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何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

イスタンブールの街風景-(2) (トルコ)

2014年06月21日 | 史跡探訪-トルコ編

【トルコ・イスタンブール】ヨーロッパ側は金角湾を挟んで旧市街(南)と新市街(北)の2つのエリアに分かれる。 殆どバスの車窓からの街の眺めだが、異国情緒をたっぷり満喫できる風景が続く。 
随分昔、仕事で半年ほどバクダッド(イラク)に滞在したことがあるが、政教分離国家とはいえ、宗教色が穏やかで、明るくて自由な街で....とてもイラクと同じイスラム圏とは思えない。

旧市街から眺めた新市街..左手に14世紀建立のガラタ塔(9階建)が見える

旧市街のガラタ橋近くのタクシー乗り場..黄色い車体がタクシー
 
飲み物やサンドイッチを売るイスラム風造りの店/この建物はモスクかな?

ベヤジット・ジャーミイ前の広場

荘厳なベヤジット・ジャーミイ

ベヤジット・ジャーミイ横の雑貨店
 
何の建物かな?

バスの車窓から眺めた水路(と思う?)

バスの車窓から眺めた新市街イスティクラル通り

旧市街の風景

旧市街の路地に並ぶレストランのテーブル

旧市街の風景

旧市街のガラタ橋近くのトラムの線路
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イスタンブールの街風景-(1) (トルコ)

2014年06月20日 | 史跡探訪-トルコ編

【トルコ・イスタンブール】新市街の街歩きの起点といわれるタクシム広場。 広場の中央には、共和国建国の父ケマル・アタチェルクの功績を讃えた共和国記念碑が立つ。
ここから伸びるイスティクラル通りには路面電車「トラム」が走る賑やかなエリア。 カラフルでレトロな「トラム」は、観光客にとって最も便利で利用しやすい交通手段。

タクシム広場風景

タクシム広場の共和国モニュメント..共和国建国の父アタチュルクと仲間たちの銅像
 
タクシム広場..レトロなトラム(路面電車)で記念写真       トラムの線路

タクシム広場..アタチュルク文化センター

タクシム広場風景

タクシム広場風景

タクシム広場に並ぶハンバーガー店

タクシム広場近くの繁華街

新市街の風景..目立つ黄色の車はタクシー

バスの車窓から眺めた赤い車体のトラム

ガラタ橋の旧市街側を走る屋根が青色のトラム..車体の上にガラタ塔がみえる

黒に水玉模様車体のトラム

黄色い車体のトラム
 
市内観光バス                             観光ルートを説明するガイドさん(と思う)
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ボスポラス海峡クルーズ (トルコ)

2014年06月19日 | 史跡探訪-トルコ編

【トルコ・イスタンブール】アジアとヨーロッパを分ける南北約31kmのボスポラス海峡。 ガラタ橋近くの乗船場から第一ボスポラス大橋の少し先までの短時間のクルーズの旅だったが、海峡の素晴らしい景色を眺めながら一時を楽しんだ。
海峡入口には「乙女の塔」と呼ばれる伝説の塔「クズ塔」が浮かび、海峡沿いにはドルマバフチェ宮殿やジャーミイなどの歴史ある建物が建つ。
アジアとヨーロッパを結ぶ吊り橋の第一ボスポラス大橋は、1973年10月30日(トルコ共和国建国50周年記念日の翌日)の完成、全長1510m、高さ64mの規模で1日の交通量は約18万台とか....。
 
乗船したクルーザー「TURYOL.3」                風格あるクルーザーの運転手

乗船場から眺めたヌスレティエ・ジャーミイとドルマバフチェ宮殿と第1ボスポラス大橋
 
ヌスレティエ・ジャーミイの近景と遠景

海峡沿いに建つドルマバフチェ宮殿の全景

ドルマバフチェ宮殿..1859年のスルタンの命で建築されたオスマン帝国最後の宮殿

トルコ共和国初代大統領アタチュルクはドルマバフチェ宮殿で執務中に逝去

ボスポラス海峡に浮かぶ巨大プール

ボスポラス海峡に架かる第1ボスポラス大橋
 
第1ボスポラス大橋(ヨーロッパ側)/第1ボスポラス大橋..向こう岸はアジア側

海峡に面してアジア側に建つジャーミイ

アジア側の建物(ベイレルベイ宮殿か?)

