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何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

エラワン・ミュージアム (タイ)

2020年07月01日 | 史跡探訪-タイ編

【タイ・バンコク】エラワン・ミュージアム(The Erawan Museum)は、2003年、ベンツトンローグループ財団によってバンコク東部のサムットプカーン県に建造された庭園博物館。
骨董品等の芸術作品を展示する美術館と寺院とを兼ねた博物館で、建物の上に聳え立つ3つの頭をもつ「エラワン象」と呼ばれる巨大象のモニュメントは、博物館のシンボル。 「エラワン」とは、ヒンドゥー教のインドラ神(帝釈天)に仕える男の名前で、男はインドラ神が外出する時に乗り物として巨大像に化身、宇宙を自由に駆け巡ることができる神象として天界の神々から「 エラワン象」と呼ばれた。
「 エラワン象」は高さ29メートルで、重量は250トン。 巨大象の内部は寺院(ダーウドゥン天上界)になっていて、仏舎利や様々な時代の仏像が祀られている。

完成した3年後に「エラワン・ミュージアム」を訪れたが、当時はまだ観光パンフには記載されていなかったと思う。 アーチ形の看板が設けられたゲートから、台座の上に聳える黒い巨大な象が見えるが、まるで白ずんだ空に浮かぶシルエットのようだ。
ピンク色の台座は、身舎にタイ特有の装飾を施した円柱状の建物で、寺院を兼ねた博物館。 館内に入ると、高さ約15メートルの吹き抜け空間が広がっていて、ドーム形の天井には世界地図と星座を描いた鮮やかなステンドグラスが一面に張られていて、まるで、ヨーロッパの教会の中にいるような感覚に。 正面の階段の上に守護神たちに護られたお堂が建ち、そこから左右に、お堂を取り囲むように蛇がうねるような階段が天界に伸びている。 エラワン象の後ろ脚の螺旋階段から象の体内に....天上界とされる体内は、須弥壇や壁などが鮮やかな青色に彩色された神秘的な寺院になっていて、幻想的な雰囲気の中に多くの仏像が安置されている。
建物の周りは庭園になっていて、幾つかの精霊像を配置した池の水辺で子ずれの見学者が涼んでいた。 庭園を散策してゲートに戻る途中、鮮やかな伝統衣装を着てタイ舞踊を練習する女の子たちがいたので、練習風景を撮影させていただいた。 いままでタイ舞踊の練習風景を見たことがないので、目を輝かして楽しそうに踊る女の子たちの撮影はラッキーだった。

△エラワン・ミュージアムの大きな正面ゲート

△建物の上に博物館のシンボルである「エラワン象」と呼ばれる巨大象のモニュメントが聳え立つ
 
△3つの頭を持つエラワン象は銅製で、像高は29メートル、重量は250トン....内部は空洞で寺院になっていて諸仏像を安置/エラワン象の右後ろ脚から頭部へ昇る螺旋階段があり、最上階は寺院になっていて仏舎利や様々な時代の仏像を展示

△エラワン象ははインド神話に登場するヒンドゥー教のインドラ神(帝釈天)の乗り物....宇宙を自由に駆け巡ることができる想像上の生物
 
△エラワン象を支える台座であるピンク色の円柱状建物は高さ約15メートルのドーム構造(写真はNETから拝借)/入口上の装飾部に水牛に乗った守護神像が配されている

△建物内は吹き抜けの高さ15メートルの空間が広がっていて、正面の階段の上に様々な守護神に護られたお堂が建つ....お堂を取り囲むように精緻な彫刻が施された蛇がうねるような階段が天井に伸びている
 
△建物の天井には世界地図と星座を描いたステンドグラスを張っている/仏教・ヒンドゥー教・キリスト教の3つの宗教を融合させた世界観が広がる
 
△お堂前の左右に鎮座して仏敵の侵入を防ぐ守護神像
 
△床から曲がりくねった螺旋階段傍に聳え立つ彫刻が施されたスズ(錫・ピューター)製の仏柱/仏柱にはタイ仏教の宗教画が彫られている
 
△エラワン象の内部(最上階)は幅12メートル、奥行き39メートルの寺院(ダーウドゥン天上界)....幻想的な空間に鎮座する釈迦如来立像の印相は、左手が施無畏印で右手は降魔印(と思う)

