何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

宝生院 (東京)

2013年07月28日 | 寺社巡り-東京

【東京・葛飾区】江戸時代寛永元年(1624)、常陸国大聖寺末宝性院として江戸京橋付近に創建され、下谷の谷中に転じた後、承応&明暦年間(1652~1658)に池之端芽町(台東区)に移転したと伝わる。
大正十ニ年九月の関東大震災で罹災し、昭和二年十二月に現在地に移転し、柴又七福神のひとつとして江戸時代から信仰を集めた大黒天を祀る。 真言宗で、本尊の大黒天像は鎌倉時代の作とされ、別名「出世大黒天」といわれている。

北総鉄道新柴又駅から3分ほど歩くと、門前の「出世大黒天」「柴又七福神」「甲子大祭」の立て看板が目に飛び込んできた。
簡素な境内の正面奥には、少し西に傾きかけた太陽を背に受け、大棟部が少し変わった造りの入母屋造桟瓦葺の本堂が建つ。 本堂正面はガラス戸になっていて、内に柴又七福神のひとつの大黒天が本尊として祀られているが、仏心を感じる佇まいではなく、ご利益を求めるだけの世俗的な雰囲気が漂っていた。

門前の「出世大黒天」「柴又七福神」「甲子大祭」の立て看板...正面奥に本堂!

石燈籠越しに眺めた本堂..左手に手水舎

本堂前で「柴又七福神」と「大黒天」の赤い幟が風にたなびく
  
                   「弘法大師」と刻まれた石碑と境内に佇む石燈籠

入母屋造桟瓦葺の本堂..大棟部分が少し変わった造り?

簡素な手水舎、右のお堂は地蔵堂か?

本堂に連なる右隣りは客殿か?
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サギ草の花が咲いた....!

2013年07月22日 | ひとり言

【自宅】7月3日、家内の要望で少し遠い郊外の花屋さんに車で出かけ、そこで、サギ草を見つけ2鉢を購入。
数年前、本で世田谷区にある某寺院の本堂脇に「サギ草園」があることを知って以来、ずっと探し求めていたが、街中の花屋さんやホームセンターの園芸コーナーにはなかった。
育て始めてから19日目の今朝、ついに、一輪だけれど可憐な花が咲いた。 小さな白い花のその姿は、まさに大空を羽ばたく白鷺のようで、かわいくて美しく....眺めていて飽きがこない。
朝起きてまずサギ草を観賞するのが日課になっているが、蕾がいっぱいあるので、これから暫くの間、可憐な花を楽しめそうだ。
     
     まさに羽を広げて大空を飛ぶ白鷺のようで美しい!
              
               可憐な白い花はかわいくて、眺めていて飽きない
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崇福寺 (東京)

2013年07月20日 | 寺社巡り-東京

【東京・葛飾区】安土桃山時代末期の慶長五年(1600)香山泰厳和尚が浜町付近に祟福庵を結んでいたが、江戸時代の慶長十八年(1613)、前橋城主酒井雅楽頭忠世が帰依して堂舎を建立し、総寧寺十七世骨山恕徹和尚を勧請・開山として祟福寺を創建。
明暦三年(1657)の大火により焼失したが、浅草松清町(台東区)に千三百坪の土地を拝領して移転して本堂を再建、その後、酒井家の江戸の菩提寺として栄えた。 大正十ニ年九月の関東大震火災で罹災、昭和三年六月に現在地に移転し、五年後の昭和八年に本堂、山門、鐘楼等を再建。

住宅街の一角にぐるりと低い塀で囲まれたお寺で、小さな交差点に向かって袖塀を持つ切妻造瓦葺の堂々たる山門が建つ。
山門をくぐって境内に....手入れが行き届いて気持ちがいいのだが、緑の木々が少なくて何となく落ち着かなかった。 また、本堂前の参道に何故か門扉が設けられ、鍵が掛けられていて本堂の向拝で参拝できなかったのは残念だった。

切妻造瓦葺の堂々たる山門
 
門前に佇む「馬頭観世音」     山門から眺めた本堂

山門から眺めた境内..手入れが行き届いている

本堂前の参道に門扉があるのは珍しい..向拝で参拝できないのは残念!
  