アジア側の別荘

アジア側の別荘

海峡入口のアジア側に浮かぶクズ塔、左丘の上はウスキュダルか?

アジア側の建物

海峡を北へ向かう貨物船..向こうはヨーロッパ側
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グランド・バザール (トルコ)

2014年05月26日 | 史跡探訪-トルコ編

【トルコ・イスタンブール】オスマントルコ帝国時代の1461年から続く、トルコ語で「カパル・チャルシュ(Capali Carsi)」と呼ばれる『屋根付き市場』という意味の老舗マーケット。
時代と共に増築が繰り返されたため迷路のように入り組み、64の通りと22の出入口があり、3万㎡に面積に4000軒以上の店舗を有し、世界最古で最大規模の市場とも言われる歴史的建造物。

確かに迷路の中に入り込んだようで、特に狭い通りに入り込むと迷子になりそうに....それでも店頭に溢れんばかりに並ぶ品物が異国情緒をたっぷり味わせてくれるので、見ているだけでも楽しくなる。
感心したのは、通りの所々に給水施設が設けてあって、疲れた時に一息つけるだけでなく、迷子防止にいい目印になりそう....。
 
オスマントルコ帝国時代の1461年から増築が繰り返されている歴史的建造物

迷路のような64の通りに4000軒の店が
   
トルコ独特のお土産品が所狭しと並んでいる

狭い通りに入り込むと迷子になりそう
 
異国情緒をたっぷり味わえる物が並ぶ

トルコ絨毯、金銀細工、皮革製品等の高級商店街のよう

観光客が多く値段の表示もドルで....
  
何も買わずとも見るだけでも楽しい老舗マーケットだ!     これは給水施設

所々に給水施設があり..いい目印になるし一息つけるオアシスに..

3万㎡の市場全体が全て屋根に覆われている
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ガラタ橋 (トルコ)

2014年05月24日 | 史跡探訪-トルコ編

【トルコ・イスタンブール】金角湾に架かる旧市街と新市街とを結ぶ二層構造(船が通行する中央部は除く)の橋で、下層にはカフェやシーフード・レストランが並ぶ。
かつては、下層にシーフード・レストランのある2階建ての浮き橋だったが、1992年の火災により焼け落ちた。 橋の全長は490mで、上層は片側3車線と歩道がある幅42m、また、市街電車も通っている。

ガラタ橋の上からたくさんの釣り糸が垂れているが、朝から晩まで釣り人が絶えないらしい。
ガラタ橋の下のレストランで購入した「サバサンド」を食べてみたが、自分には合わない味....何で「サバサンド」が日本で有名になったのかと首を捻った。
 
ガラタ橋の上から眺めた旧市街に建つイエニ・ジャーミイ(メフメット4世時代の1663年完成)

ガラダ橋の上から沢山の釣り糸が垂れている

ガラタ橋の上で釣りをしていた少年

ガラタ橋の下層のカフェ・レストラン街

ガラタ橋の下のレストラン

ガラタ橋の下のカフェ

旨そうなSEAFOODのメニューが並ぶ

日本人にも知られている有名?なサバサンド

船が往来するガラタ橋の中央部

ガラタ橋(左手)の下をフェリーやクルージング船が往来する

ヨーロッパ側とアジア側を結ぶフェリーの発着場
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トプカプ宮殿(トルコ)

