
【神奈川・横須賀市】幸保邸を再訪したら、幸運にも、前回の訪問時には閉じていた主屋の一階と二階の雨戸が開いていた。 主屋の外観を撮影していたら、近所の方(男性)から声をかけられ、建物と内部について少し説明してくれた。 そんな中、建物から顔をだされた幸保邸を所有されている幸保様(講師として邸で味噌作りワークショプを主催されている)から「中を見られますか?」との嬉しいお声掛けがあり、まだ正式に公開されていない邸内を隅々まで丁寧に案内してくださった。
◆下屋の屋根が石蔵まで延びていたのでてっきり主屋と石蔵とは繋がっているものと思っていたが、今回の訪問で、独立していることを知った。 両建物の狭い間から入ると、左手に主屋の勝手口、右手に石蔵の入口がある。 まずは勝手口から主屋の店頭である玄関に。 部屋側は全て”上がり”になっていて、勝手口側と奥は板床の上がりで、真ん中に少し広い畳敷の上がり(取次台?)があって、米倉商の店頭らしい佇まいだ。 畳敷きの上がりは店の人が座して接客するところで、先ほどの近所の方によると、畳敷き上がりの直ぐ左手に米と秤が置かれていたとのこと。

△主屋は妻入りで、一階の玄関は4枚引違いのガラス入り腰高格子戸

△主屋二階の高欄付き窓....建具は4枚引違いの腰高明障子


△主屋玄関の下屋の屋根が右手の石蔵まで延びているので、両建物が連なっているように見える....石蔵側の下屋の下に狭い入り口があり、ここから中に入る/入口から見た主屋と石蔵の間の狭い通路....両建物は連なっておらず、左に主屋の勝手口、右に石蔵の入り口がある


△右手の勝手口側には板床の上がりがあり、手前には接客の際に店の人が座る畳敷の上がり(取次台が正しい?)がある/店頭の左手には秤と米が置かれていたとのこと....商品の米が置かれた板床に立てかけられた「浦賀米商組合」の木札
◆主屋の一階は店頭と住居部屋(二間)で構成され、上がりと住居部屋は4枚引き違い腰高格子戸で仕切られている。 店頭から部屋内部が丸見えにならないよう目隠し効果を狙って格子の間隔を狭くしているが、閉塞感は感じられない。 店頭側の8畳間には仏龕があり、小壁に神棚を収納する棚が設けられている。 奥の6畳間の畳の中に”小さな畳”が嵌め込まれているが、冬季に「炉」を設ける所だと思う。 また、6畳間には二階への階段があるが、襖で隠れるように工夫されている。
二階への階段は急で、踏み面が狭く、蹴上が少し高いので、のぼる際に踏み面の角に”向こう脛”を何度もぶつけた。 階段の上の二階に、階段に明かりを取り入れるための腰高明障子窓を部屋内に建て付けている。 二階の間取りは一階と同じで、南面の街路側には手摺を設けた4枚引違いの腰高明障子の窓がある。 また、腰高明障子の腰部がガラス張りになっていて珍しく、興味を引いた。 西側には床の間と襖があり、襖の長押の上に「雪照三千界」の額が掛かっている。 「雪明りがこの世のすべてを照らす」という意味だろうか....。

△上がり(&取次台?)と部屋(住居)とを仕切る4枚引き違いの腰高格子戸....格子の隙間がかなり狭くて珍しい、腰は板張り

△畳敷の2部屋か連なり、手前の部屋には仏龕と神棚用の棚がある....手前は8畳で、奥は6畳(だったと思う)

△8畳部屋の仏龕と神棚....腰部は全て引き違い戸の棚で、神棚の下は二段棚

△小壁に設けられた神棚を収納する棚....神棚に叶神社の御札が納められている

△奥の6畳間....左の襖の奥に階段、畳の中の嵌め込まれた小さな畳は「炉」を設ける所(と思う)


