こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

明日は予演会、でも、原稿は出来ていない

2011年05月16日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

さっき、すれ違った酔っぱらい二人組が、
「なんで、月曜から、こんなに遅いの?」と、叫んでいた。
私も、二人からリーチがかけられているような状況で、カンファレンスが終わってから、頑張って、なんとか八割方までこぎつけた(小さく、やった!)
それでも、帰るとなるとそれから2時間。酔っぱらいと一緒のご帰還だ。
こういう日は、医局のブースか鏡顕室で寝たいのだが、そうもいかない。
若い頃は、終電まで実験やってても全く平気だったのに・・・

ルーチンワークもそれなりにいつもどおりにあるが、今度のレジデント君がとても優秀なので、教えることがあまり無く助かっている。

明日は予演会。上記のとおり、原稿はあと、2割残っている。


行きの横須賀線の車内が勝負。
ここで、Summaryを書き上げないと・・・
とにかく、今日はもう寝よう。
大体、わたしのようなものが、いろいろ仕事を引き受けるのが間違っている。
でも、人のお役に多少なりとも建てるというのであれば、頑張るしか、ない。

なぜ、直前にならないと準備をしないのか

2011年05月15日 | 日々思うこと、考えること

今日の鎌倉、風は強めだったが、良く晴れてとても気持ちがよかった。

どうしても、済ませておかなければならなかったメールを3,4本出したら、疲れてしまった。
昨日の病理解剖、なかなか難しくて気になる。頭も疲れてしまう。
木曜と、土曜の講演の準備をしないといけないのに、気力が湧いてこない。

ふと、ウッドデッキを見ると。



気持よさそうにごろごろしている。

木のおもちゃもずいぶん形が変わってきている。



「あのさ、そこら辺でのんびりうろうろしていないで欲しいんだけど」
と言ったところで、余計に嬉しくなって飛びついてくるだけ。

「そ~かいそ~かい」と無視しても、緊張の糸が切れると、パワーポイントのファイルも閉じてしまう。

どうしようかね?


少し、庭いじりをしているうちに夕方。
さすがに散歩には連れ出さないといけないので、ナイトと妻と連れ立って出かける。

今日の鎌倉も人出は多い方。
笹目あたりまで歩いたが、裏道までも人があふれていた。

なぜ、学会の準備、直前までしないのか。
われながら不思議だ。
まだ、読まなくてはいけない論文は少なくともそれぞれ3本ぐらいある。
写真だって、まだ、撮り直さないといけない。

結論、とかConclusionもまだ。
第一、全体の構成が完成していない。

複数回の生検を行った、症例を用いたレクチャーで、ディスカッションというか、解説を経過の途中で入れるか、オーソドックスに最後に入れるか、まだ決めきっていない。
そもそも、全然別の疾患をそれぞれで話すので使い回しはきかない。

でも、今週ばかりはちょっとは気合を入れてがんばらないと。
こんきももこれぐらいにして、外が明るいうちはがんばろう。

当番、登板

2011年05月14日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
来週、木曜と土曜に講演を二つを抱えており、その発表原稿を真剣に作らないといけない。
家にいたら、ナイトやコロと遊んでしまう。

心を強く持って、鎌倉から脱出。


昨晩、一緒にお見舞いにいった友人と帰りに飲んだので、念のため運転は控え、いつもの通勤と同様、病院まで歩き。

清々しい初夏の空気の中、タバコを吸う人ともあまりすれ違わず歩いていたら、レジデントから携帯に剖検依頼の連絡が入った。
原稿を作るんだという強い決意でいたのだが・・・

レジデントに指導しながら、剖検をすると自分一人で剖検をする時の時間は倍、疲れは4倍くらいになる。

結局、あーだこーだで18時。疲れきって、切り上げることに。


残された日数は日、月、火、水の4日。火曜は要準備のカンファレンスがある。
結構、タイトな状況になってきた。


件の友人も病理医。今日はオンコールだったはずだが、どうだったかな?

お大事に

2011年05月13日 | 日々思うこと、考えること
仕事を早めに切り上げて、入院中の知り合いのお見舞いに行った。
久しぶりに、明るいうちに病院を出た。

あまり、容態は芳しくないようだが、命に別状はないらしい。

早く元気になって欲しい。


さて、私自身、せいぜい元気にしていたいが、果たしていつまでそうしていられるものやら?

