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何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

貞昌寺-(2) (横須賀)

2025年07月21日 | 寺社巡り-神奈川

【神奈川・横須賀市】貞昌寺と寺号を改めて堂宇を再建した向井将監正方は江戸幕府の旗本で、南朝水軍の将を祖とし、徳川家の直臣として御船手奉行、御召船奉行のほか走水・三崎奉行などを歴任し、三浦・伊豆の海防の任にあたった。 境内墓所には向井将監正方と妻の墓碑の宝塔が建つ。宝塔の総高は三段台座を含めて約3m余で、笠石下面には墓誌銘文が刻まれている。

◆本堂の外陣と内陣を仕切る虹梁の上の欄間に、笛吹き天女と羯鼓(鞨鼓)を打つ天女の飛天像の透かし彫り彫刻が施されている。 内陣中央に本尊を安置した厨子あり、左右の棚の上に数体の仏像と数柱の位牌が本尊を見守るように鎮座している。

△身舎と向拝の軒先で受けた雨水を流す円筒状の樋は、何故か蓮型天水桶に注いでいない

△引き違いの腰高格子戸からみた外陣と内陣(堂内撮影可)

△外陣と内陣を仕切る眉を切り絵様を彫った虹梁の上欄間に施された精緻な飛天像の透かし彫り彫刻

△右側の飛天像は笛吹き天女

△左側の飛天像は羯鼓(鞨鼓)を打つ天女

△厨子が置かれた内陣....中央に厨子、左右の棚の上に仏像と位牌が安置されている

△本尊が収納されている厨子....御開帳は12年毎の卯年に....脇に小さな如来坐像が鎮座/円光を背負った本尊の延命地蔵尊立像(堂内掲示額写真から拝借)

△厨子に向かって右手に鎮座する数体の仏像

△法界定印(禅定印)を結んで坐す初祖菩提達磨圓覚大師大和尚像/表記が無く不明だが開山僧の坐像か?

△左腕が欠落した如来立像....右手が説法印(上品中生)なので、転法輪印を結んだ印相と推測/厨子に向かって左側に鎮座する仏像3体....円光を背負う地蔵尊立像と2体の如来坐像で、如来像は手が損傷しているようで印相不明

◆格天井の外陣の3方の差し鴨居の上に格子欄間を配している。 東側の下屋は畳敷の廊下で、天井は身舎側は平天井、右半分が垂木現し勾配天井になっている。

△外陣天井は格天井....差し鴨居の上3方向に格子欄間を配している

△東側から見た外陣/東側の下屋は畳敷きの廊下で、天井は身舎側は平天井、右半分は垂木現し勾配天井になっている

◆墓所に江戸幕府の御船奉行などを歴任した向井将監正方とその妻の墓碑である宝塔が並んで建つ。 宝塔はいずれも基壇を含めた塔高が約3mで、ひときは存在感を放っている。 両宝塔の笠石の下面に墓誌銘文が刻まれ、また、夫人の宝塔の正方墓碑側の側面に如意輪観音半跏像が陽刻されているが、まるで正方を見守っているかのようだ。

△墓所入り口の左手に建つ瓦葺き地蔵堂に赤い前垂れをした六地蔵尊像が鎮座....地蔵堂左奥にも4体の石仏が鎮座している

△墓所に建つ向井将監正方夫妻の墓碑の宝塔....正方は幕府船手頭、御召船奉行、走水・三崎奉行などを歴任した江戸幕府の旗本

△左は正方夫人の宝塔....寛文拾年(1670)の造立で、総高は約3.3mで、正面中央に「霊徳院心鑑自照大姉」の刻/△右の向井正方の宝塔....延宝二年(1674)の造立で、基壇を含めた総高は約2.7m....正面中央に「大通院義山浄節居士」の刻

△正方夫人の宝塔の塔身右側面に陽刻された如意輪観音半跏像....笠石下面に墓誌銘文が刻まれている(正方の宝塔にも刻まれている)/蓮華座に鎮座する如意輪観音半跏像....宝冠を頂き、右膝を立て、右手を頬のあたりに添える「思惟」の相、左手は与願印
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貞昌寺-(1) (横須賀)

2025年07月16日 | 寺社巡り-神奈川

【神奈川・横須賀市】南北朝時代の建武二年(1335)、鎌倉円覚寺の11世・南山士雲禅師が開山したと伝える。 江戸時代の寛文三年(1663)、幕府の御船奉行・向井将監正方が、母・貞昌院の菩提を弔うため竹沢の里(谷戸)の奥にあった吸江庵を、貞昌寺と改めて堂宇を再建。 安政三年(1774)、正方の子孫の向井家八代・政香の時に現在地に移設された。
宗旨は臨済宗(円覚寺派)で、本尊の延命地蔵菩薩立像は運慶作と伝わる。三浦地蔵尊三十八霊場第二十八番札所。

◆門前に着くと石段右の雛壇に整然と鎮座する52基の庚申塔が迎えてくれる。 <2025年5月21日投稿「貞昌寺の庚申塔群」> 白壁の袖塀を備えた山門は薬医門形式で、門前脇に「地蔵尊三浦札所 第廿八番霊場」と刻まれた古い石柱が建つ。 山門の親柱に金属製の門扉が直付けされていて違和感を覚えた。 門前に置かれる柵は普通、据え置き式和風人止柵なのだが....。
門扉が閉まっているので、右手の庫裡側から境内に。 手入れが行き届いた境内の切石敷の参道を進んで本堂に。 小棟造りの本堂の外観はほぼ白壁で簡素な建築だが、両脇間の白壁に花頭窓があって少し趣を感じさせる。 向拝の屋根は身舎壁から張り出した銅板葺きの薄い板状の庇で、一見しただけでは向拝だと思わない造りだ。

△一般道に面して石垣の上に鎮座する堂宇....石階の上に建つ山門の前の雛壇に整然と鎮座する庚申塔群 <2025年5月21日投稿「貞昌寺の庚申塔群」>

△切妻造本瓦葺の山門....袖塀は白壁の築地塀で、門前に「地蔵尊三浦札所 第廿八番霊場」と刻まれた石柱が建つ

△薬医門形式で一軒疎垂木....扉が無く、金属製の門扉が親柱に直付けされている

△本柱上の冠木に3組の男木と女木を乗せている/本柱と控柱の間に2本の貫

△山門の門扉越しに眺めた簡素な造りの本堂

△本堂に連なって客殿、玄関及び庫裡が建つ

△庫裡の前に門柱があり、入山可なのでこちらから境内に

△寄棟造り二階建ての庫裡....正面に桟瓦葺の裳腰

△堂宇前庭の手入れが行き届いた植栽が美しい

△隅々まで手入れが行き届いている境内....散策していて気持ちがいい

△右は庫裡と本堂の間の玄関....奥に客殿があると思う

△寄棟造銅板葺の本堂....正面五間で、中央間は腰高格子戸の引きい戸、両脇間は腰高格子戸の引き違い戸と花頭窓

△昭和五十年(1975)造立の天水桶....鎖樋がない/青銅仕上げと思われる蓮型天水桶

◆正面中央間は腰高格子戸で、眉を切り絵様を彫った虹梁の敷居に「貞昌禅寺」の扁額が掲げられている。 向拝や身舎には装飾的な意匠がほとんどなく、両脇間の白壁に花頭窓と引き違い腰高格子戸があるだけでシンプルだ。 左側切目縁の奥に、面格子を施した窓のある白壁の下屋が張り出ているが、一見すると縁の上に置かれた下屋のように見える。

△中央間は腰高格子戸の引き違い戸で、眉を切り文様を彫った虹梁の上に掲げられた「貞昌禅寺」の扁額

△両脇間には花頭窓と引き違い腰高格子戸を建て付けている....正面と側面一部に高欄無し切目縁を設け、正面切目縁の庇に喚鐘が下がる

△本堂左側面の切目縁の奥に白壁の下屋が突き出ている....下屋には面格子を施した窓がある/柱の途中に変形の梁(貫?)を渡し、そこから庇を設けている

△軒廻りは二軒半繁垂木で木口に胡粉を施す....組物は舟肘木、向拝の屋根は身舎の壁から張り出した庇/鬼瓦を乗せた大棟端は入母屋造風の造り....拝は猪目懸魚だが金属製の材質とみられる

△墓所側(西側)から眺めた境内と山門

△大棟端に鬼瓦が乗り、拝は目が1つの猪の目懸魚/山門の袖塀はL字に設けられている

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安養院-(1) (鎌倉)

