昨日、顔見知りの臨床医と廊下で偶然会った。
30年近く前、初めて病理学教室から外の〇〇病院に出されて、勤務した病院の同僚で、とても明るく、少し年上の兄貴分のような人だ。
いったん喋り出すと話が長くなる傾向があるが、せっかくだから会釈だけでなく声をかけた。
エレベーターに乗り込むところだったので、一緒に乗って話をした。
「先生、今年度もよろしくお願いします」
と、声をかけた。
「そう、結局今年もいることになりましたよ(もう、やめるというのが彼の口癖)
でも、いよいよ定年なので今年が本当に最後だよ。」
「私も今年で還暦ですから、もうすぐですね。
早いものですね。」
「そうなんだ、先生はもっと若いと思っていたけど。
人生はほんと短いね。
これまでの間、僕はこれまで一体何をしてきたのだろうって考えますよ。」
「いや、そんな、先生は立派にやってこられてきたじゃないですか。」
「いや、僕なんて、〇〇病院とか××センター(その後私が10年余り勤めた病院で、彼は私がやめる前に今の医療センターに勤務している)みたいな大きなところで、一体何をしただろうって思うんでよ・・・。
そういえば、〇〇病院の忘年会では一緒に司会をやったね、なつかしいな。」
「そうでしたね、それにしても先生あんな昔のことよく覚えていますね。
ほんと、あのときは楽しかったですね。」
などと愉快に仕事をしていた昔を懐かしんでいたら、私の降りる階となり別れた。
自分はこれまで何を残してきたか。
あまり気にしたことはないが、彼も定年ともなると思うところがあるのだろうか。
何を残したか、それは自分なりに考えることだ。
Apple Musicで、坂本龍一追悼アルバムが編集されたのを聴くと、あらためて彼の残した数々の楽曲の素晴らしさがわかる。
私も彼の楽曲のように後世に残るものでなくても、なにかこれ、というものを残したい。
それはなにか形のあるものである必要はない。
ただ、少しだけでも世のため人のためになるものであったらいい。
それすらも贅沢な願いだとしたら、せめて晩節を汚すような悪名さえ残さなければ上出来かもしれない。
残りはもっと短い
応援よろしくお願いします
こんにちは、いつもありがとうございます。
すみません、本当に自分のことが不甲斐なく思われてしまうのです。
でも、ここまでなんとか生きてきたというだけでも上出来ですね。
それをありがたく思った上で、なにかできることを考えていきたいです。
なんとか生きてきたんだからそれだけでも褒めてよ先生!
今日も快晴ですね。
良い午後でありますように(^^)/