煙草(タバコ)無しでは生きてけない!!

2011年05月12日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル

今朝は、少し涼しく、少しだけ湿度が高い。

こんな日は、タバコがうまい。
適度な湿度とともに肺に送り込まれるニコチンで、頭が一瞬しびれ、その直後脳の血管拡張がじかに感じられる。
なんといっても、喉が気持ちいい。

至福の一時だ。
満員電車に乗り込む前、人の少なめの通勤路を選んで、歩く。これなら誰にも迷惑をかけない。
私は、なんていい人間なんだろう。

プハーーーーーーーーーーーーーッ。
美味しい。
タバコが無くちゃ、生きてけない!死んじゃう。
タバコを止めるか、タバコで死ぬか?
そりゃあ肺癌で死ぬんでいい。
第一、毎年レントゲンとっているし。タンも調べているから安心。

なんだ?
なんだか、前から、顔をしかめながら歩いてくるおっさんがいる。

口元と言うか、鼻をおさえている。
なんだ、なんだ、やなヤローだな。

天下の公道、どこで吸ったっていいじゃねーか。くそ野郎。

あ、吸い殻、投げ捨てやつがいる、これはよくないなー。

若い頃は、ずいぶん路上にポイ捨てしちゃったけど、しばらくしてからは、側溝の金網の穴に落とすようにしたし。
今では、ポッケロ。そういや、吸い殻がずいぶんたまって、パンパンだ。
この間、口が開いてポケットの中を灰だらけにしたから、注意しないと。

おっと、自転車でタバコかよ。それは危ないよ。朝の通勤路はなんだかんだいっても人が多いからね。
タバコの先が人にぶつかったりしたら、迷惑だよ。

あと、もうひと吸いかな。
そういや、さっきのおっさん、なんでひとけの無いところ歩いたりするんだろう。ホンと邪魔だよ。
こっちは、気持ちよく吸おうと思って、ひとのいないところ選んで歩いてるのに。
それにしても、ホンといやな感じだよな。

あ、しまった、吸い殻思わず捨てちゃった。
ま、いいか。
駅前の灰皿、全部無くしちまうからいけないんだよね。

・・・こんな人10人と、今朝すれ違った

今日も、電車混んでるな。
あれ、前の女性、わざわざ背を向けなくてもいいのに。
だれか、臭うやつでもいるのかな。まあ、今年は節電で車内の温度も高めって言うし、汗臭いやつはいるよな。

クンクン、自分の臭いは、と。汗臭くはない。OK。

そういや、背広、ちょっとヤニ臭いな。まあ、汗臭くなければ、気にすることは無い。

・・・こんな人に隣に座られた とても、臭かった。

一日疲れた。
都心は路上禁煙とかいって、吸えなくてホンと迷惑だよな。
自分の駅までたどり着くとホット一安心。
まずは1本。家では、吸えないからなー。いったい、誰の家なんだろう。
思いっきり、煙草、吸える家に住みたいなー。

「駅のまわり、路上禁煙ですよ」
はあ?誰に言ってんだ?あ、俺か。
うざったいやつだな。こっちは、今、頭がちょうどしびれてて気持ちいい時なんだから。無視無視。
「煙草吸うんだったら、ひとの後ろ歩いて下さいよ」
なんだと?なんか文句あるのかよ。こっちだって、早く家に帰りたいんだから、お前がとっとと先に行きゃあいいじゃないか。ああ、無視無視。
お、消えたか。
・・・こんな人と、以前、口論になった。

さ、明日の煙草を買い忘れないようにと。
さて、家に入る前にもう一本吸うか。

どうしようかな?中二の娘にこのまえ「お父さん、タバコ臭い」とか言われたからな。
吸って、すぐには臭いが消えないんだよな。
どうしよう、がまんしようかな。あー、めんどくさい。
うーん、まずは一本吸いながら考えることにしよう。

以上の文、全部私自身の煙草が友達だった頃の回想に過ぎません。
あしからず。



煙草が無くてもあなたは死なないし、何も変わらない。
今、吸ってなくても生きている。寝る時だって吸わないでいる。
そろそろ、離脱してみたらどう?

