【神奈川・鎌倉市】明治二年(1869)、明治天皇の勅命により、大塔宮護良親王が若くして命を絶たれた東光寺跡に建立、「鎌倉宮」は天皇が名付けた。 護良親王は鎌倉時代の延慶元年(1308)に後醍醐天皇の皇子として誕生、11歳で比叡山延暦寺の大塔に入室したことから「大塔宮」と称された。
天台座主になったが、元弘元年(1331)の後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕の挙兵に呼応....倒幕計画は失敗したものの、足利尊氏や新田義貞らによる鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇による天皇親政が復活(建武の中興)し、護良親王は征夷大将軍に....。 その後、征夷大将軍を欲した足利尊氏と対立し、建武元年(1334)に捕らえられて鎌倉の東光寺の土牢に幽閉され、建武二年(1335)、北条軍に敗れて逃げる足利尊氏の弟・直義が家臣・淵辺義博に命じて護良親王を殺害した。
入口の大きな鳥居をくぐって境内に....まずは、左手に獅子頭が描かれた巨大なお守りが鎮座しているのに目を奪われた。 拝殿に向かうと、右手の方で何やら賑やかな声が....近づいてみると、数人が一抱えほどの石をめがけて皿を投げ、割っていたが、そこには「厄割り石」とあり、旧年の厄払いのために皿を割るそうな....。
拝殿の賽銭箱の直ぐ後ろに、大きな「獅子頭」が口を開けて鎮座....参拝者の願い事を真剣に聞いている風だったが....。 参拝後、拝殿の左手に進んで本殿の裏手にある護良親王が幽閉されたと伝わる土牢に....足利尊氏によりこのような厳しい環境に9か月間監禁されたとは、驚かされる。
境内の入口
意外に広い境内で、左手に巨大な獅子頭のお守り?が鎮座しているのに驚かされる
「厄割り石」にお皿をぶつけて割って、身体の旧年の厄を払っていた
厄割り石....この石にお皿をぶつけて割る
手水舎
境内の中にもう一つの鳥居が....その直ぐ奥に拝殿が
荘厳な雰囲気の拝殿
賽銭箱後方に獅子頭が....護良親王が戦いに赴く際、兜の中に獅子頭のお守りをしのばせていたことに由来
鎌倉宮の本殿
奥が本殿
本殿の裏手に護良親王が幽閉された土牢がある
護良親王が9ヶ月間幽閉された土牢と入口に立つ「大塔宮御笠所」と刻まれた石碑
土牢とその内部....二段になっている洞窟
御構廟(御首塚)....護良親王を殺害した淵邊義博がここに大塔宮の御首を置いた所
多宝塔....律師日賢上人の供養塔
明治天皇御座所