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何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

アマルフィ海岸風景 (イタリア)

2011年04月03日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・アマルフィ】ナポリから約40Km南東にある美しい海岸線にそった海洋都市....アマルフィ。 街の起源は古代ローマ時代に遡り、839年にナポリ公国から独立し、その後、イタリアの商業の中心地として地中海貿易を支配。 
雨の中、急カーブが連続する海岸線の狭い道をバスで移動したが、車窓から眼下に見える断崖絶壁の光景はまさに絶景だ。 写真は風光明媚な景観で知られるポジターノの街並みで、パステルカラーに彩られた玩具のような家々が断崖に張り付くように並んでいて、まるで絵画のような美しさだ。

海岸線まで断崖が迫っている

断崖にへばり付くように建つ家々
 
美しい景色が続く....が、雨天が悔やまれた!

まるで玩具のような家々が所狭しと並んでいる....

パステルカラーに彩られた家々
 
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アマルフィのドゥオモ広場 (イタリア)

2011年04月02日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・アマルフィ】アマルフィの海岸の駐車場から古い建物で囲まれた狭い道を進むと、ドゥオモ広場に出る。 広場入口からは正面に威容を誇る大聖堂が....また、入口近くには町の守護聖人聖アンドレア像とその台座部には一風変わった噴水?があり....つい笑ってしまった。
あまり広くない広場だが、カフェやアイスクリーム屋さんなどがあり、市民の憩いの場所になっている。
 
ドゥオモから眺めた階段下部分のドゥオモ広場
 
カフェから眺めた広場

広場の奥の光景 
 
町の守護聖人聖アンドレア像....台座部の女性像の噴水?に注目!

噴水の出どころがいささか気になるが....あくまでも芸術として!
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アマルフィのドゥオモ (イタリア)

2011年04月02日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・アマルフィ】アマルフィは9~14世紀に繁栄した海洋都市国家で、ドゥオモは987年、アマルフィーの街の中心に建てられたシンボル的存在。 現在の大聖堂やファザードは18~19世紀建造のもの。
大聖堂には町の守護聖人聖アンドレアが祀られ、聖堂地下には聖人の遺骸が....。 訪問した時間が遅かったので中には入れなかったが、ファザード前の柱廊玄関や回廊は素晴らしかった。

エキゾチックなイスラム様式のファサード
 
石段下から見上げる鐘楼と調和のとれた美しいドゥオモ
 
美しい階段の上に建つドゥオーモ....聳え立つ鐘楼が素晴らしい

ファサード

建物の正面の金色に輝く見事なモザイク画?
   
青銅製の彫刻のある重厚な扉      美し回廊が続く....

金色に輝くファザード
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ポンペイ遺跡 (イタリア)

2011年04月01日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・ポンペイ】ローマ帝国時代に誕生した都市の一つがポンペイで、帝政時代の貴族たちの別荘地として人気があった。 しかし、西暦63年に大地震が襲って多くの建物が倒壊し、町はがれきに埋もれて廃墟に....。 当時のローマ皇帝「ネロ帝」は地震の原因がヴェスヴィオ火山だと気づかずに町の再建を始めたが、再建途中の西暦79年8月24日の昼前、ナポリ湾を見下ろすヴェスヴィオ火山が大噴火、翌日まで続いた石や灰などの噴出で南東10kmに位置するポンペイ市街を完全に埋め尽くした。
約1700年もの間、溶岩と厚い火山灰に埋没していたポンペイの街。
1709年に1人の農夫が偶然壺を掘り起こしたことがきっかけで発見され、18世紀に入って考古学者の手によって発掘が進み、古代ローマの地方都市と人々の生活ぶりが完全な姿で出現....遺跡発掘は現在も続いている。

