何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

西大寺-(1) (岡山)

2021年04月27日 | 寺社巡り-岡山

【岡山・岡山市】寺伝では、奈良時代の天平勝宝三年(751)、周防国玖珂庄(今の山口県岩国市)に住んでいた藤原皆足姫が観音菩薩の妙縁を感じて金岡の郷に草庵を開基し、千手観音像を安置したのが始まり。
宝亀八年(777)、大和長谷寺で修行していた安隆上人が「備前金岡庄の観音堂を修築せよ」と夢にお告げを受けて、現在地に堂宇を建立したとされる。 お告げを受けた安隆上人は、藤原皆足姫の擁護のもとに海路を船で金岡の庄に向かうが、児島の槌戸ノ浦にさしかかった時、犀角を持った仙人(龍神)が現れて『この角を持って観音大師影向の聖地に御堂を移せ』との霊告を受けたとされる。
宗旨は高野山真言宗(別格本山)で、本尊は千手観世音菩薩像。 中国三十三観音霊場第一番札所、百八観音霊場(中国観音霊場、四国三十三観音霊場、九州西国霊場の3霊場の連携体)では第一番(本堂)・第二番(境内の南海観音)札所。

◆JR赤穂線の西大寺駅から観音院通りを南下し、途中から「会陽わっしょい通り」を東に進むと、路面に「はだかまつりのまち西大寺」と意匠されたマンホールの蓋を見つけた。 そこから狭い参道の奥に楼門が見える。
門前に擬宝珠欄干付き石造り太鼓橋を構えた三間一戸の仁王門で、両側の金剛柵の奥に金剛力士像が鎮座している。 県下最大級とされる仁王門は和様と禅宗様とを併用した造りで、珍しい四手先の腰組など組物を多用、台輪上の組物間の中備彫刻、回縁の逆蓮頭親柱、上端に粽を設けた柱、そして屋根上の渦巻状の鳥衾付き鬼瓦など装飾性があって大いに興味を引いた。
仁王門をくぐると緑が少ない本堂の境内が広がり、仁王門の傍に三重塔、高祖堂そして六角経蔵が建ち、正面には西面の仁王門に対し南面で豪壮な本堂が建つ。 本堂で参拝した後、仁王門に戻り、手水舎、高祖堂、三重塔そして経蔵を拝観。
三重塔は塔身と相輪のバランスがよく、均衡のとれた古式な塔で、安定したプロポーションを見せている。 組物は三層いずれも三手先だが、三手目の突き出た尾垂木がよく目立つ。 初層の中央間と脇間は、本堂側のみが格子窓と花頭窓で、他の三方は桟唐戸と連子窓だ。
白壁の六角造りの経蔵に入ると、江戸後期作の八注造りの回転式書架「輪蔵」が安置されている。 案内にしたがって輪蔵を時計回りにゆっくり廻し、廻しながら世の安寧を祈願してから吉井川の堤防沿いに建っている石門に向かった。

△仁王門参道の路面にある「はだかまつりのまち西大寺」と意匠されたマンホールの蓋....参道奥に仁王門が見える

△仁王門の門前に石造り擬宝珠欄干付太鼓橋と石造り擬宝珠付き透かし塀がある....太鼓橋は享和元年(1801)の造立....外観から石造り透かし塀も同時期の造立と推

