何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

羅漢寺-(2) (加西)

2023年09月25日 | 寺社巡り-兵庫

【兵庫・加西市】境内に鎮座する北条石仏「五百羅漢」と呼ばれる約500体の石仏は、江戸時代初期の慶長年間(1596~1615)の造立とされる。 もともとは酒見寺境内にあって、酒見寺再興に伴う山内整備や信仰・供養のために造立されたと考えられている。
角柱状の石材から彫られた石仏はほとんどが羅漢像で、他に釈迦三尊像や大日・阿弥陀如来像、天女型坐像など459体で構成されている。

■石仏境内に整然と立ち並ぶ羅漢像....ほりの深い顔は西洋人風であり、一般的な仏像とはまるで違っていてしみじみとした味わいがある。 特に、陰になっている黒い目の部分と鼻筋の通ったお顔が実に印象的だ。 素朴な姿の羅漢像はそれぞれ違う表情をしていて、どの像も何かを語りかけようとしているようだ。
境内西側には、西方極楽浄土へ誘うように来迎二十五菩薩石像が向き合って鎮座し、一番奥に教主である阿弥陀如来立像が鎮座している。

△五尊仏の東側石仏境内に西面で鎮座する羅漢像群,,,,奥の建物は本堂

△五尊仏の西側石仏境内に南面で鎮座する羅漢像群

△西側石仏境内に南面で鎮座する羅漢像群

△西側石仏境内に南面で鎮座する羅漢像群

△東側石仏境内に南面で鎮座する羅漢像群....手に持つ未開蓮や宝剣が線刻されている

△東側石仏境内に南面で鎮座する羅漢像群

△石仏境内の西側の塀際に鎮座する来迎二十五菩薩石像と阿弥陀如来立像....滋賀県大津市の西教寺についで2番目に古い菩薩像

△二十五観音は阿弥陀如来来迎のときに従い、死者を西方の極楽浄土に導く

△一番奥に鎮座する舟光背型阿弥陀如石仏/上品下生(来迎印)の印相を結んでいる....後頭部から放たれた後光が線刻されている

■石仏境内の南側の木立の中に苔生した前庭があり、五輪塔、宝篋印塔、石仏など様々な石造物が佇んでいる。 前庭のほぼ真ん中に、約400年前の江戸初期に造立された宝篋印塔が虎のような霊獣に護られて鎮座しているが、造立年が分かる宝篋印塔は珍しい。
本堂以外の堂宇として、本尊青面金剛龍王を祀る庚申堂と大聖歓喜天を祀る聖天堂が木々に囲まれて建つ。 大聖歓喜天像の像容に興味があって、ここで拝めるものと期待して拝観したが、外陣の小さな厨子の中に安置されているらしく....残念。 パンフレットに北条の五百羅漢には「必ず親や子に似た顔があるといわれている」とあるので、石仏境内に戻り、すでに他界した両親に似た顔の羅漢様を探してみた….が、やはり西洋人風のお顔なので無理だった。

△石仏境内の木陰の前庭に鎮座する石造物群

△前庭東側に鎮座する壊れた石仏、宝篋印塔、五輪塔など

△前庭の真ん中に鎮座する四基の五輪塔、阿弥陀如来とおぼしき厚肉彫りの坐像石仏、そして「五百阿羅漢」と彫られた石柱

△前庭の真ん中に鎮座する宝篋印塔....江戸初期の慶長十七年(1614)造立で、狛犬のようなトラ似の霊獣に守られている

△前庭西側に鎮座する不動明王像

△前庭西側に鎮座する五輪塔と石仏....五輪塔は八角体の地輪の各面に仏像が彫られていて珍しい/舟光背型石仏は宝冠に阿弥陀如来の化仏をいただき、未開蓮を持つ聖観音菩薩像

