何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

延命寺 (逗子)

2013年05月31日 | 寺社巡り-神奈川

【神奈川・逗子市】奈良時代の天平年中(729~749)、行基菩薩が自作の延命地蔵菩薩像を本尊として安置したことが延命寺の始まりとされる。 平安時代に入り、弘法大師(空海)が巡錫の折にこの地に立寄り、延命地蔵尊を安置する厨子を設けたと伝わる。 鎌倉時代には三浦氏の祈願寺として栄え、室町時代には北条氏の帰依を得て天文二十年(1551)、僧朝賢によって中興された。
本堂には、本尊の大日如来像と共に亀岡八幡宮のご神体だった「阿弥陀三尊」も祀られている。
弘法大師が厨子を設けて以来、延命地蔵尊は住民尊信の的となり、また、いつしかこの地一帯が「厨子」と呼ばれ、近年になって「逗子」という字が使われるようになった。

門前の塀際に「逗子の地名発祥の寺」の碑があり、訪問してここが「逗子」の地名の発祥のお寺であることを知った。 境内参道の正面奥に「逗子大師」の扁額が掛る二層造りの堂々たる本殿が建つ。
境内に入って直ぐ右手に、今から500年前にこの寺で自刃した「三浦道香主従の墓」の案内板があり、塀際に少し風化が進んだ数基の宝篋印塔が佇み、供えられた黄色の菊の花が眩しかった。

寺前の道路から眺めた境内
  
門前の弘法大師供養塔/門前の「逗子の地名発祥の寺」の碑/石燈籠越しに眺めた本堂

本堂と会館(左)..手前左手は幼稚園になっている

右手に三浦道香主従の墓、逗子弁財天、鐘楼が並ぶ
 
三浦道香主従の墓..永正19年(1513)、北条早雲に敗れた三浦道寸の弟道香が延命寺で自刃

朱塗りが鮮やかな鐘楼
 
本堂..昭和52年(1977)再建..本尊は大日如来像       「逗子大師」の扁額が掛る

本堂には亀岡八幡宮のご神体だった「阿弥陀三尊」も祀られている
  
本堂の前に佇む「修行大師御尊像」

会館

本堂回廊の下に置かれた梵鐘
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亀岡八幡宮 (逗子)

2013年05月27日 | 寺社巡り-神奈川

【神奈川・逗子市】創建や勧請については不詳だが、天保12年(1841)の「新編相模国風土記稿」から、江戸時代には延命寺が村の鎮守・「八幡宮」として管理していた。 明治維新の神仏分離令により延命寺の管理から離れ、明治6年に神社として独立し逗子の鎮守に....。
昔、神社境内がなだらかな岡で亀の甲羅のようだったことから、鎌倉の「鶴岡八幡宮」に対し「亀岡八幡宮」と呼称された(正式名は亀岡八幡神社)。 御祭神は応神天皇で、境内社には萬栄稲荷社と大神宮社があり、大神宮社(浅間祠)には天照大御神と木花咲耶姫神を祀っている。

逗子市役所前の参道を進み、白い稲荷鳥居をくぐって境内に....御神木とみられる幾つかの古木が聳え、境内参道の正面の奥に社殿が建つ。 社殿は千鳥破風と唐破風付きの入母屋造瓦葺でまるで寺院の本堂のような造り....社殿は、拝殿だけでなく本殿も瓦葺きで珍しい。
拝殿の前には霊獣の狛犬が鎮座しているが、更に拝殿の直ぐ手前に珍しい阿形吽形の亀像(狛亀)が鎮座。
 
