
【神奈川・横須賀市】久里浜から西浦賀方面に戻り、東浦賀の北側に広がる鴨居に向かった。 鴨居港や多々良浜に面した地域そして我が国最初の洋式灯台「観音崎灯台」がある鴨居地区では、寺社境内や路傍などに佇む庚申塔を巡った。 鴨居の庚申塔は、掲載する写真の枚数が多いので、2回に分けて投稿する。 最初は、鴨居港に面して建つ寺社の境内や路傍に佇む庚申塔。
■脇方の路傍■

鴨居港に面した脇方の山間へ続く小道の崖裾に、4基の庚申塔がコンクリート台の上に鎮座している。 庚申塔にはぞれぞれ背高泡立草が供えられていた。 宝暦十一年造立の庚申塔では、青面金剛に踏まれている邪鬼が胡坐をかき、牙を出し、両膝に腕を立てて踏ん張っている姿が面白い。

背高泡立草が供えられた駒型1基と笠付型3基の庚申塔


明治七年(1874)造立の駒型青面金剛文字庚申塔(3猿)


宝暦十一年(1761)造立の笠付型青面金剛庚申塔(1鬼、3猿)


安政十年(1798)造立の青面金剛庚申塔(1鬼、2猿)


宝暦十二年(1762)造立の青面金剛庚申塔(1鬼、2猿)

宝暦十一年庚申塔の邪鬼と三猿..両肘を立て牙を出して踏ん張る邪鬼

宝暦十二年庚申塔の邪鬼と三猿..三猿が比較的くっきりと浮き彫りされている
■満能寺■

満能寺は室町時代明応六年(1497)の創建。 脇方から住宅地を進むと満能寺への参道があり、参道脇のコンクリート壁を背にして、1基の笠付型青面金剛庚申塔がポツンと立っている。 庚申塔には榊と菊などの花が供えられ、正面から陽が燦々とふりそそいでいた。 境内の薬師堂の脇に立つ「木食観正」と刻まれた珍しい石塔をみつけた....満能寺を訪れた僧・観正が米食を絶ち、木食にて修行したのだろう。


安永二年(1773)造立の笠付型青面金剛庚申塔(1鬼、3猿)


「木食観正」と刻まれた珍しい石塔(文政三年(1820)造立)..僧・観正がこの地で木食修行したのだろう..上部月輪に種子かな/二段基礎の反花上基礎の段級上に高欄を設けた見事な宝篋印塔(造立年号失念)..塔身の月輪内に四方仏の種子が刻
■西徳寺■

西徳寺は室町時代永禄三年(1560)の創建で、鎌倉光明寺の末寺。 鴨居港に面した鴨居八幡神社の近くにあり、石段を上った直ぐのところに7基の石塔が並んでいる。 その内の本堂側2基が庚申塔で、一基は自然石を平らに削って「青面金剛」と刻まれた文字庚申塔。

7基の石塔の内、右側2基が庚申塔..左側は供養塔2基と六字名号塔


右側(本堂側)の2基の庚申塔/文政六年(1823)造立の自然石の青面金剛文字塔


宝暦十四年(1764)造立の笠付型青面金剛庚申塔(1鬼、3猿)
■亀崎権現社■

亀崎権現社は江戸時代元禄元年(1688)の創建だが、鴨居八幡神社に合祀されいまは無格社。 岩窟にすっぽり納まった社殿の左脇の崖の土壁に埋もれるように2基の庚申塔がある。 右側の青面金剛は、合掌する女性の髪の毛を左手でつかんでぶら下げている。

土に埋もれるように2基の庚申塔が佇む


享保六年(1721)造立の板状型青面金剛庚申塔(1鬼)..猿が確認できない、左手で合掌する女性の髪の毛をつかんでぶら下げている


造立年号不明の板状型の青面金剛庚申塔(3猿)..風化しているが足下に邪鬼が彫られているような気がする

享保六年庚申塔の邪鬼..土中に埋もれているが邪鬼の下に3猿が彫られている思う