△博物館を囲むように池泉回遊式庭園があり、池の辺に精霊像などが配されていて入園者の憩いの場になっている

△キンナりー(緊那羅)という天に住む音楽好きの精霊
 
△如意棒のようなものを手にするこの像は何の精霊?/水を操る蛇の精霊(蛇神)「ナーク」(と思う)

△園内でタイの伝統舞踊を練習する女の子たち

△タイ舞踊の練習の合間に一休みしている踊り子たち....頭上のトンガリ帽子は仏塔を表す
 
△豪華絢爛な衣装で独特の美しさであらゆるものを表現するタイ舞踊....「指先の芸術」と言われ、頭の先からつま先にいたるまで身体全体で美しい曲線を描く
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王室御座船博物館 (タイ)

2020年06月29日 | 史跡探訪-タイ編

【タイ・バンコク】王室御座船博物館(National Museum of Royal Barges )は、タイ国王室の御座船とエスコート船を展示している博物館で、1972年に開館した。
前身は、絶対王政から立憲君主制に移行した1932年以降、王室と王立海軍の管理下にあった御座船や軍船を保管する乾ドックだった。 第二次世界大戦時のバンコク空襲で、乾ドックがあったバーンコークノーイ地区も砲撃を受け、王室御座船が甚大な損壊を被った。
1947年に御座船の管理が芸術局に移管された後、芸術局監督の下で御座船の修復が行われ、1972年に国宝に指定された。 絶対王政での最後の御座船パレードは、1932年4月、バンコク・チャクリー王朝建国150周年を記念してラーマ7世がスパンナホン御座船に乗り、メモリアルブリッジから王宮まで行われた。 現在は、タイ国王の生誕記念や国家行事など数年に一度行われるロイヤルバージプロセッションの際に、チャオプラヤー川の流域を王室御座船が走る。

2006年の夏、出張でタイに滞在した時、現地会社のタイ人の方の案内で訪問した。
入り組んだ路地を通ってバンコクノーイ運河に面して建つ王室御座船博物館に....蒲鉾形屋根の館の脇の広い池(舟泊り?)に、鮮やかに装飾された多くの船が並んで浮かんでいて、特に、船首に取り付けられた像に目を奪われた。 事前に調べなかったので国王専用の「御座船」のことは知らず、眼前の船が御座船だと思い込み、船首のガルーダなど精緻できらびやかな装飾が施された像だけをカメラに収めて帰路に....。
後日知ったことだが、館脇の池に浮いていた船は全て御座船を護衛する「エスコート船」で、肝心な国王専用の「御座船」は館内に展示されていた。 案内してくれたタイ人の方が国王専用御座船のことを知らなかったのか、撮影料金を払わなかった(払った記憶がない?)ため館内に入れなかったのか覚えていないが、再訪して国王専用の御座船を観たいものだ。

