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何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

浦賀の幸保邸 (その1)

2025年04月11日 | 史跡探訪-日本編

【神奈川・横須賀市】浦賀湾の東浦賀側の街路沿いに建つ幸保邸は、大正時代の商家の主屋と石蔵。令和七年(2025)3月、国の文化審議会から国登録有形文化財として登録するよう文部科学大臣に答申された。 幸保邸の主屋は、江戸時代創業の米倉商の幸保家が大正十四年(1925)に建てたもので、住居と店舗を兼ねた二階建ての建物。 寄棟造桟瓦葺で、正面に下屋があり、二階部分の窓に手摺が設けられている。 主屋に連なる石蔵は外壁全面が石(房州石)を積み上げた木骨石造建築で、主屋より10年早い大正四年(1915)に建てられた。なお、幸保邸では平成の終わり頃まで米販売店が営まれていたが、以後、空き屋の状態に。

【再訪】先日、幸保邸を再訪する機会があり、そのとき、前回の訪問時には閉じていた主屋の一階と二階の雨戸が開いていた。 再訪時、 建物を所有されている方の案内で主屋と石蔵の内部を撮影させていただいたので、当ブログを「(その1)」とし、続編として「(その2)」を近日中に投稿する。 (未公開中の内部の写真のブログ投稿については、口頭だが所有者の方の了解を得た)

◆三浦半島で発行されている某情報紙で浦賀の「幸保邸」について知ったので、早速訪問し外観を見学した。 浦賀はかつて東国唯一の貿易港、また干鰯問屋など商業地として栄えた歴史があり、当時の面影を今に伝える建造物が大切に保存されている。 東浦賀に建つ幸保邸はその一つだが、浦賀港を挟んだ東浦賀と西浦賀のどちらの街路沿いにも幸保邸に似た建物や石蔵(15棟前後)がそのままの形で点在し、当時の港町の街並みと風情とを想像させる。 印象に残ったのは、主屋二階の窓に取り付けられた木製の手摺で、手摺に片腕を乗せた遊女が道行く人を眺めて客の品定めをしている光景が浮かび、花町を連想させる。 

△大正時代の商家の主屋と石蔵....国登録有形文化財に登録される予定(答申中)

△窓が無い主屋の左側外壁には金属製の波板が張られているようだが、有形文化財登録の指定に支障は?/.正面に下屋(裳腰?)を設けているが、屋根材はスレートか?

△寄棟造桟瓦葺で二階建ての幸保邸主屋....大正十四年(1925)の建築で、江戸時代に創業した米穀商の幸保家が所有している

△二階の窓に木製の手摺が設けられていて、花町の風情を感じさせる

△二階の窓に設けられた手摺....屋根の大棟中央に鬼板が乗っていて寄棟屋根には見えないので、超短い棟の「小棟造り」なのだと思うが.…その後の再訪で、「小棟造り」ではなく寄棟造りで妻入りであることを確認した。

△一階店舗の間口の建具は4枚(5枚?)の板戸....右に板戸の通用口

△主屋に連なって建つ石蔵

△切妻造桟瓦葺の石蔵は大正四年(1915)の建築

△石蔵は外壁全面が石(房州石)を積み上げた木骨石造建築....石壁の所どころに折釘(L形の金具)が取り付けられている

△大棟端に「水」を入れた鬼板が乗る....下壁に小さな換気口、上壁に庇を設けた窓がある
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