△寄棟造桟瓦葺の庚申堂....本尊青面金剛龍王を祀る

△寄棟造桟瓦葺の庚申堂....本尊青面金剛龍王を祀る

△本尊青面金剛龍王像の前に鎮座する「ふれ愛観音菩薩像」

△内陣の格子(厨子)内に鎮座する本尊の青面金剛龍王像....他に童子、3夜叉、三猿、鶏が祀られている

△三間四方で軒周りは一軒重垂木、組物は柱上に出三斗....周囲に切目縁

△境内の参道脇に鎮座する地蔵像とみられる2基の一石二像石仏

△入母屋造桟瓦葺の聖天堂....向拝柱に「大聖歓喜天」の聯が掛かる

△聖天堂に観音菩薩像と歓喜天(聖天)が祀られている....歓喜天像は小さな厨子内に安置とみられるが、像容は象頭人身で男女二天が抱擁する姿

△聖天堂は入母屋造産瓦葺きの主屋の妻側に入母屋造り桟瓦葺の向拝を設けている....軒周りは一軒疎垂木で組物なし

△木立の中に建つ切妻造桟瓦葺の覆屋と古井戸

△古井戸に下がる釣瓶     水鉢






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羅漢寺-(1) (加西)

2023年09月19日 | 寺社巡り-兵庫

【兵庫・加西市】創建年は不詳だが、奈良時代の天平十七年(745)に行基によって開創されたと伝わる真言宗寺院の酒見寺の伽藍の一部(塔頭?)だったとされる。 寺伝では、戦国時代の天正年間(1573~1592)に兵火によって焼失した後、慶長年間(1596~1615)に再建されたとされる。
境内に約500体の石仏が鎮座していることから「五百羅漢」と呼ばれていたが、明治時代の廃仏毀釈後、北条御旅町にあった薬師堂が現在地に移築され一寺院とされた。 昭和十七年(1942)に寺号を羅漢寺とし、天台宗に復帰した。 宗旨は天台宗で、本尊は薬師如来像。 播州薬師霊場第十一番札所。

■約50年振りに羅漢寺を訪問した。 某電機メーカーに入社して間もないころに姫路に出張する機会があり、その時に地元の方の案内で羅漢寺を訪れたのだが、行き方や場所などは一切記憶にない。 唯一、数枚の石仏写真が残っていて、ほりが深い西洋人風のお顔をした素朴な石仏の姿はずっと印象に残っている。
酒見寺と住吉神社を拝観した後、こっもりとした木々の羅漢寺の門前に着く。 「五百羅漢」と刻まれた石の門柱が立ち、門扉に「天台宗 北榮山 羅漢寺」の寺号掛札が掲げられている。 直ぐ中に蓮華座とみられる台座に鎮座する仁王石像に迎えられるが、坐像のようにみえる像容で、もしそうであれば珍しい坐像の仁王様ということになるが....。 まずは、妻入の本堂の向拝で本尊の薬師如来様に参拝する。 少し開いた扉から中を覗くと、挙身光を背負い左手に薬壺を持つ薬師如来像が鎮座している。 本堂左手の境内には、燦燦と陽を浴びているたくさんの石仏が整然と立ち並んでいる。

羅漢寺の門前....寺号標石はなく門扉に「天台宗 北榮山 羅漢寺」と記された掛札が掲げられている

△入り口に露座している金剛力士像....蓮華座風の第一に鎮座する金剛力士は坐像のように見える

△左の金剛力士像は吽形ではなく阿形に見える/右の金剛力士像は左手に金剛杵を持つ....阿形ではなく口を閉じた吽形に見える

△入母屋造桟瓦葺で妻入の本堂....本尊の薬師如来像を祀る

△主屋の軒廻りは一軒繁垂木だが、正面の屋根を伸ばした向拝屋根の軒は二軒疎垂木....水引虹梁の上に龍の彫刻、木鼻は獏

△中央間の小壁の梁の上に牡丹の彫刻を配す/本堂に祀られている本尊薬師如来坐像....眷属として日光・月光菩薩及び十二神将を従えている

△大棟に鳥衾付き鬼瓦、拝は蕪懸魚、妻飾は狐格子

△正面の縁下に置かれた古い鬼瓦....縁は正面のみで、親柱に逆蓮頭を乗せた高欄付き

△中央間は大きな格子の引き戸、脇間はて蔀戸風の格子窓(腰部も)

