【和歌山・日高郡】建保七年(1219)に暗殺された鎌倉幕府3代将軍・源実朝の菩提を弔うため、安貞元年(1227)、家臣の葛山景倫が創建した真言宗寺院「西方寺」が始まり。
景倫は博多で宋への渡航を準備していたが、実朝暗殺の報を受けたことで取りやめ、剃髪して「願性」と称して高野山に入った。 この出家を知った実朝の生母・北条政子から日高郡の由良荘の地頭職を任命された景倫は、荘内に西方寺を創建した。 その後、願生は正嘉二年(1258)、宋から帰国した親交のあった臨済宗の僧・心地覚心を西方寺の住持として迎え、開山とした。
覚心は臨済宗に改宗して禅宗寺院とし、「関南第一禅林」として多くの高名な僧を輩出し、末寺143カ寺を有す臨済宗法燈派の大本山として興隆した。 覚心は永仁六年(1298)に示寂、その後、諡号「法燈国師」を授かった。 宗旨は臨済宗(妙心寺派)で、本尊は釈迦如来坐像。 紀伊之国十三仏霊場第8番札所。
門前の道路脇に寺号標石が立ち、道路を挟んだ向かいの民家の山茶花の生垣越しに大門を眺める。 大門をくぐると、両側に縁石がある石畳の参道が樹林の中に消えるように真っ直ぐ延びている。
緩い勾配の参道を上っていくとほどなく砂利敷となり、脇に、岩倉具視の欧米視察団の一員として渡航した由良守應の墓標と顕彰碑、八大龍王を祀る龍王社、そして散在していた無縁墓碑を集めたとみられる墓所があり、たくさんの宝篋印塔・五輪塔・板碑などの様々な形の古墓石が整然と並んでいる。
洗心池に架かる幅の広い石橋を渡ると、少し先に、堂宇境内への石段があり、その左右に高い石垣がありまるで城壁のようだ。 石段の上に立派な袖塀を設けた山門が建ち、門前の紅葉が山門を引きたてている。 石段を上りつめると、山門を通して豪壮な構えの法堂が見えるが、まるで額に入れた絵のようだ。
山門をくぐって森閑とした境内に....日高の山々に囲まれるように古色蒼然とした伽藍が建ち並ぶ光景は、「関南第一禅林」の威厳をいまに誇っている。 正面には、圧倒的な存在感がある法堂(本堂)が鎮座。 千鳥破風を乗せた禅宗様式の法堂は、威厳に満ちていて、堂々たる偉容を放っている。 内陣の須弥壇には諸仏が鎮座....中央の金色の釈迦如来坐像は本尊で、左右の四天王像に守られている。
法堂後方に、吹き放ちの渡り廊下で繋がった禅堂が建ち、窓のない正面の柱に雲版が下がっている。 真ん中が摩耗して木地が見える雲版を見ていると、薄暗い禅堂で、雲版を叩く合図で修行を始める雲水の姿が目に浮かんでくる。
△門前の道脇に立つ「鷲峰山興國禅寺」と刻まれた寺号標石/門前の民家の生垣の山茶花越しに眺めた大門
△樹林を背にして建つ大門....山門後方の樹林の中に消えるように石畳の参道がある
△切妻造本瓦葺で二軒繁垂木の大門(四脚門)
△虹梁と側面の頭貫の木鼻はいずれも精緻な牡丹の彫刻
△彫刻が施された虹梁、中央の上に精緻な龍の彫刻....境内側の虹梁に「関南第一禅林」の扁額
△由良守應の墓所に立つ「由良守應翁顕彰碑」....案内板に「陸上交通の先駆者」で「幕末の志士で,明治新政府に仕え、岩倉具視の欧米視察団の一員として渡航」とある/参道脇に鎮座する龍王社....雨乞い、農業神の八大龍王を祀っているが創建は不詳....江戸時代の文化四年(1807)の「興国寺古文書」に記載されているとか
△色づいた木々が残る砂利の参道が続く
△石橋手前の参道の左側にある墓所....散在していた無縁墓碑をこの地に集めたものと思う
△多くの宝篋印塔、五輪塔、板碑、石仏そして様々な形の墓石が整然と並んでいる
△風化が進んでいる宝篋印塔や五輪塔が寄り添うように並んでいる
△洗心池に架かる石造り反橋の廣度橋....その先の切石敷参道の奥に堂宇境内への石段がある
△堂宇境内への石段の左右は、城壁のような高い石垣になっている
△切妻造本瓦葺の山門(四脚門)....昭和後半の建立
△軒廻りは二軒繁垂木、垂木、組物、木鼻などに胡粉が施されている....左右の袖塀は本瓦葺きで白壁の築地塀
△山門を通して眺めた法堂(本堂)....親柱上の梁に山号「鷲峰山」の扁額がある
△堂宇境内....法堂の右側に庫裡、玄関、方丈そして書院が建ち並ぶ
△山門から眺めた境内....正面は荘厳な法堂(本堂)、渡り廊下で繋がる右手に書院、左手に位牌堂
△入母屋造本瓦葺で裳腰付の法堂(本堂)....寛政九年(1797)の再建で、身舎は三間四方、裳腰を加えると五間四方
△軒廻りは身舎・裳腰いずれも二軒繁垂木だが、組物は身舎が出組、裳腰は出三斗で、中備はいずれも詰組
△身舎の屋根に千鳥破風と軒唐破風がある....身舎に「関南第一禅林」の扁額が掲げられている/法堂須弥壇に祀られている古舟形挙身光を背負う本尊釈迦如来坐像と左右に四天王
△裳腰正面の中央三間は両折両開の桟唐戸、両脇間は花頭窓、側面は桟唐戸と3つの花頭窓そして小脇羽目
△法堂後方に禅堂そして一段高い位置に開山堂が建つ
△法堂(右)と禅堂とを繋ぐ本瓦葺で吹き放ちの渡り廊下
△入母屋造本瓦葺の禅堂....二軒繁垂木で組物は舟肘木....僧侶や雲水が坐禅修行する御堂で、壁の柱に雲版が下がる
△禅堂後方の斜めの渡り廊下の上に開山堂が建つ
△T字形構造の禅堂....正面は連子を入れた桟唐戸のみで側面に1つの花頭窓と2つの連子窓があるだけ