何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

慈眼院-(2) (泉佐野)

2019年01月27日 | 寺社巡り-大阪

【大阪・泉佐野市】慈眼院が位置する日根荘(日根野荘)は、五摂家の一つの九条家の家領荘園で、室町時代文亀元年(1501)から4年間、文明十一年(1514)に関白を辞した九条政基が和泉日根野荘に下向して荘園の経営にあたった。
安土桃山時代の天正十三年(1585)、豊臣秀吉の兵火に遭い、金堂と多宝塔を除いて焼失したが、江戸時代の慶長七年(1602)、秀吉の次男豊臣秀頼の命により再興された。 江戸時代の寛文年間(1661~1673)、岸和田藩藩主岡部氏の帰依を得て一山の大営繕が行われ、寛文五年(1665)、京都仁和寺の性承門跡から現在の院号「慈眼院」を賜り、仁和寺の末寺となり現在に至る。
慈眼院に隣接する日根神社の旧神宮寺だった。 日根神社は平安時代編纂の延喜式に記されている式内社。

金堂から苔の中に敷かれた踏石を進み、境内の奥に寂然と建つ多宝塔に向かう。 多宝塔に近づくにつれて清浄な空気が感じられ、小振りな塔だが優美な佇まいを見せている。 約750年前の鎌倉時代に建てられた慈眼院多宝塔は、我が国最小の塔で、石山寺多宝塔および高野山金剛三昧院多宝塔に次いで古く、また、これら三つの多宝塔は「日本三名塔」と称されているようだ。 少し気になったのが長い縁束で、基壇から床までの高さがありすぎのようで不安定さを感じた。
多宝塔の後方に弘法大師、如来、菩薩などの石仏がたくさん鎮座....まるで多宝塔を見守っているかのようで印象に残った。
慈眼院に隣接して日根神社という古社(慈眼院は日根神社の旧神宮寺)があり、多宝塔境内から少しだけ朱塗りの社殿が見える。 日根神社を拝観したかったが、次の訪問先への移動の関係で時間がなく、仕方なく駅に向かうバスに乗った。

金堂前から眺めた多宝塔

苔に覆われたこじんまりとした境内に建つ多宝塔....日本の多宝塔の三名塔の一つとされる(他の二つは近江石山寺と高野山金剛三昧院の多宝塔

檜皮葺の多宝塔(国宝)....鎌倉時代文永八年(1271)の再建で、塔内に智拳印を結ぶ本尊金剛界大日如来像を安置
 
高さ10.8mの慈眼院多宝塔は、木造多宝塔で国宝・重文に指定されている中で最小の塔/三間四方で中央間に板唐戸、脇間に連子窓、周囲に切目縁

上層の軒廻りは二軒繁垂木、組物は三手目と四手目が尾垂木の四手先、軒先の四隅に風鐸が下がる
 
裳腰の下層は二軒繁垂木、組物は二手先で中備は中央間のみに脚間に彫刻を施した本蟇股、軒天井と蛇腹の軒支輪がある

壊れかけた向唐破風の社と崩れかけた乱積基壇の上に並べられた舟光背型石仏....石仏は道標のようだ....後方は隣接するのは日根神社

多宝塔を見守るように後方に鎮座する石仏群

五鈷杵を持つ弘法大師と開蓮を持つ十一面観音の石仏像
 
錫杖と宝珠を持つ地蔵菩薩坐像の石仏/石仏は右から弘法大師像、九品印の阿弥陀如来坐像で左は尊名は分からず

頂上に十一面をいただく千手千眼観世音菩薩(大悲観音とも呼ばれる)の石仏

境内奥に鎮座する巨石群....慈眼院境内は「日根荘遺跡」として国史蹟に指定されているが、それに関連する史跡なのかな?

多宝塔がある境内の奥の石柵で囲まれた遺跡....奥の角柱形の石の正面に文字が刻まれているが....
 
角柱形の石の側面にも文字が刻....石柵の中に「弘法大師千百年御忌記念」の石碑が立つので弘法大師に関係する遺跡移籍かな?/遺跡がある木立の中から眺めた多宝塔、手前に飾手水鉢

苔に覆われた境内に寂然と建つ国宝の多宝塔と国重文の金堂
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慈眼院-(1) (泉佐野)