△襖で隠された(?)二階への階段 急峻な階段で、踏み面が狭く蹴上が少し高い


△階段を上がった二階入り口 階段に明かりを取り込むため部屋内に設けられた腰高明障子窓

△二階8畳間の街路側(表側)に手摺を設けた窓があり、4枚引違いの腰高明障子が建て付けられている

△腰高明障子の腰部には透明ガラスが張られている

△部屋の西側に床の間と襖がある....東側の窓は表側と同じ腰部がガラス張り腰高明障子

△8畳間の西側に設けられた床の間と襖....襖の長押の上に「雪照三千界」の額が掛かる
◆一階にもどって石蔵へ。 石蔵の扉は土蔵のような観音開きではなく片引きだが、分厚くて頑丈な造りだ。 扉には漆喰の装飾が施されているが、長い歳月で風化が進み、一部が破損・剥落していて残念な状況だ。 扉の内側の戸は3区分されていて固定されている。 現在出入りする中央部分の戸は新しいので、近年追加されたものと思う。 左は金網が張られた腰高格子戸で、右は框の中に横に数本の桟をわたした板戸だが、説明では内戸はスライド式なので、蔵内に新鮮な空気を取り入れる場合には金網が張られた腰高格子戸を扉の前にスライドさせるとのこと。 石蔵一階の壁には、木骨に粗造りの多数の木材が縦に張りつけられている。 積み上げた米俵に傷がつかないための工夫とのことだが、他に、米俵が石壁に密着して通気性が悪くなるのを防ぐためとも思う。 ”けこみ板”がない狭くて急な階段を上ると、二階には箪笥2棹と行李が置かれている。 屋根を支える桁に墨書があるとの説明を受け、目をやると「大正四年八月拾七日 新築 幸保金蔵」とあり、ちょうど110年前に書かれた墨書に少し感動。 二階の壁、木骨、天井や窓などを見ていると、”木骨石造建築”の造りや土蔵との違いがよく分かる。


△主屋と石蔵の間の入り口....右が石蔵の入り口で、扉は分厚く片引きの造り/10cm以上の厚みがある頑強な片引き扉....表面に漆喰の装飾が施されているが、風化により一部が破損・剥落している


△石蔵扉の内側に3区分され固定された内戸(中央は新規追加と推)....本来はスライド式なので左右の戸を移動して使用していた/金網を張った左の腰高格子戸は蔵内に新鮮な空気を取り入れる場合に扉前にスライドさせる

△石蔵一階の壁の木骨に多くの粗造りの材木が縦に張られている....積み上げた米俵に傷がつかないための工夫とのこと


△石蔵二階への”けこみ板”がない狭くて急峻な階段/二階から見下ろした階段と金網を張った腰高格子戸


△木骨を利用して建て付けられた二階の堅牢そうな窓/閉じた状態の窓

△石蔵二階の北側壁の前に2棹の桐造り(と思う)箪笥が置かれている

△東側壁の前に置かれた大きな木製の行李


△行李上方の屋根を支える桁に110年前の墨書がある/墨書は「大正四年八月拾七日 新築 幸保金蔵」の書

△二階の西側の壁....石の表面には立方体に切り出す際の削り跡がある

△屋根と石積壁の間に白色の漆喰らしきものを詰め込んで密閉している

△天井の梁組には茅葺古民家のように曲がった梁が使われている
◆情報紙の記事によると、幸保様は将来、自家製味噌を使った朝食提供の”和カフェ”を計画されているとのことだが、早いオープンを願いたい。 また、国登録有形文化財への登録は素晴らしいことだが、全体に老朽化が進んでいて一部に傷みがあるので、登録の有無に関わらず、貴重な遺構である”幸保邸”への市の支援(管理・修繕の費用など)を切望したい。

△情報紙(出典「タウンニュース」)に掲載された2件の幸保邸紹介記事....今回、右の記事の写真の真ん中の白服の方(味噌作りを指導中)に案内していただいた