惜しまれて去る人

2011年05月11日 | 日々思うこと、考えること
共同研究で大変お世話になった先生(臨床医)が某大学の教授に転出されることとなり、今日はその先生の送別会。
業績は目を見張るものがあるのだが、同じくらい人柄も良かった。
 
われわれ病理医は、”ドクターズ ドクター”などと、半ば自分を慰めるような言い方をして、臨床医に対するが、病理医を育ててくれるのは、患者さんとならんで”よき”臨床医だ。
よく論文を読み、組織が解らなくても、キーワードは理解している。
そのような意味で、私を育てて下さった、よき臨床医であった。
 
彼が去ることは病院にとって痛手であり、病理の良き理解者という意味では病理にとっても残念だが、残してくれたものを別な形で発展させるいいチャンスではある。
 
人間万事塞翁が馬。残された者で頑張るしか無い。
 
いずれにしても、惜しまれて去る、うらやましい再出発だ。
おめでとうございます。

日本の夏、節電の夏・・・

2011年05月10日 | 自然災害・事故・感染症
浜岡原発、全面停止へ 首都圏・関西でドミノ式需給逼迫 全国的な電力不安も(産経新聞) - goo ニュース


梅雨の前哨戦のような蒸し暑さ。
東電の電気使用率も90%を超えたようだ。こういうようになると、やっぱり、輪番停電か・・・

今年の夏はいつも以上に暑くなりそうだ。
今夜の場合、大雨になって助かった。

がんばろう、日本。

ごめんねナイト

2011年05月09日 | 犬との暮らし

フラットコーテッドレトリバーのナイト。現在、1歳2ヶ月。
とても食いしん坊である。

ペットショップで、マルチーズのコロをトリミングに連れて行った娘が「出会っちゃったの」といって、どうしても、と1ヶ月以上粘られたあげく、我が家にやってきたのだが、そのペットショップでナイトの食いしん坊ぶりはとても有名で、「この子は、この食いしん坊ぶりで、立派な犬に育ちますよ。とにかく、エサに対する執念といったら、ほかのどの犬よりもすごいですから。」
と言われていた。

大型犬たるもの、ペットフードの一粒ごときには目もくれないらしいのだが、ナイトと来たら、粒を出すそぶりをしただけで、おすわり、ふせ、をして上目遣いにこちらを見る。本当のエサの場合などはもう大騒ぎで収拾がつかなくなる。普段は比較的おとなしいのだが・・・

さて、今度の大型連休、二組ほどお客さんが拙宅に来てくれた。
妻の友人夫婦が来たときに、ラムチョップをグリルで焼いた。鶏肉は骨が細かくくだけて大変危険とのことで、犬にやっていけないというのは知っていたので鶏肉はやらないのだが、ラムの比較的しっかりした骨なら大丈夫だろう、と思い、食べた残りの骨の部分をナイトにやった。

食いしん坊のナイト、バリバリいい音で噛み砕いて、あっという間に4本くらいを平らげた。
おもしろがってやったというわけではなく、こちらが外で食べていると、人間の食事を食べようとするので、その間はクレートの中でおとなしくしていてもらう。そのため、ちょっとかわいそうで、ということでやったのだが。

こどもの日に、娘が友達を呼んだ時は、豚のスペアリブ。
同じように、2、3本、骨をやった。これまたいい音で食べていた。


さて、その晩。
ナイトがゲーッと言って何か吐いた。
見に行くと、骨の小片を吐いている。
あれあれ、やりすぎたかな?と思ったら、「だめよ、何でも食べさせちゃ。気になっていたんだから。出されたものは何でも食べちゃうんだから、あげすぎちゃダメ。」と妻に叱られた。
たしかに、人間の子供だって、出せば何でも食べてしまう。
私が悪かった。ごめんね、ナイト。
さすがに、こどもの日の夜は、心配で寝付けなかった。

翌朝、出勤のときにナイトが寝ぼけているのすら心配だったが、昼には元気になったとのこと。
現在は、すこぶる快調で、昨晩も私がエサをやるときには大興奮だった・・・
ホ・・・

苦手な先輩

2011年05月08日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

どこの社会にも、苦手な人の一人や二人はいるものだ。

私の場合、社会人になってから、というのは病理学教室に入ってからのこと。そこでも、苦手な人というのが、一人や二人どころか、軽く片手は越えるほどいた。

そういう人の中の多くは、私に対して意地の悪いことを言ってくる先生だったが、意地の悪いこととかいって、よくよく考えてみると、耳の痛いこと、であり、今になってみるとどれもありがたいことだった。