■まずは本堂の左脇を進み、境内の北側に延びる築地塀に沿って鎮座するほとんど陽刻の石仏を拝観。 そこから戻り、整然と立ち並ぶ羅漢像をみていると、半世紀前に訪問したときのことが思い出され、懐かしさを感じた。 一体一体が異なるお顔の石仏と向き合っていると、何かを語りかけているように感じるから不思議だ。
石仏境内の中央に切妻屋根の覆い屋に常香炉が置かれ、正面の北側の築地塀の前に中央に釈迦如来を配した五尊仏が鎮座している。 五尊仏はいずれも陽刻像で、舟型と板碑型の光背の石仏だ。

△本堂の西側に鎮座する五百羅漢像などの石仏群

△多くは南面で鎮座する五百羅漢像群(東面、西面を向いた石像もある)

△境内北側の築地塀際に4体の舟光背型地蔵尊、御堂内に地藏尊坐像が鎮座

△境内北側の築地塀際に整然と鎮座する様々な尊像の石仏

△唐破風を乗せた石塔は「三界萬霊」と彫られた慶長供養塔....上部に弥陀三尊の種子(弥陀、観音、勢至)....右は明和八年(1771)造立の台座に鎮座する僧坐像

△本堂に向かって東面で鎮座する五百羅漢像群....角柱状の石材から彫り出した丸彫りの石仏

△南面で鎮座する五百羅漢像群....元々羅漢寺の南にある酒見寺にあって、江戸時代初期の寺再興の際に造立されたとされる

△多くは西洋人風のお顔の五百羅漢像....江戸初期の造立時の原形をいまに留めている

△五百羅漢像の彫技は稚拙だが、500体もの石仏を造立する際の信仰心と供養の純真さに感心

△穏やか表情の五百羅漢像

△五百羅漢像群の中央に、築地塀際に鎮座する五尊像に向かって置かれた常香炉

△常香炉前に立つ高札風立札に「北条石仏 五百羅漢」と記されている/「慈法尼手簡塚」と刻まれた文塚石碑....延享二年(1745)の造立

△五百羅漢像墳の間に鎮座する中央に釈迦如来を配した五尊仏

△五尊仏の右脇に閻魔王と男性供養者坐像(2つ目)、左脇に倶生神と慶長十七年(1612)造立の女性供養者坐像(2つ目)

△五百羅漢像群の中央の築地塀際に鎮座する五尊像....左から阿弥陀如来像、普賢菩薩像、釈迦如来像、文殊菩薩像そして大日如来像

△上品下生(来迎院)を結ぶ阿弥陀如来立像(左)と6牙の白象に騎乗する普賢菩薩造(左)....阿弥陀如来像前に置かれた「倶生神」の木札は間違い?/中央の蓮華座に鎮座する釈迦如来坐像

△右手に剣を持って獅子に騎乗する文殊菩薩像(左)と智拳印を結ぶ大日如来立像(右)/大日如来像の右手に鎮座する閻魔大王像

△閻魔大王像....顔の右側に「炎○王」と彫られている



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住吉神社-(2) (加西)

2023年09月13日 | 寺社巡り-兵庫

【兵庫・加西市】歴代領主から崇敬されて隆盛したが、平安後期平治元年(1159)の平治の乱、鎌倉時代の建永二年(1207)や安土桃山時代の天正年間(1573~1592)の兵火などで社殿が焼失し、興衰を繰り返して荒廃した。
酒見神社の荒廃を嘆いた姫路城主(姫路藩主)の池田輝政が社領三十石を寄進して再興。 慶安元年(1648)第3代将軍徳川家光以降、累代の将軍から崇敬を受けた。 明治初期の神仏分離令により神仏習合を廃し、社号を住吉神社に改称した。 明治四十二年(1909)に大歳神社と八幡神社を合祀した。