マリーナ門をくぐって街の中に入った。 焼けただれて荒廃した壁が連なって立ち並ぶ街の光景....まさに古代ローマ都市に紛れ込んだかのような錯覚に陥る。
整然と区画された街は、舗装された道路と歩道が完全に分離して完備され、雨が降っても冠水しないよう歩道はやや高く造ってある。 また、馬車の往来に邪魔にならない工夫を凝らした横断歩道もあり驚いた。 その他、下水道、公衆浴場、劇場などの施設も完備されていて、ガスや電気がなかったというだけで今とほとんど変わらない感じだ。
フォロの近くに数体の石膏の人型があるが、逃げ遅れて灰に埋まった人の肉体が朽ちて空洞になった部分に石膏を流し込んだもの....はかない人間の宿命を感じさせる。 当時の面影があちこちに見られ、まるで時が止まったかのようで、パン屋さん、居酒屋さん、喫茶店といった店の一部がそのまま残っていて、人々で賑わっている様が浮かんでくる。
そうした平和な日々が、火山の大噴火によって一瞬にして奪われてしまったポンペイ....あらためて自然の力の凄さを否が応でも感じさせられる見学だった。

ヴェスヴィオ火山....標高1281mある
 
遺跡の入口マリーナ門....大きい方は馬用だがここから入場した

アポロン神殿の祭壇....生贄台、コリント式円柱が....

アポロン神殿の向かい側のバジリカ....正面は裁判官用の建物
 
宗教商業など市民生活の中心地で長方形の中心広場フォロ   フォロの東側の列柱
 
右側がヴェスパシアヌスの神殿                   ヴェスパシアヌスの神殿の祭壇?

ヴェスヴィオ火山を背にして立つジュピター神殿
 
ジュピター神殿と奥がフォロ                      フォロ近くの門

市場として使われたマルケム

マルケムのフォロ側の「フロントーネの家」の遺跡
 
「フロントーネの家」の遺跡近くのフレスコ画と灰に埋まった人の石膏像

フォロの浴場
 
サウナの後に体を冷やす浴槽                   浴室の天井にくりぬかれた明り取り窓

浴室に居並ぶ石像群と壁の装飾
  
壁に居並ぶ石像群
 
浴槽の反対側に置かれていた丸い水飲み場
  
悲劇詩人の家の入口          入口床の犬のモザイク画....猛犬注意と書かれているとか
 
悲劇詩人の家の壁画          悲劇詩人の家の内部 

街角の水飲み場

フォロ浴場近くのパール(喫茶店)

居酒屋のカウンター
 
パン屋さん....粉を引いた石臼とパンを焼くレンガ造りのかまど
 
娼婦の館の石造りのベッドと鮮やかな壁画
 
メイン通りの「アポンダンツァ通り」       路上に刻まれた某印...娼婦の館を向いている?
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カステル・ローヴォ (イタリア)

2011年03月12日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・ナポリ】ナポリがシチリア王国の一部になっていた頃の12世紀中頃に建設された。 サンタ・ルチア港のナポリ湾に突き出た所に位置するが、立地的に不便だったため、1284年にカステル・ヌオーヴォが造られた。
この城は「卵城」と呼ばれるが、その由来は、建築時に基礎部分に卵が埋められ、「埋められた卵が割れるとき、城もナポリも滅ぶ」という呪いがかけられたという伝説があるそうな....。
ナポリ湾に面した道路から眺めたが、城と言うよりまるで頑強で鉄壁の要塞のよう....で、チト不気味な感じがした。

ナポリ湾に面した道路から眺めた卵城
 
まるで鉄壁の要塞のような城

少し城に近づいた位置から眺めた....
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カステル・ヌオーヴォ (イタリア)

2011年03月10日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・ナポリ】当時の支配者アンジュー家のカルロ1世(シャルル1世)の命により、1284年に築城。 1443年にアラゴン家のアルフォンソ1世によって改築され、1504年に父の法王アレッサンドロ6世の死去により勢力を失った。
カステル・ヌオーヴォは「新しい城」の意味だが、築城当時に古い城があったことから命名。 ちなみに、古い城とはサンタルチア地区にある「カステル・ローヴォ(卵城)」を示す。
市街地を抜けて港近くまで行くと大きな城が見えてくる....車窓から眺めただけだが、重厚でまさに鉄壁の城という感じがした。 城の正面入口には白い大理石のルネッサンス様式の凱旋門が....。
今から約730年前の建築だから、日本ではちょうど鎌倉時代後期で、蒙古再襲来の直ぐ後にあたる。
それにしても、城の周辺は工事中で落ち着かない眺めだったが、なんとなく遺跡発掘のようにも見えた。
 
どっしりとした頑強そうな城....約730年前の建立だ!
 