2014年05月23日 | 史跡探訪-トルコ編

【トルコ・イスタンブール】15世紀にイスタンブールを征服したメフメット2世が建設し、15世紀中頃~19世紀中頃まで歴代のスルタン(オスマン帝国の皇帝)が増築しながら約400年に渡って居住した、オスマントルコ帝国を代表する宮殿。 三方をボスポラス海峡とマルマラ海、金角湾に囲まれた丘に位置に造営された宮殿は、歴代のスルタンの住居だけでなく、政治及び行政の中心だった。
宮殿の広大な敷地は4つの庭園エリアに分かれ、「第一庭園」の奥に「表敬の門」、「第二庭園」の正面奥には「幸福の門」があり、その奥にある「謁見の間」(アルズ・オダス)と呼ばれる建造物を中心とする「第三庭園」とそれを取り巻く施設群が内廷を構成。
「第三庭園」の右奥の「宝物館」には、柄に3つの大きなエメラルドをはめ込んだ黄金の短剣や、86カラットのダイヤモンドなど目を見張る宝石類が並ぶ。
「ハーレム」は何百もの小部屋、広間などから構成、ブルーのイズニック・タイルの装飾が美しい。
「第一庭園」はオスマン帝国時代から現代まで一般の人々が自由に出入りできる庭園、また、「第一庭園」の一角には東ローマ帝国時代の遺構である聖イレーネ(アヤ・イリニ)教会が建つ。
 
アヤソフィア側にある宮殿の正門(帝王の門)..内側に「第一庭園」と呼ばれる空間が広がる

「第一庭園」の一角に建つ聖イレーネ(アヤ・イリニ)教会..東ローマ帝国時代の遺構(537年再建)
 
外廷の門「表敬の門」..「第一庭園」の奥にあり、第二の城壁で囲まれたトプカプ宮殿本体部分の入口、内側が「第二庭園」
 
「第二庭園」の正面奥の「幸福の門」
 
「正義の塔」(スルタンの塔)..下はオスマン帝国の政策が決定された会議室

ハレムの入口
 
ハレムの入口を入った中庭にカリエ(侍女)や黒人宦官達の部屋が並ぶ..奥の門からが本当のハレム

ハレム内のタイル装飾の美しさに目を奪われる
  
ハレムの内壁には鮮やかなブルーのイズニック・タイルで装飾されている..青タイルにアラビア語でコーランが

ハレムの壁の見事なタイル装飾
  
黄金の暖炉            ベッド            手を洗う所か?

ムラト3世の広間(ハレムの一番奥)の大理石を彫った泉

寵姫(側室)たちの住居..カリエの中から皇帝の寵愛を受けた女性の私室..左手は皇子達の住居
 
宮殿北端の大理石のテラス..右の建物はバグダッド・キョシュキュ

宗教遺物の間

「第三庭園」に建つ「謁見の間」と呼ばれる建物

「謁見の間」は内廷を構成する施設群の中心

宝物館(左半分)、遠征室(右半分)
 
幹が空洞化したプラタナスの巨木(樹齢500年以上?)/宝物館(館内は撮影禁止)

メジディエ・キョシュキュ(現在はレストラン)..1840年にアブドゥルメジット1世が建立

トプカプ宮殿からボスポラス海峡を望む
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地下宮殿 (トルコ)

2014年05月21日 | 史跡探訪-トルコ編

【トルコ・イスタンブール】旧市街スルタンアフメット地区にあるビザンチン時代(6世紀ユスティニアス帝)に造られた大地下貯水池”地下宮殿”で、縦140m、横70m、高さ8mほどの規模で、内部はコリント様式の柱336本で支えられている。
宮殿の一番奥の柱には、他の遺跡から持ってきたとされるメデューサの顔(2体)が彫られた古代石塊があり、ギリシャ神話に登場する怪物「メデューサ」の魔力を封じ込めるために逆向きや横向きに据え付けれたらしい。
水道橋から引かれた水はいったんここに貯えられ、ここからトプカプ宮殿やアヤソフィアにも供給された。
現在残る水路はオスマン帝国により作られたもので、「ユスティニアヌスの水道橋」と呼ばれるものも16世紀に建設されたもの。

ビザンチン時代に造られた大地下貯水池

貯水池の規模は縦140m、横70m、高さ8m
 
水道橋から引いた水はここに貯えられ、トプカプ宮殿やアヤソフィアにも供給された

地下宮殿の天井..柱上に装飾が施されている

大理石製の336本の円柱が立ち並ぶ

宮殿内の照明だけでの光景

メデューサの顔が彫られた古代石塊..柱の土台に「逆向き」に据え付けられている
  
ギリシャ神話に登場する怪物「メデューサ」の魔力を封じ込めるために「逆向き」や「横向き」にしたとか?
 
