【神奈川・鎌倉市】平安時代末期の創建とされ、当初は関東平氏五家(鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏)の祖霊を祀った神社であったため、五霊から転じて御霊神社に....。 後に祭神は武勇で名高い領主の鎌倉権五郎景政公(桓武天皇の末裔、平氏一門)一柱だけとなり権五郎神社と呼ばれた。
景政公は剛勇で知られた武将で、16歳で源義家に従って平安時代永保八年(1083)に始まった後三年の役に従軍し活躍した。 御霊神社は江の島・鎌倉七福神の「福禄寿」、また、鎌倉の土地や鎌倉時代の成立過程を知る上でも重要な神社と考えられている。
参道の石段を上がると江ノ電の踏切が....踏切を渡った直ぐ傍に大きな明神鳥居が立ち、くぐって境内に入ると右手に手水舎があり、その横に推定樹齢350年とされる御神木「タグノキ」の大樹がある。 参道を進むと一段高い所の正面奥に、拝殿と神殿が一体になったような趣のある社殿が建つ。
拝殿への石段を上る....直ぐ右手に、景政が領地を見廻る際に弓を立てかけたと伝わる松の朽木「弓立の松」がある。 拝殿の右手には多くの境内社が連なるように鎮座している。
踏切の直ぐそばに立つ明神鳥居
手水舎とタブの大樹....「タグノキ」は推定樹齢350年の御神木
正面奥に社殿が鎮座している
堂々たる風格の社殿 拝殿の向拝近景
拝殿の側面....奥に社殿が
拝殿と神殿が繋がっている社殿
境内に立つ庚申供養塔....文政(8年作)、延宝、正徳などが刻まれている
神輿庫....神輿は宝暦三年(1753)江戸時代中期の作
七福神の石仏が....
弓立の松....景政が領地を見廻る際に弓を立てかけたと伝わる松の古木
袂石と手玉石(祭神景政公が手玉にとり袂に入れた)、右手に祖霊社
多くの境内社が鎮座
第六天社 金毘羅社 地神社
御嶽社
石上神社....御霊神社の境内末社-海上安全の神
秋葉神社
境内の右側にある神明鳥居