△王室御座船博物館はチャオプラヤー川との合流点近くのバンコクノーイ運河に面して建つ

△王室御座船博物館は蒲鉾形屋根で体育館のような造りで、中に金色に輝く国王専用の御座船4艘が展示されている

△館脇の池(舟泊り?)に整然と並ぶ御座船のエスコート船....船体に精巧な細工の金色の装飾が施されている

△エスコート船の船首には王様を護る様々な神様の像が取り付けられている

△精緻できらびやかな金色の装飾が施された神像....手前からガルーダ、モックそしてヤック
 
△インド神話に登場する炎を纏う聖鳥ガルーダ像....タイ王室の紋章で、日本では迦楼羅天という仏教の守護神として信仰されている
 
△ラーマキエンに出てくる戦いの猿神モック(ハヌマーン)像....猿を模したモック像は孫悟空のモデル/鬼の姿をした魔除けの守護神ヤック像

△精緻できらびやかな金色の装飾が施された神像のモック(手前)とヤック
 
△魔除けの守護神ヤック像/ガルーダ像....スコータイ王朝時代からタイを護ってきた最上の神
 
△魔除けの守護神ヤック像は、タイでは身を呈して王様を護る正義の神とされる

■国王専用の御座船4艘について調べてみた。
(1)スパンナホン船( The Suphannahongse Royal Barge)
⇒チャクリー王朝の第6代シャム国王であるラーマ6世(1910~1925)が1911年に建造、最も最重な国王専用の御座船。 船首は聖鳥ホング像で、ホングはヒンドゥー教の神「ブラフマー」の乗り物。
(2)アナンタナーカラート船(The Ananta Nakaraj Royal Barge)
⇒ラー マ6世が1914年に建造した御座船。船首は蛇神ナーガ。
(3)アネークチャートプチョン船(The Anekkachatphuchong Royal Barge)
⇒チャクリー王朝の第5代シャム国王であるラーマ5 世(1868~1910) の時代に建造された御座船。 船首に蛇神ナーガの装飾。
(4)ナーラーイソンスバン・ラーマ9世船(The Narai Song Suban H.M King RamaⅨ)
⇒ラーマ9世(プミポン国王/1946~2016)在位50周年を記念して1996年に建造された御座船。 船首は鳥神ガルーダ像に乗ったヴィシュヌ神像で飾られている。

△最も最重な国王専用御座船「スパンナホン船」....ラーマ6世の建造で、船首は聖鳥ホング像。(NETから拝借)




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ワット・スタット (タイ)

2020年05月25日 | 史跡探訪-タイ編

【タイ・バンコク】ワット・スタット(Wat Suthat)は、1782年にバンコクに遷都した現チャクリー王朝のラーマ1世が、大仏を置くために1807年から建築を開始し、27年の歳月を掛けて完成させた王室寺院。 大仏を置く仏堂が完成したのは、ラーマ2世治世の時。
大仏は15世紀にタイ中央部に栄えたスコータイの最重要寺院ワット・プラ・マハタートにあった当時最大のプラシー・サカヤムニー像で、スコータイ王朝のリタイ王治世の1361年 鋳造された。 ラーマ1世の指揮により筏で運ばれたこの像はブロンズ製で、高さ約8メートル、幅約6.3メートルあるため寺院の狭い門を通すことができず、門の壁を壊して搬入した。 この仏像の台座には1946年に崩御したラーマ8世の遺骨が納められている。

バムルン・ムアン通りに面した入り口を入ると、直ぐ正面に、周囲が吹き放しになった白亜の壁の大きな礼拝堂が建つ。 回廊に囲まれた礼拝堂の周りは中庭になっていて、ラーマ3世時代の交易で得た小型の中国式仏塔などが置かれている。 礼拝堂に入ると、正面の大きな台座の上に、黄金に輝く巨大な仏像が参詣者を見下ろすように鎮座している。 日本の仏像とは違い、流れるような線ですらりとした容姿はまるで女性のようで美しい。 バンコクで最も美しい仏像と言われているらしいが....。 また、半眼の穏やかな表情で参拝者を見下ろす像を見ていると、癒される。
礼拝堂の壁から天井までびっしりと壁画が描かれ、当時の生活様式や都の様子などを伝えている。 なお、礼拝堂の後方に本堂があり、ラーマ4世造立の仏像が鎮座し、像前に等身大の僧侶の人形が何十体も並んでいるようだが失念した。
 ワット・スタット前の通りに「サオ・チン・チャー」と呼ばれる赤い鳥居形の巨大ブランコがあり、「ジャイアント・スイング」と呼ばれ親しまれている。 バラモン教の儀式を行うために使われていたが、司祭の落下事故が続いたため1935年以降、行事が中止となった。
 
△入口から眺めた境内、中の門をくぐると正面に礼拝堂が建つ/礼拝堂前にラーマ3世が中国から持ち帰った石像群が置かれている

△境内の中央に建つ切妻造りで妻入りの礼拝堂

△入口と母屋の妻上部に精緻な彫刻が施されている....礼拝堂にはラーマ4世造立の仏像群が鎮座

△礼拝堂の妻面にはエラワン象に乗るインドラ神がデザイン
 
△礼拝堂の入り口....扉はチーク材で作られた手工芸品/礼拝堂入り口横に置かれた神使のゾウ像
 
△礼拝堂に祀られている高さ約8メートルの仏像「シーサーカヤームニー仏」....女性的でバンコクで最も美しい仏像とされる/仏像はラーマ1世命でスコータイから水路で運ばれてきた
 
