【和歌山・有田市】寺伝では、平安時代の大同元年(806)、平城天皇(第51代)の国母乙牟漏皇太后の勅願により創建され、開山は奈良唐招提寺第四世の唐僧如宝律師とされる。 創建時は七堂伽藍の大きな寺院で、平安後期の嘉応元年(1169)、箕島に城を構えた宮崎定範から70石の寺領を受けた。
戦国時代(安土桃山時代)の天正十三年(1585)、羽柴秀吉の紀州討伐に遭い、兵火により僧房や縁起文書などの殆んどが灰燼に帰したが、深い樹林の中の奥の院に在った薬師堂と多宝塔は難を逃れた。
その後永らく荒廃していたが、江戸時代初期の正保四年(1647)、紀州徳川家の初代藩主頼宣(南龍院殿)によって再興された。 頼宣公は、薬師堂・多宝塔に大修理を加え、和歌山吹上寺開山瑞禅師を中興開山として招き、禅刹として現在に至る。 宗旨は臨済宗(妙心寺派)で、本尊は木造薬師如来坐像。 薬師如来像の他に木造の脇侍と十二神将立像(6躯)を安置しているが、いずれも鎌倉時代の造立。 十二神将立像が6躯なのは、平成六年(1994)に6躯が盗難に遭ったため。
参道入り口に立つ「醫王山 浄妙寺」の寺号標石から、高い石垣の裾に沿って続く参道を上っていくと、左手に山の中腹にある境内への石段がある。 両側に手入れの行き届いた植栽がある石段を上りつめると、正面に山を背にして小棟造りの本堂の薬師堂が鎮座している。 薬師堂は鎌倉時代の建立で江戸時代に改築されたものだが、古色蒼然たる風情を色濃く残している佇まいだ。
境内の北側に、左半分が工事用テントで覆われた多宝塔が南面で建つ。 2018年11月の訪問だったが、お寺の方によると「今年の台風21号の猛烈な風雨で損傷した」とのこと。 調べたら、和歌山市では1940年以来観測史上1位の最大瞬間風速57.4メートルが観測されたようだ。
工事用足場とテントを避けるようにして多宝塔を撮影していたら、お寺の方が近づいてきて、薬師堂・多宝塔の写真と浄妙寺由来記が記されたパンフ「醫王山 浄妙寺」を呉れ、「足場の上から撮ってもいいよ」と言って上まで案内してくれたのには、非常に吃驚した。 国の重要文化財に指定されている風格漂う浄妙寺多宝塔....少し興奮しながら直ぐ間近で拝観でき、通常では絶対撮れないアングルでの撮影は感無量だった。 ちなみに、確認できた損傷は白色漆喰の亀腹で、表層の一部が剥離していた。
薬師堂の右手に方丈・唐破風の玄関・庫裡が連なって建つが、多宝塔拝観後に玄関に案内され、閉まっていた明障子戸を開けて正面の白壁に設けられた大きな丸窓を見せてくれた。 裏庭の木々が眺められる丸窓は近年の作で、嬉しそうに自慢されていた。 多宝塔を超間近で撮影するという貴重な体験をさせて頂いたお寺の方に御礼を言って、帰路に....合掌!
△参道入り口に立つ山号「醫王山」が刻まれた寺号標石....左の高い石垣の上は浄妙寺の境内/参道から境内への石段....両側に手入れが行き届いた植栽
△両側に石垣がある石段の上部
△石段を上がった境内正面に建つ本堂....薬師堂とも称し、鎌倉時代造立の本尊・木造薬師如来の他、脇侍と十二神将(6躯)を安置
△境内の左手に様を背にして多宝塔、弁天堂、大師堂が建つ
△寄棟造本瓦葺の本堂(重文)....鎌倉時代の創建で江戸時代に改築....本尊薬師如来立像、その他に脇侍や十二神将を安置
△一間向拝の礎盤に立つ面取方柱の上部に粽がある....柱上部に連三斗,水引虹梁の中備に脚間に虎(と思う)の彫刻を施した本蟇股
△正面三間の中央間に飾金具を配した両折両開の桟唐戸、内側に格子戸、脇間に花頭窓と羽目板....手挟は牡丹の彫刻
△軒廻りは二軒繁垂木、組物は出組で中備は脚間に彫刻を施した本蟇股、太い軒支輪がある....側面三面は板扉、花頭窓、羽目板
△切妻造銅板葺で丹塗りの弁天堂....右後方は本堂の薬師堂
△宝形造桟瓦葺の大師堂....左隣に赤い帽子を被り前垂れをした7体の地蔵尊石像が鎮座/大師堂に鎮座する石造りの弘法大師空海坐像
△本瓦葺の多宝塔(重文)....鎌倉時代中期の創建で、江戸時代に改修....2018年の台風21号で被害を受け、修復中
△塔高は相輪先端まで12.95メートルで、塔内の須弥壇に五智如来像を安置
△三間四方の周囲に擬宝珠高欄付き切目縁....中央間に板扉、脇間に盲連子窓と羽目板
△上層の軒廻りは二軒繁垂木で、組物は三手目と四手目が尾垂木の四手先....廻縁を支える腰組は平三斗
△下層の軒廻りは二軒繁垂木で、組物は出組で中備は脚間に彫刻を配した本蟇股、軒支輪がある
△足場が組まれた修復中の多宝塔....お寺の方のサポートで、足場に上って撮影させていただいた
△間近で見る下層の軒下....この角度で拝観するのは始めてだ!
△足場を通して眺めた上層と最上部の足場から見た相輪
△亀腹の漆喰が一部剥がれている
△上層の見事な組物....下から見えなかったが、円形の塔身に小さな装飾窓が施されている
△足場の上から眺めた手前から本堂(薬師堂)、方丈そして庫裡
△生垣に囲まれた芝生の境内に建つ方丈と鐘楼
△入母屋造本瓦葺の方丈....江戸時代初期の建築、正面に切目縁、全面ガラス戸だが古民家風の佇まい
△切妻造本瓦葺の鐘楼 梵鐘
△方丈と庫裡の間にある唐破風本瓦葺の玄関.....右に連なって入母屋造本瓦葺の庫裡
△玄関を入った正面の白壁の丸窓
△お寺の方から頂いた薬師堂・多宝塔の写真と浄妙寺由来記が記されたパンフ「醫王山 浄妙寺」
△写真のような優雅な多宝塔を見たかったが、足場を上って間近で撮影できたので、よしとしたい!