【神奈川・横須賀市】先月、令和元年最初の「県立観音崎公園砲台ガイドツアー」(県立観音崎公園パークセンター主催)に参加した。 東京湾要塞研究家・デビット佐藤さんによるミニレクチャーを受けた後、約3時間にわたって緑豊かな園内に点在する砲台跡を見学した。 東京湾要塞の砲台跡を見学するのは初めてだ。
明治維新以降、帝都である東京と旧日本海軍の鎮守府が置かれた国防の最重要拠点である横須賀軍港を護るため、明治政府(旧陸軍)が東京湾要塞の構築を計画(最初の防衛線は観音崎と富津岬を結ぶ線)、明治九年(1876)に観音崎砲台用地を買収して建築工事が始まり、我が国最初の西洋式砲台群が観音崎に築かれた。 明治二十七年(1894)勃発の日清戦争や明治三十七年(1904)勃発の日露戦争のときには戦闘配備についたが、実戦で砲門が開かれたことは一度もなく、兵器の進歩や国防方針の変更など時代の変遷により大正時代に廃止された。 我が国最初に建設された観音崎の第一砲台と第二砲台には、明治天皇が行幸されたとのこと。
砲台跡の見学ルートは、パークセンターになっている弾薬庫(第二火薬庫)・火具庫⇒第一砲台跡⇒第二砲台跡⇒第三砲台跡⇒大浦堡塁の砲台跡⇒腰越堡塁の砲台跡⇒三軒家砲台跡で、海上自衛隊の敷地内にある第四砲台跡は今回許可が下りずとのことだった。
煉瓦造りのパークセンターは元火薬庫で、床下に湿気を防ぐアーチ形の通気口が8か所設けられている。 パークセンターから第一砲台跡に向かうトンネルを抜けると、そこはどの砲台にも行ける砲台群の中心地とのことで、いまの元火薬庫がある位置に納得した。
中心地から少し急坂になっている園道を上がっていくと、右手に第一砲台跡が見えてくる。 第一砲台跡は、扇形に配置された2つの砲台の間に煉瓦造りの連絡トンネルがあり、その下に地下弾薬室がある。 砲台は半円形状の石積みで囲まれていて、カノン砲の砲身を向ける正面は胸墻、その左右は横墻と称するそうで、胸墻は播州産の御影石で造られているとのこと。 また、横墻は番号を付したで弾室で、砲弾を立てて置いたものとみられる。 連絡トンネルの土台部の側壁に、地下室弾薬庫の入口が少しだけ顔を出しているが、地下弾薬室への階段と入口がほぼ地中に埋もれている。
第一砲台跡から曲がりくねった狭い園道を進んで第二砲台跡に向かう。 東京湾海上交通センターの管制塔を過ぎると、左手に第二砲台跡があり、4つの砲台跡と3つの掩蔽壕の弾薬庫が並んでいる。 砲台は第一砲台と同じ造りだが、胸墻の上部の端に「伝声管」と称する土管が埋められている。 「伝声管」は隣の砲台と繋がっていて、土管を通して大声で情報交換する砲兵の姿が浮かぶようだ。 第二砲台跡では閉鎖していない掩蔽壕の弾薬庫の内部が見学できた。 内壁はイギリス積煉瓦で造られていて、奥の砲弾を運ぶ狭い地下通路の突き当りに陽 が射し込んでいる砲台への開口部があり、ここで砲弾をクレーンで吊り上げる構造だ。 第二砲台跡から、立ち入り禁止になっている旧第三砲台跡への入り口を通り過ぎ、第三砲台跡に向かう。
■元弾薬庫(第二火薬庫の1号館)
*明治三十一年(1898)建設
*なお、日本最初の弾薬庫は洞窟式で、明治十八年(1885)の建設
日清戦争後に建設された木骨煉瓦造の弾薬庫(第二火薬庫の1号館)....改修時に煉瓦壁を白塗りしたが、剥がして元の煉瓦壁に復元された
