何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

関林廟 (中国)

2012年09月27日 | 史跡探訪-中国編

【中国・河南省・洛陽市】洛陽市の南7kmほどにある明代万暦二十年(1592)建立の関羽の廟で、劉備に忠義を尽くした三国志の英雄のひとりである忠臣・関羽の首が埋葬されていると伝えられる。
三国時代、蜀の名将・関羽は呉の孫権と戦い、当陽で敗れた。 孫権は関羽の首を魏の魏の始祖・曹操に贈るが、祟りを恐れた曹操はその首を手厚く葬ったのが関林。
関林の配置は典型的な中国古代建築の特徴を表現し、主要建造物は明代のもので、舞楼、表門、儀門、拝殿、大殿、二殿、三殿、石牌坊、碑亭(八角亭)などが配置、碑亭の後ろに関羽の首塚が....。

関羽を祀った廟は中国のあちこちにあるが、最初に建てられたのがこの関林廟で、関羽の首が埋葬されているということで興味を抱かされた。
白い大理石の狛犬の霊獣が立つ表門くぐって境内に....直ぐ正面に儀門があり、明代の鉄製狛犬が迎えてくれた。 儀門から関羽像が鎮座する拝殿(啓聖殿)への参道は「石獅通路」と言われ、石柵板の上に104体の石獅子が見事に並んでいる。
境内の一番奥に、堂宇のある境内とは違った雰囲気が漂う一角があり、そこには牌坊と八角碑亭があり、その直ぐ後ろに塀に囲まれた緑の小高い塚山が....そこが関羽の首塚で、何とも言えない霊験を感じた気がした。

関林廟の表門前の広場に建つ舞楼..清代乾隆56年(1791)建立
 
表門(大門)..両側に立つ白い大理石の石獅子は明朝最大で勇ましい姿で威厳がある

儀門..もとは明朝代の関廟の表門

儀門と門両側に明代の鉄製の狛犬が鎮座
  
鉄製の狛犬の霊獣        重厚な鼓楼(左)と鐘楼(右)

儀門から拝殿への参道..石の柵板と「石獅通路」(石獅子は104体)

拝殿(啓聖殿)..明代万暦21年(1593)建立、関羽像が鎮座
 
啓聖殿の左前の来福鼓と関羽が使った「青竜偃月刀」(レプリカ)と右前の梵鐘と「関聖亭
君之宝」
 
啓聖殿に鎮座する十二冠冕旒王冠を被った関羽像..左右に廖化と王甫、その外側に周倉
と関平(関羽の息子)

三国志を表す壁画

財神殿(二殿?)..明代万暦20年(1592)建立
 
財神殿前の2基の線香炉     財神殿に鎮座する関羽像 
 
春秋殿(三殿?)..清代嘉慶22年(1817)建立/春秋殿に鎮座する関羽像か?

牌坊と碑亭と関羽首塚が重なる..首塚は八角の塀に囲まれた小高い緑の塚山
 
牌坊の後ろに立つ碑亭(八角亭)と石碑..清代乾隆30年(1765)建立
 
碑亭の直ぐ後ろの「関羽塚」の石坊..ここが首塚の入口になるのかな?
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龍門石窟-(2) (中国)

2012年09月23日 | 史跡探訪-中国編

【中国・河南省・洛陽市】龍門石窟の中での一番の見所は、奉先寺(かつては大きな建物に覆われていた)に鎮座する高さ約17mの「廬舎那仏」で唐代上元2年(675)の完成。
則天武后をモデルにしたという仏像のふくよかな表情が良く、両側に脇侍、菩薩、天王、金剛力士の各像が立つ。 西山石窟は「賓陽洞」という北魏~唐の時代に造られた三つの洞から始まり、天井や壁面は彩色されており、如来座像や阿弥陀仏などがある。

岩壁を先に進むと、結跏趺坐の阿弥陀仏が鎮座する万佛洞、釈迦牟尼が鎮座する蓮花洞、そして龍門石窟のシンボルでもある最大の露天座大仏「廬舎那仏」が鎮座する奉先寺に....。
中央には圧倒的な存在感を放つ優しく穏やかお顔の廬舎那仏、そして、その左右にズラリと居並ぶ脇侍、菩薩、天王、金剛力士の各像....力強さや造形の美しさには息を飲むほどに素晴らしく、まさに、中国唐代の仏教彫刻芸術の代表作であることを実感させられる。
 
万佛洞(唐代)..本尊の阿弥陀仏は結跏趺坐して束腰八角蓮花須弥座の上に鎮座、両側に弟
子と脇侍菩薩

この洞は壁に仏像が彫られている?

