何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

于山風景区-(3) (中国)

2014年07月29日 | 史跡探訪-中国編

【中国・福建省・福州市】戚公祠エリアの補山精舎の左手奥に大きな「寿」の石刻がある榕寿岩がある。
その前で撮影をしていると、急に鬱蒼と生い茂った木々の間から陽が射し、「寿」の石刻が浮かび上がって幻想的な光景が現れた。
戚公祠の一段下に平遠台が建ち、ここにも戚継光像が鎮座。
各層壁に仏像の浮き彫りがあり、かなり風化が進んだ八角七層の文光塔は興味深い。 【榕寿岩、望象亭、文光塔、平遠台】

榕寿岩..巨石の上に「榕寿岩」と刻まれている
 
榕寿岩..巨石の南側に大きな「寿」の石刻             榕寿岩

補山精舎と榕寿岩..石刻「寿」の部分に陽が当って幻想的だ

望象亭..最初は宋代の建立、その後繰り返し再建
 
望象亭..1936年に現在地に移築                  望象亭 

文光塔
  
文光塔..八角七重の石塔、各層各面に仏像が彫られているが風化が激しい
 
平遠台                                 平遠台に鎮座する戚継光の胸像

平遠台
 
平遠台の巨石の石刻..最上部に仏塔が立つ/平遠台の左手は補山精舎
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于山風景区-(2) (中国)

2014年07月28日 | 史跡探訪-中国編

【中国・福建省・福州市】標高約59メートルの于山は、面積約12ヘクタールでさほど大きくはないが、街の中心にあって、古来から多くの史跡が残されてきた。
于山の西側の戚公祠エリアの中心には、明代の将軍で倭寇との戦いに功績のあった戚継光(1528~1587)を祀った「戚公祠」がひっそりと建つ。 祠内の正面には、堂々たる戚継光像が鎮座している。
補山精舎は「福建事変」の展示室になっているが、中国らしい悪辣な近代の日本表記にウンザリ....早々に退散した。 【戚公祠、武威台、武威塔、補山精舎】

戚公祠..戚公祠エリアの奥に建つ
 
戚公祠..明代の武将・戚継光(1528~1587)を祀る
 
堂々たる姿の戚継光像        戚公祠の内部..戚継光に纏わるものが展示
 
戚継光用過的兵器                           戚継光発明的兵器

武威台..武威塔と砲筒がある
  
武威塔..八角六重石塔の各層各面に仏像が彫られているが六重は珍しい?
 
補山精舎..最初は北宋年間に建立、その後何度も繰り返し再建

補山精舎..「福建事変」の展示室になっている

補山精舎(左は榕寿岩)
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于山風景区-(1) (中国)

2014年07月27日 | 史跡探訪-中国編

【中国・福建省・福州市】街の中心部にある五一広場の北側に位置する于山風景区は、今まで何度も散策している公園だが、今回は風景区に点在する史跡を一つひとつ巡って記録に残した。
「于山」の名称は、紀元前の戦国時代(秦による中国統一まで)、于越と呼ばれる民族がこの地を根城にしていたことに由来。 漢代、何氏九兄弟がここで修道しながら不老不死の薬「煉丹」を作っていたので、「九仙山」とも呼ばれる。
古田路に面した明代古城墻と浩然亭のある南口から史跡巡りを開始した。 【吸翠亭、廓然台、古雲寺・客服中心、戚公祠エリア内 (影雕長廊、魁石、平遠台の一部、醉石亭、醉石、蓬菜閣)】
 
明代古城墻遺跡                      五代後梁文城と宋代の外城の基礎の上に明代重建

明代古城墻と浩然亭

「于山風景区」の石標
 
吸翠亭..正徳14年(1519)建立のものを1936年に再建

廓然台(左奥は吸翠亭) 

古雲寺とあるが、現状は「客服中心」になっていて史跡の説明などがある
 
戚公祠..明代の武将・戚継光を祀る                戚公祠の入口

影雕長廊
              
魁石                   平遠台
 
醉石亭

蓬菜閣..「鬱達夫跡展」の額が掛る

醉石(右は戚公祠)

醉石と醉石亭

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水瓶で遊ぶこどもたち....!