■参拝した後、拝殿の西隣に行くと拝殿左翼廊と繋がった西本殿の神門があり、傍に末社が鎮座し、門前には一対の狛犬が控えている。 袖塀の菱格子の隙間から中を覗くと、切妻造りで妻入りの西本殿が鎮座。 本殿は「住吉造」に似た建築様式だが、切妻の一つ屋根に向袖塀の菱格子の隙間から中を覗くと、切妻造りで妻入りの西本殿が鎮座。 本殿は「住吉造」に似た建築様式だが、切妻の一つ屋根に向高そうで目を見張る。
瑞垣で囲まれた本殿境内の西側から北に進むと、石垣で一段高くなったところの木立ち中に幾つかの朱塗りの鳥居を構えた稲荷社が鎮座。 稲荷社は、四阿と社殿とを一体化したような造り、また、床を刳りぬいて床下に賽銭箱が置かれていて面白い。

△拝殿左翼廊左側の妻造銅板葺(起り屋根)の門で、西本殿の前に建つ....社殿の四つ角(西南)の玉垣の外に建つ末社の一つ

△狛犬が鎮座する西本殿前の門....扉は上部に連子を入れた桟唐戸、袖塀には菱格子窓と大きな菱格子欄間を設けている

△菱格子の隙間から眺めた切妻造銅板葺で妻入の西本殿(重文)....嘉永四年(1851)の再建、大正五年(1916)に改築

△切妻造りに向拝と主屋を配した造り....間口は一間で奥行四間の内の前二間は吹き放し向拝....祭神を祀る主屋の正面が三間で中央間に装飾金具を配した桟唐戸、脇間は小脇羽目、正面のみに擬宝珠高欄付縁/大棟端に鬼板、拝は蕪懸魚、妻飾は大瓶束に雲や滝などの大きな装飾鰭を配した虹梁大瓶束

△西側の瑞垣の外から眺めた西本殿、中本殿そして幣殿の屋根....西本殿の大棟に外削ぎの千木と5本の堅魚木

△社殿の左側奥の木立ちの中に朱塗りの鳥居を構えて鎮座する稲荷社

△社殿後方の木立ちの中に建つ2つの稲荷社の一つ....社頭に6基の朱塗りの鳥居が建ち並ぶ

△寄棟造桟瓦葺の拝殿と本殿が一体構造の稲荷社....軒廻りは一軒疎垂木

△正面三間側面二間の拝殿は吹き放しで、北側に本殿が接して建つ....床を刳りぬき床下に賽銭箱/一間四方の本殿で、観音開きの格子戸の奥に稲荷神が祀られている....格子戸の前の中に神使の狐像が鎮座

■社殿後方から透塀と瑞垣に囲まれた三棟の社殿を眺める。 いずれも大棟に外削ぎの千木と5本の堅魚木を乗せた社殿で、三棟が建ち並ぶ光景は荘厳だ。 社殿後方の参道を少し東に進むと、木立の中にもうひとつの稲荷社が鎮座している。 社はしっかりした造りの基壇の上に建ち、狛犬のような狐像に護られている。
更に社殿の東側に進むと、拝殿西隣と同じような造りになっていて、東本殿の神門、末社、狛犬が鎮座している。 境内社の白髭神社、粟島神社を失念したが、本殿境内の四隅に鎮座する4つの境内社の内の二つなのだろうかと思いながら、次の訪問先の羅漢寺に向かった。

△三棟の本殿が鎮座する境内の側面と後方は透塀と瑞垣で二重に囲まれている....玉垣の外の四つ角に末社が鎮座....写真は西北に建つ末社/切妻造銅板葺の末社

△本殿の後方から眺めた左から東本殿、中本殿そして西本殿....いずれも大棟に外削ぎの千木と5本の堅魚木が乗る

△瓦葺の透塀の外側の瑞垣は明治三十三年(1900)の築....中本殿後方の玉垣の間に建つ石造りの冠木門(と思う)も瑞垣と同じ明治三十三年の造立

△社殿後方の木立ちの中に鎮座する二つ目の稲荷社....鳥居はなく、稲荷神の白菊大明神を祀る

△一間社流造銅板葺の稲荷社....側縁の奥に板張りの脇障子/社頭に稲荷の神使の狐像が数体鎮座

△東側の玉垣の外から眺めた東本殿、中本殿そして幣殿の屋根....東本殿の大棟に外削ぎの千木と5本の堅魚木....瓦葺の透塀の外側の玉垣は明治三十三年(1900)の築