蓮花洞(北魏代)..本尊の釈迦牟尼が2弟子を連れて説法して歩き回る姿

奉先寺洞..龍門石窟最大で南北30m、東西30m

奉先寺洞..本尊の盧舎那仏、両側にそれぞれ脇侍、菩薩、天王、金剛力士が鎮座
  
南壁の脇侍像と菩薩像/ふくよかな表情の盧舎那仏/北壁の天王像と力士像
 
盧舎那仏の北壁側の脇侍、菩薩、天王、金剛力士の各像/盧舎那仏

薬方洞(北魏代~北斉代)..入口両側の俑道壁面に唐代刻の百余りの薬方が表記
  
外壁左側の金剛力士像/五尊像が鎮座..天井に北斉代の三重大蓮花/外壁右側の金剛
力士像

薬方洞..五尊像や獅子等は北斉代末年

古陽洞..龍門石窟の中で最も古くから開かれ彫刻内容も豊富
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龍門石窟-(1) (中国)

2012年09月19日 | 史跡探訪-中国編

【中国・河南省・洛陽市】洛陽市の南方13キロの伊河両岸にあり、敦煌の莫高窟、大同の雲崗石窟と並ぶ中国三大石窟の一つ。
約1500年前、北魏の孝文帝が大同から洛陽に遷都した太和17年(493年)頃から造営を開始、仏教彫刻史上、雲崗石窟の後を受けた龍門期(494~520年)と呼ばれる時期が始まった。 その後、東魏、西魏、北斉、隋、唐などの時代を経て北宋に至る歴代の王朝により約400年間にわたって掘削され続けた。 現在、2千3百以上の石窟と大小10万体以上の仏像彫刻が残っている。

伊河に架かる龍門大橋をくぐって龍門石窟の入口の門に....。
門をくぐって進むと河岸の崖面に無数の石窟と仏龕が見えてきたが、遠目にはその光景はまるで蜂の巣のようだ。 最初に拝観したのは唐代高宗年間に開削された潜渓寺....窟内には、方形の須弥座に結跏趺坐した阿弥陀如来像が鎮座。
更に進んで北魏に造られた賓陽三洞へ....北洞には阿弥陀仏、中洞には釈迦牟尼そして南洞には阿弥陀仏が鎮座し、窟内の壁には様々な仏像が彫られ、見ていて飽きないほど。
 
伊河に架かる龍門大橋の橋架    龍門石窟の入口の門

龍門石窟の中段
 
潜渓寺仏像(唐代)..本尊は方形須弥座に鎮座する阿弥陀仏(両側に2観音,2菩薩,2天王各像)

賓陽三洞の外景
 
賓陽北洞(北魏代~唐代)..本尊は火炎紋の光背を持つ阿弥陀仏と南壁の菩薩像(左側)
 
賓陽中洞(北魏代)..本尊は釈迦牟尼(両側に2観音、2菩薩)、外壁には金剛力士像
 
賓陽南洞(北魏代~隋代)..本尊の阿弥陀仏/賓陽南洞の北壁に鎮座する仏像
  
「伊闕佛龕之碑」         洞外壁の金剛力士像     「佛手牡丹石」

惠簡洞..本尊の弥勒仏は日と月及び像の首、獅子の模様を刻んだ椅子に鎮座
  
現在、2千3百以上の大小の石窟と大小10万体以上の仏像彫刻がある
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少林寺塔林 (中国)

2012年09月16日 | 史跡探訪-中国編

【中国・河南省・登封市】少林寺伽藍の西側にある歴代の住持の遺骨を納めた舎利塔群は、中国に現存する歴史的な煉瓦製の古塔。 墓塔は、唐代貞元7年(791)から清代嘉慶8年(1803)の間に建立されたもので、唐代、宋代、金代、元代、明代、清代の各時代に建てられた約220基が整然と並ぶ。
塔には、単層単檐塔、単層密檐塔、印度窣堵波(古代仏教特有の建物)塔と各種喇嘛式塔がある。