2025年07月06日 | 寺社巡り-神奈川

【神奈川・鎌倉市】安養院は祇園山安養院田代寺といい、鎌倉時代嘉禄元年(1225)に北条政子が夫・源頼朝の菩提寺として建てた長楽寺が創建とされる。 安養院の歴史には、長楽寺・善導寺・田代寺という3寺院が前身として関わっている。 この地には良弁尊観が開いた浄土宗名越派の善導寺があったが、元弘三年(1333)、鎌倉幕府滅亡の際の戦火で焼失した。 願行上人が開山した長楽寺も幕府滅亡とともに焼失したため、この地に移って善導寺に統合され安養院長楽寺と号したが、延宝八年(1680)、再び全焼した。 宗旨は浄土宗で、本尊は阿弥陀如来像。 坂東三十三観音霊場第三番札所。鎌倉三十三観音霊場第三番札所。

◆参道の入口に、正面に「坂東第三番田代観音」「安養院」、側面に「浄土宗名越派根本霊場」と彫られた寺号標石が建つ。 標石後方の緩やかな坂の上に山門が建ち、山門を通して鮮やかな緑の奥に本堂が見える。 門前はオムラサキツツジが咲き誇ることで知られる。 山門をくぐると左手に地蔵堂が建ち、こちらを向いて鎮座する舟光背型石仏の日限地蔵尊坐像が迎えてくれる。

△大町通りに面して建つ寺号標石....正面に「坂東第三番田代観音」と台座に「安養院」、側面に「浄土宗名越派根本霊場」と彫られている

△標石の少し後方の石段の上に建つ山門....桟瓦葺の袖塀は白壁の築地塀

△切妻造本瓦葺の山門(四脚門)

△軒廻りは二軒繁垂木....親柱の間に冠木を乗せ、前後の控柱はそれぞれ頭貫で結合

△前後の控柱に渡した腕木の中央に舟肘木を置き上の梁を支えている/梁の中央に置かおれた蟇股で棟木を支えている

△山門を通して眺めた境内....植栽の奥に本堂が建つ

△山門を入って左手に建つ地蔵堂

△露盤宝珠を乗せた宝形造木皮葺の地蔵堂....一間四方で正面は腰高格子戸と白壁の小脇羽目

△堂内に安置されている錫杖と宝珠を持つ舟形光背石仏は日限地蔵尊坐像....鎌倉時代末期から南北朝時代に造立されたとされる/軒廻りは一軒半繁垂木、長押の上は白壁の小壁

◆切石敷の参道を進んで本堂へ。 入母屋造りの平側に出っ張らせた正面三間側面二間の建物の前に向拝がある。 正面三軒は白壁で、中央間は扉が無く、両脇間に大きめの花頭窓を設けている。 水引虹梁の上に精緻な3本爪の龍、その上の梁上に鶴(と思う)、唐破風の拝に鳳凰、木鼻に唐獅子の像彫刻を配している。 身舎左右の裳腰の二間には、幅の狭い擬宝珠高欄付き切目縁そして一間まるまるの大きさの花頭窓を建付けている。 花頭窓を通して見える堂内の柱の並びから、花頭窓の直ぐ内側は内縁だと思う。

△境内参道から眺めた本堂(観音堂)....本尊の阿弥陀如来坐像(室町時代作)と背後に札所本尊の千手観音立像を安置

△江戸時代貞享五年(1688)造立の寺社形手水鉢....何故か水口が見当たらない?

入母屋造銅板葺の本堂....身舎から出っ張らせた正面三間、側面二間の部分に向拝を設けた造りで、屋根に軒唐破風がある

△正面は三間で、開放の中央間そして両脇間の白壁に花頭窓....長押の上は全て白壁の小壁

△軒唐破風に鳥衾を乗せ寺紋 ”笹龍胆” を入れた鬼板、眉を切り絵様が彫られた水引虹梁の木鼻は唐獅子像....入り口に「祇園山」の扁額が掛かる

△軒唐破風の拝に鳳凰の彫刻、水引虹梁の上に3本爪の龍の彫刻

△軒廻りは一軒半繁垂木、組物は木鼻付き平三ツ斗で中備なし

△絵様が彫られた大きな手挟と眉を切り絵様が彫られた海老虹梁

△正面の左右に裳腰を設け、狭い擬宝珠高欄付き切目縁、二間に大きな花頭風窓枠のガラス戸(中は内縁になっているようだ)

△正面右側は庫裡と白壁の渡り廊下で繋がっている

△屋根にクロスさせて入母屋破風を乗せ、平側に出っ張らせた部分(正面三間、側面二間)の前に向拝....身舎側面に縁なし









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瑞泉寺-(3) (鎌倉)

2025年06月26日 | 寺社巡り-神奈川

【神奈川・鎌倉市】南北朝時代、後醍醐天皇(第96代)や足利尊氏に帰依された臨済宗の僧・夢窓疎石(夢窓国師)は、瑞泉寺の作庭に力を注いだ。 本堂裏に発掘復元された庭園は、疎石によって作庭された禅宗様庭園で、岩盤を削り出して作られ”岩庭”とも称される。 岩庭は池泉鑑賞式庭園で、書院庭園の起源となった。 疎石は後に、京都の西芳寺、天龍寺の庭園も手がけた。

◆参道脇に立つ「名勝瑞泉寺庭園」標石から大きな洞窟が植栽の間に垣間見える。 植栽を抜けると、本堂の裏に岩だらけの開けた空間が現れる。 そこは夢窓疎石が自然の地形を利用して作った庭園で、岩壁がそそり立つ岩と池の庭はまさに”岩庭”だ。 いままで鑑賞してきた庭園とまるで違っていて思わず息をのむ。 岩壁を削って造られた大きな洞は”天女洞”と呼ばれ、その横に坐禅を行った所とされる”葆光窟”が、また、”天女洞”の上に3つの仏龕らしき洞がある。
岩庭から本堂の背面をみると、庇を設けた高欄のない榑縁があり、庇の上の梁に「侍真」の額が掲げられている。

△地蔵堂前の庭園入り口に立つ「名勝 瑞泉寺庭園」の標石、参道奥に庭園の”やぐら”のような岩窟が見える

△鎌倉に残る鎌倉時代唯一の庭園....鎌倉時代から室町時代初期を代表する禅僧の夢窓疎石(無窓國師)による作庭

△”岩庭”と呼ばれる庭園は自然の地形を利用し、岩壁を削って作庭された池泉鑑賞式庭園

△岩壁を登るために池に架けられた2本の橋....岩壁には錦屏山の山頂に続く急な登坂路がある

△池に架けられた平橋と反橋/ 岩壁の登坂路に設けられた屋根付きの桟を組んだ格子状バタ戸

△岩壁を削って造られた大きな洞は「天女洞」....「天女洞」上の岩壁に3つの仏龕らしき小さな洞....天女洞右の洞は坐禅を行う「葆光窟」

△天女洞の中には棚らしきものが彫られ、その上に激しく風化した石造物らしきものが置かれているように見える

△天女洞の前の池は「貯清池」で、中央に島が彫り残されている

△岩庭から眺めた本堂の背面....左側裳腰の後方に切妻屋根の御堂を設けている....奥の寄棟造桟瓦葺の建物は方丈(書院と思う)

△本堂の背面には庇を設けた高欄のない榑縁があり、庇の上にの梁に「侍真」の額が掲げられている

◆庭園から本堂前を通って庫裡に。境内図には庫裡と方丈しか示されていないが、庫裡のほかに客殿と書院がある。 書院は方丈だと思う。 煙出しのある庫裡から本堂側に出張っている穂垣で囲まれた建物は客殿と思う。 庭側の縁先に二段の沓脱石が置かれ、庫裡側の縁先に縁先手水鉢と石燈籠が置かれている。 庫裡の入り口の中を覗くと、式台の奥に玄関座敷がある。
3棟ある茶室のひとつの南芳庵が、庫裡前の参道に面して建つ。 正面に犬走りがあり、茶色の土壁に八角窓、丸窓そして無双窓(と思う)の異なる窓があって風情がある。

