奈良盆地を向いて鎮座
 
崖に張り出すように建てられた懸造りの大黒堂/大黒堂の向拝から望む奈良盆地

奥之院に建つ開山堂..湛海律師坐像を安置している

露盤宝珠を乗せた宝形造本瓦葺の開山堂..明和六年(1769)建立
 
銅板葺唐破風の向拝は昭和三十九年(1964)附設..虹梁中備に彫刻蟇股が乗り、鰐口が下がる/開山堂傍にある仏足石

開山堂後方にある開山廟

切妻造銅板葺で妻側を正面にした廟門
 
開山廟に鎮座する五輪塔と開祖湛海大和尚尊石像/蓮華座上の五輪塔は火輪は軒厚で内傾し、四隅が大きく跳ね上がっている

山腹に設けられた「福徳大神」の遥拝所
  
「福徳大神遥拝所」と刻まれた石碑が鎮座/鳥居傍にある「𠮷光大神」と刻まれた石碑/歴代住持墓所への石垣

墓所に並ぶ歴代住持等長老墓碑の五輪塔群
  
円盤型石板に「阿」字の種子が刻まれた墓碑(と思う)/円盤型石板に「阿弥陀如来」の種子が刻まれた墓碑(と思う)/佇む宝篋印塔と宝塔

惣門前境内の右奥に建つ入母屋造本瓦葺の金剛殿..本尊不動明王坐像を祀る..車等の安全祈祷が
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