△拝殿右翼廊右側の妻造銅板葺の門は東本殿の前に建つ....社殿の四つ角(東南)の玉垣の外に建つ社の一つ

△狛犬が鎮座する東本殿前の門....門の造りは先の西本殿前の物と同じ

△菱格子の隙間から眺めた東本殿(重文)....西本殿と同じ造りで嘉永四年(1851)の再建、大正五年(1916)に改築

△本殿は側面四間で正面側二間は中2本の柱がない吹き放し(西本殿と中本殿も同じ造りと思う)/.蕪懸魚や妻飾などの意匠は西本殿と同じ

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住吉神社-(1) (加西)

2023年09月07日 | 寺社巡り-兵庫

【兵庫・加西市】元々は北條町黒駒村に鎮座し酒見神社と呼ばれていた。 奈良時代の養老元年(717)で、 神酒の醸造を職掌する山の酒人が酒見神(地元神)と摂津国の一の宮・住吉大社から住吉神四柱(底筒男命・中筒男命・表筒男命・息長足姫命)の分霊を勧請し、神殿を造って祀ったのが始まりと伝えられている。
天平十七年(745)、奈良の高僧・行基により東側に隣接して別当寺である酒見寺が建立された。 天平三年(731)に編纂された「住吉大社神代記」には住吉大神の宮九箇処の一社として記載されている高い格式の神社だった。 主祭神は 酒見神、住吉四神(底筒男命・中筒男命・表筒男命・神功皇后)、大歳神そして八幡神。

■酒見寺の境内から放生池に架かる石造りの太鼓橋を渡って住吉神社の境内に入る。 まずは境内南側に建つ鳥居に向かい、一旦境内の外にでて、石燈籠が立つ参道から石造りの明神鳥居を眺める。 鳥居の両脇には、1躯の随身像を安置する社殿が周囲に瑞垣を設けた基壇上に向かい合って建っている。 このような形で随身像を安置しているのは珍しいと思うが、随身像を拝観できず残念。
境内に入ってまず目に入るのが鎖で囲まれた「勅使塚」だ。 拝殿前の境内に円形に土盛した所で、神事の場として使われているらしい。 左右に翼廊を設けた割拝殿風の造りの拝殿は、瓦葺の主屋に対し、銅板葺の大きな唐破風の向拝が目を引く。

△住吉神社の別当寺だった酒見寺の境内から眺めた住吉神社

△鳥居前から眺めた南面の住吉神社....明神鳥居前の参道に立つ石燈籠は弘化五年(1848)の造立

△亀腹(饅頭)の上に建つ石造り明神鳥居....鳥居の左右に衣冠束帯の武官姿の随身像を安置する社殿が向かい合って建つ

△石造り玉垣に囲まれた右側の社殿....随身像を安置する左右の社殿(随身殿?)はいずれも切妻造桟瓦葺妻入で同じ造り/正面一間で蔀戸風の格子戸で左右に板張りの小脇羽目、側面三間は手前一間が吹き放し

△左側の社殿....大棟端に鬼瓦、拝は蕪懸魚、妻飾は虹梁大瓶束

△向かい合って建つ随身像を安置する社殿....背面は二間のようだ....左側社殿のすぐ脇に手水舎が建つ

△切妻造本瓦葺の手水舎....文化五年(1808)の再建

△手水鉢の脇にあるのは古井戸か?              水口は3本爪の龍像

△鳥居から眺めた境内中央の勅使塚(円形に土盛したところ)と拝殿....勅使塚は神事の場として使われているようだ

■向拝前の左右には狛犬が鎮座し、その隣に高欄を設けた高い基壇に台石を三重に重ねた上に石燈籠が立つ。 近づくと石燈籠は見上げるほどの高さで、拝殿側には火袋に火を灯すための堅牢な石段がある。 向拝前と拝殿入り口にそれぞれ一対の狛犬、そして神使である1匹の「撫で兎」が参詣者を迎えている。
向拝に施された見事な彫刻群に目を見張った。 水引虹梁の上の精緻な龍は、梁の間から這い出すような姿で生きているかのようだ。 また、唐破風の拝は鳳凰、妻飾りは彫刻充填式で兎と太陽の彫刻が配されている。 拝殿に入ると奥に3つの賽銭箱が並びそれぞれに鈴が下がる。 本殿が3棟あるためと思うが、賽銭箱1つでいいのでは~と思いながら、それぞれにお賽銭を捧げて参拝した。

