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【お知らせ】8月11日(月)、 アメーバブログ にて「何気ない風景と独り言」を開設いたしました。 ご訪問をお待ちしております。

【東京・大田区】関東に現存する最古最大の五重塔。
鎌倉時代弘安五年(1282)に創建された池上本門寺(開山は日蓮聖人)の境内に聳える五重塔で、第2代将軍徳川秀忠の病気平癒祈願が成就したため、慶長十三年(1608)、江戸幕府によって建てられた。 明治四十四年(1911)、国指定重要文化財に。 関東には江戸時代に建立された五重塔が四基現存するが、塔高約29メートル、初重のみが和様、二重以上が禅宗様(唐様)で、両様式を混用した建築様式が特徴。 江戸時代建立の五重塔は、池上本門寺以外では法華経寺、旧寛永寺そして日光東昭宮にある。
軒廻りは各重いずれも二軒だが、初重は繁垂木で二重以上は扇垂木。 組物は各重いずれも三手先だが、初重は三手目だけが尾垂木で二重以上は二手目と三手目が尾垂木。 中備は初重が脚間に十二支を配した彩色された蟇股で、二重以上は間斗束(蓑束?)。 二重目の円柱の上に粽が確認できるので、三重以上も同様と思われる。 また二重以上には逆連柱高欄の廻縁があり、出三つ斗の腰組で支えられている。 上層への逓減率が少なく、短い相輪、さらに心柱が初層天井の梁上に立つなどの特徴があり、極めて貴重な塔建築。

△慶長十三年(1608)建立の五重塔....徳川二代将軍秀忠の乳母・正心院日幸尼(岡部局)が秀忠の病気平癒を願って建立された....塔内には一塔両尊像と四菩薩像を安置

△方三間で、塔高(基壇から相輪先端まで)は約29m、屋根は初重と二重が本瓦葺で三重以上は銅板瓦葺、建築様式は初重が和様で二重以上は禅宗様

△初重は高欄無しの切目縁、二重以上は逆連頭の禅宗様高欄を設けた切目縁、また二重以上の中備は詰組ではなく間斗束のようだ、腰組は出三ツ斗/軒廻りは各重二軒で、初重は繁垂木、二重以上は禅宗様の扇垂木....組物は初重が三手目が尾垂木の三手先、二重以上は二手目と三手目が尾垂木の三手先

△初重各面は中央に桟唐戸、両脇間は連子窓ではなく羽目板に格狭間形の装飾を施している....二重目の円柱に粽が確認できる(二重以上は全部にある?)

△初重に蛇腹軒支輪を設けている....中備は彩色が施された透蟇股で、脚間に十二支の彫刻
【お知らせ】8月11日(月)、 アメーバブログ にて「何気ない風景と独り言」を開設いたしました。 ご訪問をお待ちしております。

【東京・大田区】関東に現存する最古最大の五重塔。
鎌倉時代弘安五年(1282)に創建された池上本門寺(開山は日蓮聖人)の境内に聳える五重塔で、第2代将軍徳川秀忠の病気平癒祈願が成就したため、慶長十三年(1608)、江戸幕府によって建てられた。 明治四十四年(1911)、国指定重要文化財に。 関東には江戸時代に建立された五重塔が四基現存するが、塔高約29メートル、初重のみが和様、二重以上が禅宗様(唐様)で、両様式を混用した建築様式が特徴。 江戸時代建立の五重塔は、池上本門寺以外では法華経寺、旧寛永寺そして日光東昭宮にある。
軒廻りは各重いずれも二軒だが、初重は繁垂木で二重以上は扇垂木。 組物は各重いずれも三手先だが、初重は三手目だけが尾垂木で二重以上は二手目と三手目が尾垂木。 中備は初重が脚間に十二支を配した彩色された蟇股で、二重以上は間斗束(蓑束?)。 二重目の円柱の上に粽が確認できるので、三重以上も同様と思われる。 また二重以上には逆連柱高欄の廻縁があり、出三つ斗の腰組で支えられている。 上層への逓減率が少なく、短い相輪、さらに心柱が初層天井の梁上に立つなどの特徴があり、極めて貴重な塔建築。


△慶長十三年(1608)建立の五重塔....徳川二代将軍秀忠の乳母・正心院日幸尼(岡部局)が秀忠の病気平癒を願って建立された....塔内には一塔両尊像と四菩薩像を安置

△方三間で、塔高(基壇から相輪先端まで)は約29m、屋根は初重と二重が本瓦葺で三重以上は銅板瓦葺、建築様式は初重が和様で二重以上は禅宗様


△初重は高欄無しの切目縁、二重以上は逆連頭の禅宗様高欄を設けた切目縁、また二重以上の中備は詰組ではなく間斗束のようだ、腰組は出三ツ斗/軒廻りは各重二軒で、初重は繁垂木、二重以上は禅宗様の扇垂木....組物は初重が三手目が尾垂木の三手先、二重以上は二手目と三手目が尾垂木の三手先

△初重各面は中央に桟唐戸、両脇間は連子窓ではなく羽目板に格狭間形の装飾を施している....二重目の円柱に粽が確認できる(二重以上は全部にある?)

△初重に蛇腹軒支輪を設けている....中備は彩色が施された透蟇股で、脚間に十二支の彫刻