2019年01月24日 | 寺社巡り-大阪

【大阪・泉佐野市】寺伝によれば、白鳳時代の天武天皇二年(673)、天武天皇(第40代)の勅願寺として覚豪阿闍梨により創建された泉州の最古刹。 奈良時代天平年間に寺領1千石が加えられ、奈良東大寺を建立した聖武天皇(第45代)の勅願所となった。
平安時代の弘仁六年(815)、この地に留錫した弘法大師空海が多宝塔、金堂を造営し、一山を整備して再興した。 南北朝時代の正平八年(1353)、南北朝の戦火に遭って焼失したが、その後、後村上天皇(第97代)とその皇子の後亀山天皇(第99代・南朝最後の天皇)の勅命により再興された。
宗旨は古義真言宗(真言宗御室派)で、本尊は薬師如来坐像。 仏塔古寺十八尊霊場第12番札所。

約1週間前にメールで予約して訪問した。 バスを降りると道を挟んだ向かい側に慈眼院があり、白壁の築地塀で囲まれた堂宇境内の門前に、まるで境内から弾き出されたように鐘楼が建っている。
築地塀の中に設けられた通用門をくぐると、苔に覆われた前庭が広がる。 手入れが行き届いた庭には、種類の異なる植栽がほどよく配され、真ん中を澄んだ水の小川が流れていて趣がある。
お寺の方に案内されて、金堂と多宝塔が建つ境内への門に....門を開けて「ご自由にどうぞ」と言われて門をくぐろうとしたが、鮮やかな苔に覆われた庫裡の後庭が目に入ったので、まずは、緑の絨毯を敷き詰めたような後庭を観賞させていただいた。
門をくぐり、静謐な空気が満ちている多宝塔の境内に....後庭と同じように一面が苔に覆われ、踏石の参道が多宝塔まで続いている。 苔を踏まないよう注意して進み、まずは手前の金堂から撮影を始めた。 鎌倉中期の建立で、小棟造りの大棟に鯱を乗せた金堂は、簡素な造りだが端正で風格を漂わせている。
金堂の直ぐ右隣に、崩れかけた野面積の基壇(石壇)があり、真ん中に「多寶塔旧蹟」と刻まれた石碑がひっそりと立つ。 多宝塔は、明治時代にこの場所から十数メートルほど離れた現在地に移築されたそうだが、何故か、その理由は明らかでないそうで不思議だ。

門前の風景....堂宇境内を囲む白い築地塀(3本筋の筋塀)に通用門と門柱があり、門前に鐘楼が建つ

門柱脇に鎮座する修行大師像と門前に建つ鐘楼
 
関係者を迎える修行大師像/切妻造本瓦葺の鐘楼....近年の建築だがしっかりと建てられている感じだ

入母屋造亜鉛鉄板葺の本堂
 
本堂は鉄筋コンクリート製(と思う)....古建築風で和様式に建てられている/両折両開の板唐戸、脇間に連子窓、菱格子欄間を設けている
 
白壁の築地塀に設けられた切妻造本瓦葺の通用門(棟門のようだが)/庫裡・本堂前の苔に覆われた前庭....樫井川から引き込まれた泉川(用水路)が境内を横切っている

手入れが行き届いた庭には植栽が配されていて趣がある
 
前庭に佇む雪見燈籠        本堂左隣に連なる入母屋造桟瓦葺の客殿と庫裡

庫裡横の多宝塔・金堂境内への参道から眺めた庫裡の後庭と生垣の中に建つ金堂
 
庫裡と客殿の後庭の苔に覆われた美しい庭/客殿から後庭に降り、後庭から多宝塔境内に直接入る専用門がある

苔に覆われた後庭の奥の生垣に2つの門があり、中に金堂と多宝塔が建つ....右手の門は客殿から後庭を通って直接多宝塔境内に入る門

金堂・多宝塔がある境内への簡素な切妻造銅板葺の門

切妻造本瓦葺の金堂(国重文)....鎌倉時代文永八年(1271)建立とされ、本尊薬師如来を安置、また「杮経(笹塔婆)」が保管されている

苔生した境内に建つ小棟造りの金堂....別名「毘沙門堂」又は「一願薬師堂」とも呼ばれる

金堂は方三間、正面は中央間に連子入り桟唐戸、両脇間に連子窓、側面は中央間に桟唐戸、片側脇間のみに連子窓

周囲に切目縁を巡らす....向拝の水引虹梁の中央に何も配していない、向拝柱は面取り角柱
 
小棟造り屋根の大棟両端に乗る鯱/扁額が掲げられる位置にあるものは何かな?

軒廻りは二軒繁垂木、組物は出三斗で中備は中央間に間斗束、脇間は白壁の小壁

金堂右手に多宝塔が建っていたことを示す遺構の野面積の基壇(石壇)がある
 
野面積の基壇上に「多寶塔旧蹟」の碑が立つ....碑の傍には宝形造屋根に乗せる露盤宝珠が置かれている

金堂の後方から眺めた多宝塔
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