2014年07月26日 | 街角スナップ-海外編
 
【中国・福建省・福州市】街中を散策中、工芸品等を販売する店頭に置かれた可愛いオブジェを見つけた。 大きな水瓶の縁によじ登り、一人が瓢箪の水を水瓶に注いでいる様子を楽しそうに見ている子供たち....彼らの笑顔と恰好がなんともいえない。 みると10人の子供たちの体形はいずれもやや肥満気味....。
最近急増している外資系だけでなく地元のファースト・フード店の影響では....とつい余計なことを考えてしまった。
     
     好奇心あふれる顔で瓢箪から流れ落ちる水を眺めている仕草が微笑ましい
               
                子供たちの楽しそうな笑顔には癒される
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浄蓮華院 (京都)

2014年07月25日 | 寺社巡り-京都

【京都・左京区】平安時代の承徳二年(1098)、融通念仏宗の開祖・良忍上人により建立された魚山声明の根本道場。 浄蓮華院は宿坊であるが、もとは良忍上人の住坊だった。
三千院の境内に建つ塔頭の一つで、融通念仏本堂には本尊の阿弥陀如来像の他に不動明王像、観世音菩薩像、地蔵菩薩像が祀られている。

三千院から来迎院に向かう途中に建つ寺院....門前の呂川に架かる紅染橋を渡って山門へ。 優雅さを感じる構えの山門の右側の白い袖塀に「融通念佛道場」と表記された板が掛っている。
山門に柵が置かれていて非公開のようなので、柵越しに写真を撮らせて頂いてから来迎院に向かった。

呂川越しに眺めた境内
 
門前の呂川に架かる紅染橋と白壁の袖塀のある山門..袖塀に「融通念仏道場」と表記された板が掛る

雪が残る呂川と優雅さを感じる構えの山門

山門から眺めた本堂
 
入母屋造桟瓦葺で妻入の本堂
 
茂みの中に宝形造本瓦葺のお堂                  お堂の近くの石燈籠
 
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宝泉院 (京都)

2014年07月24日 | 寺社巡り-京都
  
【京都・左京区】平安時代の長和二年(1013)に勝林院(実光坊、法泉坊など4坊の総称)の僧坊の一つとして創建されたらしいが、他説では、平安時代の寿永年間(1182~1184)に声明研究の専門学院として創建されたと伝える。
天台宗の寺院で勝林寺の塔頭....本尊は阿弥陀如来像(観音菩薩と勢至菩薩が脇侍の阿弥陀三尊像)。 境内には鶴亀庭園(江戸時代中期造園)と額縁庭園と呼ばれる盤桓園があり、特に客殿(書院かな?)の柱と柱の空間を額に見立てて盤桓園を鑑賞できることで有名。

静かな佇まいの門前....山門をくぐると庫裡へと五葉松がある盤桓園への2つの参道があり、分岐点に鎮座する3体の石仏が迎えてくれる。
抹茶とお菓子付きの拝観料を払った後、こじんまりした鶴亀庭園を廊下から眺めながら客殿(書院?)に向かう。 客殿に入ると、まるで大きな額に入った絵を見るような光景が目に飛び込んできた。 窓際に敷かれた赤い絨毯に座って五葉松と盤桓園を観賞....まさに額縁庭園だ。
暫くしてお寺の方が抹茶とお菓子を持ってきてくれたので、それを頂きながらさらに観賞を続けたが、とにかく強く印象に残る素晴らしい光景だった。

落ち着いた雰囲気の山門前

切妻造本瓦葺の山門(薬医門だったか)
 
堂宇の全景..境内参道の分岐点に3体の石仏が鎮座

左手奥の庭園に「五葉乃松」がある
 
「五葉乃松」がある庭園の質素な門..苔生した屋根は風情が漂う
 
法然上人衣掛けの石             客殿に向かう廊下の天井に下がる駕籠..左手が鶴亀庭園
 
鶴亀庭園..江戸中期作、池の形を鶴、築山を鶴、山茶花の古木を蓮葉山に見立てている/縁側の水鉢
 
囲炉裏の部屋..炉の周りに陶板をあしらい珍しい/客殿(室町時代文亀2年(1502)再建の書院かな)

