何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

常立寺 (藤沢)

2012年12月31日 | 寺社巡り-神奈川

【神奈川・藤沢市】創建年や開基は不明だが、鎌倉時代の文永八年(1271)の日蓮上人法難以前の創建で、もともとは、龍ノ口処刑場で処刑された罪人を弔うために建立された。
創建時は真言宗の回向山利生寺というお寺だったが、室町時代の享禄五年(1532)、法華寺(現円融寺)7世日豪を開山として日蓮宗に改宗、寺名も常立寺と改められた。
建治元年(1275)、中国を制覇した元が杜世忠らを日本に派遣(最初の元寇後)して服属を求めてきたが、八代執権北条時宗の命で鎌倉に護送され、龍ノ口で処刑されこの地に葬られた。
杜世忠らが眠る「元国使の塚」に5基の五輪塔がある。

真っ直ぐに伸びた参道を進む....両側は木々に覆われ、参道脇に幾つかの石燈籠がひっそりと佇む。
山門から眺めると、イチョウの落ち葉が少し敷かれた境内の正面に本堂が建ち、参道右手に鎮座する赤い帽子を被った六地蔵が参拝者を迎えてくれる。
静寂が漂う境内に足を踏み入れる....本堂前には初春を待つ紅白の枝垂れ梅の木があり、花がほころぶ頃には多くの参拝者が訪れるらしい。 そして、日本に「元使塚」服属を求めてきて処刑された元の杜世忠らが眠る五輪塔前に....合掌。
蒙古襲来の恐怖と服属勧告という屈辱を強烈に受けたはずの北条時宗が、杜世忠らの処刑を命じた心境....を思いながらお寺を後にした。

木々に覆われた参道
 
切妻造銅板葺くの山門と石燈籠が佇む落ち着いた雰囲気の参道

本堂前には枝垂梅の木が立つ初春には紅白の花を咲かせるらしい
  
山門から眺めた境内..右手に鎮座する六地蔵が迎えてくれ、銀杏の落ち葉が静寂を醸し出している

入母屋造瓦葺の本堂..左右の大きな連子窓と連子のある桟唐戸
 
質素な造りの向拝だが、木鼻と虹梁上の龍の彫刻は趣があっていい

本堂前に立つ石燈籠
  
無縁供養の石仏塔           「享保」(左)と「宝永」(右)の元号が刻まれた石仏

お堂越しに眺めた本堂
 
境内の右手に建つお堂など、塀の脇に立つ鐘楼と多層塔(13重石塔)

静かな佇まいの境内..絵になる風景だ
  
「誰姿森元使塚」..5基の五輪塔は北条時宗の命で斬首された杜世忠ら5人の供養塔「五輪塔」に巻
かれた青い布はモンゴルで英雄の意味
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常勝寺 (横須賀)

2012年12月29日 | 寺社巡り-神奈川

【神奈川・横須賀市】調べたが創建や由緒は分からず、単立寺院のお寺らしい。(意外に単立寺院が多い)

整備された広い参道の入口近くに「寳泉山 常勝寺」と刻まれた石碑が立つ。 参道の奥の石段の上には、重厚な切妻造銅板葺の山門と入母屋造銅板葺の本堂が、中心を僅かにずらした位置で重なる。
袖塀を持つ四脚門を眺めながら石段を上って境内に....山門から数メートル先に重厚な本堂が建つが、大きな唐破風の向拝が迫ってくる感じだ。
本堂正面の連子窓とその上の菱格子欄間、そして桟唐戸には風情を感じるが、中央の扉がガラス戸(桟唐戸と重なる?)に寺前風景が映っていたのは頂けなかった。
本堂右手には墓所があり、その片隅に、享保の年号が刻まれた石仏群や庚申塔、多宝塔、宝篋印塔そして箱型墓石が整然と佇んでいて、古と静けさとを感じさせる。

整備された広い参道
 
石段の上に山門と本堂が中心を少しずらして重なっている  袖塀を備えた重厚な四脚門

山門の脇に立つ立派な手水舎

手水舎越しに眺めた本堂

入母屋造銅板葺の本堂..向拝の屋根は大きな唐破風
 
本堂の向拝..大虹梁と二重虹梁にそれぞれ大きな蟇股が  本堂前の銅製(?)の燈籠

本堂前の境内..右奥に墓所がある
 
本堂の向拝と縁側回廊の高欄にはピカピカの疑宝珠が..
 
本堂前に本堂に向かった佇む観音菩薩像/重厚な造りの本堂と左は客殿か? 

石仏群..享保の年号のものが多いようだ
 
石仏、庚申塔、多宝塔、宝篋印塔が佇む/墓石前の小さな舟形光背の石仏は千手観音菩薩像か?

