歴声庵

ツイッター纏め投稿では歴史関連(幕末維新史)、ブログの通常投稿では声優さんのラジオ感想がメインのブログです。

白石・福島・二本松・白河日帰り紀行記

2007年06月24日 23時27分29秒 | 登城記・史跡訪問

 先日夏コミ向け原稿の作成が一段落しましたので、前々より行こうと思っていた宮城県(旧仙台藩領)白石の世良修蔵の墓所に昨日行ってきました。ただ折角白石まで行くのだから白石と、同じく世良が暗殺された福島しか行かないのは勿体無いので、また訪れた事の無い二本松と、まだ関連史跡を全て訪れていない白河に行ってきましたので簡単に紀行記を書かせて頂きたいと思います。

 行きは夜行バスを使いましたので、23日の早朝5時には白石駅に到着して、そのまま世良の墓所がある陣馬山に向かいました。駅から15分程歩いて陣馬山に到着し山頂の世良の墓の墓参をする事が出来ました。去年の11月に世良が生まれた山口県の周防大島を訪れて半年余、遂に白石の世良の墓参をする事が出来たので感無量でした。
 ところで世良の墓を実際にみて印象的だったのが、「小説家」の星亮一氏等が騒いでる世良の墓にある「削り跡」ですね。これについて星氏等は「賊と書かれた事に義侠心を燃やされた地元の方が削り取った」と言っていますが、実際に墓を見た感想としてはとても素人が削った跡とは思えないので(正直最初はどこが削られたのか判らなかったくらいです)、星氏等には悪いですが、あれはやはり大赦を受けて役所が本職の人に依頼して、賊の文字を極力墓所を傷つけないように削ったと言うのが正しいと感じました。星氏がいうように義侠心に燃えた旧仙台藩士が削ったのなら、もっと破壊するのではないでしょうか。
  
左:陣馬山
右:陣馬山に建つ世良の墓

 そんな世良の墓所がある陣馬山を後にして次に向かったのは白石城、ここは奥羽越列藩同盟の公議所を設けられた場所なので訪れたのですが、そう言えば不勉強の為この公議所が二の丸に設けられたのか本丸に設けられたのか、まだ知らないんですよね。

 白石城を訪れた後は電車で二本松に移動、ここではレンタル自転車を借りて移動したので、本来一日では回りきれない距離を効率よく回る事ができました。まずは二本松城攻防戦の前哨戦に当る大壇口倶中口の両古戦場を訪れた後に二本松城に向かいました。二本松城に関しては、まりもさん梅痴鴉さんから二本松城は意外と大きいと聞いてはいましたが、それでも想像以上に大きい城だったので驚きました。何せ大手門をくぐって城内に入ったと思ったら、そこには丘どころか小山があるんですもの。そんな小山をえっちらおっちら登っていたら頂上に天主台の石垣がそびえ立っており、そこからは二本松市内を一望出来ました。正しく二本松城は広大な堅城でしたね。 そんな二本松城が新政府軍の攻撃の前で一日で落城したのは、「逆に城が大きすぎて在城の兵力だけでは守れなかった」というまりもさんの説が正しいと実感出来ました。
 しかし二本松城を訪れて思ったのが、史料には当時の二本松藩首脳部は玉砕覚悟で新政府軍と抗戦したと書かれていますが、玉砕覚悟で戦うのならば大壇口や倶中口等に戦力を分散配置するのではなく、城内に篭って新政府軍を迎え撃った方が良かったんじゃないですかね? 外郭を放棄して新政府軍を城内に引き入れ、進行ルートが固定される城内に大砲を配置して迎撃した方が出血を強いれると思うんですけどね。常識的に考えれば城下町を放棄して城内に敵軍を引き入れて迎撃するなどは愚作ですが、玉砕覚悟なら下手に兵力を分散するよりも城内で集中して迎撃する方が損害を与えれると思うんですけどね、上手くいけば新政府軍の第一次攻撃くらいは撃退出来たのではと思うのですけどね(最終的には殲滅させられますが)。そんな妄想をしてしまうほど、二本松城は想像以上の堅城でした。
 また話は代わりますが、二本松市内の本屋で大山格先生の「慶喜、謀叛!!」を見かけたので嬉々として購入しました。ずっと探していたのに見つからなかったのに、薩摩軍も参戦した二本松でこの本を見かけたのは何かの縁かと思いました♪ 

  
左:大壇口古戦場
右:二本松城大手門口

 二本松を後にして今度は福島に移動、福島について誤算だったのは期待していたレンタル自転車を借りれなかった為、想像以上に時間が掛かってしまいました。そんな福島では世良の霊神碑と、世良が襲撃を受けた金沢屋跡、そして仙台藩(列藩同盟?)の軍事局が設けられた長楽寺を訪れました。世良が襲撃を受けた金沢屋は現在ビルが建っていて当時の面影は全くありませんでしたが、それでもようやく訪れる事が出来たという思いがありました。ところでこの福島で印象的だったのが、世良の霊神碑を訪れた時に、世良の碑を訪れる人が珍しいのが地元の方に声を掛けられ、その家族と少し話したのですが地元では漠然とですが世良はやはり良いイメージを持たれていない事に、この世良問題の根の深さを改めて実感しました。


世良の霊神碑

 そんな福島を後にして続いては白河に移動、白河には六年前に訪れた事があるのですが、まだ訪れていない史跡がたくさんあるのではりきっていたのですが、しかし福島でレンタル自転車を借りれなかったのが響いて、白河に到着したのは夕方の五時半、これでは回れる場所も少なく、結局訪れる事が出来たのは白河城及び平城及び棚倉城攻防戦で戦死した薩摩軍戦死者の墓、そして同じく白河城攻防戦で戦死した仙台藩士の供養塔だけで、ここを訪れた後新白河駅から新幹線で帰宅しました。


仙台藩士戦死者の供養塔

 以上が今回の日帰り取材旅行の感想です、今回ブログでアップした以上に撮影した画像はたくさんあるのですが、二本松城攻防戦について記事を書くのは当分先になりそうです。ただ世良の暗殺事件に関しては、先日書いた幕長戦争大島口の戦いの記事内で書かれた箇所に加筆修正し、また今回撮影した画像も加えて独立した記事にして今年中には完成させたいと思っています。