△入母屋造本瓦葺で楼門の仁王門....元文五年(1740)の建立(伝)....和様と禅宗様を併用した県下最大級の楼門

△中央間の梁上に大瓶束、台輪上の組物間の中備に十二支の装飾彫刻が施されている

△軒廻りは二軒繁垂木、組物は二手目と三手目が尾垂木の三手先、親柱に逆蓮頭を乗せた高欄を支える腰組は四手先....全周の台輪上に精緻な彫刻が施されている

△正面中央に詰組があり、組物間の中備は脚間に十二支の彫刻を配した本蟇股、軒支輪がある

△大棟端に鯱、平降棟端と隅降棟端に鳥衾付き鬼瓦...鳥衾は長く伸び渦巻状の形/丸柱の頭部に粽を設けている

△金剛柵奥の小さな網目の金網の中に伽藍を守護する一対の金剛力士像が鎮座

△仁王門の右奥は祖師堂、左隣に手水舎がある

△切妻造本瓦葺の手身舎....右三つ巴が彫られた軒丸瓦が異様に大きい/口から清水を吐く龍の水口

△宝形造本瓦葺の高祖堂(御影堂・大師堂)....延宝年間(1673~1681)の建立で、延宝三年(1675)作の木造弘法大師像を祀る

△三間四方で軒の出が深い高祖堂....正面中央間は腰高の格子窓で脇間から入る扉は舞良戸

△扁額「高祖堂」は高僧・佐々南谷の書/軒廻りは二軒繁垂木、組物は出組で中備は彫刻を施した本蟇股....支輪全てに精緻な彫刻を施している

△仁王門越しに眺めた三重塔と石門

△本瓦藁の三重塔....延宝六年(1678)の再建で、塔内に胎蔵界大日如来を安置

△塔身と相輪のバランスがいい三重塔.....和様を基調としながら一部に禅宗様を取り入れている

△初層に擬宝珠高欄付き切目縁、二層三層に組高欄を巡らす

△初層は三面(南・北・西側)の中央間が桟唐戸で脇間は連子窓だが、本堂側(東側)は中央間に格子窓で脇間は花頭窓

△初層の軒廻りは二軒繁垂木で軒支輪と軒天井がある、組物は三手目が尾垂木の三手先....台輪上の中備は中央間が彫刻を施した本蟇

△二層三層の軒廻りはいずれも三手目が尾垂木の三手先、中央間にのみ蓑束の中備....組高欄付き縁を支える腰組は雲肘木(と思う)

△初層の本堂側(東側)は中央間が格子窓、両脇間は花頭窓

△六注造本瓦葺の経蔵....嘉永七年(1854)の建立で、中に膨大な経典を納める八面形回転式書架がある

△八注造りの輪蔵(回転式書架)....文化二年(1805)の造立、軒廻りは二軒扇垂木、組物は二手目と三手目が尾垂木の三手先、2つの詰組がある

△回縁を支える腰組は四手先....回縁に突き出た突起部を押して左回転(時計回り)させながら祈願する




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神童寺 (木津川)

2021年04月22日 | 寺社巡り-京都

【京都・木津川市】神童寺縁起によると、飛鳥時代(596年)に聖徳太子が開創し、自ら彫刻した千手観世音菩薩像を本尊として大観世音教寺と号していた。 その後、白鳳時代(676年頃)に役行者が入山して修行している中、現れた二人の神童の助力を得て蔵王権現像を刻み、蔵王堂を建てて本尊として安置し、寺号を神童寺に改称したと伝え、山岳修験の道場として栄えた。 また役行者は、自らの像を彫刻し、開山堂を建てて安置した。
奈良時代の養老六年(722)、泰澄大師が入山し、鷲峯山を北山上、北吉野山と名付けた。 一時衰退したが、興福寺願安大師により再興された。 平安末期の治承四年(1180)、平資盛の兵火により全山二十六坊の堂宇が悉く焼失。 鎌倉時代建久九年(1190)に源頼朝が再建したが、元弘元年(1331)の兵火で再び焼失した。
室町時代の応永十三年(1406)、興福寺官務懐乗越前公が蔵王堂を再建したのが現在の本堂。 藤原中期造立の仏像を多数有し、仏教美術の宝庫として知られる寺院。 宗旨は真言宗(智山派)で、本尊は蔵王権現像。

◆JR奈良線棚倉駅から歩いて40分ほど東方の山中に向かうと門前に着く。 城壁のような石垣の間にある石段の下から見上げると、江戸中期建立の棟門式の山門が建つ。 表門とも称す山門は、左右に形が異なる石燈籠を構え、小さな本瓦葺屋根に鯱、鬼瓦、獅子の留蓋瓦を乗せていて趣がある。
山門をくぐると、白壁の築地塀に囲まれてこじんまりした伽藍があり、芝生の境内の正面に室町時代建立の本堂が建つ。 山門から本堂に延びる切石敷の参道を進み、「蔵王堂」と呼ばれる本堂に....内陣に祀られている役行者が刻んだとされる本尊の蔵王権現像に向かって合掌。
本堂の左手に、樹皮が苔生した大銀杏の老木が聳え、その少し奥に建つ小さな鎮守社の前に十三重層塔と石燈籠がひっそりと佇んでいる。 十三重層塔は鎌倉後期の造立で、初層軸部には二重円光形に顕教四仏が刻まれている。 山裾の岩肌に掘られた仏龕に小さな役行者像が、また、収蔵庫への石段の途中に建つ覆屋に室町時代造立の2体の舟光背形地蔵石仏が鎮座している。
苔生した石段を上って高台に建つ収蔵庫に....収蔵庫の中は厳かな空気に包まれていて、平安時代に造立された木造の不動明王立像・愛染明王坐像・阿弥陀如来坐像など多くの仏像が整然と鎮座している....合掌。