白い稲荷鳥居(台輪鳥居)..幾つかの御神木のケヤキの古木が聳える

社殿は村民により建立..大正8年(1919)に落成

鶴岡八幡宮..延命寺管理時は「八幡宮」、正式名は「鶴岡八幡神社」
 
入母屋造瓦葺の千鳥破風と唐破風付き拝殿/拝殿前に阿吽形の亀像が鎮座

向拝の虹梁の上の牡丹と龍の彫刻と木鼻が素晴らしい

大きく湾曲した虹梁そして「亀岡八幡宮」ではなく「八幡宮」の額が掛る
 
笠部が苔生した大神宮社(浅間祠)越しに眺めた社殿..拝殿と本殿いずれも瓦葺

境内社の萬榮稲荷大明神
  
萬榮稲荷大明神は商売繁盛と家内安全の守護神・宇迦御魂神を祀る
 
榊が飾られた天照大御神を祀る大神宮社(浅間祠と呼ばれ木花咲耶姫神も祀る)

堅牢地神塔、笠付角柱型庚申塔、馬頭観音等が並ぶ
 
右の庚申塔は寛文11年(1671)..左は天保3年(1832)建立で、逗子市内の寛文期建立の
笠付角柱型庚申塔はこれだけとか
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熊野神社 (逗子)

2013年05月25日 | 寺社巡り-神奈川

【神奈川・逗子市】山の根の熊野神社は明治二年(1869)の社殿炎上により古記録が焼失したが、源頼朝公が勧請したと伝わる。 ご祭神は伊弉諾尊と伊弉冉尊の2柱が祀られている。
社殿失焼の後、山の根村に唯一つあった松本寺(隣村逗子村の延命寺の末寺)の本堂を移築して社殿とした(松本寺は廃寺に)。 この本堂も昭和十二年の火災で焼失、その後再建され現在に至る....それで瓦葺きの社殿なのか! 

山の根地区の住宅街の奥に新しい注連縄が飾られた神明鳥居が立ち、その先の参道脇に大きなタブノキが聳える。
石段を上ると、鬱蒼と茂る木々の中に珍しい瓦葺の社殿が建ち、屋根の左半分の瓦が朝日を浴びて白く輝いていた。 向拝の紅梁の上の彫り物と霊獣の木鼻が素晴らしい。 社殿の右手に、横穴古墳への石段の山道があり、山の神を祀る小さな鳥居と社が....その先の斜面にある横穴古墳の撮影を何故か失念した。
 
参道に立つ新しい注連縄が飾られた神明鳥居..石段手前に大きなタブノキが聳える

狭い境内の正面に建つ社殿
 
瓦を葺いた入母屋造桟瓦葺の拝殿

社殿の全景
 
拝殿向拝の紅梁の上の彫り物と木鼻が素晴らしい
 
拝殿の近景

本殿大棟に外削ぎの千木と5本の堅魚木が見える
  
境内から横穴古墳への山道に鎮座する山ノ神の社..小さな鳥居に「山神」の額が掛る

神明鳥居に飾られた立派な注連縄
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五霊神社 (逗子)

2013年05月22日 | 寺社巡り-神奈川

【神奈川・逗子市】創建年代は明らかでないが、源頼朝の父義朝公が沼間の邸宅の鎮守として勧請したものと伝えられるので、八百余年前であろうか?
五霊神社には、天岩屋戸伝説に出てくる天手力男命が1柱の祭神として祀られている。 境内には推定樹齢600年といわれる樹高25mのイチョウ(神奈川県の天然記念物)が聳える。

八幡鳥居(と見られる)をくぐって石段を上ると、両側に鎮座する阿形吽形の霊獣の狛犬が迎えてくれた。
右手に簡素な手水舎があり、左手の境内参道奥に小さな社殿が建つ。 神社には珍しく瓦を葺いた入母屋造りの社殿だ。
午前の早い時間に訪問したので、境内に聳えるイチョウの古木が朝陽を浴びていて、葉の緑が鮮やかに輝いていた。

八幡鳥居(と思う)が立つ神社への石段

石段を上ると阿吽形の霊獣の狛犬が鎮座

吽形狛犬越しに眺めた社殿
 
神々しい雰囲気を醸し出している境内/大きな石燈籠を従えて建つ社殿
 
左手は樹高25mの「五霊神社の大イチョウ」..推定樹齢600年の古木

珍しく瓦を葺いた入母屋造桟瓦葺の社殿の拝殿
 
拝殿..向拝の紅梁の上の彫り物と木鼻がなかなか見事だ

社殿の全景..後方に小さな本殿が連なる
 
社殿の左下に建つ建物は神輿庫だろうか?

