何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

随心寺-(2) (京都)

2013年11月03日 | 寺社巡り-京都

【京都・山科区】安土桃山時代の慶長四年(1599)、九条家出身の第24世増孝の時に本堂が再建、以降、九条と二条の両宮家から門跡が入山し、寺領も530石まで増やされて復興した。
随心院が建つこの地一帯は小野一族が勢力を誇った所で、境内は六歌仙の一人・小野小町が晩年移り住んだ旧跡と伝える。
容姿端麗で美人で和歌に優れた才能を発揮した小野小町(本名・小野比右姫)は、平安時代初期に仁明朝に出仕したが、仁明天皇崩御後、小野の地に引き籠もって余生を送った。

本堂の広縁に腰をおろし、暫しの間、苔の庭と心字池を眺めた。 苔の庭は一面が黄色と茶色のまだら模様で少し寂しかったが、梅雨の時期の苔の緑が最も濃くまるで緑の絨毯を敷いたように美しいらしい。
本堂を拝観した後、門前の小野梅園を散策したが、2月下旬で梅の花はまだ小さな蕾だったか....調べたら、3月上旬に開花し中旬が見頃とのこと。
薬医門への参道の脇に小町が朝夕の化粧に使った井戸・「小野小町化粧井戸」があるが、平安時代初期の絶世の美女といわれる小野小町が毎日使った井戸にいま自分が佇んでいる....何だか不思議な気がした。

表書院と「能の間」(右手)..「能の間」は 九条家の寄進で宝暦年間(1753-1764)建立

本堂向拝から眺めた苔の庭..右手は「能の間」、右奥は「表書院」
 
庭園の心字池..何段かの小さな滝から清水が心字池に落ちる
 
鐘楼

薬医門から眺めた表玄関と表書院

表玄関と表書院は寛永年間(1624-1644)に九条家出身の天真院尼が寄進
 
表玄関から眺めた薬医門                     確か庭園に佇む十三重石塔

薬医門..寛永年間(1624-1644)に九条家出身の天真院尼が寄進

薬医門への参道..左手に「小野梅園」、右手に「小野小町化粧井戸」がある

「小野梅園」..見頃には少し早い時期だった

小野小町化粧井戸..小町は朝夕この水で化粧をしたと伝える
 
化粧井戸の付近は小野小町の屋敷があった跡
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随心寺-(1) (京都)

2013年11月01日 | 寺社巡り-京都

【京都・山科区】平安時代の正暦二年(991)、真言宗小野流の祖・仁海僧正が一条天皇から小野の地を賜って牛皮山曼陀羅寺と号した寺を建立したのが起源。 その後、第五世増俊阿闍梨の時に、曼荼羅寺の子房として隨心院を建立、更に寛喜元年(1229)から門跡寺院となり朝廷の祈願所として栄えた。
七堂伽藍を備え壮美を誇っていたが、鎌倉時代の承久の乱(1221年)と室町時代の応仁の乱(1467~1477年)の兵火で相次いで堂宇を焼失。

総門をくぐると右手に梅園があり、長い築地塀に沿った参道を進むと右手に堂宇が建つ境内への表門が....。 表門から堂宇境内に入ると庫裡と表玄関のある表書院が見える。
庫裡の入口前には小野小町の歌碑があり、歌碑は秀でた歌人で絶世の美女として名高い「小野小町」ゆかりのお寺であることを思い起こさせる。
庫裡から表書院へ、そして、能の間の縁を通って本堂に向かう....本堂は約400年前に再建された寝殿造りで、幽雅な佇まいだ。 本堂前には苔の庭が広がり、庭の奥には十字の形をした小さな「心字池」が....本堂の縁に座った老夫婦が、長い時間、「心字池」を眺めていた。

総門..宝暦三年(1753)二条家より移築

左側に築地塀が続く境内の参道

堂宇境内への表門
 
表門近くから眺めた庫裡と大玄関のある表書院(右)/庫裡..宝暦三年(1753)二条家より移築

庫裡の前に立つ小野小町の歌碑

庫裡は二条家の政所御殿だった

庫裡から表書院に向かう廊下から眺めた庫裡の屋根

確か表書院から能の間への通路に下がる駕寵
 
苔の庭越しに眺めた本堂..安土桃山~江戸時代の慶長年間(1596-1615)の再興時の建物
 
寄棟造桟瓦葺の幽雅な本堂

優美な本堂は桃山期の建築様式を持つ寝殿造り
 
本堂には本尊の如意輪観音菩薩坐像(鎌倉期)、他に阿弥陀如来坐像,薬師如来坐像等を安置
 
本堂の縁に座った老夫婦が長い時間「心字池」を眺めていた
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