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何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

恵林寺-(3) (甲州)

2011年08月31日 | 寺社巡り-山梨

【山梨県・甲州市】織田信長が滅んだ後、甲斐を領した徳川家康が、天正の織田勢焼き討ちを逃れて那須の雲巌寺に遁れ潜んでいた末宗瑞曷を招いて再興。 その後、第5代将軍・徳川綱吉の時代の側用人で、晩年に甲府城の城主(藩主)となった柳沢吉保の支援を得て繁栄した。(柳沢吉保の菩提寺)
境内には本堂、庫裡、開山堂、赤門、三重塔が並び、夢窓国師が造築した池泉回遊式庭園といわれる様式の美しい庭園がある。

明王殿の奥に鎮座する武田不動尊....迫力があり、もの凄い形相でこちらを睨んでいるが、武田信玄の気質と信長軍に滅ぼされた無念さを表しているかのようだ。
武田不動尊参拝後、明王殿の裏手にある信玄が眠るお墓に....大きな宝筐印塔と五輪塔が印象的だった。 近くにある柳沢吉保夫妻のお墓を参拝した後、本堂裏手に広がる池泉回遊式庭園に....回廊から夢窓国師が造築した緑豊かな美しい庭園を眺める....素晴らしい庭だった!

明王殿に祀られている武田不動尊坐像及二童子像....もの凄い形相で睨まれた感じだ!
 
明王殿から信玄公の墓への参道   武田家臣の供養塔群
 
信玄霊廟「明王殿」の裏手にある信玄公墓所....信玄没後99年(1672年)に建立
 
信玄公の墓....大きな宝筐印塔と五輪塔

柳沢吉保夫妻の墓....吉保没後10年(1724)ここに埋葬された

柳沢吉保は5代将軍徳川綱吉の側近で大老格
 
柳沢吉保を祀った柳沢廟

本堂の裏手回廊から望む庭園
 
夢窓国師が造築した池泉回遊式庭園
  
庭園の隅にひっそりと立つ石燈籠  緑豊かな美しい庭園

回廊から眺めた庭園
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恵林寺-(2) (甲州)

2011年08月30日 | 寺社巡り-山梨

【山梨県・甲州市】武田信玄は室町時代末期の元亀四年(1573)に信濃で病没するが、天正四年(1576)4月、快川禅師を大導師に嫡男の勝頼を喪主として信玄の葬儀が行われた。
天目山の戦いで武田勝頼が自害した後の天正十年(1582)、恵林寺に逃げ込んだ六角義弼の引渡しを寺が拒否したため、織田信忠が派遣した武将の焼き討ちに遭う。
その時、快川和尚が三門上から「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」と詠みながら焼死した言われ、再建・改築された三門の両側に扁額として掲げられている。

三門の正面奥に鎮座する開山堂....その荘厳さに暫し足を止めて古に思いを馳せた。
開山堂拝観後、庫裡に入る....玄関にある「風林火山」の屏風が目に飛び込んできて、武田信玄の菩提寺であることをあらためて実感。
庫裡から本堂に....そして武田不動尊が鎮座する明王殿に向かう....そこには「うぐいす廊下」があり、確かに不思議な音がするが、本当にこれで外敵の侵入を防ぎ得たのかな~とチト疑問に....。

開山堂....落ち着いた雰囲気の佇まい
 
開山堂に祀られているのは夢窓国師と思うが....

開山堂....左奥は三重塔

中門
 
中門から眺めた庫裡

庫裡から中門と開山堂を眺める
 
庫裡前から....本堂(左奥)、玄関(中)、庫裡(右)           庫裡玄関にある「風林火山」屏風
  
武田不動尊への参道から眺めた本堂                本堂の回廊
  
本堂の内部....正面奥は内陣か                    奥に明王殿への渡り廊下が....

明王殿への渡り廊下
  
渡り廊下....奥は本堂                          外敵の侵入を拒む「うぐいす廊下」
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恵林寺-(1) (甲州)

2011年08月29日 | 寺社巡り-山梨

【山梨県・甲州市】鎌倉時代の元徳二年(1330)、鎌倉幕府の御家人で甲斐国の守護職であった牧庄領主・二階堂貞藤(道蘊)が七朝帝師と尊称された夢窓国師(疎石)を招いて邸宅を禅院として開山、甲斐国における臨済宗の中心となる。
室町時代の応仁の乱(1467~1677)で荒廃するが、永禄七年(1564)、戦国武将・武田信玄が美濃崇福寺から禅師・快川紹喜を招き、寺領を寄進して再興し、菩提寺と定めた。

「山梨さくらんぼ狩り」バスツアーに参加した折、恵林寺の直ぐ傍のレストランで昼食した後の自由時間に駆け足で参拝した。
まずは一番遠い「黒門」まで行き、参道を折り返して徳川家康再建の「赤門」そして快川和尚が偈を発して焼死した「三門」を拝見....これらを見ただけで、歴史ある古刹であることを実感。
「三門」をくぐり、三重塔そして腰袴造の鐘楼などを見た後、荘厳な開山堂をじっくりと拝観し、いよいよ庫裡から堂内に....。
 
大きな石燈籠を据えた重厚な黒門

黒門から見る参道....奥に赤門が見える

徳川家康によって慶長11年(1606)再建された四脚門(赤門)
 
切妻造桧皮葺の四脚門....本柱&控柱は丸柱 四脚門の「乾徳座」の額

境内の池に架かる石橋から眺めた四脚門(赤門)
 
静かな境内の池....放生池か?

三解脱門(三門)....柱に快川和尚が焼死する前に詠んだ有名な詩が
  
三解脱門....空門、無相門、無願門の3門を表す楼門
 
佛舎利宝塔(三重塔)
 
腰袴造の鐘楼               新しそうな経堂
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