【京都・北区】寺伝では飛鳥時代に聖徳太子が母の菩提寺として建立し、当初香隆寺と称した。
平安時代の天徳四年(960)、宇多法皇の勅願により、宇多法皇の弟子で灌頂を受けた寛空僧正が中興し、寺号を上品蓮台寺に改めた。 当時は広大な寺域に諸堂が立ち並ぶ壮大な伽藍であったが、室町時代の応仁の乱(1567~1577)の兵火で焼失した。
安土桃山時代の文禄年間(1592~1596)、性盛上人が復興し、寺外に塔頭十二院を建立したので十二坊と称され、町名「紫野十二坊町」の由来に。 宗派は真言宗智山派で、本尊は延命地蔵菩薩像。
筋塀で囲まれた寺院で、袖塀に通用門を設けた薬医門の右手に珍しい番小屋がある。
山門から眺めた境内正面には本堂ではなく、千鳥破風屋根の客殿が鎮座し、客殿の左側に本堂そして右側に庫裡があってそれぞれ渡廊下で繋いだ構成だ。
山門をくぐって直ぐ左手に弘法大師(空海)像、その傍に大師堂があり、空海さんは本堂と客殿を見守るようにして立っている。
上品蓮台寺の門前..5本の白筋が入った筋塀
切妻造本瓦葺の山門(薬医門)..袖塀に通用口また山門の右側に番小屋がある
山門から眺めた境内..正面奥は客殿の玄関
入母屋造桟瓦葺の客殿..入口の屋根は大きな千鳥破風
境内に佇む宝篋印塔越しに眺めた入母屋造本瓦葺の本堂
本堂正面と質素な向拝..擬宝珠高欄を設けた回縁
本堂には本尊の延命地蔵菩薩像を安置/唐破風で質素な向拝
本堂と客殿を結ぶ渡り廊下だったか..
本堂と客殿の間の庭園..七重の石塔が佇む
入母屋造桟瓦葺で妻入り大師堂
脇間に禅宗様の花頭窓が設けられた大師堂..周囲には回縁(切目縁)を設けている
客殿の右側に建つ切妻造桟瓦葺出妻入の庫裡
入口の上に高欄を設けている
境内に佇む宝篋印塔 古井戸か 境内を見守る弘法大師(空海)像
境内社への参道に立つ朱色の明神鳥居
仏堂を社殿として使っている建物と思う..右手に祠が並んでいる
手前の拝殿は桟瓦葺、奥の本殿は露盤宝珠を乗せた宝形造桟瓦葺だ/覆屋の下に小さな祠が並ぶが石仏が置かれている
見事な五輪塔群
境内に佇む宝篋印塔..奥には鐘楼 切妻造本瓦葺の屋根をのせた鐘楼
鐘楼に吊りさがる梵鐘