【神奈川・逗子市】室町時代の永和二年(1376)、厳阿上人を開山として小坪漁民の為の念仏道場として創建されたと伝わる。 昔この地は海に近く、穏やかで風光明媚な景勝地として栄え、江戸時代には時宗歴代上人の隠居所となっていた。
裏山は、平安末期の治承四年(1180)に源頼朝が旗挙げした時に三浦軍と畠山軍とが一戦を交えた小坪坂古戦場であり、また、室町時代の永正九年(1512)に三浦道寸と小田原北条早雲とが戦った住吉城址でもある。 三浦氏は永正十三年(1516)、北条早雲によって滅ぼされた。 宗派は逗子で唯一の時宗で、本尊は室町時代作とみられる阿弥陀三尊立像。
前に広がる逗子マリーナは埋め立てて造営されたので、昔はまさに海の前に建つお寺だったろう。
古東海道に沿いの石段を上っていく....石垣の上にこじんまりとした海前寺がある。 向拝の屋根に波形の飾り瓦が乗る本堂....その後方からコンクリートで固められた急峻な崖が迫ってくる。 境内の隅に大きな3体の舟形光背石仏が佇む....観音菩薩と地蔵菩薩像のようだが造立年を失念した。
本堂前の道は墓所に続くが、急峻な石段の途中に墓石群があり、江戸時代の年号が刻まれた舟形光背の石仏、箱型&板碑型連碑が鎮座している。
石段を上っていくと裏山の中腹に、突然、五輪塔、宝篋印塔、箱型や板碑型の墓石、舟形光背石仏形の墓石などたくさんの石造物が現れ、その奥に浅い塚穴の「首塚」がある。 「首塚」には三浦道寸と北条早雲との戦いで討死した武将らを葬っているらしい、合掌。 蘇鉄と松の植え込みがある青々とした芝生の境内....手入れが行き届いていて気持ちがいい。
門柱から眺めた境内と本堂..堂前に蘇鉄や松の植え込み
入母屋造桟瓦葺の本堂(右手は庫裡)..各棟に獅子口、向拝両側の棟の先に波形の飾り瓦が乗る
本堂向拝は非常にシンプルな造り..梁上の蟇股の中央は寺紋か/本堂の扉の上に「佛日増輝」の扁額が掲げられている
軒下は疎の平行垂木 本堂右手に建つ庫裡
本堂には室町時代造立とされる木造阿弥陀三尊立像を安置
本堂境内に佇む大きな石仏..観音菩薩と地蔵菩薩像だが造立元を失念/本堂前の永代供養塔(納骨堂か)上に鎮座する阿弥陀如来坐像
墓所への石段脇に鎮座する墓石群「三界萬霊」..舟形光背石仏、箱型、板碑型連碑など多くは江戸時代の年号が刻
狭い境内の急斜面に鎮座する墓石群/貞享期(1684~1688)や元禄期(1688~1704)の年号が多く見られる石仏形墓標群..江戸期の石仏形墓標には戒名が刻
正徳期(1711~1716)や元禄十五年(1702)の年号が刻まれた墓標(石仏形墓石)
裏山中腹にある「首塚」..三浦道寸と北条早雲との戦いで討死した武将を葬っているらしい
首塚を護るように五輪塔、宝篋印塔、箱型や板碑型墓石、舟形光背石仏形などの石造物群が鎮座
舟形光背石仏形墓石には延宝や元禄の年号が刻まれている