△礼拝堂の壁や天井に描かれた壁画...当時の生活様式や都の様子が描かれている

△礼拝堂を囲む回廊

△礼拝堂の周りに立ち並ぶ層塔は奇数ではなく全て六重の層塔
 
△礼拝堂を囲む回廊に鎮座する100体を越える黒と金色の仏像群/出入口の扉に施された鬼の姿をした魔除けの守護神・ヤック4体(と思う)
 
△ワット・スタット正面の外に建つ高さ約21メートルの赤い巨大ブランコ「サオ・チン・チャー」....バラモン教の儀式を行うために使われていた/2007年(仏歴2550年)発行の入場券
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世界最大のパコダがある町 (タイ)

2020年05月21日 | 史跡探訪-タイ編

【タイ・ナコーンパトム】バンコクの西約55kmに位置するナコーンパトム(Nakhon Pathom)は、インドシナ半島の中で最初にインドから仏教が伝来した町で、町の中心にある仏教寺院ワット・プラパトムチェディに世界最大のパコダ(仏塔)が鎮座する。 ナコーンパトムは「最初の町」と言う意味で、6世紀のドヴァーラヴァティー王国時代から栄え、現在のタイ国で一番古い町とされる。
プラ・パトム・チェディと呼ばれるパコダは、当時この地を治めていたモーン族により3世紀頃に建立されたとされ、仏塔内に仏舎利が納められている。 寺院に聳え立つパコダの塔高は約120mで、30階建てビルの高さに相当する世界一高い仏塔。 パコダは11世紀頃にこの地を支配したクメール人によってクメール様式で改築され、現在の仏塔は、ラーマ4世(チャクリー王朝の第四代シャム国王)の時代、17年間の改修工事後の1870年に完成したもの。 ワット・プラパトムチェディは現在、タイ国で最も重要な寺院の一つとして王室の保護を受けていて、仏教の聖地として全土から巡礼者が訪れるようだ。
パコダから西へ2kmの位置に、ラーマ6世(チャクリー王朝の第六代シャム国王)ゆかりのサナーム・チャン宮殿がある。 この宮殿はラーマ6世が皇太子時代の1907年に巡礼に訪れた際に、住居兼別荘として建てられたもの。 ラーマ6世は、タイの王朝史上初めて海外(イギリス)留学をした国王で、自分の趣味を反映させてヨーロパ風の宮殿にしたようで、住居とした西洋建築のピマーンパトム宮殿、劇場と集会場とを兼ねたタイ様式のサマッキー・ムックマート宮殿など幾つかの建物が廊下で連なって建つ。

約15年前、タイのJV会社で仕事をしていた際、現地タイ人の案内でナコーンパトムを訪れた。
両側に1階が商店、2階以上がマンションになっている4階建の建物が建ち並ぶ大きな通りの間から、堂々たる巨大なパコダが見える。 通りを抜けると、樹林から突き出たように聳える高さ約120メートルのパコダがで~んと鎮座している。 参詣者たちが豆粒のように見えるので、否応なしにパコダの大きさを実感....近づくとその迫力に圧倒される。 パコダ正面に隣接するほぼ吹き放しの仏堂に鎮座する仏像の前に、ご利益を願う多くの参拝者が膝まずいている。 仏像は金色に輝く釈迦如来立像で、右手を功徳を表す施無畏印にし、下目遣いで参拝者を見守っている。
パコダから西へ2kmの位置にあるラーマ6世の住居兼別荘だったサナーム・チャン宮殿に向かう。 緑に囲まれた広い芝生の庭に、大きな池を中心にして西洋風やタイ様式風の幾つかの建物が、池の中に建つ高床の渡り廊下で繋がっている。 樹林に囲まれ、池と芝生に覆われた庭に建つ美しい宮殿の建物から、当時のタイ王族の優雅な暮らしぶりが想像される。

