何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

御霊神社 (鎌倉)

2011年01月31日 | 寺社巡り-神奈川

【神奈川・鎌倉市】平安時代末期の創建とされ、当初は関東平氏五家(鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏)の祖霊を祀った神社であったため、五霊から転じて御霊神社に....。 後に祭神は武勇で名高い領主の鎌倉権五郎景政公(桓武天皇の末裔、平氏一門)一柱だけとなり権五郎神社と呼ばれた。
景政公は剛勇で知られた武将で、16歳で源義家に従って平安時代永保八年(1083)に始まった後三年の役に従軍し活躍した。  御霊神社は江の島・鎌倉七福神の「福禄寿」、また、鎌倉の土地や鎌倉時代の成立過程を知る上でも重要な神社と考えられている。 

参道の石段を上がると江ノ電の踏切が....踏切を渡った直ぐ傍に大きな明神鳥居が立ち、くぐって境内に入ると右手に手水舎があり、その横に推定樹齢350年とされる御神木「タグノキ」の大樹がある。 参道を進むと一段高い所の正面奥に、拝殿と神殿が一体になったような趣のある社殿が建つ。
拝殿への石段を上る....直ぐ右手に、景政が領地を見廻る際に弓を立てかけたと伝わる松の朽木「弓立の松」がある。 拝殿の右手には多くの境内社が連なるように鎮座している。
 
踏切の直ぐそばに立つ明神鳥居
 
手水舎とタブの大樹....「タグノキ」は推定樹齢350年の御神木

正面奥に社殿が鎮座している
 
堂々たる風格の社殿                        拝殿の向拝近景  
 
拝殿の側面....奥に社殿が

拝殿と神殿が繋がっている社殿
  
境内に立つ庚申供養塔....文政(8年作)、延宝、正徳などが刻まれている

神輿庫....神輿は宝暦三年(1753)江戸時代中期の作

七福神の石仏が....

弓立の松....景政が領地を見廻る際に弓を立てかけたと伝わる松の古木
 
袂石と手玉石(祭神景政公が手玉にとり袂に入れた)、右手に祖霊社
 
多くの境内社が鎮座
  
第六天社                 金毘羅社              地神社

御嶽社

石上神社....御霊神社の境内末社-海上安全の神

秋葉神社

境内の右側にある神明鳥居
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車が沈む~ッ!

2011年01月30日 | 街角スナップ-海外編
              
【中国・福建省・福州】市内の某公園内を散歩中に遭遇した....池に落ちたオープンカーが今にも沈みそうな危険?な光景。
親子三人が乗車し子供が巧みに運転しているが、助けを呼ぶでもなく....よ~く見ると幌付きの足漕ぎボートだった。
人騒がせなボートだが....それにしても、湖面に車を走るという発想....流石に中国だな~!
     

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正心寺 (中国)

2011年01月29日 | 史跡探訪-中国編
 
【中国・福建省・福州市】市の北の山麓に位置する森林公園の奥にある古刹で、宋代(960年代)の創建らしいが、現存の建物は清代再建のもの。
境内は狭くこじんまりしているお寺だが、意外に参拝者は多く、しかも若い女性が....。
現在このお寺は尼寺となっているようで、訪問した時にはちょうど多くの若い尼僧(10代~20代で僧の卵と思うが....)が修行中で、お経を唱えていた。
 
お寺の規模にしては大きな牌坊で、天王殿と大雄宝殿が見える位置に配置

牌坊から眺める天王殿....左奥は大雄宝殿
 
天王殿....弥勒尊が見える
  
天王殿の近景            天王殿前に鎮座している仏像    天王殿から眺める牌坊

天王殿の中央に鎮座する弥勒尊を守る守護神4体の内の2体....

荘厳さを感じる大雄宝殿
  
大雄宝殿で修行中の尼僧の卵たち....かな?
  
大雄宝殿とその近景                              伽藍殿から眺めた大雄宝殿

祖師堂
 
祖師堂遠景              祖師堂近景

伽藍殿
 
大雄宝殿から眺めた伽藍殿                     伽藍殿近景

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林陽寺 (中国)

2011年01月29日 | 史跡探訪-中国編

【中国・福建省・福州市】福州市の北の寿山の山中にある大きな寺院。
元々「林陽院」と呼ばれ、南朝時代の永定辛己(561年)に隠山藏骨塔として建立されたのが始まりのようで、寺にある宋代の記録から「五代後唐長興二年(931)」に創建されたもよう。 明萬暦四十年(1612)に仏殿が建立されたと記録にある。
寺院は山の緩やかな傾斜を利用して造られ、天王殿と大雄宝殿と大悲殿と圓通寶殿が一直線に配置されていて、建物は階段の回廊で繋がっている。
 
木の間から眺めた林陽寺の遠景                  参道に建つ牌坊....林陽古刹とある   
 
重厚で立派な牌坊                          牌坊前の狛犬

天王殿の手前右にある放生池
 
天王殿....殿前左奥に石碑が並ぶ....               天王殿に鎮座する弥勒尊の像
 
天王殿の狛犬....なかなか迫力がある!

