【京都・左京区】奈良時代の延暦七年(788)、天台宗の開祖・最澄が比叡山に根本中堂を創立した時、東塔南谷の梨の木の下に一宇を構えたのが起源。
古くは自刻の薬師如来像を本尊とした円融房と称し、平安時代の貞観二年(860)、清和天皇の命により承雲和尚が比叡山の山麓の近江東坂梶井に円融房の里坊を設けた。 平安時代末期・大治五年(1130)、堀河天第2皇子の最雲法親王が梶井14世となって梶井宮を名乗り、代々皇室から住持を迎え入れる門跡寺院となった。
門跡寺院となった時、比叡山の北方の大原に梶井門跡の政所が設置され、大原の里に住みついた念仏行者の取り締まりと、以前から大原にあった来迎院、勝林院などの寺院を管理した。
呂川の流れに沿って遡ると白壁と石垣を廻らした三千院が見え....土産店が立ち並ぶ門前に着く。 城郭のような高い石垣に囲まれた御殿門をくぐって境内に....客殿から拝観をスタート。
客殿前には池泉観賞式庭園の小庭聚碧園が広がり、宸殿前には一面が苔で覆われ杉や檜の古木が聳える有清園がある。 宸殿から有清園に下りて進むと、平安時代末期の面影を見せる往生極楽院が雅かな園内にひっそりと建つ。 柔らかく一面をおおっている苔の中に佇む「わらべ地蔵」に癒されながら、金色不動堂に向かう。
門跡寺院にふさわしい風格の御殿門..「三千院門跡」
客殿..- 慶長年間(17世紀初)に建て替えられた旧御所の旧材を用いたもの
客殿内の展示物「如意」
客殿前の聚碧園(江戸初期の茶人金森宗和修復の池泉観賞式庭園)..杉木立の中に往生極楽院が
宸殿への回廊脇の清浄水 入母屋造桟瓦葺の宸殿(御所風の建物)..大正15年(1926)建立
宸殿の向拝..本尊薬師瑠璃如来像を祀る/御懺法講の道場/有清園の池越しに眺めた宸殿
有清園に佇む地蔵尊像越しに眺めた宸殿
宸殿前に広がり、一面に苔が生し杉や檜が聳える有清園
有清園の中にひっそりと佇む簡素な往生極楽院
単層入母屋造柿葺妻入の往生極楽院..寛和2年(986)、日本浄土教の祖恵心僧都(源信)建立/本尊の阿弥陀三尊坐像..久安4年(1148)作の定朝様
弁天池から眺める往生極楽院..弁天池に注がれる延命水
有清園から眺めた往生極楽院..簡素な佇まいが有清園の自然美と調和している
苔が生した有清園に佇む石燈籠とわらべ地蔵
わらべ地蔵
西方門 往生極楽院の南側にある朱雀門..極楽院を本堂としていた頃の正門