【イタリア・ポンペイ】ローマ帝国時代に誕生した都市の一つがポンペイで、帝政時代の貴族たちの別荘地として人気があった。 しかし、西暦63年に大地震が襲って多くの建物が倒壊し、町はがれきに埋もれて廃墟に....。 当時のローマ皇帝「ネロ帝」は地震の原因がヴェスヴィオ火山だと気づかずに町の再建を始めたが、再建途中の西暦79年8月24日の昼前、ナポリ湾を見下ろすヴェスヴィオ火山が大噴火、翌日まで続いた石や灰などの噴出で南東10kmに位置するポンペイ市街を完全に埋め尽くした。
約1700年もの間、溶岩と厚い火山灰に埋没していたポンペイの街。
1709年に1人の農夫が偶然壺を掘り起こしたことがきっかけで発見され、18世紀に入って考古学者の手によって発掘が進み、古代ローマの地方都市と人々の生活ぶりが完全な姿で出現....遺跡発掘は現在も続いている。
マリーナ門をくぐって街の中に入った。 焼けただれて荒廃した壁が連なって立ち並ぶ街の光景....まさに古代ローマ都市に紛れ込んだかのような錯覚に陥る。
整然と区画された街は、舗装された道路と歩道が完全に分離して完備され、雨が降っても冠水しないよう歩道はやや高く造ってある。 また、馬車の往来に邪魔にならない工夫を凝らした横断歩道もあり驚いた。 その他、下水道、公衆浴場、劇場などの施設も完備されていて、ガスや電気がなかったというだけで今とほとんど変わらない感じだ。
フォロの近くに数体の石膏の人型があるが、逃げ遅れて灰に埋まった人の肉体が朽ちて空洞になった部分に石膏を流し込んだもの....はかない人間の宿命を感じさせる。 当時の面影があちこちに見られ、まるで時が止まったかのようで、パン屋さん、居酒屋さん、喫茶店といった店の一部がそのまま残っていて、人々で賑わっている様が浮かんでくる。
そうした平和な日々が、火山の大噴火によって一瞬にして奪われてしまったポンペイ....あらためて自然の力の凄さを否が応でも感じさせられる見学だった。
ヴェスヴィオ火山....標高1281mある
遺跡の入口マリーナ門....大きい方は馬用だがここから入場した
アポロン神殿の祭壇....生贄台、コリント式円柱が....
アポロン神殿の向かい側のバジリカ....正面は裁判官用の建物
宗教商業など市民生活の中心地で長方形の中心広場フォロ フォロの東側の列柱
右側がヴェスパシアヌスの神殿 ヴェスパシアヌスの神殿の祭壇?
ヴェスヴィオ火山を背にして立つジュピター神殿
ジュピター神殿と奥がフォロ フォロ近くの門
市場として使われたマルケム
マルケムのフォロ側の「フロントーネの家」の遺跡
「フロントーネの家」の遺跡近くのフレスコ画と灰に埋まった人の石膏像
フォロの浴場
サウナの後に体を冷やす浴槽 浴室の天井にくりぬかれた明り取り窓
浴室に居並ぶ石像群と壁の装飾
壁に居並ぶ石像群
浴槽の反対側に置かれていた丸い水飲み場
悲劇詩人の家の入口 入口床の犬のモザイク画....猛犬注意と書かれているとか
悲劇詩人の家の壁画 悲劇詩人の家の内部
街角の水飲み場
フォロ浴場近くのパール(喫茶店)
居酒屋のカウンター
パン屋さん....粉を引いた石臼とパンを焼くレンガ造りのかまど
娼婦の館の石造りのベッドと鮮やかな壁画
メイン通りの「アポンダンツァ通り」 路上に刻まれた某印...娼婦の館を向いている?