天王殿から眺めた堂々たる風格の大雄宝殿

大雄宝殿
 
大雄宝殿の狛犬                         逆光で眺めた大雄宝殿前....奥に鼓楼が見える

大雄宝殿前の境内....中央奥は鐘楼
 
鼓楼                    鐘楼

斎堂
 
大雄宝殿の後に建つ大悲殿                   殿内に太鼓と梵鐘が下がる
   
蔵経楼                                 蔵経楼近景

回廊から眺めた圓通寶殿と奥には蔵経楼が....
 
圓通寶殿近景             圓通寶殿の内部....観音立像が鎮座

廣公紀念堂
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率川神社 (奈良)

2011年01月29日 | 寺社巡り-奈良

【奈良・奈良市】飛鳥時代の推古天皇元年(593)、大三輪君白堤が推古天皇勅命によって創建した。 初代神武天皇の皇后様(媛蹈韛五十鈴姫命)を祀った奈良市で最古の神社。
神社には3つの社(祭神)が建ち並び、左側に父神(狭井大神)、右側に母神(玉櫛姫命)そして真ん中に子の姫神が祀られていて....古くから子守明神と呼ばれている。

近鉄奈良駅から歩いて約10分のところに、平城遷都以前からある古社。
朱色の明神鳥居をくぐって境内に....直ぐ右に拝殿、その奥に一間社春日造の社が3棟並んだ本殿が鎮座。 しかし、拝殿と本殿の間に仮設?の大きな幌のような屋根が設けられていて厳粛な雰囲気が損なわれている感じだ。
本殿の右側には奈良市最古の恵比須社である「率川阿波神社」が鎮座....大物主大神の御子神(恵比須様)を祀っている。

大きな朱色の明神鳥居

切妻造り瓦葺のシンプルな拝殿

拝殿から少し距離を置いた所に鎮座する神殿

拝殿と神殿の間に簡易の屋根が....趣を妨げてるな~

神殿の右横に鎮座する境内社....春日社(右)、率川阿波神社、住吉社(左)
 
境内社に少し近ずく....手前右に石碑がある

右から春日社、率川阿波神社、住吉社が並ぶ
   
                              率川阿波神社
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崇道天皇社 (奈良)

2011年01月28日 | 寺社巡り-奈良

【奈良・奈良市】平安時代の平城天皇による大同元年(806)創立といわれ、崇道天皇の霊を鎮め祀る。 崇道天皇は、奈良朝最後の第49代光仁天皇の第2皇子早良親王のことで、第50代桓武天皇の同母弟。

朱色の明神鳥居をくぐって境内に....真っすぐな参道の奥に表門が見える。 表門前に太い幹の古木があり、わずか1本の枝を張っている。
表門を入り、少し奥に拝殿、その後ろにある本殿の春日造桧皮葺の屋根が見え、境内には、稲荷社、天満宮、祓戸社、祖霊殿などが鎮座している。

道路に面して立つ鮮やかな朱色の明神鳥居
 
キチンと手入れが行き届いている参道と参道脇に立つ石燈籠群

シッカリとした造りの表門

参道奥にある拝殿           拝殿近景

神殿前の明神鳥居

奥に春日造桧皮葺の神殿が....

稲荷社

天満宮                                 祓戸社

御神輿殿

祖霊殿....新しいようだ

静かな境内
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永遠の愛を誓う....!

2011年01月27日 | 街角スナップ
 
【神奈川・横須賀市】三浦按針夫妻の供養塔(宝筺印塔)がある塚山公園内の「港の見える丘」を散策中に見つけた。 標高133mほどの見晴らし台から眼下の横須賀港を眺めていて、ふと転落防止用に張られた鎖にぶら下がっている小さな鍵に気づいた。
鍵には「優遼」と刻まれていたが、素晴らしい景色を眺めながらそして永遠の愛を誓いながらぶら下げたのだろうね....望みは叶ったのだろうか?
                    

