【京都・左京区】元々は鎌倉時代初期に専修念佛の元祖法然上人が鹿ヶ谷に結んだ草庵で、弟子の安楽・住蓮とともに六時礼賛の念仏を勤めたところで、「建永の法難」により荒廃し廃絶。
江戸時代初期の延宝八年(1680)、浄土宗の忍澂和尚が師の知恩院第38世萬無心阿上人に、宗祖ゆかりの地に念仏道場を建立することを図って創建。
堂内には本尊の阿弥陀如来坐像の他、観音・勢至両菩薩像、法然上人立像、萬無和尚坐像を安置し、本尊前の須弥壇の上には、二十五菩薩を象徴する二十五の生花が散華されているという。
哲学の道を東に入った散策路沿いにある入口の石段を上って鬱蒼とした長い参道を進むと、まるで「日本昔話」に出てくるような苔むした葦葺の山門に着く。
ひっそりと佇む山門をくぐり、白砂壇の間をゆっくり歩いて心身を清め、放生池の周りから散策を始めた。
緑豊かで静寂に包まれている境内....意外にこじんまりしていて大きな堂宇はないものの、鄙びた趣きがある雰囲気に法然上人ゆかりの古刹であることをひしひしと感じた。
とはいえ、何故か、幻想的ともいえる苔むしたかわいい葦葺の山門だけが、記憶にシッカリと残っている。
参道への入口の石段 参道の途中の山麓に立つ供養塔
鬱蒼とした林の中の長い石畳の先にある茅葺の山門
苔生した幻想的な茅葺の山門
山門から眺めた境内
閑寂な雰囲気の中にひっそり立つ山門
白砂壇....水を表わす文様の砂壇の間を通ることより、水で心身を浄めたことになる
講堂....もとは元禄7年(1694)建立の大浴室だった、昭和52年(1977)講堂に改修
木々の中に本堂、庫裏、方丈、書院が建つが良く見えない
本堂拝殿前....こじんまりして落ち着いた佇まい
本堂は瓦葺の仏殿と銅板葺の拝殿からなる
本堂拝殿の大きくてシンプルな向拝 十万霊塔
経蔵....元文2年(1737)建立
経蔵....釈迦如来像・毘沙門天像・韋駄天像を安置、また多数の経典の版木を所蔵
玄関だと思う
庫裏か?
奉造立石塔....下段部に多くの仏像が彫られている
本堂正面の石段上の地蔵菩薩像....元禄3年(1690)、忍澂和尚46歳時の等身大で鋳造安置