△岩庭への参道から眺めた客殿(と思う)....奥の煙出しがある建物は庫裡

△庫裡から本堂側に突き出て穂垣で囲まれてる建物は客殿

△境内参道から客殿越しに眺めた本堂

△客殿は内縁を設けた造りで、庭側の縁先に二段の沓脱石が置かれている

△客殿の庫裡側縁先に置かれた縁先手水鉢と石燈籠.....庫裡の腰壁は下見板張

△切妻造銅板葺で妻入りの庫裡....大棟端に鬼板、拝は三つ花と蕪を合わせたような懸魚、妻面は白壁の小壁で格子入の窓がある

△庫裡入口から見た式台と四畳敷の玄関座敷

△庫裡に向かって参道の右側に建つ南芳庵(庫裡側)...3棟ある茶室のひとつで、切妻造の建物2棟が連なって縦に並んでいる

△南芳案の山門側の裳腰と庇を設けた建物....屋根はいずれも銅板葺の上に桟瓦を敷き詰めたような造り

△茶色の土壁で明障子窓、八角窓、丸窓、引き違い明障子戸がある

△南芳庵の2棟の間の通路....奥には茶室庭園があり、茶室・吉祥斉が建つ/正面は犬走になっていて、垂木の庇を支柱で支えている

△八角格子窓と菱格子を入れた丸窓、他に無双窓(と思う)がある

△南芳庵の南東側に庭園が広がり石燈籠が佇む/火袋に彫刻を配した石燈籠















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瑞泉寺-(2) (鎌倉)

2025年06月21日 | 寺社巡り-神奈川

【神奈川・鎌倉市】瑞泉寺は室町時代の至徳四年(1387)、関東十刹第一位に列せられて格式を誇った。 永享十年(1438)、瑞泉寺は公方家四代足利持氏が将軍足利義教に対して起こした反乱「永享の乱」で衰亡した。 本堂には水戸藩主の徳川光圀が寄進した木造千十観音坐像のほか、釈迦牟尼像、夢窓疎石像(国重文)が祀られている。

◆堂宇の前に梅林の庭園が広がり、美しい屋根の本堂などが紅梅・白梅・黄梅の植栽の中に溶け込むように調和して建つ。 宝形造銅板葺で裳腰付きの禅宗様の本堂は、屋根の反りが大きく軒が跳ね上がっていて優美で風格が漂っている。 本堂正面は五間で、中央間に桟唐戸、両脇間には花頭枠の桟唐戸と花頭窓が建て付けられ、五間全ての頭貫の上に波欄間、そして礎盤上に立つ円柱の上部には粽が施されていて、禅宗建築の特徴が随所にみられる。 桟唐戸内戸の腰高明障子が少し開いていて、内陣に鎮座する本尊釈迦牟尼仏坐像が見える。 堂前に撮影禁止などの表示がなかったので、本尊を撮らせていただいた....合掌。

△山門から眺めた境内には庭園が広がり本堂や開山堂、地蔵堂、書院などの堂宇が建ち並ぶ....梅の名所として名高く、本堂前庭の梅林には紅梅・白梅・黄梅などがある

△本堂には本尊釈迦牟尼仏の他、徳川光圀寄進の木造千手観音菩薩坐像、開山夢窓国師坐像を安置

△露盤宝珠を乗せた宝形造銅板葺で裳腰を設けた本堂(仏殿、大雄宝殿)....昭和五十年(1975)の再建で、禅宗様建築

△落ち着いた雰囲気の本堂正面

△正面五間で中央間は桟唐戸、脇間は花頭枠の桟唐戸と花頭窓、柱の上部に粽がある

△正面の左脇間....花頭枠に上部に連子を配した桟唐戸、花頭窓の下の腰板は縦羽目板/右脇間の桟唐戸と花頭窓

△五間全ての頭貫の上に波欄間を配す....中央間の波欄間の真ん中に宝珠の彫刻

△軒廻りは二軒繁垂木、組物は二手目が尾垂木の二手先で詰組を配す....裳腰は一軒繁垂木、台輪上に組物が出三ツ斗で中備は2つの平三ツ斗

△桟唐戸の内側に腰高明障子....撮影禁止の表示がなかったので、開ていた腰高明障子の隙間から本尊の本尊釈迦牟尼仏坐像を撮らせていただいた/二重円光を背にして鎮座する本尊釈迦牟尼仏坐像

◆本堂の直ぐ右手に銅板葺唐破風の大玄関、その奥に客殿、書院、庫裡等が建つが、立入禁止のため近づいての拝観ができない。 本堂左手の植栽の中の切石敷の参道を進むと、開山堂の参拝を拒むかのように銅板葺屋根で扉板に五七桐紋を配した棟門がある。 棟門に隠れるようにして建つ開山堂には、国指定重要文化財の木造夢窓国師坐像を安置。 更に少し奥に進むと、本堂を向いて地蔵堂が建ち、堂前の左右に優しい笑顔の大黒天像と恵比寿像が鎮座し、参詣者を迎えている。 開いている桟唐戸から中を覗くと、”どこも苦地蔵”とよばれる地蔵菩薩立像が鎮座している。

△本堂に向かって右手に大玄関がある....その奥に客殿,書院,庫裡等がある

△本堂右手の獅子口付きで”五七桐紋”を配した鬼瓦を乗せた銅板葺唐破風の大玄関

△本堂に向かって左手に開山堂と地蔵堂が建つ

△露盤宝珠を乗せた宝形造桟瓦葺の開山堂....木造夢窓国師坐像(国重文)を安置

△開山堂の前に建つ銅板葺屋根の棟門....扉板に”五七桐紋”を配している

△開山堂はコンクリート造りとみられる....周囲の縁に組高欄を巡らす

△露盤宝珠を乗せた宝形造桟瓦葺の地蔵堂....正面三間、側面二間

△軒廻りは一軒疎垂木、組物は柱上に舟肘木

△正面中央間は両折両開の桟唐戸、脇間は板張りの小脇羽目....堂前左右に笑顔の大黒天像と恵比寿像とが鎮座

△地蔵堂に安置の地蔵菩薩立像....鎌倉時代後期の造立(推)....貞享の頃(1684~87年)に鶴岡八幡宮の正覚院へ移され、大正五年(1916)、瑞泉寺に移された/円光を背負い、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ....”どこも苦地蔵”とよばれる

△側面二間の壁は縦羽目板で、正面側に大きな花頭窓

△植栽に囲まれて鎮座する地蔵堂









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瑞泉寺-(1) (鎌倉)

2025年06月16日 | 寺社巡り-神奈川

【神奈川・鎌倉市】鎌倉時代末期の嘉暦二年(1327)、鎌倉幕府幕臣の二階堂道蘊が、臨済宗の僧・夢窓疎石(夢窓国師)を開山とし、夢窓が禅院相応の勝地としてこの地を選んで創建し、瑞泉院と号した。 初代関東管領として鎌倉入りし初代の鎌倉公方となった足利尊氏の子・基氏は夢窓国師に帰依し、寺号を瑞泉寺と改めて中興し、以後鎌倉公方代々の菩提寺になった。 夢窓国師は円覚寺開山仏光国師の孫弟子で、鎌倉時代から南北朝時代にかけて円覚寺、南禅寺、浄智寺など五山の住持に就いた。
宗旨は臨済宗(円覚寺派)で、本尊は釈迦牟尼仏。 鎌倉三十三観音霊場第6番札所、鎌倉二十四地蔵霊場第7番霊場。 境内は国の史跡に、庭園は国の名勝に指定されている。   

◆谷戸の静かな住宅地に入ると狭い参道の脇に寺号標石が立ち、その奥に惣門が小さく見える。 総門は参道を半分塞ぐようにして建つ。 総門から暫く進むと山の深い樹林を背にして受付棟が建ち、切石敷の参道が樹林の中に消えるように続く。
参道脇に史跡名勝標石と「無窓國師古道場」と彫られた石柱がひっりと立ち、その先に堂宇境内への2つの石段がある。 左の不揃いの石段が男坂で、苔生した石段と上まで両側に茂る鮮やかな緑のシダが風情を引き立たせている。

△瑞泉寺に向かう道端に佇む二基の石造物....三方に三猿が彫られた唐破風付き(宝珠が欠落)合掌観音庚申塔と「三社大権現」と彫られた兜巾型石柱

△参道入り口に建つ寺号標石

△車も通る参道を半分塞ぐように建つ切妻造本瓦葺の惣門

△惣門四脚門で大棟端に鳥衾を乗せた鬼瓦、拝は梅鉢懸魚/親柱の上に冠木を乗せ、虹梁の上に板蟇股を置いている

△受付棟が建つ境内入口....真ん中に切石敷の参道が続く

△切石敷参道の先に建つ史跡名勝標石と「無窓國師古道場」と彫られた石柱

△左の男坂(表参道)と右の女坂の分岐点から眺めた景色

△男坂の苔生した石段と両側に茂る緑のシダのコラボは風情があり古刹を感じさせる

◆石段を上りつめると正面に筋塀と山門が現れる。 直ぐ左手に、何故か名前を先に刻んだ「松陰吉田先生留跡碑」がひっそりと佇んでいるが、見過ごしそうだ。 山門前の参道脇の飛石を敷かれた先の雑草の中に地中に埋め込まれた手水鉢があり、清水が注がれている。 その前の草むらに苔生した青面金剛庚申塔が隠れるように鎮座、事前に調べていたので、草をかき分けて撮影した。
山門は簡素な造りの四脚門で、正面に「瑞泉蘭若」の扁額が掲げられている。 ”蘭若”とは”適当な距離にある修行に適した所”との意味らしいが….。

