歴声庵

ツイッター纏め投稿では歴史関連(幕末維新史)、ブログの通常投稿では声優さんのラジオ感想がメインのブログです。

遠江:横須賀城址

2013年10月19日 13時35分15秒 | 登城記・史跡訪問


 本丸天守台跡に建つ、横須賀城址の石碑。


 城址公園の駐車場に建つ案内板。


 本丸跡に設けられた横須賀城の模型。

 横須賀城は元々は徳川家康が、武田勝頼の東遠江支配の拠点である高天神城を包囲する為に築いた付城の一つにすぎませんでした。しかし天正九年(1581年)に高天神城が落城すると、家康は高天神城を廃城にしてしまい、付城に過ぎなかった横須賀城をこの付近の支配の拠点にしたのです。こうして付城に過ぎなかった横須賀城は次第に整備拡張され、石垣も備えた近代城郭となり、明治維新まで存続する事になります。


 本丸外郭の土塁跡。土塁下の現在道路になっている道は、外堀を埋め立てた物と思われます。


 本丸跡の石垣。横須賀城址の石垣は、天竜川の河原から運ばれた丸石によって積み上げられているのが特徴です。


 本丸跡から見た、西の丸跡の土塁。


 本丸の三日月堀跡。


 本丸天守台跡。


 本丸跡から南方面を見て。現在の横須賀城址からは海は殆ど見えませんが、横須賀城址を整備拡張した頃は、この眼下まで遠州灘が迫っており、船着き場も設けられていたそうです。家康が堅城の高天神城を捨てて、この横須賀城を拠点支配の城としたのは、この海上流通の拠点としての価値を重視してとも言われています。


 西の丸跡の現況。


 北の丸跡から見た本丸跡。


 北の丸跡と松尾山。高天神城包囲時の、元々の横須賀城はこの松尾山に築かれて、高天神城廃城後に次第に麓に整備拡張されたと伝えられます。


 松尾山山頂の現況。奥のビニールシートの辺りに池が在ったともと伝えられます。


 現在史跡として整備されているのは本丸跡だけで、二の丸跡や三の丸跡は大半が宅地化されているか、農地化されています。この東大手門跡が設けられた、江戸時代は藩庁が在った三の丸跡も現在は宅地化されています。



 同じく宅地化された二の丸跡に残る土塁跡(?)。


 同じく農地化された二の丸跡に残る土塁跡(?)。


 二の丸西側の不開門跡。


 上記の不開門は、横須賀城址北西の撰要寺に移築されて現在に残ります。

 以上となります。純粋な軍事価値としては、横須賀城よりも高天神城の方が高いと思いますが、高天神城攻略後に家康が高天神城を廃城にして、横須賀城を地域支配の拠点としたのは、戦国時代も終盤になり城に対して軍事的価値だけではなく、政治的価値を求められる時代になった事を表わしているのかもしれませんね。

 訪問日:2013年10月10日
 


10月18日(金)のつぶやき

2013年10月19日 01時01分11秒 | twitterまとめ

小野涼子さんが出演する、東京電機大学学祭のトークショー無事当選した~(^^)


@ono_ryoko 東京電機大学のトークショー無事当選しました。明後日のPASTAと合わせて今から楽しみです(^^)。


@pacific_18 心惹かれますが、明日はPASTA向けのもろもろの準備の為に私は行けないので、行かれるのならば土産話を期待しています。


石原舞さんのラジオが始まると言う事で、今から楽しみです。


今日、綾瀬市に行ったら、早川城なる城跡を見つけたので行ってきました。聞いた事がない城だと思ったら、鎌倉時代から室町前期にかけての城で、戦国時代にはあまり活用されなかった城みたいですね。ただ大庭城の近くに位置するので、大庭城の支城的な扱いのような気もします。


作りは舌状台地の突端に築かれて、根元を堀切で分断するというポピュラーな物ですが、意外に規模も大きかったので楽しかったです。