堂々たる風格の城門....中央は凱旋門
 
城壁の近景
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サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会 (イタリア)

2011年02月12日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・ローマ】1562年、古代ローマ時代(西暦300年頃)の遺跡ディオクレティアヌス帝の浴場跡に、晩年のミケランジェロの設計で建てられた教会。 ミケランジェロは古代ローマの建築を尊重し、ファサードは遺跡の壁をそのまま取り入れて設計した。
教会のある共和国広場に大きな噴水があるが、噴水の外縁部分がディオクレティアヌス浴場の外縁だったようで巨大な浴場だったことが分かる。

古代遺跡と思わせるような外観なのに、聖堂内に入って驚いた。 教会正面の構えからは想像がつかないほどの巨大な空間が広がり、横長の構造で高い天井、身廊が91mあるとか。
聖堂内に中に入った直ぐの所で、大きめの聖水盤を持った天使がやさしく迎えてくれた。
立派な祭壇があり、見事な天井画がある一方で、片隅に「ガリレオの振り子」などのモニュメントが置かれていて、教会らしからぬ雰囲気が....。
 
共和国広場の噴水の向こうに建つサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会
 
古代遺跡を思わせるような構え....右側奥はテルミニ駅
  
シンプルだが趣のあるファザード....さりげなく彫刻が飾られている

奥まった所に祭壇がある
  
聖堂内に入った直ぐの所でほほ笑みながら迎えてくれる聖水盤を持った天使

礼拝堂に置かれたパイプオルガン?   壁画が素晴らしい
 
地動説を唱えた「ガリレオの振り子」のモニュメント  足が並ぶこれは?
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トリニタ・ディ・モンティ教会 (イタリア)

2011年02月11日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・ローマ】スペイン階段の上にある「丘の三位一体教会」と言う意味の名の教会は、フランス王ルイ12世により建設されたフランス人のための聖堂。 1502年から建築が始められ、カルノ・マデルノがファサードを作り、1585年、教皇シクストゥス5世によって献堂式が行われた。
双塔を持つ教会はフランスゴシック様式。 教会前に立つオベリスクは、1世紀にローマの富豪の庭園に造られたものを1789年に教皇ピウス6世によってここに移設されたとのこと。

スペイン階段の上に鎮座する教会
 
双塔を持つのはフランスゴシック様式....教会前には1世紀に造られたオベリスクが
 
重厚感のある教会....左の塔の時計はいつも狂っているとか?
 
オベリスクのトップには、教皇ピウス6世の紋章 ゆりと星
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スペイン広場 (イタリア)

2011年02月05日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・ローマ】トレビの泉からドゥエマチュリ通りを進むと、スペイン広場の手前150mほど手前に「無原罪の聖母の記念円柱」があり、その直ぐ傍に、赤と黄色のスペイン国旗を掲げている17世紀に建てられたスペイン教皇庁付きの大使館があった。先に進むと、スペイン階段があり、その下にあるさほど広くない広場が「スペイン広場」。
階段は1723年に造られ、「トリニタ・ディ・モンティ階段」が本来の名称。 広場中央には、17世紀、巨匠ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ監督の父ピエトロ・ベルニーニが造った「バルカッチャの噴水」がある。
 
ドゥエマチュリ通りとプロパガンダ通りの合流地点に立つ「無原罪の聖母の記念円柱」
 
「無原罪の聖母の記念円柱」....最先端には右手に花輪を持った聖母マリア像が

スペイン国旗が掲げられた建物....17世紀建立のスペイン教皇付き大使館があった

進むとスペイン階段が見えてきた....「無原罪の聖母の記念円柱」から約150m先に
 
スペイン階段の全景....階段の上にトリニタ・ディ・モンティ教会が見える
 
階段の下の広場の中央に「パルカッチャの噴水」が見える

小舟の形をした「パルカッチャの噴水」....17世紀に造られたもの

船の先端部で写真を撮る観光客....撮影スポットのようだ

階段の上から眺めた「パルカッチャの噴水」....観光客で溢れかえっている
 
スペイン広場では民族衣装?を着た人たちのパーフォーマンスが....
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トレビの泉 (イタリア)