客殿から眺めた「五葉乃松」

近江富士を象った「五葉乃松」

推定樹齢700年の「五葉乃松」..樹高11mでほぼ扇形の樹冠をしている
 
客殿西方の「盤垣園」(室町時代作)の竹林は冬の季節風を防いでいる/「盤垣園」の宝篋印塔と石燈籠、手前は水琴窟

窓越しに眺めた「盤垣園」の宝篋印塔と石燈籠

「石盤」..サヌカイトといわれる美しい音が出る石で、音律を調べるための楽器

宝楽園..平成17年、宝泉院境内南側の低地に造られた庭
   
宝楽園は心の内なる広大な仏・神の世界を岩組、樹花、白砂等をもって表わしたもの

宝楽園..仏神岩組雲海流水回遊花庭
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勝林院 (京都)

2014年07月22日 | 寺社巡り-京都

【京都・左京区】平安時代の承和二年(835)、最澄に師事した天台宗の僧・円仁が唐より声明を請来し、それを取り入れた天台声明の根本道場の一つとして創建。 本尊は阿弥陀如来像。
一旦衰退したものの、長和二年(1013)に寂源法師によって再興され、勝林院と命名された。
文治二年(1186)、61世天台座主・顕真僧正が浄土宗の開祖・法然上人を招き、浄土教について議論した宗論「大原問答」で知られる。 明治維新までは塔頭として宝泉院、実光院などの4院を擁していたが、維新後はそれぞれ独立し、本堂だけが勝林院として残った。

三千院の門前から北に進み未明橋を渡ると、下り坂の突き当たりに風格がある茅葺のお堂が見える。 近ずくにつれ、どっしりとした重量感を漂わせる大きな本堂が迫ってくる感じになる。
正面に本堂が建つ明るい境内に入る....本堂と鐘楼と宝蔵があるだけの伽藍だが、堂々とした厳かな本堂があるだけで歴史を感じさせてくれる。 本堂向拝の柱には「大原問答」の札が掛り、少し開いている扉から、内陣に鎮座する二重円光の光背を背にして弥陀定印を結んだ阿弥陀如来像が見える。
境内右手の山の斜面の静かな木立の中に、小さな観音堂、境内社、鎌倉時代作の宝篋印塔、五輪塔そして江戸時代作の無縫塔(墓石)がひっそりと佇む。
 
下り坂の参道から眺めた勝林院..正面奥に本堂が見える

入母屋造茅葺の本堂..江戸時代元文元年(1736)に焼失
 
本堂は安永7年(1778)、徳川家により寄進、後桜町天皇の常御所を移設して再建

天台宗特有の荘厳で堂々たる建物..魚山の根本道場らしい重々しさを見せる

本堂向拝
  
本尊・弥陀定印の阿弥陀如来像が鎮座..平安時代長保・寛弘年間(999~1012)作/両脇に室町時代後期の不動明王立像と毘沙門天立像が鎮座

向拝の柱に「大原問答」の札が掛る
 
本堂正面は桟唐戸と蔀戸、周囲には擬宝珠高欄のある縁が設けられている
 
本堂の縁から向拝を眺める

本堂外陣の中央3間の欄間にある彫刻

宝蔵
 
鐘楼と梵鐘..いずれも平安時代の建立&鋳造         手前の池は放生池か?