庭園内に立つ多層塔(十三重塔)       庭園内に立つ古そうな多層塔(五重塔)

石燈籠越しに眺めた本堂と庫裏

入母屋造瓦葺の本堂

本堂の窓..これも花頭窓の一種だろうか?
 
鐘楼

鐘楼と多層塔越しに眺めた本堂
  
境内の庭園内にひっそりと佇む石燈籠

本堂と繋がった庫裏
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聞明寺 (東京)

2013年07月15日 | 寺社巡り-東京

【東京・葛飾区】室町時代の天正十五年(1587)、歓喜坊栄源が下総国岡田郡横曽根村(現在の茨城県水海道市)に創建した。 室町時代末期の慶長七年(1602)に江戸桜田本郷の報恩寺内に移転した。
江戸時代寛永七年(1630)火災で類焼して東本願寺(旧通称東京本願寺)内に移った。 江戸後期の安政二年(1855)の大地震や関東大震災で罹災、昭和二年(1927)に現在地に移転した。

山門前は駐車場だと思うが、松の木が1本あるだけでスパッとした空間が広がっていて気持ちがいい。 白い袖塀のある切妻造瓦葺の山門は、屋根下のところどころに金色の装飾が施され風格を感じる。
「神力山」の額が掲げられた山門をくぐって境内に....緑の中を真っ直ぐ伸びる参道の正面奥の本堂があり、松の木と重なる光景は絵的で落ち着いた雰囲気を醸し出している。

山門前の駐車場(かな?)..1本松の木だけが立つスッキリした光景だ

正面に立つ切妻造瓦葺の山門
 
白い袖塀があり金色の装飾が施され風格を感じる/「神力山」の額が掛る山門から境内を眺める

山門から眺めた緑の多い境内..参道奥に建つ本堂
   
まっすぐ伸びる参道/参道脇に聳えるクロマツ..保存樹木とある/風情を感じさせる石燈籠

入母屋造桟瓦葺の本堂

松の木と重なり落ち着いた雰囲気を醸し出す本堂

本堂と連なる右奥は庫裏

質素な構えの本堂
 
本堂の向拝は飾り気が一切なくシンプルだ

庭園のクロマツ越しに眺めた本堂
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理昌院 (東京)

2013年07月13日 | 寺社巡り-東京

【東京・葛飾区】江戸時代初期の慶安元年(1648)、品川天龍寺の三代目住持・斧山和尚が開山となって創建された。 もと浅草吉野町にあったが、大正12年9月の関東大震火災に遭い、昭和2年に現在地に移転した。 曹洞宗の寺院で、本尊は木像阿弥陀如来像。

路を歩いていて見過ごしてしまいそうな佇まいのお寺で、理昌院と刻まれた門柱を見てお寺と分かった。
境内の正面に板造りの袖塀を有した藁葺屋根の質素な門があり、その奥に建物が....。 連なった建物の左手が本堂のようで、向拝がなく、花頭窓がなければ一般の民家と思えてしまいそうな構えだ。
境内の左手に納骨堂のような小さな建物があり、その屋根上に鎮座する法界定印を結んだ阿弥陀如来石像が印象的だった。

門前から眺めた境内
 
境内に立つ藁葺屋根で板造り袖塀を有す質素な中門

石燈籠越しに眺めた庫裏

本堂の入り口
  
中門の傍に佇む「愛染王」と刻まれた石碑/境内の片隅に立つ石燈籠

本堂前面..花頭窓があるのでお寺だとわかる
 
向拝がない本堂はまるで民家のようだ
 
屋根に法界定印を結んだ阿弥陀如来石像が鎮座する納骨堂だろうか/地蔵堂に鎮座する水子地蔵尊

緑が多い明るい中庭
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良観寺 (東京)