簡素な造りの手水舎
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車折神社 (京都)

2013年05月17日 | 寺社巡り-京都

【京都・右京区】平安時代後期の文治六年(1190)頃の建立で、高倉天皇に仕えた漢学者・儒学者であった明経博士・清原頼業を祀る。 社名「車折」の由来は、後嵯峨天皇が乗った牛車がこの社前を通ろうとした時、突然、車の轅が折れて牛が動かなくなったことから車折神社と呼ばれるようになったといわれる。
境内社として大国主神社、弁天神社、芸能神社(天宇受売命を祀る)があり、芸能神社は芸事の神様として有名であり芸能人の信仰が厚い。

嵐電の車折神社駅を降り直ぐの鳥居をくぐり、鬱蒼と木々が茂る裏参道を進んで車折神社に向かった。
社殿近くに達つ珍しい形の手水舎で清めて、社殿のある境内に....ちょうど、社殿の吊り燈籠の付け替え作業が行われていて少し騒々しく、神々しい雰囲気が感じられなかった。
幾つかの境内社があるが、中でも芸能神社は、お社の柱や壁にびっしりと張られた千社札がひときは目立っていた。
 
裏参道の入り口..明神鳥居と霊獣の狛犬が鎮座

鬱蒼と木々が茂る裏参道

社殿がある境内への入口に立つ明神鳥居..右手に「清めの社」がある
 
珍しい造りの手水舎

車折神社の表参道

表参道の途中の小さな門

社殿の境内に入る鳥居と門

社殿前の壁は「照壁」か?
 
社殿の拝殿..ちょうど吊り燈籠の付け替えが行われていた
 
拝殿の左側(西側)..右奥が本殿,その先に八百萬神社/「車折大神」の額が掛る本殿

大国神社

有名?な芸能神社

芸能神社..お社の柱や壁に千社札がびっしり
 
社殿の奥にひっそりと鎮座する八百萬神社/祖霊社
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事故現場に遭遇....!

2013年05月11日 | 何気ない風景-海外編

【中国・福建省・福州市】買い物の途中、4重衝突直後の事故現場に遭遇....なんと頑丈なはずのベンツの前部が大破していた。 というのも、衝突した他の3台の車の破損は僅かで、べンツだけがそれこそバラバラに壊れた感じだ。 衝突時の衝撃を吸収するよう、壊れやすいバンパーに設計されているのかもしれない....が、それにしても凄い破損の仕方だ。
 
どのように衝突したか定かでないが...ベンツ車の壊れ方がひどく尋常でない?
  
パトカー近くの日本車にも傷があり、事故に巻き込まれたようだ!

ベンツの近くにも1台、車体の一部が破損している車が....   
     
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木嶋坐天照御魂神社 (京都)

2013年05月09日 | 寺社巡り-京都
              
【京都・右京区】飛鳥時代の大宝元年(701)に書かれた「続日本紀」に神社名が載っていることから、大宝元年以前に建立された古社。
通称「木嶋神社」あるいは本殿東側に織物の祖神を祀る蚕養神社があることから「蚕の社」と呼ばれる延喜式内社で、天御中主命・大国魂神・穂々出見命・鵜茅葺不合命を祀っている。
本殿西側に「元糺の池」という神池があり、池の中に、天保二年(1831)再興の京都三鳥居の一つとされる珍しい石製の「三柱鳥居」が立つ。