△伊賀街道に面し、城郭のような石垣上に伽藍境内がある

△切妻造本瓦葺で棟門様式の山門(表門)....江戸時代中期の建立で、二本の主柱に冠木(横木)を渡し、その上に切妻屋根を乗せている

△山門の屋根の大棟に鯱、降棟下端に鳥衾付き鬼瓦そして獅子の留蓋瓦が乗る....本瓦葺で片方が白壁、もう片方がくぐり戸の袖塀がある

△自然石で造立された寺号標石/門前の左右に佇む2基の石燈籠は、形が少し違うので造立時期が異なる(と思う)

△山門から眺めた境内の正面に蔵王堂と呼ばれる本堂(地域最古の建物)、後方右の高台に収蔵庫、右手に庫裡が建つ

△寄棟造本瓦葺の本堂(国重文)....室町時代の応永十三年(1406)の再建で、役行者が刻んだとされる本尊・蔵王権現像を安置

△本堂は方三間で、正面中央間は蔀戸で内側に引違の腰高明り障子戸、脇間は格子戸、両間の上に菱格子欄間がある

△軒廻りは二軒繁垂木、組物は出三斗で中備は間斗束....正面に一間の吹き放しの広い切目縁

△本堂右手に廊下で繋がった護摩堂が建つ....護摩堂の手前の切妻造本瓦葺の鐘楼のような建物に半鐘が下がる

△露盤宝珠を乗せた宝形造本瓦葺の護摩堂...三間四方で正面中央間は板扉、脇間は蔀戸

△露盤宝珠を乗せた宝形造本瓦葺の経蔵(と思う)

△境内に佇む幾つかの石造物の部位を積み重ねて造られた石塔/水穴を円形に彫り窪めた手水鉢

△本堂左奥に佇む十三重層塔、石燈籠そして鎮守社....手前左の木は大銀杏

△十三重層塔は鎌倉時代後期の造立で笠石の一部と基礎石は後補....瓦葺の社は伽藍の鎮守社の天神神社

△十三重層塔の初層軸部には二重円光形に顕教四仏(金剛界四方仏)が刻まれている/享保十二年(1727)の銘がある石燈籠

△山裾の石垣の上に修験道の最高の崇拝対象である役行者像が鎮座/岩肌に掘られた仏龕の中に鎮座する修験道の開祖・役行者像

△収蔵庫への石段の途中に建つ地蔵石仏を安置する切妻造桟瓦葺の覆屋

△覆屋に鎮座する石仏群....大きな舟光背形地蔵石仏2体は室町時代の造立

△地蔵石仏2体はいずれも蓮華座に立ち、宝珠と錫杖を持つ

△石造物は宝篋印塔の笠を乗せた石柱/高台に建つ収蔵庫への本堂脇の苔生した石段....上の建造物は鐘楼

△収蔵庫の境内に建つ切妻造本瓦葺の鐘楼/梵鐘の池ノ間に飛天(天女?)らしき像が鋳出されている

△寄棟造桟瓦葺で妻入りの収蔵庫....昭和四十三年(1968)の建立で、藤原時代(平安時代の中期~後期)作の諸仏約10体(多くが国指定重要文化財)を安置

△憤怒の形相の本尊・蔵王権現像と、収蔵庫内に安置されている仏像群(いずれもNETから拝借)

△本堂前に立つ金属製燈籠は大正十四年(1925)の造立

△片側を寄棟造りとし、もう片側を入母屋造りとした桟瓦葺で裳腰を設けた庫裡


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福山八幡宮-(3) (福山)