周武帝に解体され、唐代皇帝に再建された少林寺....唐代以降の歴代住持の遺骨を納めた煉瓦製の舎利塔が整然と佇む光景に少林寺の歴史を感じさせる。
古い塔をみると、煉瓦がかなり風化し、一部が崩れかけている....日本の平安時代初期の頃の建立ではないかな~と勝手に想像してみた。

少林寺の西側にある塔舎(舎利塔群)
 
世界文化遺産の碑..天地之中歴史建築群 塔林 煉瓦制の舎利塔が218基ある

少林寺歴代の住持の遺骨を納めている
  
パコダのような形の舎利塔                     石碑を従えた舎利塔

唐、五、宋、金、元、明、、清の7時代の古塔が立つ
 
単層単檐塔、単層密檐塔、印度窣堵波塔と各種喇嘛式塔があるとか

壮観な眺めの塔林
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さあ~トイレに、あれッ....!

2012年09月14日 | 何気ない風景-海外編

【トルコ・アンカラ~ハットゥシャシュ】ツアー旅行でのバス移動の途中、立ち寄った沿道のガソリンスタンドのトイレの入口での光景。 トイレに入ろうとしたら、表示の色がいずれも赤色なので、「男性用はどっちだ?」と一瞬戸惑った。
普段、男性用は青色の表示が多く、それに見慣れているのでつい....まさに「女性用=赤色」という固定観念が....。
              
                                 男性用の表示も赤色!         
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少林寺-(2) (中国)

2012年09月13日 | 史跡探訪-中国編

【中国・河南省・登封市】清代雍正年間(1723~1735)、皇帝は武術に優れた僧が反乱を起こすのを恐れて少林寺を燃やしたが、乾隆以降、再建された。 このように創建以来荒廃を繰り返したが、隋代、唐代、明代、清代には大いに栄え、「天下第一名刹」と称された。
少林の武術(少林拳)は、唐代初期頃から護身のために始まったが、唐代の太宗皇帝の時、僧曇宗ら13人が太宗皇帝の身の安全を守ったことから広く知られた。

天王殿の後ろに建つ大雄宝殿に進む....26年前に再建された大雄宝殿の内陣には、鮮やかな青色の螺髪と肉髻の3体の金ピカの如来像が鎮座。 大雄宝殿内の右手の床に梵鐘が吊り下げられているが、梵鐘の下に小さな仏像が....どんな意味があるのか分からぬが、印象的だった。
蔵経閣には涅槃像が静かに横たわり、そして、立雪亭には大きな袈裟をゆったりとはおったインド僧・達磨大師像が鎮座し、立雪亭内の壁には仏画が一面に描かれている。

大雄宝殿..1986年再建で新しい

大雄宝殿
 
大雄宝殿に鎮座する鮮やかな青色の螺髪と肉髻の如来三尊像/大雄宝殿内隅の梵鐘
の下に鎮座する仏像

カメの霊獣の上に立つ石碑

蔵経閣
 
蔵経閣                      蔵経閣の奥に涅槃仏が鎮座、イヤッ横たわる
  
立派な枠がある石碑        虎の口から出る水を蛙が?
 
方丈..乾隆15年(1750)、高宗弘歴がここに宿泊した

立雪亭(達摩殿)

立雪亭の内部..袈裟をまとった達磨大師像が鎮座

立雪亭の内部..壁一面に仏教画が描かれている

文殊殿

文殊殿に鎮座する三尊像
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少林寺-(1) (中国)

2012年09月09日 | 史跡探訪-中国編

【中国・河南省・登封市】北魏代の孝文帝太和19年(495)、孝文帝が跋陀禅師のために少室山麓に創建。 32年後の孝昌3年(527)、インドの僧・達磨大師がここにきて禅宗を開き始祖に。 達磨大師は中国仏教の初祖と称され、少林寺は禅宗発祥の地と言われる。
仏教の広まりが生産に影響して皇室の利益が損なわれたため、北周代建徳3年(574)、周武帝が仏教と道教を禁じ、少林寺を解体した。 また、7世紀前期、少林寺の僧が李世民の全国制覇に貢献したため唐代皇帝に支持され再建。