箱型墓石や石仏が整然と鎮座
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満願寺 (横須賀)

2012年12月23日 | 寺社巡り-神奈川

【神奈川・横須賀市】平安時代末期の創建と見られる開達明岩正因を開山とする臨済宗の寺院で、本尊は釈迦如来像と阿弥陀如来像。
19歳で源平合戦に参加した三浦大介義明の末子・佐原十郎義連によって建立されたと伝わるが、そうであるなら、佐原十郎義連は建久二年(1191)にこの世を去っているので平安末期の創建といえる。
本堂裏山の竹薮に質素な観音堂と佐原十郎義連の廟所があり、廟所には義連の墓と伝えられている大きな五輪塔が立つ。 また、本堂前には、江戸幕府末期の幕末時に浦賀奉行所与力で俳人でもあった中島三郎助の筆による慶応二年(1866)建立の松尾芭蕉の句碑が佇む。 本堂右手の収蔵庫には、鎌倉時代作の観音菩薩像、地蔵菩薩像、毘沙門天像、不動明王像が奉られている。

岩戸山麓に広がる境内に入るとに緑に囲まれた簡素な本堂が建つ....本堂の柱に「秋の七草 第2番 撫子の寺」と書かれた看板が掛る。
本堂左手の苔生した石段を上り、竹藪の中に立つ観音堂に....正面の両側に大きな花頭窓のある観音堂がひっそりと建つ。 観音堂の右手には、瓦土塀に囲まれた三浦大介義明の子「佐原十郎義連」の小さな廟所があり、幾つかの五輪塔や宝篋印塔が....ひときわ大きい五輪塔が佐原十郎義連の墓といわれる。
高さ174cmの佐原十郎義連の五輪塔の水輪、火輪はもともとのもので、空輪、風輪、火輪はのちに加えられたもの。

寺門から眺めた深い緑に覆われた境内

参道を進むと本堂が見えてくる
 
境内の庭(雑草が多いが?)にひっそりと佇む石燈籠

入母屋造瓦葺の本堂..向拝がなく全面が硝子の格子戸に

本堂と庫裡は火災で焼失、戦後に再建された
  
本堂軒の柱に「秋の七草 第2番 撫子の寺」とある/慶応二年(1866)建立の芭蕉の句碑..幕末の浦賀奉行所与力で俳人の中島三郎助の筆

静かな佇まいの境内
  
観世音の石柱/天保二年の銘が刻まれた萬霊塔/境内に鎮座しているかわいいお地蔵さん

観音堂への石段の下に2基の石祠と六地蔵が鎮座している
 
石祠..稲荷神の使いのキツネが守護している/観音堂への苔生した石段
 
本堂裏山の竹藪の中にひっそりと佇む観音堂/観音堂..以前は寄木造りで鎌倉期の観音菩薩像と地蔵菩薩像を安置していた
 
簡素な観音堂の近景..花頭窓が印象的だ

三浦大介義明の子「佐原十郎義連」の廟所
  
鎌倉期の形式を持つ五輪塔(高さ174cm)が佐原十郎義連の墓といわれる
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徳蔵寺 (東村山)

2012年12月22日 | 寺社巡り-東京

【東京・東村山市】鎌倉時代末期の元弘二年(1332)創建といわれる古刹で、江戸時代の元和二年(1616)に璧英宗趙禅師を開山として中興され、江戸末期には赤坂の種徳寺末だった。
臨済宗(禅宗)大徳寺派に属し、本尊は白衣観世音菩薩。
江戸時代中期、永春庵を八国山から徳蔵寺境内に移設したが、永春庵が所蔵していた「元弘の板碑」(国指定重要文化財)も移された。「元弘の板碑」は、新田義貞の鎌倉攻めの際にこの付近で討死した武将を供養して建てられたといわれ、元弘の役の史実を裏付ける貴重な資料。 また、「元弘の板碑」の他、本堂に保存されていた板碑や、境内から発掘された板碑や宝篋印塔、武蔵野一帯から収集され多くの板碑などが、「徳蔵寺板碑保存館」に保管されている。

道路を歩いていたら突然現れたような佇まいのお寺で、真新しそうな山門が立ち、外壁を補修中の大きな「徳蔵寺板碑保存館」がデ~ンと迫ってくる。 古刹ではあるが、本堂、客殿、庫裏、永春庵はいずれも昭和後半に改築されたもの、そして山門は数年前に新築されたものでピカピカだ。
境内を散策した後、「徳蔵寺板碑保存館」を拝観....物凄い数の板碑が所狭しと壁に展示されている光景は、壮観だ。 「元弘の板碑」の前に立って、新田義貞の鎌倉攻めで戦いで無念の死を遂げた多くの武将たちに思いを馳せた、が、保存館で一番印象に残った板碑は、写真による展示ではあるが埼玉県江南市にある「日本最古の板碑」だった。

山門..もともと山門がなく平成二十二年に新築された

永春庵(左)には本尊の聖観世音菩薩が祀られている
 
大きな4基の石燈籠の奥に本堂が立つ..静かな佇まいの境内だ

左から六地蔵尊、正位寺跡地蔵尊、供養宝塔が並ぶ

正位寺跡地蔵尊
 
十一面観世音菩薩が鎮座する供養宝塔            供養宝塔前に立つ板碑

石燈籠越しに眺める供養宝塔と本堂
 
本堂は入母屋造銅板葺で重厚な造りだ

手入れが行き届いた静かな佇まいの境内
 
本堂前面だが向拝部分がない構造?    本殿の右奥に佇む客殿と庫裡

客殿
 
庫裡                                   庫裡前に佇む石燈籠

本堂右手前に立つやや古そうな庵かな?
 