とくに、「いいたかないけどさ、」で始まる、某先生の苦言は辛らつだった。今では、某大学の教授になったので、学会でしかお聞きできないが、いまだに切れ味鋭く私の心に刺さってくる。
だが、心の中では感謝し、手を合わせる。

結局のところ、自分が嫌われることよりも、私の将来を思い、言いたくも無いことを言ってくれるほどかわいがってくれていたわけか。さらには、そんなことを確信を持って言えるほど自信があったということか。

ある意味、言ってもらえたということは、大事に思ってもらえていた、ということ。
それなりに、私自身に自信を持ってもいいかもしれない。変な自信だが・・・

あとは、私はそんな先輩になれるかどうか。

秘密の増減

2011年05月07日 | 家族のこと
年を取って、秘密が増えただろうか、それとも減っただろうか。

幸い、私に秘密は増えていない・・・と思っている。
では、なにをもって秘密というのか?
字義的には『他人に知られないようにすること。隠して人に見せたり教えたりしないこと。また、そのようなさまやそのような事柄。(YAHOO辞書)』であるが、おおまかには個人的な秘密、職業上の秘密の二つに分けられる。
ここでは職業が関係している場合は除く。そもそも職業上知った事項は、秘密とは言えない。秘密である以前に、他に漏らしてはいけない事項で、業務に含まれるものだ。職業上知り得た個人情報、インサイダー情報などなど、医者にしても、会社員にしてもそれぞれ同様。

私の言う、秘密はあくまでも個人的な秘密。
子供の頃は秘密が多かった。
好きなひとの名前は小学生の秘密ではトップクラスではなかったか。いつから、「あなたのようなきれいな人に会えて、今日はなんていい日だろう」などと、いけしゃあしゃあと言えるようになったか。
中高生になると、大人に憧れ背伸びする。
酒のんだ、タバコ吸った、彼女ができてあれこれした、などなど、大体は友人には自慢気に言うのに、親には言えない秘密、というのが多い。
大学生くらいになると、20歳過ぎて、大人の仲間入り、基本的には自由が手に入る。
逆に友人間での秘密などというのが起きてくる。
恋の鞘当てが多かったように思うが、草食系が多いという今の若い人はどうなのだろう。
社会人となると、仕事に関わるものが多くなろうが、職場の人間関係に関わる秘密があろう。
好き嫌い、派閥争い。まあ、内緒だったり、秘密だったり。
国会でさえ、ひそひそ話をしているのがテレビに映る。
結婚してしばらくすると、夫婦間に秘密が出てくる。
渡辺淳一はじめ、古今東西多くの小説家がこの件に関しては述べているのでそれらに譲る。
さらに、変わった性癖を含め、人に言えない趣味というのも多々あろう。このあたりは筒井の名著に詳細が記載されている。

さて、私がこれまでためこんできた秘密はどれだけあっただろう。
思い起こすには多すぎる。変えることのできない過去の中で、様々な秘密を溜め込んできた。

生きて行くというのは、心のなかに大小の秘密を作りながら毎日を送っていくことかもしれない。年をとって、秘密が増えなくなった(ような気がする)というのは、心が鈍化したのか、それとも、多少はましな人間になってきたからなのか。

無限の繰り返し

2011年05月06日 | 日々思うこと、考えること
木立の向こうの雲一つない青空を眺めてみる。

そこにある任意の2点を見たとき、私はそれを2点として弁別することはできない。
異なる点ではあるが、同じ点にも見える。
でも、その2点は宇宙が無限に拡張していくとすれば、永遠に一つになることが無い、無限に離れゆく2つの点であるはずだ。
木立の向こうの点などではなく、目の前の2点であっても、別々であれば、決して一つになることはない。
いや、目の前にある1点ですら、いったい同じなのか、別なのか、区別がつかない。

なにをもって同じとするか。その定義もあやふやだ。位置か、見た目か、思いか。
2点を同時に認識しているのかすら、わからない。点という存在自体私には認識できない。

時間の経過とともに、空間は無限に広がっていく。どこかに終わりがあるのかもしれないが、それは折り返しなのかどうかわからない。

無限の宇宙から見れば、極小の地球の片隅で私は生きている。
私の周りで何が起こっても、宇宙の膨張がとどまることは無く、私自身の存在も変わらない。
すべてが無力であり、すべては相互に影響しあっている。