少林拳の本家本元として世界的に有名な少林寺....約1500年前に達磨大師が開いた禅宗発祥の地だ。 門前に少し風化している狛犬の霊獣像が鎮座、「少林寺」の額が掛る山門をくぐって境内に....。
境内には何本もの大きな古い松や檜が高く聳えているが、その中で参拝者が眺めている柵で囲まれた木が....何かと思って見ると幹に小さな穴がいっぱい....少林拳の修行僧が指で突いて空けたものとか。 正面に重層の入母屋造瓦葺の天王殿、左右に重厚な鼓楼と鐘楼が建つ....天王殿は20世紀初頭に焼失、その後に再建されたもの。 境内には、至る所に唐代から清代の古い碑が林立しているが、碑群を見ていると歴史を感じる。

山門..現存する建築物のひとつ、常住院内に多くの明代、清代の建物がある
 
山門は清代雍正13年(1735)建立..歴史を感じる狛犬の霊獣像

「少林寺」という清の玄が書いた額が掛る
 
唐代~清代の石碑が林立し古い松や檜が聳える..木の幹の穴は修行僧が指を突いてあけたとか

境内に佇む石燈籠

慈雲堂の中に建つ観音閣
  
慈雲堂(右)と奥に鐘楼      鼓楼               鐘楼

天王殿..左奥は鼓楼
 
荘厳さが漂う天王殿                        太宗文皇帝御書の石碑
 
重層の入母屋造瓦葺の天王殿..中央に弥勒尊像が鎮座    インドの僧・達磨大師かな?
  
天王殿前の境内に立つ大きな石碑..歴代の高僧のものと思うが..
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法王寺 (中国)

2012年09月07日 | 史跡探訪-中国編

【中国・河南省・登封市】後漢代の明帝永平14年(71)の創建で、登封市の北5キロ、太室山の南麓玉柱峰の下に位置。 洛陽市にある中国最古の白馬寺より3年遅く、また、少林寺より424年早く建立された中国で最も古い仏教寺院のひとつ。
三国代青龍2年(234)に護国寺に改称されて以降、晋代や唐代に寺名が幾度か変わった。
寺の後方に、唐代の建立と伝わる高さ40mの十五重仏塔が聳え、塔内には明代(1409年)に奉納された翡翠製の釈迦如来像が祀られている。

意外に急な石段を上って「大法王寺」の額が掛る山門に着き、境内を眺めると、境内参道の先の石段の上に「未来仏殿」という始めて聞く名称の御殿が建つ。 未来仏殿の須弥壇に鎮座する本尊は、釈迦後を補う未来像の仏形弥勒像だろうか?
本堂である大雄宝殿は、1900年以上の歴史を持つ中国で有数の千年古刹である割には意外に簡素な造りだ。 大雄宝殿の入口の扉の両側には、修行中とみられる若いお坊さんが立ち、参拝者を笑顔で迎えていた。
お寺の遥か後方に、唐代の十五重仏塔が聳え立ち、あらためて、歴史を感じさせる千年古刹であることを実感させられた。
 
石段の上に建つ山門..「大法王寺」の額が掛り、両側にお寺を守護する天部像が控える

山門から眺めた未来仏殿
 
未来仏殿..須弥壇上に鎮座するのは釈迦尊後を補う未来像の仏形弥勒尊像か?

天王殿..弥勒尊像が鎮座している
 
天王殿の向拝..左奥は鼓楼                    天王殿の右手に建つ鐘楼

大雄宝殿..切妻造瓦葺で意外に簡素な造り、手前の境内に「中興之祖」の碑が立つ
 
1900年以上の歴史を持つまさに千年古刹          大雄宝殿前の線香炉

大雄宝殿の入口で参拝者を迎える若い坊さん

地蔵殿
  
地蔵殿前の境内に立つ大きな2つの碑
 
西方聖人殿

西方聖人殿の石段の下の境内に林立している碑群

臥仏殿..上階は蔵経閣になっている
 
                     臥仏殿に祀られている涅槃仏

寺院後方に聳える、唐代建立で高さ40mの十五重仏塔
 
塔内厨子に明代の1409年に王家奉納の翡翠製の釈迦如来像が祀られている
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嵩岳寺塔 (中国)