メデューサの顔が彫られた古代石塊..柱の土台に「横向き」に据え付けられている
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アヤ・ソフィア (トルコ)

2014年05月18日 | 史跡探訪-トルコ編

【トルコ・イスタンブール】ローマ帝国(ビザンティン帝国)時代の紀元360年、コンスタンティヌス帝によって正統派キリスト教の大聖堂として建設されたが、オスマン帝国が征服した後はイスラム教のモスクに。
イスラム教は偶像崇拝を禁止しているため、内部のモザイク画は500年もの間漆喰で塗り固められた。
一方、イスラム装飾として4本のミナレットが立ち、内部にはアラビア文字でアッラーや預言者の名前が書かれた巨大な円盤、ミンバルと呼ばれる説教壇や聖地メッカの方向を示すミフラーブ等が設置された。
トルコ共和国時代になって大修復され、ビザンチン帝国の栄華を偲ばせる美しいビザンチン美術とイスラム美術の傑作が混同する博物館とされた。 巨大なドームは直径31m、高さ55.6mで世界で4番目の大きさ。

ローマ帝国時代の紀元360年、コンスタンティヌス帝がキリスト教の聖堂として建立

オスマン帝国征服後はイスラム教のモスクに..
  
赤茶色の大聖堂にはイスラム教のオスマントルコ帝国時代になって建設されて4本のミナレットが立つ

トルコ共和国時代になってから博物館に
 
南入口の青銅の大扉からみる「キリストと皇帝レオンVI世」のモザイク画

「皇帝専用の入り口」から覗いた聖堂内

吊り下がった灯が幻想的な雰囲気を醸し出している
 
2階にはモザイク画が多数残る..偶像崇拝禁止のイスラム教によりモザイク画が500年間漆喰で塗りつぶされた

巨大ドームの天井の美しい装飾そして天井の窓から光が差し込む

アラビア文字でアッラーや預言者の名前が書かれた巨大な円盤が掲げられている

正面アプスに設置された聖地メッカの方向を示すミフラーブ、右手にミンバルと呼ばれる説教壇
  
元々教会として建立されたために、正面中心が聖地メッカの方向を向いておらずミフラーブの位置が微妙に右側にずれている

ミンバルの手前に設けられた部屋..スルタンが礼拝する場所か?

大理石が敷きつめられた床..何か意味がありそうな模様で立ち入り禁止

側廊から大理石の柱越しに眺めた聖堂空間(主身廊)
  
「マリアの手形」と言われる親指をいれたままで手を回すと願い事が叶う/オスマン帝国時代にペルガマモン遺跡から出土された大理石の「ペルガモンの水瓶」/壁面装飾と柱頭

大ドームの神秘的な巨大空間

内拝廊の南門のビザンティン帝国時代のモザイク画..中央に聖母子、右にコンスタンティヌス帝、左にユスティニアヌス帝
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ブルーモスク (トルコ)

2014年05月03日 | 史跡探訪-トルコ編

【トルコ・イスタンブール】オスマントルコ帝国が栄華を誇った17世紀初め、14代のスルタン・アフメット1世により建立(1616年完成)された、イスタンブールで最も美しいイスラム寺院。
寺院は高さ43m、直径23.5mの巨大ドームの四方を半円ドームが取り囲み、回廊で結ばれている。 また、ドームの周囲には6本のミナレット(尖塔)が立つ。
ドームの内部は、イズニックという町で造られた青い花柄のタイルで美しく飾られていることから「ブルーモスク」と呼ばれるが、寺院の正式名称は建立者名をとって「スルタン・アフメット・ジャーミィ」という。
ミナレット(尖塔)はメッカ以外は4本までらしいが、アフメット1世の命令「金(アルトゥン)のミナレット」を建築家が「6本(アルトゥ)のミナレット」と聞き間違いしたので6本になったらしい。