2021年04月16日 | 寺社巡り-広島

【広島・福山市】明治維新後に神社制度の改変があり、明治五年(1872)に現東御宮を「延広八幡神社」、現西御宮を「野上八幡神社」に改称されて郷社に列格、昭和三年(1928)に県社に昇格した。
終戦後の昭和二十六年(1951)に施行された宗教法人法により、神社本庁所属の宗教法人「延広八幡神社」そして宗教法人「野上八幡神社」となり、さらに昭和四十四年(1969)、両神社の法人格を合併して社号を「福山八幡宮」とした。

◆西御宮の横を進んで境内北西に鎮座し、福山藩初代藩主・水野勝成を祀る聡敏神社に。 聡敏神社は元々東西御宮の間に鎮座していたが、中央拝殿の建設に伴って現在地に遷座した。 少し大きめの吹き放し造りの拝殿があり、奥に瑞垣で囲まれた中に、福山城を築城した福山藩初代藩主・水野勝成を祀る流造の社殿が鎮座している。
聡敏神社から福山八幡宮の後方に鎮座する境内社に向かう。 低い石垣の上に、計19祭神を祀る6棟の社が福山八幡宮に向かって鎮座している。 境内社拝観後、西御宮の随身門に向かう。 随身像と狛犬が鎮座する随身門をくぐり、石造りの階を下り、両部鳥居をくぐって少し進むと左手(西側)に西参集殿が建ち、そして惣門がある。 確かに東西両御宮が同一形式&規模の造りであることを実感した。 「両社八幡」と言われる福山八幡宮だが、同じ八幡神が二つの同一規模・形式の社殿に鎮座しているとは少し贅沢な神様だな~という気がした。

△西御宮の西後方(北西側)に鎮座する聡敏神社....元は東西御宮の間に鎮座していたが、中央拝殿建立に伴って移築された

△福山藩初代藩主・水野勝成を祀る聡敏神社....拝殿前左右に標柱が立ち、狛犬が鎮座

△社頭に鎮座する足をピーンとたてた姿勢がいい狛犬

△入母屋造銅板葺の拝殿

△拝殿は吹き放しの造りで、殿内に額絵馬が掲げられている

△瑞垣に囲まれて鎮座する聡敏神社社殿....二軒繁垂木で柱上に出組がのる

△流造銅板葺の社殿....正面三間側面二間で、正面は中央間は「抱き沢瀉」の神紋を入れた桟唐戸で脇間は格子窓、正面と側面に擬宝珠高欄付き切目縁

△本殿がある瑞垣内に立つ弘化二年(1845)造立の石燈籠/瑞垣の外に佇む文久三年(1863)造立の石燈籠/狛犬の傍に置かれた舟形状の水穴を設けた手水鉢

△聡敏神社の社頭から眺めた西御宮と合祭殿の両本殿

△西御宮社殿後方に鎮座する流造銅板葺の境内社3社....手前から荒神社(奥津彦神他3神)、稲荷神社&柿本神社(宇迦之魂神&柿本人麻呂)、和霊神社(山家清兵衛公頼命)

△境内北東の東御宮社殿後方に鎮座する境内社2社

△流造銅板葺の境内社(5社)....天神社(大己貴神他1神)、厳島神社(市杵嶋姫神)、神明宮(天照大御神)、思兼神社(八意思兼神)、猿田彦神社(猿田彦神)

△明神鳥居を構え、石造り階の上に鎮座する鍛冶神社

△木立の中に鎮座する鍛冶神社(火香具土神他3神を祀る)

△鍛冶神社は製鉄を始め鉄鋼・金属を扱う人々の守護神

△鍛冶神社と並んで右手に鎮座する松尾神社/流造銅板葺の松尾神社(大山咋神他1神を祀る)