△男坂を上りつめた直ぐ左手に建つ「松陰吉田先生留跡碑」....名前が先の石碑は珍しい

△「松陰吉田先生留跡碑」の前から眺めた長い袖塀(筋塀)を備えた山門....左側袖塀前の植栽の中に建つ石碑は吉野秀雄の歌碑

△参道を上り詰めた山門前の飛び石が敷かれた奥に手水鉢、手前の笹薮の中に駒型庚申塔が隠れるようにして鎮座

△地中に埋め込まれた手水鉢に湧き水が注がれている....奥に参詣者を見守る舟光背型石仏が鎮座/草むらの中に鎮座する駒型青面金剛庚申塔(瑞雲日月、2童子、邪鬼、3猿)....享保八年(1723)の造立で、左手にショケラをぶら下げている

△切妻造本瓦葺の山門....両側に本瓦葺の築地塀が続く、築地塀は5本の筋が入った筋塀

△懸魚がない山門は簡素な造りの四脚門

△親柱上に冠木を乗せ女梁とともに大斗で男梁を支え、虹梁の上に蟇股を配して棟木を支えている....屋根裏に垂木は無く板を張っている

△門に掲げられた「瑞泉蘭若」の額

◆山門をくぐると左手奥に鐘楼が見える。 鐘楼の傍に半跏倚坐の地蔵尊坐像、火袋に6体の石像が肉彫りされた石燈籠、そして縦長地輪の五輪塔がある。 基壇の上に転びが大きい柱の鐘楼が建ち、鐘撞き棒側の石階の両側に白い象像が鎮座している。 鐘楼ノ左後方に「むじな塚」があり、数基の石仏を従えるようにして ”むじな石像” が鎮座している。 ”むじな”はアナグマのことだが、どうみてもタヌキに見える。 それにしても、 ”むじな” が石仏の仲間入りをしているのは驚きだ。

△堂宇境内から見た山門....扉は裏に桟を張った板戸、出八双と乳金具(釘隠)を施す

△山門をくぐった左手奥に鐘楼が建つ

△鐘楼の周りに二基の石造物と地蔵尊像....縦長の地輪に「安國利生塔」と四方に梵字が彫られた五輪塔は昭和五十四年(1979)の造立

△鐘楼傍に佇む石燈籠と鎮座する地蔵尊坐像

△六角の火袋の角に六地蔵と思われる仏像を肉彫りされている/右足を左膝の上にのせていないが半跏倚坐の地蔵石仏....左手に宝珠,右手は錫杖を握っていた?

△基壇の上に建つ切妻造桟瓦葺の鐘楼....石階の下の両脇に白象が鎮座

△軒廻りは一軒半繁垂木....礎盤に乗る柱は転びが大きい、吊り下がる梵鐘は「錦屏晩鐘」と呼ばれる

△鐘楼の左後方にある「むじな塚」

△「むじな塚」の手前に立つ「錦屏晩鐘」の碑/「むじな塚」に立つ三重石塔....塔身四方に合掌仏が彫られている

△石塔と石仏が鎮座する「むじな塚」....”むじな” には善行むじなと悪戯むじなの2つの伝説があるそうな

△”むじな” は主にアナグマのことだが、タヌキに見える....時代や地方によっては ”むじな” はタヌキやハクビシンを指すそうだ









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王禅寺-(3) (川崎)

2025年06月06日 | 寺社巡り-神奈川

【川崎・麻生区】鎌倉時代の建保二年(1214)、王禅寺の裏山に入った等海上人が熟して甘い柿の実を見つけ、寺に持ち帰って境内に植え、村の人々にも栽培を勧めた。 室町時代前期(1370年頃)から近隣の農家で栽培が広がり始め、江戸時代には人気の品種となっていた。 境内で発見された日本最古の甘柿の木は樹齢450年と伝えられ、「禅寺丸柿」と呼ばれる柿の原木。 また、「禅寺丸柿」は、「柿生」という地名・駅名の由来となったといわれている。 「禅寺丸柿」の原木は平成十九年(2007)に国登録記念物に指定された。

◆観音堂から緩やかな坂を下って本堂に向かう。 まずは本堂全体を正面から撮ろうとして前庭の奥に進むが、前庭の木々がまるで本堂を隠すかのように緑の枝を大きく広げている。 向拝の階段に賽銭箱が置かれているが、徳川家とゆかりのある寺院らしく、正面に寺紋の三つ葉葵があしらわれている。 擬宝珠高欄付き回縁を巡らした本堂の正面は、飾り金具を施した桟唐戸と連子窓の建付けだが、向拝には動物や花などの彫刻がなく質素だ。 本堂に向かって右手に建つ御堂は唐破風の玄関があるので客殿だと思うが、堂宇の拝観はここまでとのことで残念だ。

△観音堂境内から眺めた本堂

△仁王門を上がった参道から眺めた本堂の右側面

△本堂の正面....前庭の緑の木々に隠れていて全体が撮影できない....本堂の建築年は不詳

△本堂の右側面越しに眺めた観音堂....本堂の側面は六間で、二間の連子窓、三間の桟唐戸そして一間の小壁

△軒廻りは二軒繁垂木、組物は出組で中備は脚間に植物彫刻を配した本蟇股、軒支輪がある

△南面で建つ本堂の向拝...身舎(母屋)と向拝柱とを繋ぐ虹梁は曲がりが無く海老虹梁ではない

△向拝軒下に殆ど彫刻がなく簡素な造り

△正面は五間で中央間に両折両開の桟唐戸、両脇間に桟唐戸と連子窓

△中央間と脇間の飾り金具を付けた桟唐戸はいずれも上部に連子を入れている....三つ葉葵紋があしらわれた賽銭箱

△本堂の左側面に客殿への渡り廊下が建つ

△本堂に向かって右手に建つ建物は、唐破風の玄関があるので客殿(と思う)....この建物の後方に庫裡などが建つが非公開

△禅寺丸像越しに眺めた客殿

△唐破風屋根に三つ葉葵紋を入れた鬼板、拝に猪ノ目懸魚

◆唐破風玄関の前に憤怒の形相の禅寺丸坐像が股を広げて鎮座し、前庭に生えている「禅寺丸柿」の原木を守護している。 前庭の奥に進むと、銅板葺屋根に瓦をのせ、竹材の袖塀を設けた門があるが、庫裡敷地への門と思われる。 前庭奥の木立の中に廃寺から来られた薬師如来像を祀っている薬師堂が建ち、その南側の一段下がったところに建つ地蔵堂に赤い帽子を華ぶり前垂れを掛けた六地蔵尊石仏が鎮座している。

△本堂と客殿の間に設けられた垣根の脇に鎮座する憤怒の形相の禅寺丸像

△右手に禅寺丸柿、左手に3つの三鈷を付けた棒を持つ禅寺丸像....禅寺丸柿の原木の守護者か?/本堂の左手前に置かれて棗形飾り手水鉢

△本堂前庭に生えている日本最古の甘柿の品種と言われている禅寺丸柿の原木(国登録記念物)

△本堂前庭に佇む聖観音菩薩像  堂前庭に広がる放生池....奥の建物は客殿(と思う)

△本堂前庭の奥に本堂に面して建つ竹材の袖塀を設けた境内門(庫裡敷地への門と思う)....屋根は切妻造銅板葺で一部に桟瓦を葺いた屋根の造り

△本堂前庭の奥に建つ露盤宝珠を乗せた宝形造銅板葺の薬師堂....大正十二年(1913)に王禅寺に合併廃寺となった東円寺の本尊薬師如来像を祀っている

△本堂前庭の中に立つ五重石塔とその南側に建つ薬師堂と地蔵堂

△正面は疎連子を入れた桟唐戸で両開き引き戸....「臨水山」の扁額が掛かる

△軒廻りは禅宗様の二軒扇垂木で組物は出組....側面に花頭窓

△薬師堂の西隣に建つ切妻造桟瓦葺の地蔵堂

△地蔵堂に鎮座する赤い帽子を華ぶり前垂れを掛けた六地蔵石仏

△地蔵堂の近くの茂みに建つ石碑と境内門

△石碑は正面に梵字と真言宗の題目「南無大師遍照金剛」、側面に「中興 等海上人」と彫られている....梵字は金剛界大日如来の「バン」と思う

△庫裡敷地への参道に建つ寄棟造木皮葺の簡素な境内門....冠木門に屋根を乗せた棟門のような造り































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王禅寺-(2) (川崎)