古都イスタンブールで最初に訪れた世界で最も美しいといわれるブルーモスク....優美に聳える6本のミナレットを眺めながらモスクに。
モスクに近ずくと荘厳で重厚な造りに圧倒されながら、5つある門の一つから中庭....中庭の真ん中には身を潔めるための「泉亭」があり、周囲の建物は廻廊で結ばれ四隅に尖鋭なミナレットが聳える。
モスク内は巨大な空間で薄暗いが窓のステンドグラスが美しい、また、壁・天井・柱を覆うイズニックのタイルがほんのりと青味を帯びているのが幻想的だ。
ドーム天井の美しい幾何学的文様が凄く印象的で、つい首が痛くなるほど長い時間眺めてしまった。

オスマントルコ帝国時代の1616年、スルタン・アフメット1世により建立
 
イスタンブールで最も美しいイスラム寺院で、6本のミナレット(尖塔)をもつ
 
荘厳で重厚なイスタンブール最大のモスク/中庭への入口の門(門は5つある)

中庭の周囲の建物は廻廊で結ばれている..入口の回廊から眺めたミナレット

中庭中央の小さな建物は身を潔めるための「泉亭」
  
中庭周囲の建物の四つ角にそれぞれミナレットが立つ

中庭周囲の建物には30のドームと26の柱がある

美しい数々のステンドグラスが幻想的

正面がメッカの方角で、壁に向かって祈るイスラム信者
  
壁には17世紀に造られた約21,000個のイズニックのタイルが張り巡らされ全体的に優しい色調で飾られている

イズニックのタイルが張られた壁が美しい

イズニックのタイルが張られた壁が美しい

ドーム天井の美しいタイルの幾何学的文様
  
壁・天井・柱を覆うタイルの文様がほんのり青味を帯びている

ドーム天井の美しい文様
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トロイ遺跡 (トルコ)

2014年05月01日 | 史跡探訪-トルコ編

【トルコ・トロイ】初期青銅器文明の紀元前3000年頃から造られ始めたトロイは、紀元前350年頃のローマ時代迄の間、火災や侵略によって消滅・再建を繰り返した9層からなる複雑な都市遺跡。
トロイは、エーゲ海北部のマルマラ海沿岸地方のビガ半島に位置し、エーゲ海交易の中心地として繁栄。
1873年、ドイツ人実業家・ハインリッヒ・シュリーマンが3年を費やして発見したが、考古学知識がないのに闇雲に掘ったため、幾つかの時代の遺跡が混ぜこぜになったり破壊された。
考古学的には、王妃ヘレネをめぐるギリシアとのトロイ戦争(紀元前1200年頃-10年間)があったのか、トロイ人とはどんな民族なのかまだ未解明とか。

「トロイの木馬」は小さい頃から知っていたので、期待しながら遺跡に着く....ガイドブック等でトロイ遺跡の紹介として必ず掲載されている木馬が目に飛び込んでくる。
気が遠くなる大昔に繁栄した実在した伝説の街・トロイ....城壁跡に沿うように回ったが、遺跡の規模は小さく、また、古代都市の遺構は殆ど跡形もなく崩壊していて、あっというまに見学が終わってしまった。
トロイ遺跡って「これだけ?」とつい口にしてしまったが、エフェソス都市遺跡の後の訪問なので余計そう感じたのかもしれないが、期待外れだったのは確かだ。
 
観光用に神話をもとに再現されたトロイの木馬

紀元前1900~1300年頃(トロイ戦争以前)と見られる石積みの塔と城壁、城門

堅牢そうな城壁
  
トロイ遺跡は初期青銅器文明の紀元前3000年~古代ローマ時代の紀元前334年まで9層からなる複雑な都市遺跡

メガロン式住居..石組土台の上に赤土レンガを積上げて構築

約4500年前の密閉構造の住居跡

遺跡は第1都市から9都市まで、9段重なった層になっている

トロイの遺跡の年代層を示す

第2都市(紀元前2600~2300年)時代に造られた傾斜路
 
大理石が敷き詰められていた傾斜路は第2都市の正面門に通じた/約4000年前の井戸..4mの深さがあった

第8~9都市の聖域..アレキサンダー大王時代に神に生贄を捧げる儀式を行った場所

生贄の祭壇(ギリシャ人統治の頃の物)