車道を跨ぐ大きな明神鳥居をくぐって進むと、道路に面して注連縄を飾った神明鳥居があり、鬱蒼と生い茂る木々の奥に舞殿と社殿が重なって見える。
境内に足を踏み入れると、少しひんやりとした感触があり、社殿を取囲むように巨樹が繁茂していて神聖な雰囲気が漂う。
参拝を早々に終え、本殿西側の木立の中にある神池に....枯渇した池の奥にお目当ての「三柱鳥居」が。
「三柱鳥居」は京都の三つの珍鳥居の一つらしいが、確かに三つの石製鳥居を三角形に組み合わせた構造で、初めて目にする珍しい鳥居だ。
 
参道に立つ第一の明神鳥居(「蚕養神社」の神額が掛る)と蚕養神社の大きな石燈籠

境内入口の立つ第二の鳥居(神明鳥居)

鬱蒼と生い茂る木々の奥に舞殿と社殿が重なって見える

舞殿

舞殿越しに眺めた社殿

左の神明鳥居は神池「元糺の池」への入口

社殿の拝殿

拝殿後方に本殿..その右側に蚕養神社(東本殿)がある

本殿左側に八社を祀る合祀殿が鎮座
 
境内西南隅に稲荷社4祠(稲荷神社・三国稲荷神社・白清神社・白徳神社)が祀られている

末社

末社

狐の狛犬が守る宇賀御魂神を祀る白清神社への入口

神池「元糺の池」に鎮座する三柱鳥居..天保2年(1831)再興
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大豊神社 (京都)

2013年05月05日 | 寺社巡り-京都

【京都・左京区】平安時代の仁和三年(887)、宇多天皇の病気平癒のため尚侍藤原淑子が勅命を奉じ、勅願所として少彦名命を東の椿ヶ峰山中に奉祀して創建。
平安時代の寛仁年間(1017~1021)に現在地に遷座され、大豊大明神を賜って大豊神社とされたが、南北朝時代の建武の乱や室町時代の応仁の乱(1467~1477)などで荒廃。 その後、本殿・末社・拝殿・絵馬堂が再建され、土産神として信仰を集めている。 祭神は、主神が少彦名命で、応神天皇・菅原道真を祀っている。
狛犬が有名で、末社の大国社に狛鼠、日吉社と愛宕社の前には狛猿と狛鳶がそれぞれの神の使いとして鎮座している。

哲学の道の脇に架かる大豊橋を渡って大豊神社へ続く参道を進む....舞殿があり、その先の石段の上の緑の木立の中に神明鳥居と社殿が見える。
質素な社殿に参拝した後、直ぐに、有名な狛鼠が鎮座する末社の大国社に向かう。
小さな大国社の前で水玉と巻物を抱えたかわいい狛鼠に会った....ちゃんと阿形と吽形の像になっているのが面白い。 そして、日吉社の前には狛猿、愛宕社の前には狛鳶がぞれぞれ愛らしく鎮座しているのもユーモラスだ。

大豊神社への参道の入り口(手前は哲学の道沿いにある大豊橋)

舞殿がある境内

入母屋造瓦葺の簡素な舞殿
 
舞殿越しに眺める石段の上の鳥居と緑の木立の中に建つ社殿

本殿..少彦名命、菅原道真公、応神天皇を合祀している

鬱蒼と茂る木々に囲まれた社殿..神聖な雰囲気を醸し出している

社殿の右側の大国主命を祀る大国社への鳥居

大国社と美田稲荷への石段
 
狛鼠が鎮座する大国社..縁結び・子授け・安産の神様で女性に人気の神社
   
珍しい狛鼠..抱えているのは左が豊穣・薬効を表す水玉(酒器)、右が学問を示す巻物
 
災難除の神を祀る日吉社(右)と火難除の神を祀る愛宕社(左)..狛猿(右)と狛鳶(左)
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熊野若王子神社 (京都)

2013年05月03日 | 寺社巡り-京都

【京都・左京区】平安時代の永暦元年(1160)、後白河法皇が熊野権現を禅林寺(永観堂)の守護神として勧請したのが始まり。
室町幕府及び武家の信仰を集め、また、春は桜の秋は紅葉の名所としても知られ、室町時代の寛正六年(1465)三月、足利義政により花見の宴が催された。 応仁の乱(1467~1677)で荒廃したが、豊臣秀吉により再興され社殿や境内が整備された。
哲学の道の南の起点の若王子橋の直ぐ傍に鎮座する神社で、裏山には同志社大学の創立者・新島襄の墓がある。