△西御宮の切妻造銅板葺の随身門....東御宮のものと同じ造り

△正面左右の格子の中に御幣と随身像が鎮座

△正面の左右に椅座の随身像が鎮座....左は衣冠束帯姿の若相の像、右は衣冠束帯姿の老相の像

△随身門の社殿側(北面)に安置されている木製の狛犬

△西御宮の両部鳥居....社号額「八幡宮」は近衛左大臣基熈の筆

△手前西御宮の両部鳥居、奥に東御宮の両部鳥居

△西御宮の参道脇に建つ西参集殿       殿前の参道脇に立つ石燈籠

△惣門は薬医門の形式....門柱に「福山八幡宮 西御宮」の木札が掛けられている

△西御宮の切妻造本瓦葺の惣門....東御宮の惣門と同じ造り
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福山八幡宮-(2) (福山)

2021年04月11日 | 寺社巡り-広島

【広島・福山市】東御宮の延広八幡神社は鎌倉時代の承保年中(1074~1077)に宇佐八幡宮から勧請され、西御宮の野上八幡宮は、室町時代の永享年中(1429~1441)に鶴岡八幡宮からの勧請とされた。 古から「穴の海」と呼ばれていた波静かな内海に面し、後に福山城地となった深津島山に2つの八幡宮が別々に奉祀されていたと伝わる。
福山藩初代藩主水野勝成は、「大阪夏の陣」(元和元年(1615))の後の元和五年(1619)、大和国郡山藩主から備後に転封され、西国鎮衛として新たに福山城を築き、福山城下町を整備して領内を整えた際、両八幡宮は城下に祀られた。

◆東御宮から回廊で繋がっている中央拝殿に....。 中央拝殿は東御宮と西御宮の真ん中に鎮座していて合祭殿と呼ばれ、「福山八幡宮」の扁額が掲げられ、4つの鈴が下がっているので、参詣は主に中央拝殿で行われるようだ。 ちなみに、東西御宮の両拝殿に扁額がなく、神様を呼び出す役割の「鈴」も下がっていない。
大きな千鳥破風を乗せた合祭殿の拝殿は、屋根が意外に複雑な造りになっている。 また、東西御宮の両本殿はいずれも入母屋造檜皮葺だが、合祭殿の本殿は流造銅板葺だ。 合祭殿で参拝した後、東御宮と全く同じ造りの西御宮に進む。 連子窓付き透塀の連子の間からカメラを突っ込んで幣殿と本殿を撮ったが、東御宮の本殿とは違い、軒下や花頭窓の格子が鮮やかな朱色で彩られ、組物や蟇股には彫刻や鮮やかな極彩色が施されていて華やかだ。