2011年02月04日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・ローマ】教皇クレメンス13世の命により、建築家ニコラ・サルヴィがベルニーニの建築設計を基にして1762年、バロック様式の建造物「トレビの泉」を完成。
「トレビ」とは3つの道の意味、また、この泉はローマ最大のバロック様式の噴水。 泉そのものの歴史は古代ローマまで遡り、初代ローマ皇帝アウグストゥスの娘婿アグリッパが紀元前19年、水質がよくて水量が多い「アクア・ヴェルジネ(乙女の泉)」と呼ばれる水道を建設したのが始まり。
背景の「ポーリ候宮殿」の壁を彫刻の一部にし、中央の重厚な凱旋門の前にギリシャ神話の海神ネプチューンをテーマとする見事な彫刻が施されている。

「泉に背を向けてコイン1枚を投げ入れるとローマ再訪が叶う」、また「もう一枚コインを投げると、どんな願いも叶う」という有名な言い伝えが....。
ちなみに、泉に投げ込まれた世界中のコインは定期的に回収され、慈善事業に役立てているとのこと。

古い街並みの路地を抜けるとトレビ広場にでる
 
「ポーリ候宮殿」の壁に重厚な凱旋門が....
 
宮殿全面にギリシャ神話の海神ネプチューンをテーマとする見事な彫刻が...
 
中央が海神ネプチューン、左に豊饒の女神ケレス、右に健康の女神ハイジアが立つ
 
いつも観光客でいっぱいのトレビの泉

流石にローマ最大の泉...豊富な水量だ
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コンスタンティヌス帝の凱旋門 (イタリア)

2011年01月27日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・ローマ】当時副帝だったコンスタンティヌス帝が312年のミルヴィオ橋の戦いで、皇位を争うマクセンティウス帝に勝利してローマに凱旋したことを記念して315年に建築。
帝政ローマ時代の凱旋門の中では最も大きく、高さ21m、幅25.7mだが、当時のローマは衰退していて建築資材が不足していたため、トラヤヌス帝時代やハドリアヌス帝などの古い建造物などから装飾物を取り外して使ったらしい。
この美しい凱旋門が破壊されずに残っているのは奇跡と言われ、古い凱旋門建築として貴重な遺産とのこと。

コロッセオの側に立つコンスタンティヌス帝の凱旋門
 
約1700年前に造られたローマ最大の凱旋門

完全な形で残る凱旋門は古い例として貴重な建築遺産
 
コンスタンティヌス帝の4つの時代の彫刻を寄せ集めた....レリーフはトラヤヌス帝、ハドリアヌス帝、マルクス・アウレリウス帝
  
円形の浮き彫りは、門の左右側面に1つ、表と裏面に4つの計10枚....内8枚はハドリアヌス帝の建造物からのものとか

奥に見えるのはティトス帝の凱旋門....エルサレムへ凱旋した時(1世紀)の建設

左遠方に見えるのはサンタ・マリア・イン・コスメディン教会か?
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コロッセオ (イタリア)

2011年01月27日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・ローマ】古代ローマ帝国の皇帝ヴェスパシアヌス帝が紀元72年に着工したが、完成目前に亡くなったため、即位した息子のティトス帝により80年に完成。
フラウィウス朝の皇帝が建設したので「フラウィウス闘技場」というのが本来の名称だったが、近くに「コロッスス」と呼ばれるネロ帝の巨像が立っていたので「コロッセオ」に....。
古代円形闘技場は188x156mの楕円形をなし、周囲527m、高さ48mで....福岡ドームと同じくらいとか。 建築の目的はローマ市民が求める娯楽を提供するためで、娯楽とは「剣闘士の戦い」で、剣闘士同士あるいは剣闘士と猛獣との死闘が繰り広げられた。

コロッセオの全景....約2000年前の古代建築
 
コロッセオは英語で、競技場を意味するコロシアムの語源
  
コロッセオの入口....ここから元老院、議員、騎士、市民ら5万人が入場する様子が浮かぶ

アーチは1階がドーリア式、2階がイオニア式、3階がコリント式と分れている
 
一階席は元老院と議員、二階席は騎士、その上が市民、最上階は市民権を持たない人達が....