守護社の日吉山王社(正面)、右は観音堂

日吉山王社と観音堂から眺めた本堂
  
日吉山王社              観音堂           石造宝篋印塔..鎌倉時代正和5年(1316)作

二重壇の宝篋印塔
 
五輪塔                 最胤親王之墓(無縫塔)..江戸時代前期作
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三千院-(2) (京都)

2014年07月21日 | 寺社巡り-京都

【京都・左京区】鎌倉時代の貞永元年(1232)に梶井宮を焼失、以後、京都を転々とし、江戸時代に入って御車小路梶井町に寺領を拝領して移転した。 明治四年(1871)、梶井町の本坊を廃し、大原の政所を梶井門跡の本拠と定めて移転、梶井宮の持仏堂の名をとって三千院と称した。
三千院は天台宗の三門跡寺院(他は青蓮院、妙法院)の中でも最も歴史が古い。 往生極楽院は平安時代末期から大原の地にあった阿弥陀堂だが、本坊が移転してきた明治四年から三千院の境内に取り込まれたもの。

参道を進むと淡い朱色の明神鳥居が立ち、直ぐ奥の石垣の台座の上に琵琶を弾く天女・弁財天が鎮座。 先へ進むと左手に金色不動明王像を祀る祈願道場・金色不動堂、その先に朱柱と白壁のコントラストの観音堂が建つ。 観音堂から杉木林の中の庭園に....小さな小川のせせらぎを聴きながら進み、律川に架かる橋のたもとに鎮座する「大原の石仏」と言われる阿弥陀如来像を参拝してから西方門に向かった。
 
京の七福神「妙音福寿大弁財天」が鎮座している

金色不動堂..平成元年(1989)建立、入母屋造と切妻造とを合体したような本瓦葺の建物
 
金色不動堂には本尊の金色不動明王像が祀られている
 
金色不動堂は三千院の祈願道場
 
観音堂..朱柱と白壁のコントラストがいい

入母屋造銅板葺で妻入りの観音堂
 
観音堂がある境内に立つ草木供養塔、そして幾つかの石碑が並ぶ
  
杉木林の中に石を敷いた参道    杉木林の中の小川        宝篋印塔

律川に架かる橋..橋のたもとの畔に大きな石仏が佇む
 
弥陀定印を結ぶ阿弥陀如来像(鎌倉時代作)..俗に「大原の石仏」と言われる
  
西方門                   円融房                円融蔵前から眺めた庫裡

円融蔵..唐破風の玄関がある

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三千院-(1) (京都)

2014年07月20日 | 寺社巡り-京都

【京都・左京区】奈良時代の延暦七年(788)、天台宗の開祖・最澄が比叡山に根本中堂を創立した時、東塔南谷の梨の木の下に一宇を構えたのが起源。
古くは自刻の薬師如来像を本尊とした円融房と称し、平安時代の貞観二年(860)、清和天皇の命により承雲和尚が比叡山の山麓の近江東坂梶井に円融房の里坊を設けた。 平安時代末期・大治五年(1130)、堀河天第2皇子の最雲法親王が梶井14世となって梶井宮を名乗り、代々皇室から住持を迎え入れる門跡寺院となった。
門跡寺院となった時、比叡山の北方の大原に梶井門跡の政所が設置され、大原の里に住みついた念仏行者の取り締まりと、以前から大原にあった来迎院、勝林院などの寺院を管理した。

呂川の流れに沿って遡ると白壁と石垣を廻らした三千院が見え....土産店が立ち並ぶ門前に着く。 城郭のような高い石垣に囲まれた御殿門をくぐって境内に....客殿から拝観をスタート。
客殿前には池泉観賞式庭園の小庭聚碧園が広がり、宸殿前には一面が苔で覆われ杉や檜の古木が聳える有清園がある。 宸殿から有清園に下りて進むと、平安時代末期の面影を見せる往生極楽院が雅かな園内にひっそりと建つ。 柔らかく一面をおおっている苔の中に佇む「わらべ地蔵」に癒されながら、金色不動堂に向かう。
 