すべての力は相互に干渉しあっている。

そのことを認識しているにも関わらず、日常の些末な出来事に一喜一憂する。
自分の人格すら、無限に枝分かれしていく。そのことを日々、感じる。

私が感じている無限、そこにあるのは、ただ、混沌とした、無限の多中心性の価値観の存在する世界である。
そこには、すべては無限であるということ以外わかっていることは無い。私の存在はどこにあるのか。所詮無限の中の一瞬に過ぎないものでしか過ぎないのか。

食べるものをだすということ

2011年05月05日 | 料理・グルメ
大型連休も今日で終わり。
娘がバレーボール部の友達を我が家に連れてきた。

娘が以前お小遣いでプレゼントしてくれたブリンクマンのコンロで鶏肉とスペアリブを作ることにした。

下段に鶏の丸焼き。
塩コショウ、お腹にはケチャップライス。

上段にスペアリブ。
醤油、味醂、お酒、砂糖、にんにく、しょうが、キウイ、ハーブで味付け。


幸いにもみんな、美味しいと言ってくれ、嬉しかった。

商売だろうが、おもてなしだろうが、人様に食事を食べていただくということはありがたいことだ。料理を作っていて、ささいなことでも、不潔にならないように気をつける。
食事を食べる時、食べる人は出された料理について全くうたがいなく口をつける。
人にお出しする時は、責任を持って出すのは当然のことだ。

食べ物は天からの恵み、大切に調理し、大切においしく、楽しくいただきたい。

テロリストと国家、それぞれによる殺人

2011年05月04日 | 日々思うこと、考えること
一人のテロリストが殺害された。
数千人の罪の無い無防備な人の命を瞬時にして奪った事件の首謀者であれば極刑をもってしか償うてだてはないだろう。容疑者であったからには、裁判を受けさせるべきではあったが、判決は極刑のみだったろう。
戦時下では、対戦国による爆撃で一般住民が多数殺害されることが起こるが、テロリストは戦時下にない一般の無垢の人を標的にすることが、犯罪者とされる点であり、不意打ちは人間同士の戦いのルールからは外れる。

テロも戦争も、人間同士の殺し合いにほかならない。

人はなぜ、殺し合いをするのか。結局いつもこの話になってしまう。
殺し合いによってしか解決策が見いだせない、という点が人の愚かしい点だ。

人を殺してはいけないのはなぜか、それは自分がされたくないことを人に対してしてはいけないから、と考えている。
なぜ、殺し合いになってしまうのか。殺し合いに発展することが、抑止力になるからだろうか。
生き物の命を奪うことが目的であれば、人間以外の動物を殺せばいいし、実際人間は毎日そうして生きている。
とすれば、目的は自らの生存のためか。
テロも大きな意味では自らの存在のための殺人だ。
国家であれば、政府や軍が代表しての殺し合いとなる。
国家は、テロリストによる脅威から国民を守る必要がある。今回の殺害は、そのためのものだ。

だが、いかなる殺し合いにも、人の意思を持って人を殺すという点において、正当な理由は存在し得ない。
さすれば、死刑に対してすら、正当な理由を与えられなくなる。

最近、わからないことばかりだ。

湘南移住…職住遠離

2011年05月03日 | 家族のこと
妻の友人夫婦が鎌倉に遊びに来た。このあたりに越してくることも考えているそうで、鎌倉をご案内。

妻の運転で車で駅まで迎えに行こうとしたら、表通りが全く動いていない。これでは最初から鎌倉は混んでいる街、と思われ悪い印象を与えてしまう。急遽、予定を変更して自転車で市内を移動することに。
まずは、由比ガ浜のGROVEで洒落たMTBを借りて、イザ出発。
ただの観光というわけではないので、裏道ばかりを選んで、旧市街の南半分を巡ってみた。

由比ガ浜のあたりは、空が広い。大海老の横から134号に出て、坂の下まで行って引き返す。
山から、鎌倉が一望できるのと一緒で、海からも鎌倉はよく見える。
材木座を通って、あそこに見える逗子マリーナまで行って、小坪漁港で魚を買ってから家に行きますね、と海から見上げて予定を説明。