左奥の四角い建物は神殿

ローマ時代の野外劇場..第9都市(紀元前500~334年)」時代

野外劇場は音楽、演劇、会議に使用されていた

ローマ時代(第9都市)の文字が刻まれた柱が無造作に置かれている感じだ

ローマ時代(第9都市)の文字が刻まれた柱
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エフェソス都市遺跡-(2) (トルコ)

2014年04月30日 | 史跡探訪-トルコ編

【トルコ・エフェソス】紀元前2世紀に古代ローマ帝国の支配下になってからも繁栄し、小アジアの西半分を占めるアシア属州の都とされ、東地中海交易を中心とする港湾都市として発展。
しかし、2世紀頃から山から流れ込む土砂の堆積により港湾の規模が縮小され、また、時代の変化でアルテミス信仰も力を失い、8世紀にアラブ人攻撃を受けたのを機に東ローマ帝国がエフェソスを放棄。 その後、港が完全に埋まった。 現在残るアルテミス神殿や巨大な図書館や大劇場などの遺構はローマ時代に建てられたもの。

ヘラクレスが彫られている大理石の石柱のヘラクレス門からなだらかな石畳のクレディア通りを下る。 途中、公衆トイレ跡があるが、情報交換の場だったので仕切りがなかったらしい。また、下に水が流れる水洗便所だったとのことで、妙に興味を引いた。
クレディア通りを下ったところにセルスス図書館があり、知恵、幸運、学問、美徳を象徴する四体の女性像がほほ笑む。 大理石通りを進むと路面に足が刻まれた娼館への道標があり、足の向きが遊郭の方角を指すとか....。 暫くすると、右手に巨大な古代劇場が見えてくる....2万5千人を収容したヘレニズム~ローマ期でも最大級のものらしい。
大劇場から港まで真っ直ぐ続くメインストリートがアルカディアン通り(港通り)で、ジュリアス・シーザーとクレオパトラもこの通りを歩いたとか....まさにロマンを駆り立てられる。【トラヤヌスの泉⇒ALYTARCHE’STOA⇒モザイクの歩道⇒ハドリアヌス神殿⇒公衆トイレ跡⇒セルスス図書館⇒マゼウス&ミトリダテスの門⇒娼館への道標⇒大劇場⇒アルカディアン通り】
 
トラヤヌスの泉..皇帝トラヤヌスに捧げられた泉

「ALYTARCHE’STOA」とあるが..
 
モザイクの歩道..小さなタイルを張ったトルコ独特のモザイク模様で、上流階級だけが歩けた
 
ハドリアヌス神殿..2世紀、ローマ帝国の五賢帝のハドリアヌスに捧げられたコリント式神殿

アーチの中央に運命の女神,待ちの守護神ティケの胸像
 
奥の門に悪魔払いの羽を広げた神様メドゥーサが彫られ、頭髪は蛇に
 
公衆トイレ跡..下に水が流れる水洗式

セルスス図書館とマゼウス&ミトリダテスの門(右側)

セルスス図書館..四体の女性像はそれぞれ知恵・幸運・学問・美徳を象徴
  
セルスス図書館..アレキサンドリア、ベルガマと並んでギリシャの三大図書館と称され12万冊の蔵書があった

西暦135年、ローマ帝国アジア地区執政官セルススの息子が建立、セルススの石棺は図書館内に収容

マゼウスとミトリダテスの門..マゼウスとミトリダテスは皇帝の奴隷だったが解放され、経済的に成功後、皇帝一族に寄進した門
 
娼館への道標..大理石に刻まれた足は遊郭の方向を示す世界最古の広告、他に冠を頭にのせた女性とハートの絵

泉が湧きでていた小屋..大劇場近くの水源地
 
大劇場..大理石通りに面して建つ古代劇場25千人を収容できるヘレニズム~ローマ期でも最大級の古代劇場

大劇場は高さ38m、直径158m、広角220度の半月形構造

アルカディアン通り(港通り)..幅11mで港まで500mあったが港は埋没した
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エフェソス都市遺跡-(1) (トルコ)