門跡寺院にふさわしい風格の御殿門..「三千院門跡」

客殿..- 慶長年間(17世紀初)に建て替えられた旧御所の旧材を用いたもの

客殿内の展示物「如意」
 
客殿前の聚碧園(江戸初期の茶人金森宗和修復の池泉観賞式庭園)..杉木立の中に往生極楽院が
 
宸殿への回廊脇の清浄水      入母屋造桟瓦葺の宸殿(御所風の建物)..大正15年(1926)建立
  
宸殿の向拝..本尊薬師瑠璃如来像を祀る/御懺法講の道場/有清園の池越しに眺めた宸殿

有清園に佇む地蔵尊像越しに眺めた宸殿

宸殿前に広がり、一面に苔が生し杉や檜が聳える有清園

有清園の中にひっそりと佇む簡素な往生極楽院
 
単層入母屋造柿葺妻入の往生極楽院..寛和2年(986)、日本浄土教の祖恵心僧都(源信)建立/本尊の阿弥陀三尊坐像..久安4年(1148)作の定朝様

弁天池から眺める往生極楽院..弁天池に注がれる延命水
  
有清園から眺めた往生極楽院..簡素な佇まいが有清園の自然美と調和している

苔が生した有清園に佇む石燈籠とわらべ地蔵
 
わらべ地蔵
 
西方門                 往生極楽院の南側にある朱雀門..極楽院を本堂としていた頃の正門
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金蔵院 (小金井)

2014年07月19日 | 寺社巡り-東京

【東京都・小金井市】創建年代は不詳だが、室町時代の永禄九年(1566)に興教大師覚鑁上人により中興され、小金井村の鎮守・天満宮(現小金井神社)の別当寺だった。
江戸時代享和三年(1803)に焼失した本堂は文政二年(1819)に再建され、大正十一年(1922)に破風造りの屋根に直し、平成二年(1990)に改築建立された。 多摩八十八ヶ所霊場31番の寺院で、小金井市で最古のお寺といわれている。 宗派は真言宗で、本尊は十一面観世音菩薩像。

落ち着いた雰囲気の門前に立つ寺号(院号)を刻した大きな石標を見ながら、山門をくぐって境内に....。
直ぐ左手に石仏などの古い石造物が整列して佇み、正面には巨木の枝葉に隠れるようにして建つ大きな本堂が....。 重厚な本堂の左手には弘法大師像が鎮座し、参拝者を迎えてくれているようだ。
境内に聳える幹周り3.9mのケヤキと3.7mのムクノキの巨木は樹齢300年以上と推定され、特にケヤキの太さは市内有数のものとのこと。

山門(四脚門)..右手に寺号(院号)刻の大きな石標が立つ

山門から眺めた境内..正面に本堂が建つ

山門近くの参道脇に佇む石造物群..左後方の供養塔2基は元禄4年(1691)と宝暦13年(1763)作
  
小さな地蔵石像と五輪塔/十一面観音菩薩石像/石仏群..手前の石仏は室町時代延文5年(1360)

本堂(大悲殿)..左側に弘法大師(空海)像が鎮座
 
本堂近景..推定樹齢300年以上のムクノキの巨木に遮られている

重厚感のある本堂向拝
 
本堂の前に鎮座する空海像..台座に「南無大師遍照金剛」とある

本堂向拝

入母屋銅板葺で妻入りの重厚な本堂

開星稲荷社のある境内から眺めた本堂

形造銅板葺の薬師堂..天保13年(1842)のお堂を昭和58年(1983)再建
  
須弥壇の薬師如来像がよく見えない/境内参道に敷かれた石/薬師堂近くに佇む石燈籠

山門近くに立つ供養塔
 
境内社の開星稲荷社

本堂右手に建つ庫裡

洗練された造りの庫裡
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三光院 (小金井)

2014年07月17日 | 寺社巡り-東京

【東京・小金井市】昭和九年(1934)、江戸幕府の幕臣だった山岡鉄舟が晩年の住まいとして購入した土地に尼寺として創建された。 初代住持には京都嵯峨野の曇華院から米田祖栄禅尼が招かれた 。宗派は臨済宗で、本尊は釈迦如来像。
山岡鉄舟は、勝海舟と西郷隆盛の会談をセッティングし、明治維新後に明治天皇の側近となった人物で、晩年は台東区谷中に臨済宗寺院全庵を建て庵主として過ごした。 また、米田祖栄禅尼がいた曇華院は足利義満の祖母が開いた尼寺で、代々皇女が入山していたので「竹の御所」と呼ばれた古刹。