ご神木の椰(なぎ)が立つ神社の入り口の前から眺めると、緑の木立の中にかすかに鳥居が見える。 参道に架かる石のアーチ橋を進み、ひっそりと立つ鳥居をくぐって静かな佇まいの境内に入る。
たくさんの白い提灯が吊り下げられた社殿が建ち、その左手に恵比寿神を祀る夷川恵比須社が鎮座。 拝殿の正面には若王寺橋が架かる参道があるが....何故か鳥居がない。

神社入り口..右手に御神木の「椰(なぎ)の木」が立つ
 
明神鳥居前の石造りの緩やかなアーチ橋

静寂が漂う神社境内..社殿と夷川恵比須社(左)、奥は社務所

このような形での神社名の表記は珍しいかも?

入母屋造りの社殿(拝殿)..屋根の反りが美しい

社殿前右側の阿形の霊獣の狛犬

恵比寿神を祀る夷川恵比須社(恵比寿殿?)

鳥居の脇に立つ古びた手水舎

社殿(拝殿)の正面の神社入り口に架かる若王子橋
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伏見稲荷大社-(2) (京都)

2013年05月01日 | 寺社巡り-京都

【京都・伏見区】2011年に御鎮座1300年を迎えた伏見稲荷大社は、稲荷山(海抜233m)を神域・境内として山の西麓に本殿があり、現在は神社本庁に属さない単立神社。
伏見稲荷大社は、全国各地に祀られている約3万社ある稲荷神社の総本社で、稲荷神社の多くは伏見稲荷大社から勧請された。 稲荷神は元来農耕神であるが、いまでは五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、諸願成就など幅広いご利益があるとされ、全国津々浦々で信仰されている。

流造檜皮葺の本殿を眺めながら千本鳥居へ向かう。
鳥居をくぐって石段を登ると「権殿」と「神馬舎」が....そこを右に折れて更に石段を登ると「奥宮」があり、その先に有名な「千本鳥居」が....。 立ち並ぶ大きな朱塗りの明神鳥居の中を進む....鳥居の間から木漏れ日のように陽が射し込んでいる。
暫く進むと、二手に分かれた背丈より1mほど高い明神鳥居のトンネルが....千本鳥居の幻想的な朱色の空間を抜けると「奥社奉拝所」の境内にでる。 「奥社奉拝所」の右奥に一対の石灯籠があり、石燈籠の空輪は「おもかる石」と呼ばれている不思議な石とのことで、ちょうど一人の女性が願い事を念じて試していた。 「奥社奉拝所」から更に鳥居のトンネルをくぐって稲荷山御神蹟の巡拝に向かって少し参道を進んだが、「お山めぐり」は4kmの距離があり、2時間掛るとのことで諦めた。

千本鳥居への参道の石段

権殿と神馬舎(右側の黒っぽい建物)
 
奥宮と白狐社(左)                           奥宮の右手にある千本鳥居

千本鳥居の入り口
  
大きな鮮やかな朱塗りの明神鳥居が続く/鳥居の間から木漏れ日のように陽が射し込んでいる/鳥居の途中に佇む石燈籠
 
大きな鳥居群を抜けると..そこから2つに分かれている千本鳥居群

千本鳥居の幻想的な朱色の空間が続く

鳥居のトンネルを抜けると奥社奉拝所がある
 
奥社奉拝所..社殿は寛政6年(1794)の建立
 
石燈籠の空輪は「おもかる石」と言われ、持ち上げて軽く感じると願い事が叶う
 
奥社奉拝所の後ろの社
 
奥社奉拝所から稲荷山御神蹟の巡拝に向かう参道に鳥居が続く

参道途中に架かる十石橋
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