【横浜・南区】弘明寺は、鎌倉時代には「求明寺」と称されていたが、観音経偈文の中にある「弘誓深如海」から「弘」の字をとって、「求」を改めて現在の弘明寺に改名....。 源平時代、源頼朝は源家累代の祈願所として当寺を保護、また、徳川時代には歴代の将軍が御朱印状を賜る等、坂東三十三番観音霊場の中、第十四番の巡礼参拝札所として古来より由緒ある寺院。
現在の本堂は、江戸時代の明和三年(1766)、智光上人による再建だが、寛徳元年(1044)に光慧上人が建立した当時の古材が使用されている。
駅から弘明寺に向かったが、仁王門があることを知らず、駅に近い楓関門から入山してしまった。
山門をくぐったら庫裡や客殿らしき建物があるので、入口を間違えたことに気がつき、急いで境内を通り抜け、本堂正面の石段を駆け下りて仁王門に向かった。 仁王門の金剛力士像は神奈川県下に遺る最古の中世作だが、筋肉マンのような肉体に少々あどけないようなお顔で可愛らしく感じた....叱られる前に合掌!
石段を上りきると正面に宝形造銅板葺の本堂....屋根のてっぺんに宝珠ではなく妙な形の物が....? また、向拝の上に更に屋根が設けられていて特徴があり、少し離れて眺めると神社のイメージがある。 のんびりと散策していたら昼近くに....続々とゴールした人が集まってきたので、そそくさと寺を後にした。
石段の上から眺めた仁王門、途中に身代地蔵菩薩が鎮座 石段下から眺めた本堂
本堂の左奥に建つ聖天堂
聖天堂には弘法大師が彫った聖天(大聖歓喜天)像が安置されている
境内の中で緑が多い聖天堂の前が一番落ち着く
鐘楼堂と梵鐘....右にあるのは地蔵祠
梵鐘は鋳銅製の和鐘で、江戸時代中期の寛政10年(1798)に再々造
供養塔越しに眺める大師殿....真言宗の宗祖・弘法大師像を安置
地蔵祠 百度石 境内の庭に佇む庚申塔
七つ石....善無畏三蔵法師が渡来の際、陀羅尼を書写して結界を立てた霊石
楓関門
楓関門の奥に建つ庫裡?
客殿か?