2025年06月01日 | 寺社巡り-神奈川

【川崎・麻生区】中世は称名寺の末寺として禅・律・真言の三宗兼学の道場として栄え、最盛期には真言密教を修行する七堂伽藍を有す(当時を偲ぶ古絵地図に多くの塔頭が描写)学問寺として檀家を持たず、本寺(大寺)として近隣の末寺36ヵ寺からの上納により営まれていた。
寛永十九年(1642)には江戸幕府より寺領30石の御朱印状を受領。徳川幕府の歴代の将軍(徳川家康を始めとし、後の13人の将軍)の位牌を奉り、将軍家より葵の御紋の使用を与えられた。 明治維新の神仏分離令まで王禅寺は、王禅寺村の鎮守5社(日枝神社、神明神社、稲荷神社、比川神社、白山神社)の別当寺だった。

◆石階から芝生境内に建つ観音堂に向かって切石敷の参道が延びている。 小さな箱棟を乗せた観音堂は、江戸後期に建てられた旧本堂なのだが、飾り気がなく、古色蒼然たる佇まいを感じさせる。 また、向拝の水引虹梁の上の龍と木鼻の獅子は、精緻でしかも迫力のある彫刻で素晴らしい。

△寄棟造銅板葺の観音堂....江戸後期の嘉永四年(1851)建立の旧本堂

△観音堂には江戸初期慶長十三年(1608)造立の聖観音菩薩像を安置(12年に一度、子年にだけご開帳)

△正面と両側面に切目縁を巡らす

△飾り気のない観音堂は古色蒼然たる佇まいだ

△向拝水引虹梁の上に精緻な3本爪の龍の彫刻を配している

△木鼻は大きな獅子、眉を欠いた虹梁に若葉彫刻

△正面は五間で、中央間は両折両開(と思う)桟唐戸、脇間は観音開きの桟唐戸と連子窓

△軒廻りは二軒繁垂木、組物は出組で中備なし

△側面五間で前から横羽目板、二間目と三間目は引き違い板戸、三間目と四間目の間の縁に板張りの脇障子を設けている

△観音堂前に建つ慰霊塔と六字名号塔/文化十年(1813)造立の六字名号塔

△玉垣に囲まれた慰霊塔は宝塔....石燈籠は昭和五十五年(1980)の造立

△観音道の右脇から眺めた手水舎

◆観音堂に向かって右奥に地蔵堂が建ち、赤い帽子を華ぶり前垂れをした水子地蔵尊像が鎮座している。 また、境内右手の山裾に簡素な御堂が建っている。 すぐ傍に鎮座する円光を背負う地蔵菩薩像と下品上生とみられる印相を結ぶ阿弥陀如来像が御堂を見守っている。
腰高格子戸の隙間から中を覗くと、弥陀三尊の種子が彫られた石の板碑が安置されている。 種子はかなり風化しているが、上に主尊の「キリ-ク」(阿弥陀)、下の左右に脇侍の「サク」(勢至)と「サ」(観音)がみて取れる。 観音堂に向かって左側に、たくさんの小さな石仏(墓碑)、宝篋印塔そして上に丸彫りの石仏を乗せた墓碑がひっそりと鎮座しているが、丸彫りの石仏は頭部がない悲しいお姿だ.…合掌。

△観音堂に向かって右手に建つ慰霊塔と奥に地蔵堂

△宝形造銅板葺の地蔵堂

△地蔵堂に鎮座する赤い帽子を華ぶり前垂れを掛けた水子地蔵尊立像/慰霊塔は明治四十一年(1908)造立の日露戦没者慰霊碑(と思う)

△観音堂に向かって右手の山裾に建つ御堂(堂名は阿弥陀堂か?)

△御堂は宝形造木皮葺で、軒廻りは一軒繁垂木....入口は腰高格子戸

△堂内に鎮座する弥陀三尊種子板碑....上部に主尊の「キリ-ク」(阿弥陀)、下部右に脇侍「サ」(観音)、下部左に「サク」(勢至)を配す/御堂に向かって左脇に鎮座する円光を背負う地蔵菩薩立像と阿弥陀如来立像(下品上生の印相と思う)

△観音堂に向かって左脇に鎮座する墓碑の石仏群....一石二尊石仏は天和三年(1683)の造立、他に元禄、宝永、享保の年号が確認できる

△観音堂に向かって左脇に鎮座する、墓碑上の頭部のない合掌石仏と宝篋印塔(と思う)

△頭部のない合掌石仏は安政六年(1859)の造立/.宝篋印塔の塔身の月輪に金剛五仏(と思う)梵字が彫られている












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王禅寺-(1) (川崎)

2025年05月26日 | 寺社巡り-神奈川

【川崎・麻生区】創建の正確な年代は不明。 寺伝では、平安時代の延喜十七年(917)、高野山の四世座主・無空上人が醍醐天皇から「王禅寺」(王命による仏教修行に適した寺の意味)の寺号を賜り、武蔵国光ヶ谷戸の地に創建した。 延喜二十一年(921)に真言宗の寺院となり「東の高野山」と称され、東国鎮護の勅願寺となった。
室町時代元弘三年/正慶二年(1333)、 新田義貞の鎌倉攻めの兵火により灰燼に帰した。 建徳元年/応安三年(1370)に朝廷が称名寺(横浜市金沢区)の等海上人に再建を命じて再興された。 宗旨は真言宗(豊山派)で、本尊は聖観音菩薩像。

◆最寄りのバス停は”王禅寺東3丁目”とのことで、裏門の西門から境内に入った。 清々しく静寂な境内参道を進むと、右手の木々の間に仁王門への石階がある。 石階を下り、中腹に建つ仁王門をくぐり、さらに石階を下って表参道に....。 Uターンして仁王門を眺めながら石階を上る。 仁王門の前に枝を広げている青紅葉が、古刹を感じさせる風格を醸し出している。 戸口の正面と背面の頭貫上に中備の本蟇股が置かれているが、脚間に正面には三鈷杵、背面には卍が配されている。 また、背面の両側の格子の中に、六地蔵としてそれぞれ三体の地蔵石仏が鎮座しているが、仁王門に六地蔵が鎮座しているのは珍しい。

△裏門の西門....門柱に「王禅寺西門」「星宿山」と表記

△西門からの本堂への参道....鬱蒼と生い茂る木々の奥に本堂、左脇は観音堂への石階、参道を挟んで対面に仁王門への下り石階がある

△仁王門への石階を下り、さらに仁王門前の石階を下って表参道から見上げた仁王門

△中腹に建つ切妻造銅板葺の仁王門....江戸前期延宝六年(1678)の建立

△戸口に山号「星宿山」の扁額が掲げられ、金剛柵と格子の中に仁王像が鎮座

△軒廻りは二軒半繁垂木、組物は出三斗で中備は中央間(戸口)の頭貫上に脚間に三鈷杵を配した本蟇股、両脇間に間斗束を置く

△仁王門に鎮座する朱塗りの阿形・吽形仁王像

△仁王門背面の中央間(戸口)の中備は頭貫上に脚間に卍を配した本蟇股を置く

△仁王門背面の左右の格子の中に各3体の箱型六地蔵石仏が鎮座

△裏参道から見下ろした仁王門....切石敷参道が仁王門の敷居を介して貫いているように見える

◆仁王門後方の急な石階を上ると堂宇境内の参道で、参道を挟んだ向かい側に寺号標石、霊場石碑と宝篋印塔とみられる石塔が達つ。 観音堂への石階を上がった所に石造りの仁王像が露座。 露座する石造り仁王像は関東では珍しく、大分県の寺社巡りで、多くの寺院で拝観したことを思い出した。 生い茂る緑の間に観音堂が見える。 石階を上がった直ぐ右手に手水舎があり、手水鉢の陰からにゅっと顔を出したような水口の龍がまるで立ち上がったワニの姿のようで、思わず笑ってしまった。

△仁王門後方の石階の上近くから眺めた観音堂への寺号標石が建つ入り口

△観音堂前の石階の下に建つ石碑と寺号標石....寺号標石は昭和五十五年(1980)の造立

△「旧小机領三十三観音霊場 第廿二番星宿山蓮華蔵院王禅寺」と彫られた霊場石碑/石碑の傍に建つ笠に隅飾突起がない宝篋印塔の供養塔....石段側の塔身の月輪に彫られた梵字は「アク」(不空成就如来)と思う

△石段途中から眺めた観音堂....石段上の左右に仁王像が鎮座し、石灯籠が立つ(右手は手水舎の屋根)

△弘化三年(1846)造立の吽形(左)と阿形(右)の石造り仁王像

△阿形仁王像越しに眺めた観音堂

△切妻造銅板葺の手水舎(照り屋根)....石燈籠は昭和五十六年(1981)の造立

△明治二十一年(1888)造立の手水鉢....側面に法輪が彫られている

△まるで鰐かゴジラのような龍の水口....胴体に彫られた爪は3本のようだ/どう見ても龍には見えないが....!