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コンスタンティヌス帝の凱旋門 (イタリア)

2011年01月27日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・ローマ】当時副帝だったコンスタンティヌス帝が312年のミルヴィオ橋の戦いで、皇位を争うマクセンティウス帝に勝利してローマに凱旋したことを記念して315年に建築。
帝政ローマ時代の凱旋門の中では最も大きく、高さ21m、幅25.7mだが、当時のローマは衰退していて建築資材が不足していたため、トラヤヌス帝時代やハドリアヌス帝などの古い建造物などから装飾物を取り外して使ったらしい。
この美しい凱旋門が破壊されずに残っているのは奇跡と言われ、古い凱旋門建築として貴重な遺産とのこと。

コロッセオの側に立つコンスタンティヌス帝の凱旋門
 
約1700年前に造られたローマ最大の凱旋門

完全な形で残る凱旋門は古い例として貴重な建築遺産
 
コンスタンティヌス帝の4つの時代の彫刻を寄せ集めた....レリーフはトラヤヌス帝、ハドリアヌス帝、マルクス・アウレリウス帝
  
円形の浮き彫りは、門の左右側面に1つ、表と裏面に4つの計10枚....内8枚はハドリアヌス帝の建造物からのものとか

奥に見えるのはティトス帝の凱旋門....エルサレムへ凱旋した時(1世紀)の建設

左遠方に見えるのはサンタ・マリア・イン・コスメディン教会か?
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コロッセオ (イタリア)

2011年01月27日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・ローマ】古代ローマ帝国の皇帝ヴェスパシアヌス帝が紀元72年に着工したが、完成目前に亡くなったため、即位した息子のティトス帝により80年に完成。
フラウィウス朝の皇帝が建設したので「フラウィウス闘技場」というのが本来の名称だったが、近くに「コロッスス」と呼ばれるネロ帝の巨像が立っていたので「コロッセオ」に....。
古代円形闘技場は188x156mの楕円形をなし、周囲527m、高さ48mで....福岡ドームと同じくらいとか。 建築の目的はローマ市民が求める娯楽を提供するためで、娯楽とは「剣闘士の戦い」で、剣闘士同士あるいは剣闘士と猛獣との死闘が繰り広げられた。

コロッセオの全景....約2000年前の古代建築
 
コロッセオは英語で、競技場を意味するコロシアムの語源
  
コロッセオの入口....ここから元老院、議員、騎士、市民ら5万人が入場する様子が浮かぶ

アーチは1階がドーリア式、2階がイオニア式、3階がコリント式と分れている
 
一階席は元老院と議員、二階席は騎士、その上が市民、最上階は市民権を持たない人達が....

右奥にコンスタンティヌス帝の凱旋門が見える...
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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂 (イタリア)

2011年01月26日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・ローマ】ヴェネチア広場の南に建つヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂。 1870年にイタリアを統一した初代国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の偉業を称えて建てられたもので、1885年に着工され1911年に完成したネオ・クラシック様式の建物。
中央の騎馬像はエマヌエーレ2世で、その正面したは第1次世界大戦で戦死した無名戦士の慰霊碑になっている。 バスの車窓からの眺めだったが、かなり大きな建物で....まさに白亜の殿堂という印象だった。
              
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御霊神社 (奈良)

2011年01月26日 | 寺社巡り-奈良
              
【奈良・薬師堂町】「元興寺」近くにある歴史のある神社で、開基は「桓武天皇」という。
本殿には井上皇后(聖武天皇の皇女)、戸親王、事代主命(恵比寿様)が、さらに東神殿や西神殿も含めて総勢8神(恵比寿様を除く)が祀られている....八所御霊神。

薬師堂町に朱色の鮮やかな明神鳥居を構えて鎮座するこじんまりとした神社。
鳥居の後ろの表門から境内に入る....趣のある拝殿、その後ろに小さな神殿が連なる。
拝殿の両側に金色の提灯が下がり、拝殿を引き立てている。
境内には若宮社、祓戸神社、出世稲荷神社が鎮座....また塀際には大きな石灯籠が連なる。

鮮やかな朱色の明神鳥居
 
鳥井と表門と一直線に並ぶ拝殿         拝殿の提灯 
 
質素な造りの拝殿だが落ち着いた雰囲気で趣がある

拝殿の後ろに建つ神殿
 
厳かな雰囲気の拝殿....その近景
 
境内社の若宮社
 
祓戸神社(左)と出世稲荷神社(右)....「素敵な人と結ばれる縁結びの神」とある
 
出世稲荷神社は秀吉創立といわれる       
 
境内の隅に立つ石燈籠群
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氷室神社 (奈良)

2011年01月25日 | 寺社巡り-奈良

【奈良・奈良市】平城遷都の際、春日野の吉城川上流に氷池や氷室をつくり、元明天皇銅三年(710)に氷室明神を下津岩根宮に祭ったのが縁起。 平安遷都後の貞観二年(860)に現在の地に移ったが、社殿の建立は健保五年(1217)とされている。 毎年5月1日に「献氷祭」が催され、鯉と鯛を封じ込めた氷柱が神前に供えられる。