2014年04月28日 | 史跡探訪-トルコ編

【トルコ・エフェソス】紀元前16~11世紀、ギリシャから移住してきた狩猟の女神「アルテミス」を崇拝するイオニア人(古代ギリシャ人)が建設した小アジア最大の古代都市遺跡群。
もとはエーゲ海に接する港湾都市で、アルテミス神殿を中心に繁栄し、地中海貿易で栄えた(土砂の堆積で現在は海岸から離れている。 紀元前7世紀、キンメリア人に襲われ、神殿を含め都市が破壊されたがリディア王クロエソスが再建。
ペルシャのキュロス大王に征服された後、ギリシャ軍を率いて東方に遠征してペルシャを滅ぼしたマケドニアのアレキサンダー大王によりヘレニズム時代を迎え栄えた。

快晴で暖かい陽の光が降り注ぐ空の下、南側ゲートから古代ギリシャ人が建築したエフェソス古代都市の遺跡に入る。
クレテス通りの両側に佇む遺跡群をゆっくり眺めながらクレディア通りの南側入口に立つヘラクレス門まで進む。【ヴァリウスの浴場跡⇒バシリカ柱廊⇒オデオン音楽堂⇒プリタネイオン⇒トミティアヌス神殿⇒ポリオの泉⇒メミウスの碑⇒ヘラクレスの門】

南側ゲート

ヴァリウスの浴場跡..紀元2世紀の造営

ヴァリウスの浴場跡近くで昼寝する2匹の猫..親子かな?

バシリカ柱廊とオデオン音楽堂
 
バシリカ柱廊

オデオン音楽堂..約1400人収容で、当時は屋根に覆われていたという
 
プリタネイオン..エフェスの象徴・女神ヘスタの聖火が数世紀にわたり日夜灯り続けたという

トミティアヌス神殿(右)とポリオの泉(中央のアーチ部分)
 
トミティアヌス神殿..紀元1世紀、ローマ皇帝ドミティアヌスが自身を祭るために建造

トミティアヌス神殿..2本の柱の間に高さ7mのドミティアヌス帝像が立っていたようだ

多くの遺跡が並ぶクレテス通りにある勝利の女神ナイキのレリーフ

メミウスの碑
   
メミウスの碑..ローマの独裁官スラと息子ガイウス、孫のメミウスと三代にわたるエフェスの支配者を祭る

北側から眺めたメミウスの碑

クレディア通り..ヘラクレスの門からセルスス図書館までのなだらかな石畳、両側は商店街の跡

ヘラクレスの門
   
大理石の石柱に獅子の毛皮をまとっているヘラクレスが彫られている..当時は石柱の上に勝利の女神ニケのレリーフが置かれていたとのこと
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ヒエラポリス遺跡 (トルコ)

2014年04月16日 | 史跡探訪-トルコ編

【トルコ・パムッカレ】ヒエラポリス(Hierapolis)とは『聖なる都市』という意味で、パムッカレの石灰華段丘の一番上にある遺跡は、紀元前190年頃、ペルガモン王エウメネス2世により建造された古代都市で、ローマ帝国の温泉保養地として栄えた。 ローマ帝国時代に地震で破壊されたが、その後復興したものの、1354年の大地震で完全に廃墟と化した。
遺構として、紀元前2世紀にハドリアヌス帝が築いた円形劇場やアポロ神殿跡、北大浴場などが残るが、時間的に厳しかったので多くの遺構は見学できずだった。

ヒエラポリス遺跡への石門(南門)
 
神殿の柱だろうか?                         何の跡だったか..奥は劇場跡?
 
南北に走る石を敷いたメインストリートの遺跡だっか?

石灰華から「ANTIQUE POOL」へ向かう左手の遺跡群

石灰華から「ANTIQUE POOL」へ向かう左手の遺跡群

「ANTIQUE POOL」後方はアポロン神殿遺跡か?

「ANTIQUE POOL」後方の劇場遺跡か?
 