火薬庫1号館は現在、県立観音崎公園パークセンターとして利用....基礎の焼過煉瓦部の床下アーチは火薬の湿気を抑えるための通気口/写真中央の薄いオレンジ色の部分が当時のイギリス積煉瓦...案内をして頂いた東京湾要塞研究家・デビット佐藤さん
弾薬庫後方の建物は第二火薬庫の2号館で火具庫....イギリス積煉瓦で、当時は煉瓦表面にモルタルを塗っていた
少し離れた所に建つ第一火薬庫....煉瓦壁は白塗りされたままの姿(火薬庫は第五まであった)
■第一砲台跡(北門第一砲台)
*明治十三年(1880)起工/明治十七年(1884)竣工
*24cm平射砲(カノン砲)2門 (地下弾薬庫と倉庫があるがいずれも閉鎖)
*第二砲台とともに日本最古の西洋式砲台
観音崎第一砲台跡(北門第一砲台跡)....第二砲台跡とともに日本最古の砲台跡
半円形の2つの砲台が扇状に配置され、砲台間に煉瓦造りのトンネル(連絡壕)がある
煉瓦造りのトンネル(連絡壕)....外壁面に煉瓦造りの控壁を設けている....トンネルの地下に弾薬庫と兵員室があった
フランス積煉瓦で造営された連絡壕の壁面に、閉鎖された揚弾井の入口がある
連絡トンネルの下の側壁の下に埋もれている地下室(弾薬庫)への入口/側壁に地下室への階段があった痕跡がある
右側の砲台の石積み....中央(正面)は胸墻で左右は横墻、横墻は番号が記された弾室(砲弾置場)
平射砲(カノン砲)を撃つ方向の胸墻は播州産御影石で造営....暗い円形溝は?/砲台基壇の側壁にある砲弾を吊り上げたクレーンの設置跡らしい/右側の横墻の上に観測所への石段が残っている
連絡トンネルの左側にも右側と同じ造りの砲台跡がある
砲台の左側にある掩蔽壕は倉庫で、入口はコンクリートで塞がれている
砲台を結ぶ元軍道の園道の脇に立つ「観音﨑燈臺所轄地」の標石....観音崎灯台は日本初の洋式灯台/生い茂る木々の間から眺めた浦賀水道/東京湾海上交通センターの管制塔
■第二砲台跡(北門第二砲台)
*明治十三年(1880)起工/明治十七年(1884)竣工
*24cm平射砲(カノン砲)6門 (現存は3基の砲台と3つの地下弾薬庫、地下弾薬庫は1つだけ見学可)
*第一砲台とともに日本最古の西洋式砲台/伝声管がある
観音崎第二砲台跡(北門第二砲台跡)
第一砲台跡と同じカノン砲の砲台跡で、中央は胸墻、左右は横墻
胸墻と横墻間上の左右に指令を伝える伝声管がある/土管が埋められた伝声管/地下弾薬庫から砲台に砲弾を吊り上げた開口部
横墻の弾室(砲弾置場)の壁に番号が記されていていまも残っている/「二・四」の刻
第二砲台に現在3つある掩蔽壕の弾薬庫(1つが閉鎖されている)
パークセンター事務員の方が開けてくれている第二砲台の弾薬庫の入口
開いた鋼板製扉から弾薬庫の中へ/入口から眺めた弾薬庫の内部....フランス積煉瓦で造られている
フランス積煉瓦が張られた点燈室と棲息壕/砲台へ砲弾を運ぶ通路で一番奥に地上口があり、ここで砲弾をクレーンで吊り上げる....地上口から光が差し込んでいる
旧第三砲台跡への園道(旧軍道)....海上自衛隊の施設に空砲を撃つ現役の礼砲台があるため立ち入り禁止(旧第三砲台には288cm榴弾砲2門があったが第三砲台に移設)