何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

多層塔を撮る....!

2011年03月27日 | 街角スナップ

【京都府・宇治市】宇治上神社の参拝を終えた帰路、宇治公園に立つ多層塔を撮るアマチュアカメラマンに出会った。
オレンジ色の夕焼け空に浮かび上がる多層塔....アマチュアとは思えないほど立派なカメラ機材で夢中で撮影していた。 それにしても、暮れなずむ空....宇治川越し眺めた風景は実に美しかった。
 
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建仁寺 (2) (京都)

2011年03月24日 | 寺社巡り-京都

【京都・東山区】風神と雷神とを描いた有名な屏風画「風神雷神図」は俵屋宗達の作で、江戸時代の元和末期(1624)頃のもの。
江戸時代末期の建築で、1923年に安寧寺から移築された三門は、空門・無相門・無作門の三解脱門。
「御所を望む楼閣」という意味で「望闕楼」と呼ばれ、楼上には釈迦如来、迦葉・阿難両尊者と十六羅漢が祀られている。
北側にある勅使門は、銅板葺切妻造の四脚門で平安時代の建立と言われるが、鎌倉時代後期の建築様式らしい。 門の柱や扉には、戦乱時の矢の痕跡があることから「矢の根門」または「矢立門」とも呼ばれている。

方丈....広島の安国寺にあったものを、安国寺恵瓊が慶長4年(1599)に移築

白砂が敷き詰められた方丈前の庭園「大雄苑」
 
方丈の広縁より望む「大雄苑」は緑苔と岩がいくつか配された枯山水の庭園....塀の向こうの建物は法堂

左は方丈から法堂への渡り廊下,奥の建物は法堂

三門....寧寺から1923年に移築した江戸時代末期の建築
  
三門は「望闕楼」の扁額がかかる二重門

山門の階上内には観音菩薩像と十六羅漢像が安置されている

堂々たる姿の三門

三門から眺めた法堂
 
仏殿(本尊を安置する堂)と法堂(講堂にあたる)を兼ねている法堂....瓦葺き重櫓の禅宗様式仏殿

法堂....手前に近接して鐘楼が建つ

法堂....明和二年(1765)建立、仏殿兼用の「拈華堂」

法堂は江戸時代、東福寺から移設して再建
 
平成十四年(2002)創建800年を記念して法堂天井に描かれた小泉淳作の双龍

法堂の花頭窓
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建仁寺 (1) (京都)

2011年03月23日 | 寺社巡り-京都

【京都・東山区】鎌倉初期の建仁二年(1202)、栄西禅師が、将軍源頼家(開基)から寄進された寺域に、禅修行した宋国の百丈山を模して創建した日本最古の禅寺。
寛元年間の火災で境内が荒廃したが、正嘉元年(1258)に東福寺開山円爾弁円が入寺して復興、更に、文永二年(1265)に宋の禅僧、建長寺開山蘭渓道隆が入寺した後、純粋な禅の道場に....。
室町時代は、中国の制度にならって幕府により制定された京都五山の第三位として手厚い保護を受けて栄えたが、戦乱と幕府の衰退によって再び荒廃。
室町後期の天正年間(1573~1592)に安国寺恵瓊が方丈や仏殿を移築して復興が開始された。

北側の総門から境内に入った。
教科書に載っている極めて有名な屏風画「風神雷神図」を所蔵しているお寺で、期待を膨らせて参観。
本坊を入った正面と座敷に「風神雷神図」の模写図が置いてあり、かない長い時間、足を止めて眺めてしまった....素晴らしい!
広い方丈の座敷の奥にある枯山水の中庭「潮音庭」....まるで額縁の絵を見ているような不思議な錯覚に陥った。

総門正面
 
総門(境内側から)                          阿羅尼の鐘

勅使門…銅板葺き切妻造り四脚門で、鎌倉時代後期の遺構

勅使門…柱や扉には戦乱時の矢の痕跡が....
 
鐘楼と奥に法堂
 
法堂の近くに建つ鐘楼
  
浴室....寛永五年(1628)、三江和尚(諱紹益)によって建立

本坊正面

本坊

本坊の大きな屋根....換気窓の屋根が....