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香林寺-(3) (川崎)

2025年04月26日 | 寺社巡り-神奈川

【川崎・麻生区】細山第二土地区画整理事業に伴い墓地を香林寺に移葬した供養のため、昭和五十三年(1978)、鐘楼が建立された。 昭和六十二年(1987)に日本で唯一の禅宗様式の五重塔が建立され、インドで造立された釈迦初転法輪像(石像・復刻)が安置され、外陣には脱活乾漆造りの四天王像が納められている。

◆本堂の南側から境内北側の五重塔が建つ墓所への参道を進む。 参道片側のブロック垣の上に鎮座する石仏群が、墓参者や堂宇拝観者を迎えている。 参道奥に鐘楼と五重塔が見え、石仏がなくなった鐘楼の近くに左折の矢印が彫られた「かんのん道」の標石が建つ。 入母屋造りの鐘楼の大棟端に据えられた鳥衾を乗せた鬼瓦は、まるで般若の顔のようで面白い。

△本堂に向かって左側に、境内西側に建つ五重塔境内への参道がある

△本堂後方から眺めた鐘楼と五重塔

△五重塔が建つ墓所への参道脇に多くの丸彫り石仏が整然と並んで鎮座している

△参道の石仏を背にして建つ鐘楼

△本堂後方の境内参道脇に建つ「かんのん道」標石/「かんのん道」と彫られた標石

△入母屋造本瓦葺の鐘楼は昭和五十三年(1979)の建立

△軒廻りは二軒繁垂木で、頭貫台輪上の組物は出組、飛貫上に蟇股....いずれにも禅宗様木鼻を施す

△やや細長い(気がする)梵鐘....鋳造年は不詳

△五重塔境内から眺めた鐘楼の入母屋破風部....拝は蕪懸魚/大棟端に施された鳥衾を乗せた般若顔の鬼瓦

◆鐘楼から五重塔に向かう参道の片側に、墓所に眠る人たちを見守るように三十三体の観音菩薩石仏が整然と並んでいる。 境内の最も高いところに、高さ約30メートルの堂々たる風格の五重塔が建つ。 昭和後期に建てられた日本で唯一の禅宗様式で、囲んでいる柵の外からの拝観だが、基壇、桟唐戸、花頭窓、礎盤、円柱の粽、勾欄の逆蓮柱など禅宗様の特徴がよくわかる。 ただ、外観上は壮麗な純木造建築だが、躯体は鉄骨鉄筋コンクリート造りとのこと。 従来の建築様式と異なり、基礎部に深く打ち込んだコンクリート支柱で塔を支えているとのことだ。 そういえば、五重塔近くに東司が建つが、意外に目立つところにあり、一見すると御堂のような雰囲気が....。

△「かんのん道」の脇に整然と鎮座する観音石仏群、墓所奥の最も高い位置に聳え建つ五重塔

△昭和六十二年(1987)建立の五重塔....日本で唯一の禅宗様式で、木造だが躯体はSRC(鉄骨鉄筋コンクリート)造り

△自然石乱積の基壇の上に聳え建つ五重塔は塔高30.3m(100尺)/軒廻りは二軒繁垂木で、組物は各層いずれも二手目と三手目が尾垂木の三手先

△中央間は菱格子を入れた桟唐戸、脇間は花頭窓、柱上部に粽、長押無しの禅宗様式

△二層目以上には親柱頂部に逆蓮を乗せた高欄付切目縁があり、最上部の架木は蕨手

△四方を金属製(か?)柵で囲まれた五重塔と正面に建つ門と常香炉

△医薬門形式の門で、両側に唐破風を設けた平唐門....扉は菱格子を配した桟唐戸

△門と塔の間に2基の金属製(金銅製?)八角燈籠が建つ

△北側奥の築地塀越しに眺めた五重塔と平唐門

△露盤宝珠を乗せた聖徳太子殿....昭和六十一年(1986)の建立....聖徳太子ゆかりの古刹「六角堂」を模した建物か?

△正面は板戸で左右に連子窓がある

△軒廻りは二軒繁垂木、組み物は平三ツ斗で中備なし

△五重塔近くに建つ寄棟造桟瓦葺の東司









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香林寺-(2) (川崎)

2025年04月21日 | 寺社巡り-神奈川

【川崎・麻生区】江戸時代文政十三年(1830)に火災で伽藍を焼失したが、その後、現在の位置に本堂が再建された。 大正十二年(1923)の関東大震災で被災し、本堂が歪み庫裡が全壊したが、翌十三年に再建された。 昭和四十六年(1971)に本堂及び庫裡を新築し、客殿を増築した。

◆「南嶺山」と彫られた石碑の北側境内に、本堂に連なって客殿と庫裡が建つ。 客殿の大きな唐破風玄関の屋根に、鳥衾に北条鱗紋を配した鬼瓦が乗っているが、まるで覆面をしたようなユニークな顔だ。 穂垣で仕切られた中に庫裡が建ち、穂垣の前に設えられた添水(ししおどし)が、時折軽快な音をたてている。

△「南嶺山」の石碑の右側に大きな唐破風玄関の客殿が建つ

△客殿(左)と裳腰付き庫裡.....いずれも平成九年(1997)に改築

△銅板葺き唐破風玄関がある客殿

△唐破風屋根の鬼瓦....寺紋の北条鱗紋を配した鳥衾が乗る

△客殿に向かって右側に連なる庫裡

△寄棟造桟瓦葺で手前に瓦葺裳腰を設けた庫裡

△庫裡の穂垣前に佇む石燈籠と添水(ししおどし)

◆本堂境内の山門傍の植栽の中に、五重石塔と十一面慈母観世音菩薩像が本堂を向いて鎮座している。 穏やかなお顔の観音様は、左手に2本の未開蓮を挿した水瓶を持つ。 本堂境内の南側に墓所が広がり、墓所前の植栽の中に三猿庚申塔や三界萬霊塔などががひっそりと立っている。 その隣に、棟門のように二本の柱で建つ手水舎があり、側面に竹笹紋が施された手水鉢、そして水口は岩から這い出たような姿の龍は3本爪。

△山門の東側の植栽の中に鎮座する五重石塔と観音菩薩像

△初重軸部に仏像(と思う)が薄肉彫りされた五重石塔/左手に2本の未開蓮を挿した水瓶を持つ十一面慈母観世音菩薩

△本堂境内の南側の墓所前に鎮座する数基の石造物

△安永七年(1778)造立の「三界萬霊等」と彫られた兜巾型三界萬霊塔/寛政四年(1792)造立の墓碑....蓮華座の上で法界定印を結ぶ仏像の尊名は不詳

△笠に隅飾突起がない宝篋印塔の供養塔....塔身に月輪と植物が彫られている/笠付型三猿庚申塔

△本堂境内の西側の墓所前に建つ切妻造銅板葺の手水舎....手水舎は2本の柱で建ち、屋根に箱棟を乗せている

△竹笹紋が施された手水鉢は安政七年(1860)の造立

△岩から這い出たかのような姿の龍の水口    龍は3本爪
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香林寺-(1) (川崎)

2025年04月16日 | 寺社巡り-神奈川

【川崎・麻生区】室町時代の大永五年(1525)に仙谷山寿福寺の第七世・南樹法泉和尚によって香林坊として開山された。 禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派に属している。 慶長年間(1596~1615年)、香林坊から山号を南嶺山、寺号を香林寺と号した。 宗旨は臨済宗(建長寺派)で、本尊の十一面観世音菩薩像は宝亀七年(776)の弘法大師作とされる。

◆バス停から地図を見ながら坂道を上っていくと、こんもりとしたツツジの緑の間に石階があり、脇に古そうな寺号標石が建つ。 石階上の参道の両側に白一色の紫陽花が咲いていて、心地よい雰囲気を醸し出している。 参道の先に二つ目の石階があり、石階下の左右に茂る植栽の中に馬頭観世音や大日如来など数体の石仏が鎮座しているが、石階上の山門に目を奪われていると見逃しそうだ。