東大寺に近い登大路に面して建つ明神鳥居をくぐって境内に入る。
境内は意外に広く、参道の両側に石燈籠が並び、進むと左手に祓戸社、その向かいに手水舎がある。 石段を登って楼門をくぐると拝殿があり、その奥に本殿が見える。 本殿は三間社流造・桧皮葺で、両開き板戸をつけているとのことだが、鳥居門が閉じられていてよく見えない。
そうそう、楼門の前に樹齢400年のしだれ桜の木があり、奈良市内で最も早く咲くとか....。

朝日を浴びて朱色が鮮やかな明神鳥居

境内の参道
 
楼門と東西御廊                             桜門前の石燈籠群

楼門....江戸時代初期の寛永十九年(1642)に修理
  
本殿(間社流造りで桧皮葺)....木の茂みで本殿がよく見えない!

本殿の正面

拝殿....高欄付の舞楽殿になっている
 
静寂で厳かな雰囲気の拝殿
 
舞光社
 
祓戸社(住吉社)

手水舎....意外に質素だ
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ご利益ありそう....?

2011年01月25日 | 何気ない風景-海外編
               
【中国・福建省・福州】郊外の某お寺の境内で女性が巨大な線香に火をつけようとしている光景に....。
線香が巨大過ぎてなかなか火がつかない、その様子を見兼ねたように参拝に来ていた年配の男性が手伝っていた。
かなり時間をかけて火をつけた後、両手でシッカリと線香を持ち、大雄宝殿に向かって長~い時間参拝していたのがとても印象的だった。
何を祈願していたのか知る由もないが....御利益があるといいね~合掌!
     
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サンタ・マリア・イン・コスメディン教会 (イタリア)

2011年01月24日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・ローマ】6世紀の創建で、東ローマ帝国の聖画像破壊主義を逃れてきたギリシャ人に時のローマ教皇が与えたギリシャ正教の教会。
8世紀にローマ教皇ハドリアヌス1世によって拡張され、12世紀にロマネスク様式の7層の美しい鐘楼と柱廊式玄関を造られた。 鐘楼は2連窓・3連窓を持ち、ローマでもっとも美しいと言われる。
この教会の柱廊には、6世紀に造られたローマのシンボルのひとつでもある「真実の口」という海神トリトーネの顔が彫られた大きな円形の石盤が....元々は古代ローマ時代の下水溝の蓋。
 
2連窓,3連窓のある7層の美しい鐘楼
 
正面のファサード....バロック様式からロマネスク様式に復元

柱廊にある「真実の口」グッズ売り場
 
撮影代金徴収と撮影補助の方      円形の石盤「真実の口」

内部はこじんまりとした三廊のバジリカ形式....
 
正面奥の祭壇はビザンチン様式のモザイクで装飾
  
よく見ると祭壇の下に頭蓋骨が....                       上部に置かれた石棺

石棺近景
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サン・ピエトロ広場 (イタリア)

2011年01月23日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・ローマ・バチカン市国】17世紀、バロック様式の鬼才、建築家・彫刻家のベルニーニにより設計され建設された。 古代ローマの闘技場コロッセオをヒントにした長径240mの巨大な楕円形をなしていて、大聖堂が両腕を伸ばして信者を抱擁するかのような形をとっている。
広場中央には一番最初にできたオベリスク(高さ25.5m)が....紀元前1世紀にエジプトのアレクサンドリアでローマ人が建立したもので、西暦36年にローマ皇帝カリギュラがエジプトから持ち帰って競技場に設置....16世紀に現在の場所に移築。 寺院に向かって左側にある噴水は、1675年にベルニーニによって作られた。

寺院に向かって広場の左右に対称に柱列回廊が配され、4列のドーリア式の石柱が372本(内付け柱88本)並ぶ。
噴水とオベリスクの中間地点にある「柱廊の中心」と記された円盤の上に立って列柱を眺めると、4列の列柱が一列に見えるらしいが....。 石柱の上にはベルニーニの弟子が制作した140の聖人像(高さ3.3m)が立ち、広場に集まった人々を見守っている。

大聖堂から眺めたサン・ピエトロ広場
 
広場中央に立つ高さ25.5mのオベリスク....紀元前1世紀に造られた

中央奥は左側の柱列回廊

大聖堂から見て左側の柱列回廊....小さな噴水はマデルナ作
 
1675年にベルニーニが造った噴水  右側の柱列回廊 

寺院に向かって右側の柱列回廊

ドーリア式の石柱が4列並ぶ....左上の建物にローマ法王の住まいがあるとか
 
多分、この部分の建物は寺院の幹部たちの住居だと思うが....
 
迫力のある4列のドーリア式の石柱が迫ってくる感じ

重量感のある見事な石柱

確かバチカン市国への入り口だったと思うが....
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