△大きな通りから眺めた町の中心に鎮座する仏教寺院ワット・プラパトムチェディ

△仏教寺院ワット・プラパトムチェディに鎮座するプラ・パトム・チェディと呼ばれる世界最大のパコダ(仏塔)....参詣者の大きさから巨大さが分かる
 
△寺院前の歩道に立つ赤い郵便ポスト/寺院前の道路脇に並んで客待ちするトゥクトゥク
 
△ワット・プラパトムチェディ寺院の正面....聳え立つパコダの塔高は約120m/タイでは本尊を外から拝観できる寺院が多い
 
△右手を施無畏印にして参拝者を見守る釈迦如来立像/ぼろ布を繋ぎ合わせた粗末な衲衣のイメージがない金色の釈迦如来立像

△パコダの創建は3世紀頃とされ、仏塔内に仏舎利が納められている
 
△パコダ側面の胴部の小窓の中に、金色の釈迦如来坐像が鎮座/釈迦如来坐像の印相は両方の手の平を上向きに重ねている

△パコダ周囲の回廊の間に幾つかの建物がある

△回廊内部の壁にある多くの仏画
 
△パコダの周囲に鎮座する武人風の像は守護神か? 中華風なので中国から来たものでは?

△ワット・プラパトムチェディのパコダの周囲に連なって建つ建物

△サナーム・チャン宮殿....1907年頃の建立で、ラーマ6世(チャクリー王朝の第六代シャム国王)の宮殿....パコダから西へ2kmの位置にある

△ラーマ6世が皇太子時代に聖地プラ・パトムチェディを巡礼で訪れた際に建てられた住居兼別荘....宮殿前庭の犬像は国王の愛犬か?

△サナーム・チャン宮殿は1926年以来県庁舎として使用され、2003年末に王室に返還された

△ラーマ6世はタイの王朝史上初めて海外(イギリス)留学をした国王....そのためヨーロパ風の建築になったようだ

△大きな池があり緑の芝生に覆われた風景から、当時のタイ王族の優雅な暮らしぶりが想像できる

△美しい宮殿の建物が池を跨ぐ高床の渡り廊下で連なる

△渡り廊下の奥は生活のための建物か?


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ワット・ポー (タイ)

2018年04月05日 | 史跡探訪-タイ編

【タイ・バンコク】ワット・ポー(Wat Pho)は、西暦1788年(仏歴2331年)にバンコク王朝のラーマ1世が建てたバンコク最古の王室寺院との説明が多いが、タイ国政府観光庁のHPではアユタヤ王朝末期のプラペートラチャ王時代(1688~1703年)の建立とある。
ワット・ポーとは「菩提の寺」の意で、ラーマ3世が17年の歳月を掛けて本堂、礼拝堂、仏塔、回廊など71基の堂塔を造立した。 境内にはラーマ1世から4世を祀る色鮮やかな大きな仏塔が聳え、仏塔は王によって緑・白・黄・青に色別されている。
本堂には金色の釈迦坐像が安置されているが、その台座にはラーマ1世の遺骨が納められている。 礼拝堂には黄金に輝く長さ46m、高さ15mの巨大な寝釈迦像を祀っていて、足裏にはバラモン教の宇宙観を表現した精緻な螺鈿細工画が描かれている。
境内はチェトゥポン通りで南北に分断されていて、堂塔は北側に集中、南側には僧坊がある。 なお、ワット・ポーは伝統的なタイ式マッサージの総本山で、北側の東隅に2ヶ所のマッサージ場がある。

ワット・ポーのシンボルは、何といっても、眩しいほどに輝く黄金の巨大寝釈迦像だ。 入口の直ぐ傍に建つ礼拝堂に入ると、大勢の観光客が溢れている。 目の前に右手で頭を支える寝釈迦の大きな横顔が迫って来る。 寝釈迦像はかなり窮屈そうに御堂いっぱいに横たわっていて、とにかくデッカい! 穏やかなお顔で横たえる寝釈迦像....まさに涅槃に達し悟りを開いた姿だ。
足裏の前に行くと群がるように多くの観光客がいて、身を乗り出すようにして足裏の精緻な螺鈿細工画に見入っていた。
境内に大小の仏塔が林立....国王を表す大きな仏塔4基は墓ではないが、小さな仏塔には遺骨が納められている。 以前は王族専用だったが、いまは寄進次第で誰でも納骨できるようだ。