△東御宮(右)と西御宮(左)の真ん中に回廊で繋がって鎮座する中央拝殿(「合祭殿」と称す)は、昭和五十九年(1980)の建設

△入母屋造銅板葺の合祭殿....NETに両御宮の間に福山藩初代藩主・水野勝成を祀る聡敏神社が鎮座しているとあったが、合祭殿建設時に遷座されたようだ

△大きな唐破風を乗せた広い三間の向拝を構えた合祭殿....向拝に4つの鈴の布が垂れさがっている

△屋根に乗る千鳥破風....金色の金飾りを施した破風板、拝は変形の猪目懸魚、妻飾は豕扠首

△正面の中央間は両折両開きの板唐戸、脇間は吹寄格子窓

△鳥衾付き鬼板が乗る唐破風、兎毛通は変形の猪目懸魚、真ん中の水引虹梁の上に脚間に鮮やかな彫刻を施した本蟇股

△中央拝殿(合祭殿)の向拝に掲げられた「福山八幡宮」の扁額が掲げられている/賽銭箱越しに眺めた拝殿奥の祭壇

△合祭殿の祭壇に立つ3本の金色の御幣

△複雑な造りの合祭殿拝殿の屋根

△後方から眺めた合祭殿後方に鎮座する本殿

△流造銅板葺の合祭殿本殿

△軒廻りは二軒繁垂木で組物は出組

△西御宮の拝殿、幣殿(両殿の間)、本殿....東御宮と同一形式、同一規模の造りで東御宮と同じ三柱の御祭神(八幡大神)を祀る

△西御宮の拝殿の四方は全面がガラス入り格子窓と羽目板

△入母屋造銅板葺の拝殿....鳥衾付き鬼板が乗る唐破風の向拝

△水引虹梁の上に鮮やかな彩色を施した本蟇股は脚間に虎のような彫刻....上の梁上には水野家の家紋の「丸に抱き沢瀉」を入れた板蟇股

△格子窓付き透塀から眺めた西御宮の菱格子窓を設けた幣殿と鮮やかに彩色が施された本殿

△正面に千鳥破風を乗せた方三間の入母屋造檜皮葺の西御宮本殿

△軒廻りは二軒繁垂木で軒支輪があり、組物は出組で中備は脚間に彫刻を配した本蟇股....組物や中備には全て鮮やかな彩色と彫刻が施されている

△本殿は正面に千鳥破風を乗せた方三間の入母屋造檜皮葺....大棟と千鳥破風に外削ぎの千木と計5本の堅魚木が乗る

△透塀を通して撮影したお社と思うが,社名分からず

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福山八幡宮-(1) (福山)

2021年04月06日 | 寺社巡り-広島

【広島・福山市】江戸時代初期の天和三年(1683)、福山城第四代城主水野勝種が福山藩初代藩主水野勝成の築城の際に野上口と延広小路へ遷された2つの八幡宮を、備後福山総鎮守社として松廼尾山に移転させ両社八幡宮とした。
社殿は本殿、幣殿、拝殿、随身門、鳥居、惣門等それぞれ東西に同一規模、同一形式にて並べ建てられ、東御宮を延広八幡宮、西御宮を野上八幡宮として祀られた。 以来、水野氏改易後も歴代藩主の崇敬厚く、福山の城中城下の他、近郷や近在より多くの崇敬を集めた。
御祭神は、応神天皇(人皇第15代/誉田別命)、神功皇后(応神天皇御母君/息長帯比賣命)、比売大神(紀理姫命・多岐都姫命・市杵島姫命)の三柱。

◆福山城から城の北側に鎮座する福山八幡宮に向かう。 道脇を流れる小さな川に沿って白壁の築地塀が続き、塀の間に少し離れて同じ形式の2つの惣門がある。 門構えは寺院のような雰囲気だが、門前に社号標石が立ち、門を通して境内参道奥に立つ鳥居が見える。
小川に架かる緩やかに反った石橋を渡り、門柱に「福山八幡宮 東御宮」の聯が掛けられている惣門に。 惣門をくぐって境内に入ると直ぐ右手に東参集殿、左手に大きな軒反り屋根の手水舎が建つ。 両側に石灯籠が立ち並ぶ切石敷きの参道を進んで朱塗りの鳥居に....樹林を背に立つ笠木が大きく反った鳥居は両部鳥居で、日本で三番目に古い木造鳥居だそうだ。
木々の中の階を上りつめると、創建時に朱門と呼ばれた随身門が建ち、左右の格子の中に随身像が鎮座....左に赤の衣冠束帯姿の凛々しい顔の若相像、右に黒の衣冠束帯姿の老相像が椅座して社を護っている。 随身門の社殿側の左右には趣のある木製の狛犬が安置されている。 見るとと吽形には頭頂に立派な一角があるので雌の狛犬、そして阿形は雄の獅子ということになる。
随身門をくぐると神々しい雰囲気の境内が広がり、正面に東御宮が鎮座している。 東御宮の左には回廊で結ばれた合祭殿、その奥に西御宮の荘厳な社が建ち並んでいる。 拝殿側面の真ん中あたりから幣殿及び本殿の周囲は、緑色に塗られた連子窓付きに透塀で囲まれている。 連子窓の連子の隙間からカメラを突っ込んで幣殿と本殿を撮ったが、本殿正面の両脇間に禅宗様の花頭窓を設けていて驚いた。 花頭窓のある社殿は始めて見る。 また、両側面一間には四隅を落とした花頭をイメージさせる窓枠の格子窓があって興味をそそられた。