室町時代の建築の方丈....優美な銅板葺の屋根が印象的な禅宗方丈建築

広い方丈の奥に枯山水の中庭「潮音庭」が....

赤いカーペットが印象的だ
 
方丈の「潮音庭」の中央の3つの石は、四方のどこからでも正面に見えるように配置

方丈北側の中庭「潮音庭」と回廊
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手向山八幡宮 (奈良)

2011年03月22日 | 寺社巡り-奈良

【奈良・奈良市】奈良時代の天平勝宝元年(749)、聖武天皇が大仏造営に際して九州豊前国(大分県)宇佐八幡宮より東大寺の守譲神として迎え、大仏殿近くの鏡池の東側に鎮座したのに始まる。
鎌倉時代の建長二年(1250)、北条時頼(鎌倉幕府 第5代執権)によって現在地に遷座された。

東大寺三月堂の傍にある白い明神鳥居をくぐって境内に入った。 境内はさほど広くはないが、落ち着いた雰囲気があり静寂が漂う。
朱塗りの神門の直ぐ傍に拝殿があり、その奥に本殿が....。 境内社の若宮神社の拝殿脇に、菅原道真が手向山に立ち寄って和歌を詠んだ際に腰掛けたという石「菅公腰掛石」が....自分がいま、約1110年前に54歳の道真公がいた場所に立っていることに大いに感動した。

御髪塔越しに眺めた手向山八幡宮の神門

神門

神門から眺めた拝殿....奥に本殿が
 
境内....正面は拝殿、右には神門                   拝殿左奥に立つ古い石燈籠

拝殿近景

境内....手水舎の右奥は拝殿、左奥は本殿
 
本殿                                    本殿近景
 
石燈籠越しに眺めた神楽所      神楽所(表側)

神楽所から眺めた若宮神社
 
若宮神社の拝殿から眺めた社殿                  境内の石燈籠,奥に若宮神社

若宮神社拝殿,手前は「菅公腰掛石」

小さな門から眺めた住吉社

住吉社の本殿

境内....右は若宮神社、左は神楽所

東大寺三月堂の傍にある手向山八幡宮の北の鳥居

北の鳥居側の入口の門
 
境内南側にある大きな石燈籠     手向山八幡宮の南の鳥居
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采女神社 (奈良)

2011年03月21日 | 寺社巡り-奈良
               
【奈良・橋本町】猿沢池のほとりにひっそりと佇む神社で、鳥居に背を向けて社殿が建つ。
春日大社の末社で、その由来は奈良時代に遡る。
天皇の寵愛が薄れたことを嘆いて猿沢池に投身した女官(采女)の霊を慰めるため祀られたが、霊が池を見るのは忍びないことから一夜にして社が池に背を向けたという伝説が残されているそうな。

猿沢池の北西端、ちょうど興福寺の南円堂から石段を下ったところに、明神鳥居を構えた鮮やかな朱塗りの小さな神社が佇んでいる。
柵の隙間から中を覗くと、なんと、社殿が鳥居に背を....このような神社を見るのは初めてだ。

鳥居に背を向けて建つ社殿
    
後ろを向いた社殿に向かっての参拝....何か不思議な感じだ
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熱い眼差し....!

2011年03月20日 | 街角スナップ-海外編
               
【中国・福建省・福州】観光街を散策中、飴細工を売る露店に群がる人々を目にした。
見事な技によって飴細工が出来上がるたびに「オーッ」という感嘆の声が....特に最前列で見ていた子供たちは驚きの眼差しだった!
飴細工を買って貰った女の子の笑顔....大事そうに持ちながら、本当に嬉しそうだった。
     
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六派羅蜜寺 (京都)