袖塀のある簡素な山門をくぐって境内に....直ぐ右手にソメイヨシノの古木が聳え、左側には木立の中に石仏が点在する庭が広がる。 庭の石仏は尼僧が彫ったものらしいが、どれも愛らしく穏やかなお顔なので尼僧だと思う。
本堂右手の庫裡への道の真ん中に紐で縛った小さな石が置かれている....進入禁止の意味だろうか?
本堂正面の左側だけに1つの花頭窓があり、その前の回縁に「精進料理」と書かれた木造物がさりげなく置かれているが、精進料理が味わえる寺として人気があるそうな。
 
静かな門前に「不老門」の碑が立つ

切妻造桟瓦葺の簡素な山門(四脚門)

何かの顔に見える蟇股
 
山門から眺めた境内..奥に本堂左に庭があり、手前右の古木はソメイヨシノ

入母屋造桟瓦葺の本堂..昭和九年(1934)建立

質素な造りの本堂

本堂には回縁が設けられ、正面は左側のみに1つの花頭窓がある
 
本堂右手の庫裡..庫裡への参道の真ん中に紐で縛った小さな石が置かれている

本堂前の庭から眺めた本堂

本堂前の庭

本堂前の庭に石仏が点在している
  
どの石仏も愛らしく穏やかなお顔なので尼僧と思う

本堂の後方にある建物で「竹の御所流精進料理」と呼ばれる料理が味わえる
  
竹が茂る中に墓石が佇む墓石群..手前は無縫塔か/境内社/「箸塚」か?
 
境内参道の右手ある石製の水鉢                 石陰に佇む合掌する石仏
 
庭に佇む石燈籠と頭を傾けた現代的な石仏/庭の石燈籠越しに眺めた本堂
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元町八幡神社 (国分寺)

2014年07月16日 | 寺社巡り-東京

【東京都・国分寺市】江戸時代の元和年間(1615~1624)の創建と言われるが定かではないが、資料では社殿は享保五年(1720)築。 祭神は大和朝廷第15代天皇の応神天皇で、根本社は宇佐八幡宮(大分県)である。 境内社として祓戸神社と榛名神社が祀られている。

八幡鳥居をくぐって鬱蒼とした参道を進む....緑と静寂につつまれた境内の奥にオレンジの屋根の社殿が建つ。 拝殿(外院)の屋根には千鳥破風と唐破風があり、棟木だけでなく千鳥破風と唐破風にも千木や堅魚木が設けられている。 国分寺近くに鎮座する神社であり、風格のある社殿から歴史を感じさせる。
 
八幡鳥居と鬱蒼とした参道   緑と静寂に包まれた社殿前の厳かな境内

風格を感じさせる八幡造りの社殿..入母屋造銅板葺で平入り

拝殿(外院)には外削ぎの千木と奇数(5本)の堅魚木..外削ぎ及び奇数は男神を示す

千鳥破風と唐破風にも千木や堅魚木が設けられている

拝殿の向拝の虹梁

手水舎と祓戸神社と榛名神社並ぶ
  
祓戸神社              榛名神社             祓戸神社前に鎮座する霊獣の狛犬

手水舎

相の間で繋がれた外院(右)と内院

境内の左奥に立つ3基の石碑
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店番しているおじさん....?!

2014年07月14日 | 街角スナップ-海外編

【中国・福建省・福州市】市内の歴史文化観光地「三坊七巷」にある筆屋さんの店頭で、のんびりと店番をしているおじさんを見つけた。
古典的な衣装を身にまとい、右手で顎鬚を触りながら穏やかな顔で外を眺めている。 暫くして、おじさんがピクリとも動かず同じ表情で座っているのに気付き、近寄ってみたら、なんと人形だった。
昔、何度か蝋人形をみたことがあったが、今までみた中でも一番リアルなので吃驚した。
 
あまりにも精巧でリアルなので、傍に行って確認する人とカメラに収める人が絶えなかった

離れてみるとまさにのんびりと店番をしているおじさんだ!
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国分寺-(2) (国分寺)