△堀のような川と築地塀で囲まれた福山八幡宮の西御宮の切妻造本瓦葺の惣門....奥に東御宮の惣門がある

△東御宮の切妻造本瓦葺の惣門....西御宮の惣門と同じ造り

△惣門は薬医門の形式....門扉は上に連子を入れた桟唐戸/門柱に「福山八幡宮 東御宮」の木札が掛けられている

△東御宮の総門をくぐると右手に東参集殿、左手に手水舎が建つ

△大きな軒反りの入母屋造銅板葺の手水舎

.△入母屋造桟瓦葺の東参集殿....切妻破風の入口が2つある

△両側に石燈籠が並ぶ切石敷きの参道奥に両部鳥居が立つ

△笠木が大きく反った朱塗りの両部鳥居....日本で三番目に古い木造の鳥居....東西両鳥居の束額に掲げられた社号額の「八幡宮」は近衛左大臣基熈の筆

△両部鳥居から見上げた社殿境内への石造りの階と随身門

△両部鳥居の傍に鎮座する姿勢がいい狛犬....左の吽形は頭に角があるので雌の狛犬、右の阿形は雄の獅子だろう

△切妻造銅板葺の随身門....正面左右の格子の中に御幣と随身像が鎮座

△軒廻りは二軒繁垂木、組物は平三斗で中備は本蟇股

△正面(南面)の左右に椅座の随身像が鎮座....左は赤の衣冠束帯姿の若相の像、右は黒の衣冠束帯姿の老相の像

△随身門を通して眺めた拝殿

△随身門の社殿側(北面)に安置されている木製の狛犬、左の吽形は一角がある雌の狛犬、右の阿形は雄の獅子

△西側から見た東御宮の随身門....全体に朱漆塗りが施され創建時には朱門と呼ばれた

△境内の東端から眺めた社殿前の境内

△東御宮の右から随身門、拝殿、本殿....拝殿と本殿の間に幣殿が建つ

△拝殿の四方は全面がガラス入り格子窓と腰部は羽目板

△入母屋造銅板葺の拝殿....鳥衾付き鬼板が乗る唐破風の向拝

△拝殿の2本の梁上に板蟇股と彩色された本蟇股が乗る/兎毛通は猪目懸魚、梁上の板蟇股と破風板の金飾りに水野家の家紋「丸に抱き沢瀉」が配され、水引虹梁上の彩色された金蟇股の脚間に虎のような彫刻

△東御宮の側面と後方に巡らされた連子窓付き透塀

△菱格子窓を設けた幣殿と正面に千鳥破風を乗せた方三間の入母屋造檜皮葺の東御宮本殿....大棟と千鳥破風に外削ぎの千木、また計5本の堅魚木が乗る

△幣殿と本殿が連なり、本殿に擬宝珠高欄を巡らす....軒廻りは二軒繁垂木、組物は出組で中備は脚間に彫刻を施した本蟇股、軒支輪がある/千鳥破風の拝は猪目懸魚、妻飾は虹梁大瓶束

△少々見え難いが正面両脇間に禅宗様の花頭窓を設けている

△東御宮本殿の大棟と千鳥破風に外削ぎの千木、また計5本の堅魚木が乗る

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実相院 (京都)

2021年04月01日 | 寺社巡り-京都

【京都・左京区】鎌倉時代の寛喜元年(1229)、関白近衛基通の孫・静基僧正により柴野(北区)に開創された。 その後、現上京区実相院町に移転したが、応仁の乱(1467~1477)の戦火に遭ったため、所管となっていた大雲寺の一院・成金剛院の現在地・岩倉に移った。
室町時代末期までに多くの伽藍等が戦火で焼失した。 江戸時代初期の寛永年間(1624~1644)に足利義昭の孫・義尊が入寺、母古市胤子が後陽成天皇の後宮となった関係で皇室と徳川第三代将軍家光から援助を受け、実相院を復興した。
寛文年間(1661~1673)、霊元天皇皇子義延法親王が入室して以来宮門跡が続いた。 義周法親王が門跡の時、京都御所から大宮御所「承秋門院(東山天皇の妃)の旧宮殿」の一部として山門、御車寄、客殿が下賜され移築された。実相院の南東に岩倉具視邸があるが、幕末に岩倉具視が一時実相院に住んでおり、当時の密談記録等が残されている。 宗派は単立(元天台宗寺門派)で、本尊は鎌倉時代作の木造不動明王立像。