境内には涅槃像を祀る御堂、仏塔群、釈迦坐像を祀る本堂などがある

境内に歴代国王(ラーマ1世~4世)を表す大仏塔とタイ風墓碑の小仏塔が林立

ラーマ王1世~4世を祀る仏塔..塔は色でラーマ王を表し、緑が1世、白が2世、黄色が3世、青が4世
 
ラーマ1、2、3世の大仏塔が並んで聳える..手前から黄色の3世、中の緑がラーマ1世、奥が白のラーマ2世の各仏塔/大仏塔は全面が繊細なタイル張りになっている
 
ラーマ1世が最初に建立した本堂..金箔で覆われた釈迦坐像が祀られ、台座にはラーマ1世の遺骨が納められている/本堂の8扉の一つで、「ラーマキエン」の要約が螺鈿で描かれている..訪問時はカバーで覆われていたが僅かに螺鈿が見える

高さ3m程の仏塔はタイ風墓碑..中に遺骨が納められれている

礼拝堂に安置されている黄金に輝く釈迦涅槃像
 
涅槃に達し悟りを開いた穏やかな顔
 
長さ5n、幅1.5mある巨大な偏平足の足裏には、バラモン教における宇宙観が描かれている

足裏にバラモン教の宇宙観が108面の螺鈿細工画で表現されている
 
足指の指紋               研磨した貝殻を嵌め込んだ螺鈿細工

本堂囲りの二重回廊..外回廊に244体、内回廊に150体の仏像が並んでいる
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ワット・アルン (タイ)

2018年04月03日 | 史跡探訪-タイ編

【タイ・バンコク】ワット・アルン(Wat Arun)の創建年は不詳だが、1350年に建国されたアユタヤ朝のペートラーチャー王時代にフランス軍人によって描かれたチャオプラヤー川流域の地図に載っていて、ワット・マコークという普通の寺院だった。
ビルマ軍の攻撃で1767年に崩壊したアユタヤ王朝後、前タイ王朝であるトンブりー王朝の王タークシンが修復し、新王都建設にあたってタイ宮寺院とした。 1782年に誕生した現チャクリー王朝のイッサラスントー親王(後のラーマ2世)により1820年、寺院はヒンドゥー教の暁神アルーナ王国の夜明けを願い、ワット・ジェーンと改名して王から現在の名称となり、ラーマ2世の菩提寺になった。

ワット・アルンのシンボルは、なんといっても中央に聳え立つ高さ75mの大仏塔で、ヒンドゥー教の破壊神シヴァが住む聖地カイラーサ山をかたどっているとされる。
独特な形の大仏塔の表面は砕いた陶器の破片で装飾されている。 傾斜している基壇の部分にはラーマキエン物語に登場するガルーダ、ハヌマーンの石像が無数飾り付けられているが、歯を食い縛って両手で仏塔を支える姿はユニークだ。 また、大仏塔の上部にはインドラ神がその乗り物である三つの頭を持つエラワン象の上に鎮座している。
大仏塔の中程まで登ることができるが、急峻な石段で危険この上ない。 とはいえ、大仏塔に登ると、眼下に広大なパノラマが展開....たくさんの船が浮かぶチャオプラヤー川と対岸の旧市街の宮殿や寺院、そして遠くにバンコク市街が一望でき、実に素晴らしい眺めだ。

ワット・ポー側の船着場から眺めたワット・アルンの遠景

船着場近くに建つ本堂..高さ2mの2体の鬼人像(ヤック)に守られている
  
武器を持つ漆喰製の魔除けの鬼人像(ヤック)..見上げると迫力がある/本堂はラーマ2世の命で建立され、本尊の台座の中にラーマ2世の遺体が納められている/ワット・プラケットにも佇んでいた中国風の石像(武官像かな)

