【神奈川・逗子市】奈良時代の天平年中(729~749)、行基菩薩が自作の延命地蔵菩薩像を本尊として安置したことが延命寺の始まりとされる。 平安時代に入り、弘法大師(空海)が巡錫の折にこの地に立寄り、延命地蔵尊を安置する厨子を設けたと伝わる。 鎌倉時代には三浦氏の祈願寺として栄え、室町時代には北条氏の帰依を得て天文二十年(1551)、僧朝賢によって中興された。
本堂には、本尊の大日如来像と共に亀岡八幡宮のご神体だった「阿弥陀三尊」も祀られている。
弘法大師が厨子を設けて以来、延命地蔵尊は住民尊信の的となり、また、いつしかこの地一帯が「厨子」と呼ばれ、近年になって「逗子」という字が使われるようになった。
門前の塀際に「逗子の地名発祥の寺」の碑があり、訪問してここが「逗子」の地名の発祥のお寺であることを知った。 境内参道の正面奥に「逗子大師」の扁額が掛る二層造りの堂々たる本殿が建つ。
境内に入って直ぐ右手に、今から500年前にこの寺で自刃した「三浦道香主従の墓」の案内板があり、塀際に少し風化が進んだ数基の宝篋印塔が佇み、供えられた黄色の菊の花が眩しかった。
寺前の道路から眺めた境内
門前の弘法大師供養塔/門前の「逗子の地名発祥の寺」の碑/石燈籠越しに眺めた本堂
本堂と会館(左)..手前左手は幼稚園になっている
右手に三浦道香主従の墓、逗子弁財天、鐘楼が並ぶ
三浦道香主従の墓..永正19年(1513)、北条早雲に敗れた三浦道寸の弟道香が延命寺で自刃
朱塗りが鮮やかな鐘楼
本堂..昭和52年(1977)再建..本尊は大日如来像 「逗子大師」の扁額が掛る
本堂には亀岡八幡宮のご神体だった「阿弥陀三尊」も祀られている
本堂の前に佇む「修行大師御尊像」
会館
本堂回廊の下に置かれた梵鐘