2014年07月13日 | 寺社巡り-東京

【東京都・国分寺市】本堂境内をでてお鷹の道を少し散策し、「おたかの道湧水園」を見学した後本堂の西側に建つ薬師堂に向かう。
鬱蒼と木々が茂る参道の石段を上ると仁王門があり....阿形・吽形の仁王像が安置されている。 更に石段を上って薬師堂がある境内に....閑寂な境内の木立の中に、古色蒼然たる佇まいの薬師堂がひっそりと建つ。 薬師堂の後方にはたくさんの石仏が並び、本尊の薬師如来坐像を見守るかのように本堂を向いて鎮座しているのが印象的だった。
 
石段下から仁王門の屋根が../仁王門は宝暦年間(1751~1761)建立で入母屋造桟瓦葺八脚門

仁王門の建築材は建武2年(1335)建立の旧薬師寺の建物に使用されていたものを再利用
  
享保3年(1718)造立の2体の仁王像を安置/仁王門の傍に佇む小さな石碑/石段の上に建つ薬師堂

薬師堂前の参道脇に佇む石像..小さい頭部は別物だろう

薬師堂..宝形造(板金葺?)の薬師堂は宝暦年間(1751~1761)再建
 
本尊木造薬師如来坐像が鎮座..平安末期~鎌倉初期の作/向拝前の柵に掛っている薬師如来の看板

回縁の疑宝珠高欄
 
簡素な向拝だが、虹梁の上下や木鼻の彫刻が晴らしい

鐘楼越しに眺めた薬師堂
  
鐘楼                境内に立つ石塔は石幢かな? 端正な形の手水舎

妻側が唐破風で珍しい両部式で建てられた手水舎

薬師堂の後方に並んで鎮座する石仏群 この仏像は千手観音像か?

本尊の薬師如来像を見守っているようにみえる
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国分寺-(1) (国分寺)

2014年07月12日 | 寺社巡り-東京

【東京都・国分寺市】奈良時代天平十三年(741)の聖武天皇の「国分寺建立の詔」によって諸国に建立され、武蔵国では国府(現在の府中市)の北の広大な平地と豊かな湧水に恵まれた地に約20年の歳月をかけて国分僧寺・国分尼寺(武蔵国分寺)が建立された。
壮大な規模を誇った武蔵国分寺は、鎌倉時代末期の元弘三年(1333)五月の新田義貞の戦火で焼失したが、寺地は全国でも最大級で七堂伽藍を配置、七重塔は基壇から60m以上と推定されている。
現在の国分寺は江戸時代に再建されたもので、宗派は真言宗、本尊は薬師如来像。

参道に規模は大きいが簡素な造りの楼門が建ち、一礼してから門をくぐって本堂がある境内へ。
本堂境内は緑の木々に覆われ静寂に包まれているが、陽が燦燦とふりそそいでいて明るい雰囲気だ。
直ぐ正面に建物の半分が木に覆われた本堂が建つが、重量感のある唐破風の向拝と虹梁の上の彫刻が印象的だ。
本堂の前庭は「万葉植物園」になっていて、万葉集に詠まれた植物160種が植えられている。

参道から眺めた楼門..江戸時代後期作

楼門..米津寺(東久留米市)の楼門を明治28年(1895)に移築
 
上層の回縁に擬宝珠高欄を設けた簡素な楼門

門前から眺めた緑に包まれた本堂
 
緑の木々が繁る境内に荘厳な本堂とその右隣に庫裡が建つ

宝形造銅板葺の本堂..重量感がある唐破風の向拝

本堂向拝の虹梁の上の見事な装飾彫刻..龍と鳳凰

虹梁の上の龍の彫刻と蟇股

霊獣(龍)の木鼻

落ち着いた雰囲気の本堂正面..両側の2つの花頭窓がいい

本堂右隣は客殿か?

立派な唐破風の客殿?の入口

境内右手の庭は「万葉植物園」..万葉集に詠まれた植物160種を植栽、また歌が表記されている
 
静寂が漂う「お鷹の道」/「おたかの道湧水園」の長屋門..武蔵国分寺跡資料館と湧水源を見学した
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