本堂の回廊に120体の仏像が鎮座している
 
仏塔の正面に創建当時の旧本堂と礼拝堂が建つ(写真は旧本堂と思う)/旧本堂には29体の仏像を安置

旧本堂の周りには獅子等たくさんの石像が整然と並んで本堂を護っている

左が四天王像に警護されている礼拝堂と思う..礼拝堂には青銅製の仏塔と80体の仏像が祀られている

御堂から眺めた大仏塔..手前の屋根の棟端の先鋭突起物は「チョーファー」と呼ばれるタイ独自の装飾

周囲234mある台座に高さ75mの大仏塔そして周りに4基の低い仏塔が建つ
 
大仏塔の上部に三つの頭を持つエラワン象(神の乗り物)に乗るインドラ神が鎮座/インドラ神に最も近い位置で仏塔を支える穏やかな顔のハヌマーン
 
いろいろなハヌマーン像が仏塔を支えている..ハヌマーンとはヒンズー教の神猿らしい

穏やかな顔で仏塔を支えるハヌマーン

あまりの重さに悲鳴を上げながら仏塔を支えるハマヌーン
  
大仏塔は途中まで登れるが、石段は極めて急峻だ/上部では観光客は這うように石段を登っている

眼下に広大なパノラマが展開…チャオプラヤー川にたくさんの船が浮かぶ、手前の建物は旧本堂と礼拝堂
 
チャオプラヤー川の対岸の寺院はワット・ポー..遠くにバンコク市街を一望/仏塔の奥の対岸に王宮とワット・プラケオが見える
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ワット・プラケオ (タイ)

2018年04月01日 | 史跡探訪-タイ編

【タイ・バンコク】ワット・プラケオ(Wat Phra Kaeo)は、1782年、現チャクリー王朝の初代王・ラーマ1世がバンコクに遷都し、王宮の建造と同時に王朝の守護寺、護国寺として王宮の北側に建築が始まった。
境内南側に西面で大きな本堂が建ち、本尊のエメラルド色の仏像(ヒスイ製・高さ66cm)が安置されている。 この仏像は、1778年にチャクリー将軍(後のラーマ1世)率いる軍政がラオス侵攻での戦利品として持ち帰ったもので、16世紀中頃~18世紀後半迄の約200年間、ラオスの寺院「ワット・プラケオ」の本尊だった。

本堂北側の石造りのテラスの上に、形の異なる3種類の壮大な建物(仏舎利塔、経堂、王室専用御堂)が並んでいるが、中でも、黄金色に輝く仏舎利塔「プラ・シー・ラタナー・チュデイ」は特に人目を引き、まさにランドマークだ。 6カ所ある回廊の出入口には、ヤックと呼ばれる外敵の侵入を防ぐ漆喰製の鬼人像(厄除けの鬼)が、武器を携えて立つ。 また、回廊には「ラーマキエン」という多くの精緻な壁画が描かれているが、これはインドの叙事詩「ラーマーヤナ」という神話をタイ風に翻案したもので、ヒンズー教の経典に由来するものらしい。
本堂にエメラルド色の仏像を祀っていることから「エメラルド寺院」と呼ばれ、また三大寺院の一つで格式が高いことから、多くの参拝者や旅行者が訪れる寺院だ。

ワット・プラケオと王宮の遠景(中央の黄金の仏舎利塔の右側..屋根の棟端の先鋭突起物は「チョーファー」と呼ばれるタイ独自の装飾
 
ナー・プラ・ラーン通りの白壁の塀越しに眺めたワット・プラケオ..左の仏塔が立つ建物は王室専用御堂プラサート・プラ・テープビドーン/サナームチャイ通り側に一直線に立ち並ぶ8基の仏塔
 
武器を持つ漆喰製の魔除けの鬼人像(ヤック)..ラーマ3世時代の造立で、回廊の6カ所の出入口に立って外敵の侵入を防いでいる/金色に輝く仏舎利塔プラ・シー・ラタナー・チェデイー..ラーマ4世が建立

本堂北側の石造りテラス上に建つ3つの異質な建物..左から仏舎利塔プラ・シー・ラタナー・チェデイー、仏教経典を納めるプラ・モンドップ、十字型の建物の中心に仏塔が立つ王室専用御堂プラサート・プラ・テープビドーン

本堂側から眺めたテラス上の3つの建物
 
中国風の石像は武官像かな?/本堂の中央扉前の階段の左右に鎮座する青銅製の重厚な獅子像..カンボジアから運ばれてきた

ラーマ1世建立の仏教経典を納めるプラ・モンドップ、手前の建物は四阿のようで奥に王室専用御堂プラサート・プラ・テープビドーン(ラーマ4世建立)

本尊のエメラルド仏が祀られている本堂..エメラルド仏はヒスイ製で高さ66cm

全体を巡らす屋根付回廊には多くの壁画「ラーマキエン」が描かれている..インドの「ラーマーヤナ」という神話で、ヒンズー教の経典に由来するらしい
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