2013年07月11日 | 寺社巡り-東京

【東京・葛飾区】創建年代は不詳だが、室町時代の永正六年(1509)五月銘の板碑を所蔵していることから、室町時代後期には念仏堂として存在していたようだ。 江戸時代初期の明暦元年(1655)の棟札に両観寺とあることから、その頃一寺となったようだが、さらに、寛政七年(1795)の本堂再建時の棟札には了観寺とあるから、その後良観寺に改名されたようだ。
本尊は聖観世音菩薩立像だが、江戸時代には「尻手の観音」として知られ、縁日(4月18日)には多くの参拝者で賑わう。 柴又七福神のうちの宝袋尊、江戸川七福神の布袋尊、また南葛八十八ヶ所霊場の52番札所そして新四国八十八ヵ所霊場29番札所である。

京成金町線の踏切の直ぐ傍に建つ山門をくぐって境内に....左手の先に立つ大きな「願掛け宝袋尊像」が目に飛び込んできた。 その宝袋尊立像の傍には、童子に手伝わせて2匹の鼠が乗った大きな袋を引きずる布袋石像が....。
右手には、六地蔵立像の後方に、カラフルな風車に彩られ、赤い帽子を被った小さな「やすらぎ地蔵」が 100体ほど並んでいる。 境内に、宝袋尊の白い幟ややすらぎ地蔵尊の赤い幟がやわらかく風になびいていたのが印象的だった。
 
踏切の近くに立つ山門..観世音の碑があり寶袋尊の幟が風になびく

山門から眺めた境内

入母屋造桟瓦葺の本堂
 
境内に立つ「願掛け寶袋尊像」..良観寺では布袋尊ではなく宝袋尊と呼ぶ
 
                    童子に手傳わせて大きな袋を引きずる布袋石像

六地蔵尊像越しに眺めた本堂

赤い帽子を被り風車に彩られた「やすらぎ地蔵尊」
 
本堂の近景                              「観音殿」の額が掛る

六地蔵像の後ろに百体ほどの「やすらぎ地蔵」が..

「三界萬霊」とある永代供養墓やすらぎの碑..墓上には左手に蓮花を持つ観音像立像
  
左手に童を抱く地蔵菩薩像  半跏座の観音像か?       この像は?
 
大師堂
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真勝院 (東京)

2013年07月06日 | 寺社巡り-東京

【東京・葛飾区】平安時代の大同元年(806)の創建と伝えられる古刹であるが、縁起や開基や開山の名などは不詳。 室町時代の天文七年(1538)や永禄七年(1564)の国府台合戦の兵火で罹災、再建後、江戸時代の享保七年(1722)に焼失したが、宝暦十一年(1761)に住持空眼が本堂・縁側・寝所を再建。
更に、文化十三年(1816)に焼失したが、翌年、住持実成が本堂・庫裡・玄関を再建、その後の安政二年(1855)に震災に遭ったが、明治五年に住持快秀が本堂を再建....現在の本堂は昭和四十七年の建築。

大きな唐破風が特徴の切妻造瓦葺の風格ある山門をくぐって境内へ....。 直ぐ右手に大きな銀杏が聳え、傍らに鐘楼が建ち、参拝者を迎えるように正面を向いてたくさんの石仏や墓石が鎮座。
参道を進んで本堂に向かう....途中の右脇に五仏(五智如来石像)が鎮座、真ん中は宝冠を被り智拳印を結んだ大日如来像、その左は阿弥陀定印を結んでいることから阿弥陀如来像だと分かる。 本堂がある境内に行く....左手に石塔と地蔵堂(だったか?)が並んで佇み、地蔵堂地蔵尊らしき石仏が鎮座していた。
 
唐破風を付した切妻造瓦葺で両脇に一間ほどの白い袖塀を有す山門

寺紋付き扉の山門越しに眺めた境内
 
山門の近くに立つ鐘楼..傍に墓石と石仏群と保存樹木に指定されている銀杏
 
境内参道の正面奥に建つ本堂

参道脇に佇む五智如来石像..万治三年(1660)作

本堂前の明るい境内
 
入母屋造瓦葺の本堂..昭和四十七年建築           石塔越しに眺めた本堂
 
落ち着いた雰囲気の境内                     本堂向拝の近景
 
境内に立つ石碑群と地蔵堂(だったか?)/お堂に鎮座する仏像(地蔵尊像か?)