2011年03月13日 | 寺社巡り-京都

【京都・東山区】踊躍念仏の祖空也上人(第60代醍醐天皇の第二皇子)が、平安時代中期の応和三年(963)に建立した西方寺を起源とする。
空也上人没後、977年に比叡山の高弟中信上人が中興して六波羅蜜寺と改称。 平安後期には寺の規模が増大し、境域周辺に5200に及ぶ平氏一門の邸館があった。
平家滅亡後、この地に鎌倉幕府の出先機関として六波羅探題(鎌倉・室町幕府の職名)が置かれた。
源平合戦、室町時代の応仁の乱(応仁一年(1467))など度重なる兵火に見舞われる度に修復されたが、安土桃山時代の文禄四年(1595)豊臣秀吉が本堂を補修、方丈や普門院を新築。
江戸時代までは大伽藍を連ねたが、明治維新の廃仏毀釈を受けて大幅に寺域を縮小。
本尊は十一面観音で、西国三十三箇所第17番札所である。
ちなみに、「六」とは仏教の修行で布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧を表し、「波羅蜜」とは彼岸(悟りの世界)に到達することをいう。

閉ざされた本堂正面の寺門

もう一つの寺門の正面奥に建つ弁財天堂

弁財天堂には六波羅弁天を祀る
 
本堂(奥)は単層寄棟造瓦葺   

十一面観音立像...頭上に11面のお顔が....

南北朝時代貞治2年(1363)再建の色鮮やかな本堂

本堂近景
 
本堂正面
  
弁財天堂と本堂の間に立つ燈籠   本堂近景  

本堂左奥に石仏が鎮座している

平清盛公乃塚(左)と阿古屋塚

本堂前から眺めた弁財天堂
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永源院 (京都)

2011年03月12日 | 寺社巡り-京都
               
【京都・東山区】1200年代、宋からの渡来僧の大覚派の普覚義翁紹仁による開山が正伝院の始まり。
建仁寺三十九世無涯和尚が創建し、もと永源庵と称した肥後細川家の最初の菩提寺で、建仁寺の塔頭の一つ。
室町時代の天文年間(1532~1554)以降は荒廃したが、江戸時代の元和四年(1618)に織田信長の弟で茶人だった長益(有楽斎)により再興され、明治六年(1873)に廃寺となった際に旧永源庵の地に移され現在の寺名に....。
  
シンプルな山門                           門前の織田有楽斎の墓のあることを示す石標

山門から眺めた境内

本堂
   
綺麗に剪定された松?        境内の片隅に立つ多層塔

塀越しに眺めた本堂の屋根
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カステル・ローヴォ (イタリア)

2011年03月12日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・ナポリ】ナポリがシチリア王国の一部になっていた頃の12世紀中頃に建設された。 サンタ・ルチア港のナポリ湾に突き出た所に位置するが、立地的に不便だったため、1284年にカステル・ヌオーヴォが造られた。
この城は「卵城」と呼ばれるが、その由来は、建築時に基礎部分に卵が埋められ、「埋められた卵が割れるとき、城もナポリも滅ぶ」という呪いがかけられたという伝説があるそうな....。
ナポリ湾に面した道路から眺めたが、城と言うよりまるで頑強で鉄壁の要塞のよう....で、チト不気味な感じがした。

ナポリ湾に面した道路から眺めた卵城
 
まるで鉄壁の要塞のような城

少し城に近づいた位置から眺めた....
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カステル・ヌオーヴォ (イタリア)

2011年03月10日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・ナポリ】当時の支配者アンジュー家のカルロ1世(シャルル1世)の命により、1284年に築城。 1443年にアラゴン家のアルフォンソ1世によって改築され、1504年に父の法王アレッサンドロ6世の死去により勢力を失った。
カステル・ヌオーヴォは「新しい城」の意味だが、築城当時に古い城があったことから命名。 ちなみに、古い城とはサンタルチア地区にある「カステル・ローヴォ(卵城)」を示す。
市街地を抜けて港近くまで行くと大きな城が見えてくる....車窓から眺めただけだが、重厚でまさに鉄壁の城という感じがした。 城の正面入口には白い大理石のルネッサンス様式の凱旋門が....。
今から約730年前の建築だから、日本ではちょうど鎌倉時代後期で、蒙古再襲来の直ぐ後にあたる。
それにしても、城の周辺は工事中で落ち着かない眺めだったが、なんとなく遺跡発掘のようにも見えた。
 
どっしりとした頑強そうな城....約730年前の建立だ!
 