右奥にコンスタンティヌス帝の凱旋門が見える...
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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂 (イタリア)

2011年01月26日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・ローマ】ヴェネチア広場の南に建つヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂。 1870年にイタリアを統一した初代国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の偉業を称えて建てられたもので、1885年に着工され1911年に完成したネオ・クラシック様式の建物。
中央の騎馬像はエマヌエーレ2世で、その正面したは第1次世界大戦で戦死した無名戦士の慰霊碑になっている。 バスの車窓からの眺めだったが、かなり大きな建物で....まさに白亜の殿堂という印象だった。
              
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サンタ・マリア・イン・コスメディン教会 (イタリア)

2011年01月24日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・ローマ】6世紀の創建で、東ローマ帝国の聖画像破壊主義を逃れてきたギリシャ人に時のローマ教皇が与えたギリシャ正教の教会。
8世紀にローマ教皇ハドリアヌス1世によって拡張され、12世紀にロマネスク様式の7層の美しい鐘楼と柱廊式玄関を造られた。 鐘楼は2連窓・3連窓を持ち、ローマでもっとも美しいと言われる。
この教会の柱廊には、6世紀に造られたローマのシンボルのひとつでもある「真実の口」という海神トリトーネの顔が彫られた大きな円形の石盤が....元々は古代ローマ時代の下水溝の蓋。
 
2連窓,3連窓のある7層の美しい鐘楼
 
正面のファサード....バロック様式からロマネスク様式に復元

柱廊にある「真実の口」グッズ売り場
 
撮影代金徴収と撮影補助の方      円形の石盤「真実の口」

内部はこじんまりとした三廊のバジリカ形式....
 
正面奥の祭壇はビザンチン様式のモザイクで装飾
  
よく見ると祭壇の下に頭蓋骨が....                       上部に置かれた石棺

石棺近景
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サン・ピエトロ広場 (イタリア)

2011年01月23日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・ローマ・バチカン市国】17世紀、バロック様式の鬼才、建築家・彫刻家のベルニーニにより設計され建設された。 古代ローマの闘技場コロッセオをヒントにした長径240mの巨大な楕円形をなしていて、大聖堂が両腕を伸ばして信者を抱擁するかのような形をとっている。
広場中央には一番最初にできたオベリスク(高さ25.5m)が....紀元前1世紀にエジプトのアレクサンドリアでローマ人が建立したもので、西暦36年にローマ皇帝カリギュラがエジプトから持ち帰って競技場に設置....16世紀に現在の場所に移築。 寺院に向かって左側にある噴水は、1675年にベルニーニによって作られた。

寺院に向かって広場の左右に対称に柱列回廊が配され、4列のドーリア式の石柱が372本(内付け柱88本)並ぶ。
噴水とオベリスクの中間地点にある「柱廊の中心」と記された円盤の上に立って列柱を眺めると、4列の列柱が一列に見えるらしいが....。 石柱の上にはベルニーニの弟子が制作した140の聖人像(高さ3.3m)が立ち、広場に集まった人々を見守っている。

大聖堂から眺めたサン・ピエトロ広場
 
広場中央に立つ高さ25.5mのオベリスク....紀元前1世紀に造られた

中央奥は左側の柱列回廊

大聖堂から見て左側の柱列回廊....小さな噴水はマデルナ作
 
1675年にベルニーニが造った噴水  右側の柱列回廊 

寺院に向かって右側の柱列回廊

ドーリア式の石柱が4列並ぶ....左上の建物にローマ法王の住まいがあるとか
 
多分、この部分の建物は寺院の幹部たちの住居だと思うが....
 
迫力のある4列のドーリア式の石柱が迫ってくる感じ

重量感のある見事な石柱

確かバチカン市国への入り口だったと思うが....
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