五智如来石像..金剛界五仏で大日の5つの智恵を五仏に配当
 
五智如来石像..中央が宝冠を被り智拳印の大日如来、その左が阿弥陀定印を結ぶ阿弥陀如来

本堂右奥に庫裏

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ジャカランダの花....!

2013年07月03日 | ひとり言

【神奈川・横須賀市】神奈川歯科大学(横須賀市)の構内にジャカランダの木があるということで、6月後半の晴れた日に出かけ、ジャカランダの花を観賞してきた。
大学の警備室で、ジャカランダの花を観賞させてくださいと告げると、外来者の記入登録もなく、ジャカランダのある位置を丁寧に教えてくれた。 教えて貰った方向に構内を進むと....あった!短期大学部前のロータリー近くにジャカランダの木が....。
昨年6月に福州市内で観賞して以来、久し振りに見る鮮やかな紫色の花....意外に近い所で観賞できて感激した! 訪問時、何組かの老夫婦や年配の女性たちが、やはりジャカランダの花を観賞しに来ていた。
     
     短期大学部前のロータリー近くに咲くジャカランダの花..葉が出る前に咲く花だが意外に葉が多い
              
               鮮やかな紫色の花が美しい
   
 案内板によるとジャカランダは世界三大花木の一つ(他の二つはカエンボク,ホウオウボク)
              
               青空をバックに紫色が映える
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題経寺-(3) (東京)

2013年07月02日 | 寺社巡り-東京

【東京・葛飾区】帝釈堂内陣外壁には「十二支」や「日蓮一代記」など一流の彫刻家による彫刻群が施され、なかでも法華経説話彫刻と呼ばれる10種は、法華経の教えや説話を絵解きのように示され、仏教彫刻の傑作とされる。
本堂後方に入母屋造桟瓦葺の総檜造り平屋建ての細長い大客殿が建ち、その前には造園師・永井楽山翁作による優美な池泉式庭園・邃渓園が広がり、庭園の周りには屋根付きの回廊が巡らされている。

帝釈堂で参拝した後、右手の回廊を進んで「帝釈堂彫刻ギャラリー:大庭園(邃渓園)」のチケットを購入し、ガラス張りの帝釈堂内陣外壁の彫刻群へ....。
回廊階段を上がって内陣の回廊へ....内陣外壁の三面にびっしりと彫刻が施されていて見事だ!
また、内陣下には沢山の龍像が並び、まるで踏ん張って内陣を支えているかのようだ。
彫刻ギャラリーの鑑賞を終え、渡り廊下を進んで大客殿・邃渓園に....。
大客殿のガラス障子の広縁から眺める庭園は、濃い緑が眩しく、優雅で風情が感じられる。
お茶のサービスがあり、お茶を頂きながら周りの喧騒から隔離された静かな庭園の眺めを堪能した。

帝釈堂内殿を支える龍像群

帝釈堂内殿外壁の彫刻群への回廊階段

回廊階段付近の彫刻群

帝釈堂内殿の三面の外壁の彫刻群
 
特に法華経説話彫刻と呼ばれる10種は法華経の教えや説話を絵解きのように示したもの

大客殿と邃渓園への渡り廊下

大客殿と邃渓園への入口

大客殿..昭和4年(1929)の完成、入母屋造桟瓦葺の総檜造平屋建て、ガラス障子の縁を巡らしている
 
頂経の間..床柱には樹齢1500年と伝わる南天の巨木が使われている

大客殿の広縁の正面中央に張り出した所..邃渓園を眺める絶好のポイント
 
広縁から眺めた邃渓園..仏塔が立ち、緑が眩しく趣がある庭園

大客殿の広縁の正面中央に張り出した所から眺めた邃渓園

大客殿の前に広がる優美な邃渓園
 
回廊から眺めた大客殿/仏塔越しに眺めた大客殿

庭園を一周する回廊
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