材木座のあたりはずいぶん家が増えた。10年以上前に子どもを連れて自転車で走り回ったあたり、林のように鬱蒼としていた道路も、木が無くなって妙に明るくなっている。お屋敷が一軒無くなると、家が数軒建つ。家が建つのはいいのだが、きれいな庭が無くなるのは残念だと思いながら、我が家も一軒が二軒に分裂したのだから同じか、と思う。
大潮の時期ということもあり、和賀江島が広い。漁船が入っているのを初めて見た。

人もたくさん来ていて、思い思いに楽しんでいる。
子供たちが小さい頃は毎週のように来ていましたが、最近はまったく来なくなりました、などと友人夫婦に話す。
楽しい時間というのはあっという間に過ぎ去ってしまうものだ。

小坪漁港の魚屋さんに行くが、すでに12時前、魚はあらかた売れてしまっていて食べたいようなものはない。生しらすだけ買い、134号の下の道を通って、鎌倉市内に戻る。



時折、顔に雨粒を感じる曇天というのに、若宮大路は人の波。とても自転車で進めるような状況ではない。
大佛次郎邸の横の道に逃げこんで家に戻る。

生しらすをポン酢醤油で食べはじめ、丸七で手に入れた蛤と鯛を焼いて皆でつつき、よもやま話をしていれば、あっという間に夕暮れ時。デザートはお土産にといただいたレ・ザンジュのケーキ。
いささか酩酊してしまいながら、ナイトと一緒にお見送りに。


段葛、桜のあとは、躑躅が満開


妻が島森書店で雑誌湘南スタイルを購入したら、特集がなんと「湘南移住」。今日の記事のタイトルにしてみた。
移住というほどでもないが、都内から妻の実家のあった鎌倉に移り住んで、かれこれ15年にもなるかとあらためて認識する。記事の一つに、”通勤時間”があり読んでみると30分以内の人が半分近く。私のように1時間半を超える人は1割にも満たない。朝の東海道や横須賀線の混み方を見るともっといるように思っていたが、意外と、職住接近なのか、とちょっと裏切られた感じ。もっとたくさんの人が通勤に時間をかけているかと思っていた。アンケート対象は誰なのだろう、疑問も持ってしまう結果だ。

それはさておき、人は人、毎日の職場との往復に3時間以上をかけてきた15年あまりの私の人生、私にとってプラスだったのか、マイナスだったのか。この先もこの生活を続けていいのか、そろそろ潮時なのか。悩みは尽きない。






残された人生は短い・・・2011年4月の読書記録

2011年05月02日 | 読書、映画、音楽、美術
おお、2冊も読んでいたとは、驚き。
それにしても読めなくなっている。理由はなんだろう。
第一は、このブログ(こんきも)にかける時間か?一日30分くらいかかっているのはロスだろうか?日記としては、仕方が無いか。
第二は、学会の準備、自分の論文、査読で、学術論文を読むのに時間が取られた、ということ。これは、ほとんど仕事の領域なので、これまた仕方の無いことか。
何かを読めるのは往復の2時間しかないからきびしい。逆に、これほど確保できているというのはいいことかもしれない。
こんきもか、論文か、読書か。
私に残された人生がいかに短いか、ということを切実に感じる。

4月の読書メーター読んだ本の数:2冊読んだページ数:340ページ穆如清風(おだやかなることきよきかぜのごとし)―複雑系と医療の原点穆如清風(おだやかなることきよきかぜのごとし)―複雑系と医療の原点東大医学部卒、というか、東大医学部に入ることのできる人というのは、これほどまでの知識を持てるのかと驚く。私の高校時代の友人にも中学生の頃から欧米の言語学の研究をし、高校卒業時すでに10ヶ国語以上を操る事のできるやつがいたが、そいつは東大の数学科に進んだ。高校時代から哲学的な考え方をするやつで、今も海外の大学で学問(もちろん数学)をしている。 私自身、医療界に身を置く者、自分自身何をしているのか考えながら、そして、哲学や自然科学の源流を学びながら進んでいきたい。読了日:04月30日 著者:中田 力
ニーチェはこう考えた (ちくまプリマー新書)ニーチェはこう考えた (ちくまプリマー新書)くだけた文体で、ニーチェの人となり、哲学を紹介している。 この前に読んだ本(ニーチェ)と比較して、哲学というのは様々な方向からアプローチして、解釈するものだということがわかった。読了日:04月05日 著者:石川 輝吉
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