△切妻造本瓦葺で左右翼廊を設けた拝殿(重文).... 文化五年(1808)の再建....割拝殿式の造りだが、大きな唐破風屋根の中央は通り抜ける土間の馬道にはなっていない

△大きな唐破風向拝の前の左右に狛犬が鎮座し高い位置に石燈籠が立つ

△左右に鎮座する阿形吽形の狛犬は大正七年(1918)の造立

△石燈籠は明治二十二年(1889)の造立

△周囲に高欄を設けた基壇に、三重重ねの台石の上に立つ石燈籠....笠上は変形の宝珠か?/石燈籠に火を灯すための堅牢な石造り階段

△銅板葺唐破風の向拝に二対の狛犬と1頭の兎が鎮座....住吉神社の神使である兎の像には「撫で兎」とある

△鳥衾付き鬼板が乗る唐破風の兎毛通は鳳凰の彫刻

△唐破風の妻飾は彫刻充填式....水引虹梁の木鼻はそれぞれに獅子と獏、水引虹梁上に精緻な龍の彫刻、梁上の大瓶束の両側に兎と太陽の彫刻が配されている

△拝殿入り口に一対の狛犬が鎮座....左は一角があるのでメスの吽形狛犬、右はオスの阿形獅子....向拝の天井は格天井

△拝殿奥は格子で仕切られている....格子の奥に白っぽい模様が見えるが失念
 
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金屋の石仏

2023年09月01日 | 石仏巡り

【奈良・桜井市】日本最古の道である”山の辺の道”の金屋集落から大神神社へと続く道沿いに、「金屋の石仏」を安置する小堂がある。 堂内には平安時代後期~鎌倉時代にかけての造立と推定されている二体の石仏が、高さ約220cm、幅約80cmの板石(石棺の蓋を転用したとされる)に薄肉彫りされていて、国の重要文化財に指定されている。
石仏はかつて三輪明神(現・大神神社)の神宮寺だった平等寺に祀られていたが、明治維新の廃仏毀釈によって破壊されるのを防ぐため村人が現在地に移した。 挙身光を背負って蓮華座に鎮座する石仏は、向かって右が説法印を結ぶ釈迦如来立像、左が右手施無畏印、左手与願印の弥勒如来立像といわれる。

■平成二十八年(2016)に”山の辺の道”近くの寺社巡りをしていた際、金屋の二尊石仏を拝観した。 鉄筋コンクリート造りの小堂の腰高鉄格子戸の隙間から中を覗くと、大きな板石に薄肉彫りされた石仏が安置されている。 風化による摩滅が進んでいるが、やわらかで流麗な線で彫られた像容であり、とくにみごとな衣文を示している衲衣のひだがハッキリと確認できる。 二尊石仏はいずれも肩幅が広く、肉付きがよいふっくらとした体つきだが、全体にバランスがとれたお姿だ....合掌。

△日本最古の道「山の辺の道」の沿道に建つ「金屋の石仏」が安置されている切妻造桟瓦葺の小堂....昭和五十六年(1981)の建立で鉄筋コンクリート造り

△高さ約220cm、幅約80cm、厚さ約21cmの板石に薄肉彫りされた二体の石仏(重文)....平安時代後期~鎌倉時代にかけての造立(推定)/バランスのとれた像容で、穏やかな丸顔

△挙身光を背負い蓮華座に鎮座する二尊石仏

△左は弥勒如来立像(推)....像高163cm....右手は施無畏印で、左手は与願印を結ぶ/右は釈迦如来立像(推)....像高164cm....説法印を結ぶ
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