ヒエラポリス博物館の中のローマ式の「大浴場」の遺跡

「大浴場」遺跡の一部

大浴場近くの遺跡だが何だったか?

遺跡の彫刻などを保管しているヒエラポリス博物館の一部だが中に入れず
 
柵の外から撮影した彫刻群

ローマの遺跡を思わせる彫刻

「ANTIQUE POOL」の入口..案内板では「ANCIENT POOL」!
 
ここを訪れたローマ皇帝「ハドリアヌス帝」や「カラカラ帝」もこの温泉に入ったかも?
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パムッカレ石灰棚 (トルコ)

2014年04月14日 | 史跡探訪-トルコ編

【トルコ・パムッカレ】パムッカレとは石灰華段丘からなる丘陵地の名前で、「綿の城」という意味で、この一帯はかつて、綿花の一大産地であったことに由来する。 ヒエラポリスから湧き出る温泉に含まれる炭酸カルシウム(石灰)が、長い年月にわたって斜面を流れている間に沈殿し、雪景色の棚田のような不思議な景観が造られたもの。

この神秘的な光景はいったいどれほどの年月が費やされて造出されたのか想像もつかないが....とにかく、自然が造り出した見事な芸術作品はいつまでも眺めていたくなる。
現在、温泉の枯渇が深刻な問題になっており、湯量と石灰棚への入場が制限され、石灰棚を直ぐ近くで見ることができないのは残念だった。
 
石灰華段丘..湯量が制限され、訪れた際には上の石灰棚の温泉水が止められていた
 
大自然が生み出した巨大な石灰棚
 
石灰棚は少しずつ成長を続ける大自然の神秘的な造形

白く輝く石灰岩の岩棚から流れでる温泉

足湯体験でくつろぐ観光客

温泉が止められた石灰棚..神秘的な姿はまるで雪景色のようだ

石灰棚から眺めたパレッカム村

遠くに広がるのは綿花畑か?

下の池の左手にあるのは温泉水のプール

石灰棚の温泉水の中を裸足で散策する観光客

美しいパレッカム村の全景
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メブラーナ博物館 (トルコ)

2014年04月12日 | 史跡探訪-トルコ編

【トルコ・コンヤ】メブラーナ博物館があるコンヤは、11~13世紀にセルジューク朝の首都が置かれた町で、全盛期には、政治、文化、芸術の中心として繁栄した。 メブラーナ博物館は、施舞教団として有名なイスラム神秘主義の一派「メブラーナ教団」の創始者メブラーナ・ジェラールッデイン・ルーミーが祀られている霊廟。 メブラーナの死後、1925年にアタチュルクによって閉鎖、教団も解散させられ、現在は博物館として公開。

真っ青な空に聳える鮮やかな青緑色のタイルで飾られた霊廟の塔(ミナレットではないようだ)が、少し遠くから目を引いた。
豪華な装飾が施された館内は厳粛な空気に包まれ、創始者メブラーナらのイスラムの聖人たちが眠る棺が安置されている。 厳かな気持ちで館内を巡ったが、聖人たちの棺の他に様々なコーランの写本やマホメットの顎髭が納められているという小箱などが展示されていて、イスラムの歴史が感じられた。
 
メブラーナ博物館..11~13世紀建立、青緑のタイルで飾られた霊廟の塔が目を引く
 
イスラム神秘主義教団「メブラーナ教」の創始者が祀られている霊廟

入口側から眺めた中庭
 
モスクとミナレット(尖塔)..モスク前の建物は手足を清めるイスラム式手水舎
 
モスクの入口..土足厳禁で靴をすっぽり包むゴム付きビニール袋を被せて入場

メブラーナ博物館の中庭..中央に石碑群、左側がモスク

石碑群の奥の白壁の建物は確か台所?

くるくる回るメブラーナの踊り「セマー」の練習をする光景
 
再現された台所の風景と食事の打合せをする?人形

食事風景か?
 
隣接するセリミエ・ジャミー(モスク?)

スラム式手水舎とセリミエ・ジャミー

中庭にある手足を清めるイスラム式手水舎

小部屋が連なる建物,修道士の住まいだった?

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