△門前から眺めた境内....紫陽花の作参道奥の石階の上に山門が建つ

△門前に「香林禅寺」の寺号標石が立つ....石階の手摺の支柱に寺紋の北条鱗紋を配している

△参道脇に咲き乱れる「寛容」という花言葉の白い紫陽花

△石階を上がって直ぐ左手に鎮座する延命地蔵尊立像/石階を上がった少し先の右手の紫陽花の中に建つ萬霊塔

△山門前の石階の下左右に鎮座する石仏

△二基の馬頭観音と第六尊天(右端)....第六天は六欲天(欲界六天)の最高第六位に位する天

△造立年不明の箱型馬頭観世音菩薩/明治四十三年(1910)造立の兜巾型馬頭観世音

△参道を挟んで馬頭観音に対面して鎮座する3体の石仏(いずれも造立年不明)

△舟光背型釈迦如来像(と思う)....右施無畏印で左与願印を結ぶ/二重円光を背に智拳印を結ぶ大日如来坐像

△舟光背型地蔵庚申塔....錫杖を持つ右手と宝珠を持つ左手が欠落している/地蔵庚申塔の3猿

◆石階を上がった直ぐのところに袖塀を備えた四脚門の山門が建つ。 「南嶺山」の扁額が掲げられた山門をくぐると、正面の目立つところに「南嶺山」と彫られた大きな石碑が立つ。 山門からの参道が石碑前から左右に別れ、左奥に本堂、右に客殿と庫裡が建つ。 本堂は昭和後期の再建だが、白壁に花頭窓、連子格狭間入り桟唐戸や波欄間などがあって落ち着いた雰囲気が漂う。

△切妻造本瓦葺の山門(四脚門)....平成五年(1993)の再建で、両側に本瓦葺きコンクリート造り(と思う)の袖塀がある

△山門に掲げられている山号「南嶺山」の扁額

△軒廻りは二軒繁垂木....木口に胡粉が塗られている垂木、組物、木鼻など

△山門を通して眺めた堂宇境内

△山門をくぐった正面に立つ大正六年(1917)造立の山号「南嶺山」と彫られた石碑

△山門から眺めた本堂....本堂は昭和四十六年(1971)の建立で、本尊十一面観世音菩薩像を祀る

△入母屋造本瓦葺の本堂....堂前に建つ大きな石灯籠は昭和五十年(1975)の造立

△正面五間で、中央間は桟唐戸、両脇間二間は花頭窓と格子戸

△中央間の扉は上部に連子格狭間を配した引き違い桟唐戸....梁の上に波欄間が設けられ、「放光殿」の扁額が掛かる

△向拝柱に繰型の渦文の禅宗様の木鼻、水引虹梁の上に脚間に彫刻を入れた蟇股を配す

△軒廻りは二軒繁垂木、組物は平三ツ斗で中備なし....正面と左側面に設けた擬宝珠高欄付き切目縁

△側面五間に花頭窓と格子戸(三間)....長押上の小壁に波欄間を施している

△向拝に下がる清浄な灯りを献じる吊燈籠
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綱島諏訪神社 (横浜)

2025年04月01日 | 寺社巡り-神奈川

【横浜・港北区】安土桃山時代天正年間(1573~1592)の頃、この地を領有していた近藤五郎右衛門正次を首領とする甲州武田の家臣が、江戸時代慶長十年(1605)頃に信濃国諏訪明神を勧請して創建したとされる。 元禄十二年(1699)に再建され、数度の造営が繰り返された後、綱島神明社とともに南綱島村・北綱島村の鎮守社として崇敬された。 明治六年(1873)、南北綱島の鎮守として村社に列格。 大正十二年(1923)の関東大震災で社殿が倒壊したが、昭和元年(1926)に再建された。 昭和三十六年(1961)に不審火によって神体像を除く本拝殿等を悉く焼失したが、十二年後の昭和四十八年(1973)に現社殿が竣工された。 祭神は建御名方命。

◆東急東横線・綱島駅から綱島街道を進み、右に折れて裏参道の坂道を上りつめると綱島諏訪神社に着くが、鳥居がない。 坂道の反対側に下りの階が続き、樹林の中に鳥居が見える。 表参道である階の石段を下り、鳥居付近を散策する。 路傍の覆屋に合掌女人の髪を掴んでぶら下げている青面金剛庚申塔が、また、石造り明神鳥居の右手に自然石型道祖神や力石などの石造物が鎮座している。 鳥居傍に石工名が刻まれた石燈籠が立ち、輪郭を巻いた基礎の3面を使って、見事な1頭の龍が浮き彫りされている。 鳥居をくぐり、階を10段ほど上がった左手に、千鳥破風付き屋根を乗せた3基の石祠が並んでいる。 江戸後期の造立で、稲荷大明神や権現様を祀っているようだ。

△表参道の路傍の覆屋に青面金剛庚申塔が鎮座

△天明四年(1784)造立の駒型青面金剛庚申塔(日月瑞雲、2鶏、邪鬼、3猿)....左手で合掌女人(ショケラ)の髪を握ってぶら下げている

△表参道の鳥居付近に佇む三基の石造物

△嘉永六年(1853)造立の「堅〇地神」刻の兜巾型石碑(中央)....両側二基は自然石型文字道祖神

△奉納された4個の力石....「飯田石」(左)と「池谷石」(右)と刻まれた力石....「飯田石」には天保三年(1832)の銘....寝かせた左の力石には「四十貫」(150kg)、右には「三十二貫」(120kg)の刻

△天明八年(1788)造立の石造明神鳥居....「諏訪宮」の額が掲げられている

△天保十年(1839)造立の石燈籠....左側は竿に「萬民豊楽」の刻/右側は竿に「五穀成就」の刻....石工は「靍見橋 飯島吉六」とある

△両石燈籠の基礎部三方に輪郭を巻き1頭の龍を浮き彫りしている(左側の石燈籠)

△明神鳥居から10段ほどの石階を上がった参道左脇に佇む千鳥破風付き屋根を乗せた三基の石祠

△左と中央は寛政元年(1789)造立で寄棟造屋根、右は文化二年(1805)造立で切妻造屋根....中央の祠は「〇〇稲荷大明神」と読めるが....

△左の石祠は琴平社?....刻字の摩滅が激しく神名不詳/右は荒井社....千鳥破風付き切妻造屋根を乗せ「荒井権現」を祀る

◆石段を上りつめ左に折れると玉垣のある参道が続き、注連縄を張った石柱が立ち、社殿境内がひろがる。 正面に左巴紋の入り鬼板が乗る千鳥破風と唐破風がある拝殿が建ち、破風板、妻飾り、柱そして梁などが丹塗りされていて白壁とのコラボが綺麗だ。 拝殿後方の流造りの本殿は、組高欄を設け大棟に外削ぎの千木と3本の堅魚木を乗せている。 境内には「金刀比羅宮」と稲荷大明神と記された赤い幟がたなびく稲荷社とが鎮座している。 帰りは裏参道である坂道を下って次の訪問先に向かった。

△石段を上り詰め左に折れると、玉垣に囲まれた切石敷参道がある

△境内全景....社殿、金刀比羅宮、稲荷大明神、手水舎、社務所がある

△境内に立つ注連柱の間から眺めた社殿

△入母屋造銅板葺で千鳥破風を設けた拝殿....社殿は昭和四十八年(1973)の建立

△天保十二年(1841)造立の狛犬....阿形・吽形の獅子の子取りの狛犬

△直線的な造りの向拝....向拝柱は面取角柱/千鳥破風と向拝唐破風に鳥衾を乗せ左巴紋を入れた鬼板

△軒廻りは太い数本の垂木のみなど古建築様式を感じさせない造り....拝殿の横に切妻屋根の孫庇があるがこの部分は?