◆2011年の京都寺社巡りで訪問した。 地下鉄烏丸線「国際会館駅」から岩倉実相院行きバスに乗車....実相院の門前に着く。 乱積石垣の上に、門跡寺院の最高格式を示す5本の定規筋が入った白壁の築地塀が延び、石造り階の上に落ち着いた雰囲気の山門が建つ。
門柱に「実相院門跡」の聯が掛けられた四脚門をくぐって伽藍境内に入ると、小石を敷いた参道の奥正面に入母屋破風で軒唐破風を設けた客殿の玄関がある。 山門から玄関までの参道右手に境内を仕切るように白壁の築地塀があり、築地塀の奥に玄関の屋根と同じ造りの入母屋破風がある。
客殿の玄関を入り、客殿の「つるの間」に進み、東側の縁側から築地塀で囲まれ枯山水庭園を暫し眺めた。 比叡山を借景とした石庭は「こころの庭」と呼ばれている。 北側の縁側からは、山裾に整然と並んで鎮座する多くの石仏や小さな五輪塔群が見える。 客殿西側のコの字に配された建物の間に池泉回遊式庭園が広がる。 赤い絨毯が敷かれた縁側から眺める山水庭園は、手前の日陰部分が薄っすらと雪化粧している。 山側に建つ茶室と雪化粧が残る苔生した庭の景色は、しみじみとした味わいがある。
趣の異なる2つの庭園はいずれも鮮やかな新緑と紅葉の見所になっていて、黒い床を朱色に染める「床もみじ」と緑に染める「床みどり」が有名…機会があればぜひ観賞したいものだ。

△乱積み石垣の上に建つ山門....左右に白壁の築地塀が続き、趣がある門前だ

△切妻造本瓦葺の山門(四脚門)は本瓦葺の白壁の袖塀を設けている....旧大宮御所の遺構の一つ

△山門の柱に「実相院門跡」の聯が掛けられている....白壁の築地塀に最高の格式を示す5本の定規筋が入っている

△山門を通して眺めた境内....正面は客殿の玄関
 
△袖塀傍から眺めた客殿(本堂)....南北に建つ本堂は入母屋造桟瓦葺/山門の大棟端に鳥衾を乗せた鬼板、拝に蕪懸魚....袖塀は鬼板と梅鉢懸魚

△山門から眺めた客殿の玄関と客殿(右).....いずれも江戸初期宝永五年(1708)建立の旧大宮御所の遺構で、享保年間(1716~1736)に移築された

△入母屋造桟瓦葺で妻入りの客殿玄関(御車寄?)....銅板葺で軒唐破風ある庇を設けている....大棟端に獅子口、拝に蕪懸魚、妻飾は狐格子

△築地塀奥の入母屋造桟瓦葺の客殿(東面)....大棟端に獅子口、拝に蕪懸魚、妻飾りは狐格子

△軒唐破風に獅子口、兎毛通は変形の懸魚

△白壁の築地塀の北側(客殿の東側)に広がる枯山水庭園....園内に枝垂桜、築地塀の右奥は山門

△「つるの間」から眺めた枯山水の石庭は比叡山を借景としている....石庭は「心の庭」と呼ばれている

△支え柱を設けた客殿の東側に枯山水庭園が広がる

△支え柱がある客殿の北側....客殿の東側と北側に石塊を帯状に並べた雨落溝が設けられている

△.枯山水庭園の北側の隅に本堂(客殿)に向かって鎮座する石仏群

△客殿北側の山裾に整然と立ち並ぶ小さな五輪塔群

△客殿の部屋(西側)内から眺めた庭を中心に池泉を配した池泉回遊式庭園

△池泉回遊式庭園はコの字に配され、客殿・奥書院・茶室の間に広がる

△薄っすらと雪化粧した山水庭園....池泉に苔生した自然石の沢飛石があり、また、茶室側の前庭が苔に覆われていて風情がある
 
△客殿西側の縁側傍にある清水が張られた四角い蹲踞/茶室傍に数基の石燈籠が佇む

△一番西側に位置する茶室....切妻造桟瓦葺屋根の妻側に寄棟造屋根を足したような構造

△本堂から茶室への回廊の隅から眺めた山水庭園のほぼ全景

△回縁に赤い絨毯が敷かれた客殿の西側(庭園側)....格子戸、腰高格子戸の上は大きな格子欄間になっている

△山水庭園の裏山の山裾に鎮座する五輪塔群



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