2012年09月03日 | 史跡探訪-中国編

【中国・河南省・登封市】北魏代の正光四年(523)、嵩山南麓に建立された中国で現存する最古の煉瓦造りの仏塔(「石造密檐式多層塔」というらしい)。 嵩岳寺はもとは北魏皇帝の離宮だったが、520年に仏教寺院となり、同じ年に仏塔も建立され当初は閑居寺と称したが、隋代文帝仁寿元年(601)に嵩岳寺と改名。 唐代以降は荒廃し、寺塔以外には清代の遺構が僅かに残るだけに....。
塔は高さ約40mで15層、初層のみが十二角形で第2層以上は八角形、地上部分の直径は10.6m。 中国で現存する最古の仏塔ということで期待して訪問....嵩山を背景にして、茶色に輝く煉瓦造りの多層塔が堂々たる姿で聳え立つ。
山門と仏塔が重なる光景を眺めながら石段を上がり、「嵩岳寺」の額が掛る山門をくぐって境内に....。
境内の正面の石段の上に、約1480年前に建立された嵩岳寺塔が聳え、参道左手に唐代の「大徳大証禅師碑」が佇み....境内は歴史を感じる空間のようだった。 塔の中に入って天井を見上げると、煉瓦が積まれて造られた八角形の塔であることが分る。

石段の下から見上げた山門と嵩岳寺塔
 
「嵩岳寺」の額が掛る山門....仏塔との重なりが美しい

山門内から眺めた嵩岳寺塔の最下部

山門から眺めた境内..歴史を感じる空間だ
  
参道脇に建つ「大徳大証禅師碑」..唐代宗大暦4年(769)建立、頂部の彫刻が素晴らしい
 
北魏代正光4年(523)に建立された中国に現存する最古の仏塔

「石造密檐式多層塔」といわれる..外壁や窓に装飾が施されている
  
嵩岳寺塔内に鎮座する赤い布を纏った仏像..螺髪から如来像のようだが

下から眺めた塔内上部..内壁から煉瓦造りで八角形であることが分かる

境内に建つ堂宇
 
堂宇名が分からないが、内陣に釈迦牟尼仏が鎮座している

堂内に消滅した堂宇の礎盤(石柱礎)や風化した石獅子像等の展示が

中国各地の古塔を紹介したパネル「中国古塔精粹」
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嵩陽書院 (中国)

2012年09月02日 | 史跡探訪-中国編

【中国・河南省・登封市】北魏代の孝文帝・太和八年(484)、登封市の北3キロの嵩山南麓に嵩陽寺として建立。 隋代の煬帝・大業年間(605~618)に道教寺院の嵩陽観となり、宋代の仁宗・景祐2年(1035)に嵩陽書院に改名されて学問の聖地に。
嵩陽書院は、宋代四大書院(他の3つは江西省九江の白鹿洞書院、河南省商丘の応天府書院、湖南省長沙の岳麓書院)の一つ。 書院境内には唐代天宝3年(744)建立で、李林甫が書いたとされる高さ8mの嵩山最大の石碑「大唐嵩陽観紀聖徳感応頌碑」が立ち、また、紀元前110年に前漢の武帝から「将軍柏」の名を賜った樹齢4500年といわれる柏の古木が聳える。

濃い朱塗りの牌坊をくぐって境内に入ると、右手に碑亭、少し先の左手にはいまから約1250年前に建てられた見事な石碑「大唐嵩陽観紀聖徳感応頌碑」が立つ。 石段を上って大門をくぐると左手に老木の「将軍柏」が聳える....参道を進むと仕切り門のような門がありその奥に主な建物である先聖殿、その後方に講堂、講堂の後ろに道統祠が一直線上に並んで建つ。
驚かされたのはやはり樹齢4500年の柏の古木で、気の遠くなるような古から、中国の国盗り物語の歴史を見つめ続けている....と思うと、感慨深いものがある。

参道入り口に立つ牌坊

牌坊と大門の間の参道の右脇に立つ碑亭
  
石碑表裏には仏像が彫られている/「大唐嵩陽観紀聖徳感応頌碑」は唐代天宝3年(744)建立
 
大門                      大門から眺めた仕切り門とその奥の先聖殿
 
先聖殿      

先聖殿内にある偉人の碑
 
講堂..先聖殿の後方に建つ

講堂の後方に建つ道統祠..祠前には泮池と泮池橋がある
 
泮池橋越しに眺めた道統祠       道統祠の入口

道統祠内に飾られた偉人の像
 
「百年滄桑」の額が掛る三益斎と仕切り門と仕切り門から眺めた碑亭

碑亭

「百年滄桑」の額が掛る四勿斎、奥に仕切り門が見える
 
先聖殿と講堂の間に立つ碑群     碑廊の壁に埋め込まれた碑
 
樹齢4500年の柏の古木..前漢の武帝から元封元年(紀元前110年)に「将軍柏」の名を賜った
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