△拝殿後方の流造銅板葺の本殿....組高欄付き縁を巡らし、大棟に左巴紋入り鬼板、外削ぎの千木そして堅魚木3本が乗る

△入母屋造銅板葺の境内社"金刀比羅宮"

△朱塗りの明神鳥居と”稲荷大明神”の幟が立つ境内社の稲荷社/切妻造鋼板葺の社

△切妻造銅板葺の手水舎....手水鉢に「灌浴」と刻まれている

△裏参道から見上げた石垣の上に建つ本殿





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妙法寺-(3) (鎌倉)

2025年03月31日 | 寺社巡り-神奈川

【神奈川・鎌倉市】江戸時代には水戸光圀創建による水戸三昧堂壇林出身の第32世日応、第33世日慈が寺院の隆盛に尽力し、徳川第11代将軍家斉をはじめ将軍家及び徳川御三家、肥後細川家などの尊崇を集めた。 将軍家斉がしばしば訪れたが、そのため惣門、仁王門、法華堂が朱塗りされた(惣門と法華経は朱色がかなり薄れて朱が見えない)とされる。

◆法華堂から鐘楼に向かうと、植栽の陰から突然、インド調の釈迦如来坐像が現れる。 円光の豪華な背もたれ付き蓮華座に座す釈迦如来像が鎮座するこの場所は、釈迦堂が建っていた跡地だ。 像前から仁王門を見下ろすと、苔生した石段が一段と美しく見え、味わい深い風情を醸し出している。 静寂の中に建つ鐘楼の前に石仏が鎮座…弥陀定印を結ぶ阿弥陀如来坐像だ。

△法華堂に向かって左側は釈迦堂跡で、跡地に石造り釈迦如来坐像が鎮座

△.2体の飛天(?)を配した円光の豪華な背もたれ付きの蓮華座の台座に鎮座するインド調の釈迦如来坐像石仏....安国論寺の本堂前に鎮座していた像とほぼ同じもの

△釈迦如来坐像の前から眺めた鐘楼....左手の竹の通行止から下に苔の石段がある

△釈迦如来像前から見下ろした苔生した石段と仁王門

△法華堂と旧釈迦堂があった境内に建つ鐘楼

△鐘楼前に鎮座する石仏は弥陀定印(上品上生)を結ぶ阿弥陀如来坐像/鐘楼前に置かれた角石の寺社型手水鉢

△入母屋造銅板葺の鐘楼

△軒廻りは一軒繁垂木で、格天井を設けている

△四方の頭貫上の台輪の上に、木鼻付きの平三ツ斗を置いている

◆鐘楼近くから更に続く石段を上りつめると、正面に「松葉谷御小庵跡」と彫られた標石が建つ松葉谷御小庵跡がある。 この地は日蓮聖人が18年間行った布教活動の拠点だったとされる。 右手の獣道のような険しく急峻な参道を上りつめた裏山の山頂に、「大塔宮護良親王御墓」と彫られた標石と五輪塔が建つ。 五輪塔は護良親王の墓で、護良親王は安国論寺の中興開山である日叡上人の父。 松葉谷御小庵跡に戻り、反対側の山頂を進むと、日叡上人とその母南の方などの墓の五輪塔がひっそりとある。

△松葉谷御小庵跡....玉垣で囲まれた中に建つ「松葉谷御小庵跡」の標石....建長五年(1253)~文永八年(1271)の18年間、日蓮聖人が布教活動を行った拠点

△急峻な石段を上った山頂にある護良親王の墓所

△護良親王は安国論寺中興開山・日叡上人の父

△護良親王の墓の五輪塔....「大塔宮護良親王御墓」と彫られた標石が建つ/三重塔型燈籠....脚部の上に笠があって一見四重塔のようだ

△日叡上人、母の南の方、日蓮大聖人の墓の五輪塔....手前が南の方の墓碑で宝珠と受花が欠落している

.△日叡上人の墓碑の宝珠と受花が欠落した五輪塔

△右端が日叡上人の墓碑で、その隣の少し大きい五輪塔は日蓮聖人の墓碑と思う




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妙法寺-(2) (鎌倉)

2025年03月26日 | 寺社巡り-神奈川

【神奈川・鎌倉市】日叡上人の父・護良親王は後醍醐天皇(第96代)の第1皇子で、6歳頃に仏門に入って天台座主となったが、後醍醐天皇が企てた鎌倉幕府倒幕のため還俗して護良と改め参戦した。 建武新政府では征夷大将軍となったが、足利尊氏と反目、鎌倉に幽閉、中先代の乱で殺害されるなど28歳で波乱万丈の人生の幕をおろし、日叡上人によって妙法寺に弔われた。 仁王門から釈迦堂跡に続く石段が苔に覆われているので、「苔の寺」と呼ばれる。

◆境内参道を仁王門に向かって少し進むと、右手に日蓮宗を信仰した武将加藤清正像を祀る簡素な造りの大覚殿がある。 清正像は熊本城天守閣に祀られていたそうだ。 参道先の苔生した石段の上に鮮やかな朱塗りの仁王門が建つが、大きな箱棟を乗せていて珍しい。 箱棟の側面に、真ん中に「井桁に橘」の紋とその左右に卍紋を配している。 仁王門は八脚門で、左右の金剛柵の中にいずれも経巻を持つ仁王像が鎮座し、睨みを利かして仏敵の侵入を防いでいる。

△惣門近くの参道から眺めた大覚殿(右)奥の石段の上の仁王門

△入母屋造桟瓦葺の大覚殿....釈尊を中心に左右に細川家寄進の日蓮宗を信仰した武将・加藤清正像(熊本城天守閣に祀られていた)と妙法稲荷大明神を祀る

△大覚殿は三間四方で、軒廻りは一軒繁垂木、組物・中備無し....周囲に切目縁を巡らす

△正面は中央間に両折両開の桟唐戸、両脇間に花頭窓....側面の白壁にも花頭窓がある

△仁王門側参道から眺めや大覚殿(左)と総門

△大覚殿前の参道から眺めた石段の上に建つ仁王門(平成十九年(2007)頃、茅葺から銅板葺に)

△箱棟を乗せた寄棟造銅板葺で朱塗りの仁王門....箱棟の中央に「井桁に橘」紋、その左右に卍紋を配す

△軒廻りは二軒繁垂木、組物は出三ツ斗で中備は中央に本蟇股で左右に撥束

△仁王門左右の金剛柵の中に睨みを利かした仁王像が鎮座

△左手に経巻を持って仏敵の侵入を防いでいる阿形・吽形の仁王像

△拝は蕪懸魚で、妻飾は笈形付きの虹梁大瓶束式

△仁王門の脇に建つ舞扇を供養する扇塚、薩摩屋敷事件戦没者の墓碑そして名越家供養塔/薩摩屋敷事件戦没者とは幕末の慶応三年(1867)に起きた三田の薩摩藩邸焼討事件の戦没者

◆仁王像に見守られながら戸口に置かれた柵の前から有名な「苔の石段」を眺める。 まるで額に収まった絵のようだ。 扇塚・供養塔・墓碑がひっそりと佇む仁王門の左脇から「苔の石段」に。 石段を見上げると木立の中に緑一色の美しい景色が広がり、途中に立つ苔生した石燈籠と苔に覆われた石段はしみじみとした味わいがある。 右上に露盤宝珠を乗せた法華堂の屋根が見える。 石燈籠が立つ平地まで石段を上り、左手の少し奥にある岩崖に掘られた化生窟に....経巻を持つ日蓮聖人坐像石仏が鎮座している。 合掌。 石燈籠から釈迦堂跡への石段は苔保護のため通行止めなので、脇の狭い石段を上って法華堂に。 法華堂は江戸時代後期に水戸徳川家から寄進されたもので、古色蒼然たる佇まいの御堂は、向拝の精緻な彫刻群や組物は見ごたえがある。 特に水引虹梁に配された龍像の顔が正面を向いていて珍しい。

△仁王門の戸口を通して眺めた苔の石段

△仁王門から釈迦堂跡に続く苔の石段....途中の左右に石燈籠、そして右上に法華堂が建つ

△苔の石段の途中の平地に建つ石灯籠は文政十年(1827)の造立

△通行止になっている苔の石段の前の平地に建つ句碑....石燈籠の左奥に化生窟がある

△岩崖に掘られたやぐらのような化生窟

△化粧窟内に鎮座する石造り日蓮聖人坐像....聖人像の周りに石仏や狐像などがある

△法華堂境内から見下ろした狭い石段と仁王門

△露盤宝珠を乗せた宝形造銅板葺の法華堂....水戸徳川家の寄進で、江戸後期の文化年間(1804~1818)の建立

△三間四方の法華堂には本尊は日叡作(中興開山)の厄除祖師を安置

△向拝軒下に配された彫刻群....水引虹梁上に龍像、木鼻は獅子・獏(と思う)、水引虹梁の持送は牡丹....向拝柱は面取り角柱

△水引虹梁上の龍の彫刻は3本爪で、真正面を向いているのは珍しい

△正面の桟唐戸の上に「法華堂」の扁額....額の周りに登り龍と下り龍の彫刻が施されている

△正面三間は中央間に両折両開き桟唐戸、両脇間は横格子戸の引き違い戸....周囲の長押の上の小壁は縦羽目板

△軒廻りは一軒繁垂木、組物は二手目と三手目が尾垂木の三手先で中備は鳥などの彫刻を配した蟇股(と思う)

△手挟がなく、向拝屋根を支えるため向拝柱頂部から内側に腕を延ばし、その上に方斗を置いている

△側面三間はいずれも引き違いの横格子戸....周囲に擬宝珠高欄付き切目縁を巡らす










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