庵?前に佇む小さな石燈籠  「貞享二年」刻の石仏(1682年、江戸時代)

徳蔵寺板碑保存館..ちょうど外装工事中だった

宝篋印塔や板碑が陳列されている..右奥に「元弘の板碑」が展示

壁一面に展示された板碑群
 
「元弘の板碑」..南北朝時代元弘三年(1333)作/新田義貞公鎌倉稲村ケ崎にて龍神に献刀の図
  
比翼碑(左)..対になっている板碑で室町時代延文四年(1359)作/獣脚付蔵骨器(中)..約1200年前の作/日本最古の板碑(写真)(右)..鎌倉時代嘉禄三年(1227)作
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大善院 (東村山)

2012年12月15日 | 寺社巡り-東京

【東京・東村山市】創建は不詳だが、もともとは八王子市本寺恵日山圓通寺の塔頭(脇寺)で、縁起によると、 室町時代末期の天正元年(1572)に旧修験を廃して正寺格に改め恵日山大善院と称したのが始まりとされる。 江戸時代の正徳二年(1712)、出家得度をし修行を重ねて天台宗大善院の住職になった東村山出身の信仰心の深い在家信者が、東村山に同院の移設を願望して奔走。 明治三十二年(1899)、慈善和尚を開山として東村山に同院が移された。
阿弥陀如来像をご本尊に、不動明王像、水子地蔵菩薩像、七福神、白衣観音菩薩像などを奉安、更に、境内築山に不動明王眷属三十六童子を祀る。

「天台宗 野口不動尊 大善院」と書かれた看板から狭い路地のような参道を抜けると、道を挟んだ向こう側の境内の正面奥に、唐破風の屋根の向拝がある本堂(不動堂)が見える。
本堂に向かうと、両側の築山の上に鎮座する制多迦童子(左)と矜羯羅童子(右)が静かに迎えてくれた。 境内左手に富士山の溶岩で造られた築山があり、唐金製の不動明王像を中心にした三十六童子像が立ち並んでいる光景は壮観だ。
本堂左手には地蔵堂が建ち、堂前に赤子を抱いたお地蔵さまが鎮座、また、築山の裏には七福神が鎮座していて、ここで七福神巡りができる。
 
参道から眺めた大善院     門前から眺めた大善院

両側の築山の奥に建つ本堂....手前両側の築山に童子像が鎮座
  
本堂前の築山に鎮座する制多迦童子像(左)と矜羯羅童子像(右)、参道脇に童子像の碑が....

寄棟造銅板葺で妻入りの本堂(不動堂)....向拝の屋根は唐破風
  
本堂向拝の近景....軒下に沢山の釣燈籠が下がる       向拝前に置かれた線香炉か?

落ち着いた佇まいの本堂

水子地蔵菩薩が祀られている擬宝珠を乗せた宝形造銅板葺の地蔵堂
 
地蔵堂前の祀られた赤子を抱く水子地蔵尊像と築山裾野側に鎮座するお地蔵様
 
傳教大師御尊像(天台宗比叡山延暦寺の開祖最澄像)と富士山の溶岩で造られた築山
 
築山に立つ不動明王眷属三十六童子像/高さ7mの築山最頂に鎮座する不動明王像

七福神巡り参道の脇に鎮座する福禄寿様と弁財天様

七福神巡り参道の脇に鎮座する大黒様と恵比寿様
 
手水舎               傳教大師御尊像から眺めた境内
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轢かれた自転車....!

2012年12月13日 | 何気ない風景-海外編

【中国・福建省・福州市】バスの車窓から偶然捉えた事故現場....右折中の乗用車に自転車が巻き込まれるように轢かれた光景。 右側通行の中国では、車は赤信号でも右折できる所があるのと車の信号無視が少ないことから、多分、非は自転車にあり、赤信号で横断歩道を渡ろうとして乗用車に巻き込まれたものと推察。
歩行者や電動自転車などが、横断歩道の赤信号を無視して渡る....危険な行動であるが、日常茶飯事の光景だ!

自転車に乗っていた人は路上に座り込んだままだが、大丈夫なのかな?

警官はただ見ているだけで、座り込んでる人を安全な所に移動しない....何故?
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