堂々たる風格の城門....中央は凱旋門
 
城壁の近景
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野生の猿に遭遇....!

2011年03月06日 | ひとり言

【京都・左京区】先日、神社仏閣巡りで京都の大原を散策した。
寂光院の拝観を終えてバス停に向かう途中、高野川に架かる人道橋を渡っていると、突然、大きな野生の猿が目の前を横切った。 突然のことで一瞬身構えたが、猿はそのまま右手の民家の屋根に....。
野生の猿をこんなに至近距離で見るのは久し振りだが、獰猛そうな顔にチト不安が....。 猿は警戒してこちらをジィーッと見ているのでこちらも睨み返してやった、が、直ぐに警戒心が解けたようで....直ぐさまカメラを構えて何度かシャッターを切った。
暫くしてから、「猿が出没します」という注意書き看板があちこちにあるのを知った。
      
        民家の屋根で、こちらをジィーッと見ている
    
     警戒心が解けリラックスしている
     
        後で知ったこのような注意書き看板....
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浄林寺 (横須賀)

2011年03月05日 | 寺社巡り-神奈川

【神奈川・横須賀市】室町時代の永正二年(1505)創建の浄土宗のお寺。 本尊は阿弥陀三尊で、江戸時代の承応三年(1654)の作。 三浦地蔵尊第29番、三浦薬師第5番そして三浦観音二十番の札所になっている。
本堂には馬頭観世音菩薩が祀られているが、寺前の坂を少し上った所に鎮座する馬頭観音堂には「馬掘」という地名の由来となる名馬「生唼」の像と蹄で掘った穴から清水が湧き出た「蹄の井」がある。 平安末期、上総国(千葉)から海を渡ってきた暴れ馬が清水を飲んで駿馬となり、衣笠城主・三浦義澄から源頼朝に献上されて「生唼」と名付けられたという。

防衛大学校に向かう長い坂道の登り口に位置するが、坂上の方を向いているので見逃しそうになった。 寺門前の左側に4基の庚申塔が並んで鎮座、また、寺門からは正面奥に入母屋造瓦葺の本堂が見え、手入れが行き届いている感じの境内。
 
寺門から眺める境内                           大きな銀杏の木が目を引く

寺門....参道正面奥に本堂が

石燈籠越しに眺める本堂

落ち着いた雰囲気の入母屋造瓦葺の本堂
 
本堂の屋根に鎮座する魔除けの飾り....龍か

本堂向拝の近景
 
境内にある大きな石碑         門前の庚申塔
 
馬頭観音堂                                馬像は「生唼」ではなく「池月」....

立派な燈籠の奥に鎮座する現代的な建物の馬頭観音堂
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覚栄寺 (横須賀)

2011年03月04日 | 寺社巡り-神奈川

【神奈川・横須賀市】室町時代の永正十年(1513)、日本武尊の東征の折の尽忠者を弔った十王堂の跡地に、屋道上人が念仏を広げるために道場を開いたのが始まり。
墓地には、徳川時代に代々御船奉行を務めた向井一族・政勝系統の墓があり、宝篋印塔や五輪塔、地蔵尊、浮き彫りの碑、石燈籠などが....。

狭い路地を進むと、参道石段の上に入母屋造銅葺の本堂が鎮座しているのが見える。 石段を上ると正面に本堂があり、参道の左側が墓地になっていて参道脇に大きな墓石が並んでいる。
向拝は極めてシンプルな構えで、堂前面の窓ガラスやガラス戸が民家を感じさせる雰囲気....ガラスに映る光景が何故かやけに気になった。
墓地の中に入って、江戸時代の人々の生きざまに思いを馳せながら、宝篋印塔、五輪塔、地蔵尊などに合掌した。 なお、境内の右手奥の本堂裏手に「滝の井戸」といわれる湧き水の大きな井戸があるらしいが、見学するのを失念した。
 
参道                            本堂の直ぐ傍まで鎮座している石碑や墓石

入母屋造銅葺の本堂

本堂正面の近景

シンプルな構えの向拝部分
 
墓地の一角に立つ篋印塔・石仏・石燈籠     関東大震災犠牲者の供養塔
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